◆飛べる羽根は世界の贈り物◆
面倒な相手に惚れたと、彼は呟く。
膝を抱いて、一人きりで。
彼女の姿はここにはなくとも。
「レオさん」
夜通しの番は、彼が引いた。
「寝てろ。俺の運が悪かっただけだ」
少女のほうを、振り返らずに彼は火をじっと見つめる。
護神像アシャはアールマティーに吸収されて、すでに彼の手を離れた。
「隣に座っても、いいですか?」
「……勝手にしろ」
長く結わえた髪は二束。ふわりと風を作りあたりの空気を甘く変える。
赤い血を持つ少女はこの世界では『神』と名付けられた。
人間に忌み嫌われ、機械に愛される存在として。
「アシャ……と、言うんですか?」
それは彼と苦楽を共にしてきた彼の半身。
今はもう、隣には居ない大切なもの。
「俺のアシャは、これと一緒だ」
指が示すのは燃え上がる炎。
「あの下品な護神像が俺のアシャを食った」
「…………私は…………」
長い睫。彩るは憂い。
心細さを抱えて、彼女は言葉を紡ぐ。
「シオ君のお父様を……殺しました」
彼女を守って、先のアールマティーの防人はその命を落とした。
名も知らない、自分のために。
それが当然といわんばかりに、防人は己の体を盾にする。
人を愛する防人は、人のために最後は護神像に取り込まれるのだ。
「アンタが殺したわけじゃない。俺たち防人は人を守るのが役目だからな」
「でも、私がいなければあの方はもっと……」
「俺たちはいつ死んだっておかしくないんだ。それがたまたまアンタがきたときに
重なっただけで。おっさんだって覚悟はしてただろうしな」
彼もまた、同じようにその覚悟を持っていた。
しかし、まさか自分の護神像が他のそれに吸収されるとは予想すらしなかった。
「レオさんにとって、アシャは大事なものなんですよね?」
「仲間だ。今でも」
揺らいでいる心は、心細さと一緒に封じ込めた。
「私が来なければ、今も一緒に居れたのに?って、思いませんか?」
「何が言いたいんだ?お前」
「私のことが、憎いんじゃないのですか?」
「どうなんだろうな……お前は俺の偏頭痛を消してくれたからな……」
目を閉じて、膝を抱える姿。
抱かれた刀がやけに寂しく見えた。
それは、恐らく彼の最後の砦。
「レオさん」
小さな唇が、ゆっくりと近付いて。
そっと、頬に触れた。
柔らかさと、甘さに動きが止まる。
「何の……真似だ……」
「私にできることは、これくらいしかなくて……」
胸元を結ぶリボンが、ぱらりと落ちる。
この世界では神とされても、彼女はまだ少女なのだ。
「ここは、寒いから……」
目を閉じて。
「息が詰まりそうなの……」
触れ合う口唇。
その背に回った腕の細さ。
それは、自分たちとなんら変わらないものだった。
「……あ…ん!!……」
湿った音と、耳にかかる息。
「……馬鹿が寝てる。起こしたくなかったらあんまりでかい声出すなよ……」
向かい合わせで抱き合って、互いの衣服を落としあう。
「……あん!……っ…」
指が進むたびに、ぎゅっとしがみついて来る。
傷だらけの胸に顔を埋めて、少女は唇を噛んで声を殺した。
ふるん、と上を向く形の良い乳房。
まだ少しだけ薄い胸板に触れる。
「…ひゃ…ぁん!……」
それだけで生まれる喘ぎが、耳を、神経を、本能を刺激する。
ぞくぞくと走るのは興奮と禁忌。
本来は触れることのできないものを手にする、暗い喜び。
白い腿を照らす炎。
零れた埃がぱちぱとと悲鳴を上げた。
「……ここに……来て…っ!…から……」
縋るように背に回った手。
「……安心できることなんて……無かった……!」
長く伸びた髪が、肌に触れる。
重なった肌の熱さは、この無機質の世界で見つけたたった一つの安心。
見えない明日に怯えて生きるのは、誰も同じだから。
「…ん……」
舌先を絡ませて、吸い合う様に唇を重ねて。
僅かに角度を変えるときに許される呼吸を貪った。
腰を抱かれて、入り込んでくる少年のそれに。
絡まる肉は、女の本能でおおよそ神とは程遠いものだと彼女は呟く。
赤い血が、世界を回すのならば。
この血の全てを、砂に還してしまいたい。
「ア!!あ…、ぁん!!」
じゅく、ずく…絡まった音と噛み殺した声が交じり合う。
互いの鼓動が、血の流れが速くなって。
もっと深く混ざりたいとその身を擦り合わせた。
「……傷……ッ……」
細い指が、左胸の上から斜めに走る傷をなぞる。
「……痛かったでしょう……?」
腹部にできた真新しい傷も。
「……慣れてる。傷無しの防人なんていやしないからな……」
「レオさん……」
少年の首に手を回して、何度も何度も唇を彼のそこに押し当てた。
痛みに慣れてしまうことなど、ありはしない。
それを殺して、彼は今までこの世界で生きてきたのだ。
帰る場所も無く、護神像だけを支えにして。
「私が……あなたを守れたらよかったのに……」
できることは、この血を使い彼の願いを成就させることだけ。
「……馬鹿だな、あんたも。あいつと同じだ……」
小さな頭を抱く手。
かすかな震えは、恐怖心ではなく。
「願いは……叶ったんだ……」
「ごめんなさい……レオさん……あなたの大事なものを奪ってしまいました……」
どんな時も彼の傍らにいた炎の護神像。
「馬鹿だな……アシャは死んだわけじゃないんだ……」
それは、自分に言い聞かせるための言葉。
この手に、腕に、まだその思いは残っているから。
「蜘蛛の糸に着くまで、俺がお前を守ってやる。そこに行けアシャも、どうにか
なるかもしれない……」
はらはらと流れる涙を拭う、指。
その指にも、数え切れない傷が在る。
「……はい……」
「だから……泣くな。女に泣かれるのが一番苦手なんだよ……」
絡まったまま二人、きつく身体を抱きしめあった。
この世界に二人だけみたいだと、小さく呟いて。
「お前のいた世界って、どんな世界だったんだ?」
少女の膝に頭を乗せて、目を閉じる。
こうしてみれば彼も彼女もまだ年端も行かない子供だ。
「綺麗かは分からないけれど、私はとても好きでした」
そっと、髪を撫でる指先。
薄い爪は、この世界の月を浴びてほんのりと色香を醸し出す。
「レオさんの生まれた所は?」
「……周りには強い機械が嫌になるくらい居た。全部俺がぶっ壊したけど」
「あまり、危ないことは……しないでくださいね……」
かがんで、ちゅ…と唇が額に触れた。
「レオさんまで居なくなったら、私……どうしたらいいのかわかりません……」
そっと、頬に伸びる手。
「馬鹿だな……俺はそう簡単に死なない」
「……はい……」
「言っただろう?俺は防人だからな。『神』を守るんだ」
「『神』である私を……?」
悲しげに、細まる瞳。
「本当に馬鹿だな……お前を守るんだよ……」
「……はい……」
揺らめく炎が、約束の証人。
二人だけで小指を絡めて、そっと離した。
「伍の村は、機械さえなければ面白いところだ。いつか……連れてってやるよ……」
心も、身体も。
くたくたになって、二人で目を閉じる。
「寝ちゃったんですね……レオさん……」
もう一度、その額に唇を落とす。
できることなら、この夜を止めてしまいたかった。
明日のことなど、分からないこの世界で、出会えた優しさを。
抱きしめて、離さないように、胸に閉じ込めて。
彼の手を、そっと握った。
出会いと同じように、別れも唐突にやってくる。
どこまでも走って、走って、それでも離れ離れに。
追いかけて、追いかけて、手は届かなくて。
思い通りに行かないのは、誰も同じで。
少年は少女のためにその剣を天にかざす。
目を閉じて。呼吸を整えて。
その背にあるいと気高き真白の羽根で。
大地を蹴って、天を舞う。
少年は背に羽根を持ち、太陽を味方につける。
人を守り、神を守るものが防人ならば。
紛れも無く、彼は防人なのだから。
大事な誰かができたとき、人は誰よりも強くなれる。
(早く……あいつのところに行かなきゃならないんだ。こんな所でぐずぐずしてる
暇なんか無い……!!)
光を浴びて、剣が輝く。
気高き翼を開くその思いに名をつけるのならば。
それが、きっと『恋』というもの。
誰かを守りたいと思う心は、何よりも大きな武器となる。
少女を守ると誓った剣に、己の誇りを掛けて。
(待ってろよ……今行く。こいつをブッ倒して、すぐに行く!!)
剣を構え、男を見据えて、大きく息を吸う。
「防人、レオナルド・エディアール、参る」
彼女の名を小さく呟いて、大地を蹴った。
少年は背に翼を持つ。
この世界を飛び回るための、真白の翼を――――。
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23:21 2004/11/08