◆ラストリモート◆





給水塔の上は指定席だからと入口の裏側の壁に凭れる姿。
「あーだりー……なんでこのガッコ完全禁煙なんだよ……」
必死の思いで核鉄を取り戻して、女はため息を深く吐いた。
愛煙の箱を握りつぶし、最後の一本にライターを使わずに火を点ける。
(落ち着く……なんで俺がスーツ何か着なきゃなんねーんだよ……)
英語教論として銀成学園に赴任して一週間。
慣れない仕事と錬金戦団での職務の二つがのしかかる。
「お、居た居た。こんな所で煙草吸わない」
「……おめーはいいよな……いつだって吸えんだし……」
黒のパンツスーツ。細めのネクタイ。
ハイウエストのジャケットは腰だけではなくその胸の大きさも強調してしまう。
「寄宿舎の管理人も楽じゃないよ?」
「煙草いつでも吸える……」
禁煙生活など送る気もなかった彼女にとっては辛い環境だ。
「おめーも教師やれよ」
「だって、物理は席空いてないもん」
ぽふぽふと赤髪を撫でれば視線だけを彼女に向ける。
疲れきった顔に見える焦燥感にほんの少しだけ昔を思い出すように。






「火渡先生!!質問です!!」
チョークで黒板に英文を書く女の後ろから飛んでくる声。
問題児揃いの2−Bではアクシデントは日常茶飯事だ。
「先生に彼氏はいますか?何カップですか?趣味はなんですか?身長何センチですか?」
岡倉の問いかけを無視してプリントを捲る指先。
「オメー、授業中だっつってんだろ!!」
「気になって集中できません!!」
新任教師に興味があるのは仕方がない。
三人だけ俯いて興味無しを火渡に示して、無関係を決め込んだ。
(おい、武藤……殺されるぞ……あいつ……)
(岡倉はいい奴だったよ……)
(ってもう殺されてることになってるし!!)
岡倉の声に賛同するクラスメイト達。
「うるせぇぞ!!ガキ共!!」
「先生!!好みのタイプはどんな人ですか!!」
「火渡先生!!お風呂入った時はどこから洗いますか!!」
「先生のすべてが気になって授業中に眠れません!!」
ぼきぼきと折れていく夥しいチョークたち。
すでに石灰と化したそれはともすれば、発火しそうな女の手のひらの中だ。
「えーいうるせぇ!!乳はDカップ!!趣味は料理と花火!!身長148!!風呂は左腕から!!
 好みのタイプは俺より強くて黒髪!!男はいねぇ!!納得したら例文解きやがれ!!」
ばしん、と黒板を叩いた左手。
最後の一言に剛太とカズキは顔を見合わせた。
(確かに、火渡に彼氏はいないよな)
(ああ。火渡戦士長より強くて、黒髪っていったらな……)
態度こそ凶悪であれ火渡の授業は好評だった。
解りやすさもさることながらそのルックスも相まって、今までさぼりを決め込んでいた連中も
開始五分前には席に着くようになったほど。
煙草の匂いと仄かな香水が混ざり合う。
「予習復習はきちんとしておけよ。それから、武藤カズキ、中村剛太。お前は放課後、
 俺の部屋まで来い」




肩に凭れる小さな体を抱き寄せて、同じように煙草に火を点ける。
放課後の屋上の空気は懐かしい風に混ざりあう。
「あ、やっぱりここだった。ブラボー、火渡起こしてよ」
唇に指を当てて、防人は少年二人を座らせた。
ここ数日、期末考査のために睡眠時間はかなり削られているのを知っていたからだ。
起こすには忍びない、もう少しだけ眠らせてあげて、と。
「赤点でも取った?」
その言葉に二人が頷く。
「でも、だったらほかに二馬鹿もついてくるんだろうけども……ん?起きたかな?」
まだ眠気たっぷりの眼を開けて、大きく腕を上に伸ばす。
シャツの隙間から見える肌と腰にどうしても視線が行ってしまうのは健康な青少年たる証拠。
「あ?何やってんだてめぇら」
「火渡が呼んだんだろ」
「ああ、そうだったな。外泊許可がどうたらって言ってたろ?あれ、俺の許可で通したから」
乱れた髪をほどいて結び直す。
外泊許可を取るには寄宿舎管理人、教論の二つの証印が必要だった。
「本当!?斗貴子さんと遊びに行ける!!」
「そりゃブラボーなことでもしてきなさいな。火渡、私らも旅行!!どっか行こうよー」
女の吸い差しを奪い取って咥える。
「校長に言え。それか照星さん」
ポケットから出した許可用紙を手渡せば少年二人が大騒ぎ。
できたての恋人同士は誰にも邪魔されたくないだろうと、珍しく火渡が手を打ったのだ。
「どこいくの?二人……二組か」
「ディズニーランドとシーに行ってくるんだ」
「じゃあ、土産はネズミのカチューシャだな。着けろよ?」
ちら、と防人に視線を移せば大声で笑い出す。
「いいよ。着けるよ。その代り火渡はそれつけてひらひらでふりふりの恰好してね」
女同士でなければきっと世間的にも普通から少しはみ出した程度の恋人関係だろう。
未だに戦士長の肩書はもったままの二人の女。
浮かぶ雲に見るは休息という名の日常だった。






のんびりと座り込んで手弁当を広げる。
二人分の小さなランチボックスに詰め込まれたのはベーグルサンド。
いつものように屋上でのんびりと彼女を待つ。
「おまたせ〜。あ、お昼ご飯だ」
隣に並ぶ彼女が生きていることが不思議で、嬉しい。
触れ合う方先に感じる小さな幸せと穏やかな日差し。
「やっぱり美味しい。火渡は料理上手だからな」
カットされたパイナップルを口にしながらそんなことを呟く。
表面に見える傷は大分癒えた。それでも、内側まで燃やしつくした傷はまだ彼女を苛む。
不意に訪れる痛みを飲み込んで戦団の一人として残ることを選んだ彼女。
「良いお嫁さんになれるね」
思いもよらない言葉に動きが止まる。
「……誰の嫁になるんだよ……」
「え?決まってるじゃない、私。ああん、良いお嫁さんっ」
「ば……馬鹿かてめーは」
「ずっと一緒に居てくれるんでしょ?嬉しいな」
泣きそうな思いに午後の授業がなくて良かったと安堵する表情。
教員という立場は彼女から自由を半分奪った。
それでも離れるよりはいいとその道を選び、受け止めた。
「夜ごはんはシチューが食べたいな」
「コンビニでも行けよ」
「火渡はルーから作ってくれるもん。コンビニのはもう食べ飽きた」
二個目に手を着けて頬張る姿。
トレードマークのツナギ姿もようやく見慣れてきた。
自分がよく知る防人衛はシルバースキンを纏う戦士の方が圧倒的に多かったことに今更ながらに気がつく。
「スーツ姿もようやく見慣れたかなぁ……最初はコスプレにしか見えなくて……」
笑いながらそんなことを言う女の脇腹に軽く拳を入れる。
「てめーのみょんなカッコもな」
「みょん♪」
わざと顎の下で拳を作る姿。
あきれた様に笑って火渡は二度ほど首を振った。
「代休もらえるようになったら……それか、長期休暇のとき、俺らもどっか行こうぜ」
思いがけない言葉に呆けた表情。
その意味を理解して伸ばされた手が女を抱きしめた。
「ただし、行き先は温泉とか療養系だ!!」
「どこでもいいよ。火渡が居てくれれば、私……それだけでいいんだ……」
色違いにした携帯電話、左手の中指を飾るリング、悪戯に付け合ったキスマーク。
香り違いのハンドクリーム、重ねた月日、同じ傷口。
「放課後、来てくれる?」
「気が向いたらな。午後からは授業もねぇし……」
火渡は午後に教鞭をとることが少ない。
錬金戦団の呼び出しにもすぐに対応できるようにと、坂口の対処だった。
同じように防人もある程度の自由は保障されている。
「お、火渡センセとブラボー姉ちゃん」
少しだけはみだし気味の生徒たちからも不思議と二人は好かれていた。
はっきりとした物言いの寄宿舎の管理人は、時には最大の理解者となる。
同じように見掛けによらずに拳一つで壁に大穴を作る火渡も。
「おめーらサボんなよ」
「センセだってサボってる」
「午後は授業ねぇんだよ。赤点取ったらぶっ殺すぞ」
「センセとブラボー姉ちゃんって、仲良いわけ?」
女二人が同じ行動をとっても大げさなスキンシップにしか見えないことも多い。
だからと火渡の肩を抱き寄せて防人はにこり、と笑った。
「そーだよ。どこに行くにも一緒。ほら、授業始まるから早く戻りな」
そういわれればかなわないと階段を下りていく音。
視線を給水塔に移して声を掛ける。
「カズキー!!斗貴子ー!!いつまでもストロベリってんじゃない!!授業始まるぞー!!」
その声でばたばたと走り出す二人分の足音。
火渡の手を掴んで給水塔へと向かう。
少しだけ高いその場所は自分たちが守ったものを見渡せる小さな空間。
二人並んで座って、足を投げ出した。
「どうせ一服するなら景色の綺麗な所で」
同じ銘柄、幸せになれますようにと祈ったその名前。
「お前とタバコが一緒だと助かる」
「いいたくないけど、照星さんもだけどね。みんな色違い」
「だな。言ったんだけどな、勃たなくなるぜ?って」
赤は彼女、金は隣の女、緑は二人を懇意にする男。
「火渡」
ほほに触れる唇に胸が高鳴る。
ただそれだけの行為なのに、柄にもなく耳まで赤くなる姿。
普段ならからかう彼女もそうはせずにそっと肩を抱き寄せた。
「お疲れ様、色々と。これからも一緒に、ずっとよろしく」
「…………おう」
斜め下に視線を移しながら、ジャケットのポケットを弄る指先。
ちゃら…音を立てて取り出した銀色の鍵。
失くさないように、キーケースも。
柄違いの同じもの。
「……やる……」
寄宿舎住まいの防人と違い、火渡は戦団から支給されたマンションに住んでいる。
一緒に入ることが多いせいか鍵など考えたこともなかった。
「これ、火渡の部屋の?」
「他にどこがあんだよ」
「良いの?」
覗き込んでくる瞳に息が詰まる。
不安と喜びの混ざり合った表情がよりいっそう感情を掻き立ててしまうから。
「べ……別にいらねぇんだったら……」
言葉をさえぎる声。
「私、絶対にこれ返さないよ」
「……………………」
もう一度向かい合うために、必要なものの一つがきっと時間なのだろう。
戦うことを少し減らす分共有することもできるはず。
今までもは違った面でぶつかり合うことも増えるのは予想に容易い。
ましてや正反対で同じ二人なのだから。
「いらねぇんだったら、使わなきゃいいだろ」
まだ素直に気持ちを全部伝えることは互いに難しい。
視線は下げたままの彼女の睫毛に見え隠れする恋心。
「通いつめるよ」
「不法侵入より全然ましだぜ」
キーケースを大切そうに両手で握る。
笑った顔に小さな涙。
「ありがと。一番ほしかったんだ」
「おめーの部屋の鍵もよこせ」
「うん。あげる」
誰も居ないこの空間でやさしいキスをした。
守り抜いた世界はこんなにも美しくて、飲み込まれそうになる。
「もう一回キスしてもいい?」
「タバコ一箱」
「じゃ、ワンカートン分もらうね」
重なるたびに舌が激しく絡まって鼓動が早くなる。
わずかに許される呼吸と背中を抱く腕。
「午後からどうするの?火渡先生」
「別に予定はねぇよ」
「じゃあ、花壇作るの手伝って」
「時給だせよ」








まだなれない日常と抜け出した非日常。
隙間に座って君と並んだ。
着なれないジャケットに袖を通す仕草が悲しほどに愛しい。
「スカートのスーツ姿がみたいなぁ」
ソファーに座って脚を組む姿が目に眩しい。
シャツとジーンズの普段着。
「おめーがツナギ以外着るんならな」
バレッタで留められた赤髪と後れ毛のやわらかなうなじ。
「ミニスカートがいい。火渡、脚綺麗だもん」
「だから、おめーがツナギ以外着たらっつってんだろ」
自作のフルーツケーキと甘めのミルクティー。
大戦士長御自慢の品だと笑って見せられた紅茶缶。
英国王室の証印は簡単に自分たちが手にいれられるものではないことを物語る。
「膝枕して」
「勝手にしやがれ。俺はいま読書に勤しんでんだ」
珍しく朝から煙草も口にせずに真剣に書物を読み漁っている姿。
ページをめくる指先と紙の擦れる音が心地よい。
彼女の膝に頭をのせてソファーのひじ掛けに足をのせて。
「何読んでんの?」
下から覗こうとすればぱちん、と額を打たれる。
「痛いんだけど」
「邪魔すんなっつてんだろ」
「だって何読んでるのか気になるもの」
「……おめーが食いてぇって言うから……見てんだよ。ブッシュ・ド・ノエルなんざ
 作ったことねぇっつの!!ドイツでも行ってきやがれ!!大体、クリスマスケーキだっつの!!」
そのまま防人の顔に料理本を叩きつけて立ち上がる。
何気なく彼女が呟いた言葉に、火渡は帰り道に本屋へと駆け込んだのだ。
寄宿舎住まいの防人とマンションの火渡は週末くらいしか一緒には過ごせない。
たまに一緒に過ごせばこんな喧嘩ばかり。
この二十年、ずっと同じことの繰り返し。
「火渡、ごーめーん!!私が悪かったから!!」
拝むように手を合わせて頭を下げる姿。
長身の彼女がいつも先に折れて、小さな彼女に謝るのだ。
「ドイツ行け」
火の点いた煙草を咥えた不機嫌な顔つき。
「んー……火渡と一緒なら行く……」
手が頬に触れる。
「ごめんね」
「……おう……」
「ドイツ料理のお店、行く?」
「……ん……」
抱きしめてくる腕を誰にも感じさせたくない。
「新しい入浴剤とか、色々探しに行こっか」
髪に残る香りまで自分のものにしたいから。
手放せないと強く願うのはどちらが先なのだろう。
「ね、火渡からキスしてほしいな」
「……夜、飽きるまでしてやるよ……」
「今してほしい」
「んじゃ、少し屈めよ。届かねぇだろ」
同じ高さに目線を合わせればぎこちなく触れてくる唇。
乾いた音を立てて静かに離れる。
「……私のこと、好き?」
何度も何度も問いかけるその言葉。
「決まってんだろ、好きだよ」
「どこにも行かなくても、火渡がここにいてくれればそれでいい。もう、危ないことに
 巻き込まれないなら、私……核鉄返してもいい。火渡がいてくれれば、あと何も要らない」
二人のイヴは恋を覚え、愛を生成した。
週末しか触れ合えなくても、生きて抱き合えるだけ幸せだと。
君の望むような甘い夢は過酷な現実ではかなえられないけれど。
「心配するなよ……俺も、お前と一緒に居られればそれでいいから」
ほかに何を持って幸せとすればいいのだろう。
「……ドイツ料理……」
「そうだね、行こう」
陽の光の中で振り返る姿がまだ白銀にまみれてしまうのは仕方のないこと。
白と赤の境界を越えてどこまで行こうか。
「どうする?誘う?」
「あー……声だけ掛けとかねぇとまた変なもの贈ってくるからな……」
「そうね……スクール水着はさすがに……」
携帯を取り出して。
「あ、照星さん?金出して?いや、借金じゃねーよ、売春(ウリ)でもねーよ。今から
 飯食いに行くんだけども……え?あ、あー……んじゃそれでもいいや。んじゃ」
「あんた……一応教師なんだから……」
ぱちん、と折りたたんで女はにぃ、と笑った。
「ホテルで会議中だってよ。抜け出す口実が欲しいから奢ってくれるって」
薄手のコートに袖を通してマフラーを掻っ攫う。
少しだけ気おくれしている彼女の手を引いて玄関のドアに手をかけた。
「いこーぜ」
「うん」
絡ませた指先に感じる暖かさ。
「鍵……私が閉めてもいい?」
この鍵が本物で、どうしようもなく幸せだと泣きそうになる。
「早く行こうぜ」
「うん」





眠れない夜を重ねて。
朝が綺麗だと思えたからきっと幸せ。





9:53 2009/02/03









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