◆分岐◆



誰とも手を組まないと傍観者だったはずの彼が小さくつぶやく。
この歴史の改竄者は自分の美学に反する、と。
それは彼にとって最も大きなことで重要視されること。
「妲己、ひさしぶりですね」
「あらん……申公豹」
指先に麝香を漂わせて、女は意味深に微笑む。
「怖い顔してどうしたの?」
「貴女に逢うのに、何か理由でも必要ですか?妲己」
雷公鞭を女に向けて、男は唇だけで笑った。
「貴女、単独犯ではありませんね。呂望が貴女の歯牙に掛からないところのいるうちに
 きちんと話をしようと思ってきました」
ひらりひらり。女は優雅に扇を翻すだけ。騙しあいはどちらも互角のこの二人。
「お茶でも飲みながらゆっくりとお話しましょう。わらわも貴方も時間だけは余ってるのだし」






肌を裂くような空気の中、ただ己の剣をじっと見つめる。
師はこれを託すときにどんな思いだったのだろうか。
(親父は筋を通して死んだ。コーチも師表としての誇りを持って死んだ……でも……)
止まることの無い血と、無駄に過ぎていく時間。
何もできないままで死を待てということは、彼にとってはあまりにも残酷すぎた。
「天化。ここに居たんだね。ほら、薬の時間だ」
少年の手を取って、女は立ち上がるように促す。
「……雲中子さん、薬はもう良いさ」
「何言ってるんだか。ほっといていい傷じゃないっていってるだろ?」
「………………」
彼女もまた、大切な人を失った。
それでも膨らんだ腹を摩りながら何事も無かったかのように日々を忙しく過ごす。
「雲中子さん」
「なんだい?」
「俺っちも、親父やコーチみたく筋を通して死にてぇ……」
何かを悟るには彼にはまだ時間が足り無すぎて。
傍に居てくれるべき優しい誰かも、今は雲の谷間で眠る。
「筋を通すってのは、強さが必要なんだ。君の父上や道徳はそれを持っていた。君は
 太公望がどうして君を崑崙に帰還させなかったかわかってるかい?」
それは、頭では理解しているはずだった。
それでも自分だけが除外されたという疎外感あ拭えない。
「君があそこにいたら、良くて犬死に。下手したら……崑崙壊滅だ」
煙草に火を点けてゆっくりと吸い込む。
面と向かって彼にそんなことを言う人物は今まで誰もいなかった。
傷が癒えるまでは時間が掛かる、と。
「君の性格からして真っ先に聞仲に突っ込んでいく。太公望は冷静な判断が下せなくなる。
 当然、弟子を殺された道徳だって黙っちゃいない。何もかも聞仲の思い通りってことさ」
失った人は帰ってこない。それでもこの身体では彼の魂の欠片が息衝いている。
これ以上なにも知らずに眠っていられればどれだけ安らかだろう。
けれども明けない夜も覚めない夢も無いのだから。
「君は心が未熟だ。それじゃあ太公望が帰ってきても君を前線には出さないだろうね」
崑崙一の薬師は的確に状況を判断する。
「師叔も、雲中子さんも……強いさねぇ……俺っちはまだまだガキってこっか……」
「あんたも太公望も普賢も……ヨウゼンだってまだまだ子供よ」
あと、どれだけ大切なものをなくせば夢はかなうのだろう。
この掌から零れ落ちる砂のように。




封神代の内部にも核はある。
その核の制御を外せば内部からでも魂魄を放出することは可能らしい。
「さて、振り出しにもどったかな……」
「いや……俺たち……むしろ、お前か。切り札を持ってるのは」
少女の腹に手を置いて青年は瞳を閉じた。
「ボク?」
「そう。正しくは子供を持つ母って立場だな、まだ産まれてねぇけど」
封神台は仙道だけが閉じ込めれるわけではない。
ある一定の精神や強さを持つ人間もその対象になる。
「よくわかんない」
「いるだろ。絶対に聞仲が頭あがんねぇ女が一人」
「?」
唇に指を置いて、普賢は首を傾げた。
「殷王朝最後の正妃、姜妃。加えて王太子だって二人いる。殷に忠誠を誓うなら紂王の
 妻である姜妃の命令にも逆らえないはずだ。聞仲が本当に忠義をつくすならな」
紂王に忠義を誓うならば、時期国王になるべきだった殷郊にもそれは発生する。
「殷洪ならよくモクタクが面倒見てたんだけども……お兄様のほうは……」
「兄貴のほうなら俺のほうが話がしやすいだろうな。どっちにしても広成子も赤精子も
 こっちの味方だ」
そうなれば師匠二人を引き連れて行けばいいと考えは纏まった。
「お茶とお菓子ぐらいもっていかなきゃ」
「そうか?あっちも女性だしそんなに気にしなくてもいいとは思うけどな」
「ボクが気になるの。それに……殷洪は懐いてくれてたしね」
穏やかな弟は時折白鶴洞を尋ねては、書庫に篭っていた。
お茶を出しながらあれこれと聞こえてくる王都の惨状に少年は悲しげに俯く。
この身体に流れる血が、全ての元凶だと。
「殷王妃がお前の作ったもんで機嫌悪くしねぇといんだけどな。息子がそうでも母親までが
 人格者とはかぎらねぇ」
ましてや訪ねていくのが同性ならばなおさらに。
「順番決めようぜ。いきなり王妃に会うのもあれだろうし」
「王子様たちから先で良いと思う。明日にでも逢いに行こうと思うの」
自分たちの場所からは少し離れていることと、考えを整理するには時間が必要。
窓辺の花に水を与えるように。
彼女に必要なのは確かな愛情だった。




白樺、茉莉花、梭゚草。あれこれと育てて香油を作り上げる。
「どれが良いんだが、俺にはまったくわかんねぇ……」
「苛々落ち着かせるなら薄荷が良いな。道徳も頭痛くならない匂いだよ」
封神台に来てからというもの、不思議と空腹を酷く感じることが無い。
あればあったでいいのだが、食事無しでもなんら不便は無いのだ。
「なぁ、物のためしに肉とか魚……食ってみるか?」
「?」
「仙道でもないんだから、生臭が駄目ってのも無いと思うんだよな。それに、俺は
 兎も角としてお前にはちゃんとしたもの食ってほしいし」
「ん……ありがと。明日みんなに聞いてから決めてみる。今のところ不便はないし」
爽やかな香りが室内を染め上げて、空気の色を変えた。
以前にも増して彼は彼女を大切にする。
しかし、その上に胡坐を掻いてはいけないと何度も何度も自戒した。
温かな飲み物と僅かばかりの食物。
体の変化は日々、自分の中で進行していく。
「少し……腹出てきたか?」
「ほんとうにちょっとだけどね。そのうち破裂するくらいおっきくなるのかな……」
寝台に座り込む少女の腰を抱くようにしてそっとそこに耳を当てる。
「動くわけないか」
男の髪をそっと撫でて、小さな声で呟く。
「本当はね、赤ちゃんもっと後でも良いかなって思ってたの。もう少しだけ貴方を独占して
 いたかったから」
この腕が抱いてくれるから怖いものなど無いと思えた。
「可愛いお母さんになれるようにがんばるね」
小さな不安でも分かり合える関係になって。
「お母さんにはならなくて良いんだぞ?俺は多分……お前のことをお母さんっては呼ばない」
それでもぶつかり合いはなくならないけれども。
「俺にとっては一生現役の女だぞ。普賢が可愛いばーちゃんになっても俺はきっとお前の尻を
 追い掛け回してお前にしかられんだ」
二人でどうしたら幸せになれるか。
「子供がいてもいなくてもお前に対する気持ちは変わらない」
生きていくことも、志半ばで死ぬこともどちらもつらい。
だから誰かが彼を与えてくれた。
「あれ……誰か来たかな?」
扉を叩く音と窓の外吹き抜ける風。陽も落ちて待ち続けるには厳しい冷たさ。
男が立ち上がって扉に向かうのを見ながら、静かに茶道具を準備する。
「普賢」
「お客さん?」
「これで俺らの方が動きやすくなるかもしれない。聞仲相手なら最高の札だ」
招かれたのはかつての武成王。
「天化のお父様……」
「これで全部だな。武成王、太子二人、殷王妃。それでも聞仲が意固地になるなら……」
青年の言葉をさえぎったのは、件の男の声。
「そんときゃ、俺があいつをぶん殴る」




二人の妹従えて女はくすくすと笑う。
同じように背後に霊獣を従えた男はただ、視線を返した。
「私は最初、この悪戯は貴女が単独犯だと思っていました」
封神計画の真実は二転三転し、いまだ闇の中。
少女がまどろんでいる間に彼は東奔西走しあらゆる欠片を探していたのだ。
徐々に見えてくる真実と浮かび上がる疑問符。
鍵となるべき答えを探して。
「先日、紂王を見ました。おかしいことに私にとっては過視感があったのですよ」
出された茶には口も付けずに申公豹は小さく笑った。
「彼を見たのはかれこれ三百年も前でしょうか?当然貴女たちも仙道になっている」
五千年を生きる男は舞い落ちる葉を鞭先で切り裂いた。
「その強さは人間の領域を凌駕していた。しかし、彼は仙道ではなく人間だった」
「…………………」
「おかしいですね。誰かに良く似ている……これは私の暇つぶしに過ぎませんがね」
「姉さまに向かって口が過ぎるわよ!!申公豹!!」
貴人の声に男は静かに宝貝を構えた。
それだけで室内の空気の色は変わり緊張が瞬時にして走る。
「貴女こそ口が過ぎますよ、王貴人。再生もできないように打ち砕いて差し上げましょうか?」
「貴人ちゃんうぃ苛めるのは、喜媚が許さないよっ!!」
「そちらの雉も焼き鳥にでもしましょうか。私は妲己の部下ではありません!!」
一括するだけで二人を牽制できるのは彼の強さが本物だからこそ。
「妲己、あなた一人では実行不能なことが多すぎますね。その二人では補佐にはなっても
 主力にはなりえない。それは貴女も分かっているはず」
す…指が女を示す。
「しばらくは様子を見ましょう。私も用がありますからね」
飛び去る姿を見つめながら、貴人は唇を噛んだ。
「姉さま!!あの男……っ!!」
「申公豹と太公望ちゃんはわらわの誘惑に掛からない珍しい固体よ。まだまだわらわにも
 修行が足りないってことねぇん……」
「でも、太公望はまだまだ子供。次こそは私が!!」
「貴人」
妹の頬に手を当てて女は静かに首を横に振る。
「あなたは太公望ちゃんの強さを知らないわ。あの子は……進化を遂げるのから。
 全部最初から決まってることなのよ。ずっとずっと前からね……」
女の心は夜の海の色合い。
光など無くともその美しさに誘われて月は照らしてしまう。
全てを飲み込んで知らぬ振りをすればその瞬間から全てが終焉に向かって走る。
この世界など必要ないと。




眠るあの人に。
雨をしのげるようにと茜色の傘をあつらえた。
羊たちはただ優しく少女を背に乗せて入れ替わりながら時を刻む。
「四不象、しばらくはあなたが呂望を守るのですよ。対話中の老子は完全に活動を
 停止していると思ったほうがいいですから」
黒点虎に乗り、男は眠る少女に視線を移した。
「私はこれから封神台に向かいます。そろそろ彼女も準備を整えていることでしょう」
「だ、誰にあうっすか!?」
「呂望の親友ですよ」




流れる季節の真ん中で一人時を止める。
夢が幸せで満たされるのは誰かの戯言。




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15:41 2006/02/27

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