◆正しくないベーコンエッグの食し方◆





「とりあえず、全部割って混ぜろ」
膨大な卵の山を前に、火渡はそんなことを呟いた。
「待て。お前……その前に俺に何か言うことはないのか?」
「卵がタイムセールで安かった」
きっぱりと言い放つ恋人に防人はがっくりと肩を落とした。
少しくらい食材を多く買い込むのはいつものことだから責める必要はない。
多少作りすぎても粗方この男は食いつくしてしまうので腐る心配も必要はない。
しかし、目の前にあるのはそれでは済まされない量の卵だった。
「なんかよ、先着順とか言われると燃えんじゃん。俺、足も速いし。気付いたらワゴンの
 卵いっぱい持っててさ」
「量ってもんを考えろ、馬鹿」
薄手のコートをソファに投げつけて卵を手にして。
「毎日出汁巻きやらベーコンエッグやらホットケーキやら……俺はお前の飯なら何でも
 食うけども毎日卵はちょっとな……」
「そうだ、お前毎日卵飲めよ」
「……その必要はないんだがな……俺よりも照星さんに毎日飲ませてやれよ」
「とりあえず、一個飲んでみろよ」
仕方なく殻を割ってその中身を飲み込む。
それでもこの玉がの山がどうにかなるわけではない。
「ついでに色々買ってきてやったぜ」
がさがさとキッチン台に並べられていくは鰻を筆頭とした精力に効果のあるものばかり。
最後に置かれた赤マムシ栄養ドリンクに彼のため息は一層深くなった。
「……あのな、火渡……」
「健康に良いらしいぜ?円山とか戦部が言ってた」
おそらく二人は間違ったことは言ってはいないだろう。
火渡が勘違いしたと考える方が正しい選択だ。
「照星さんも、疲れが早くとれるって言ってたし」
(そっちは確信犯だな……いい加減子離れしてもらいたいもんだ……)
戦団に保護された数少ない女子の一人は、予想外に強くなってしまった。
気がつけば一緒に過ごしてきた青年と恋をするほどに。
「ゆで卵でも作るか?」
「二パックだけ残してあとは戦団に送ってやろう。お前の名前で送れば絶対に受け取るから」





ともあれなんとか作った夕食は卵を有効活用したオムレツ。
残りは面倒だとゆで卵にして冷蔵庫の中だ。
「照星さんのお前への愛情は半端じゃないよな」
向かい合わせで座って、火渡お手製のオムレツを頬張る。
見かけもそうだが中身も本人の意外と几帳面な性格が表れる一品は味も申し分ない。
手抜きだと言いながら添えられた春雨のスープとサラダ。
狂暴なところを除けば世間が言うところの嫁にしたい女に当てはまるだろう。
「そっか?どっちかってと防人LOVEの感じがするけど」
「冗談でも恐ろしいこと言うなよ。お前と付き合ってるのがばれた時に、人生で最も
 死を覚悟した瞬間を味わったんだ……」
スプーンを握りしめたまま硬直する男の姿に、火渡はため息をついた。
「……冷める前に食えよ」
「ああ……うっかりこれでお前が妊娠なんかした日には母子家庭決定だぞ」
「マジで!?絶対ぇ言えねえ!!」
「今何か月?」
「四周目って言われ……っ!!」
慌てて口を押さえる姿。
こうも簡単にカマかけに引っかかるのは相手が彼だからこそ。
「俺……今日からシルバースキン着て生活する。まだ死にたくない……」
「俺だって死なれたくねぇよ」
「けど、照星さんにばれてみろ?俺、確実に月までバロンで飛ばされるだろ?」
「……………………おう」





「という夢を見たんだ。お前、妊娠してないよな?」
今夜はオムレツだと卵を片手で割る女の隣に並ぶ。
立ってるだけなら電柱の方が役立つといわれ、素直にジャガイモを剥く姿。
ナイフも使わずに指先で皮を落としていくのはその手の業界人の間では常識だ。
「してねぇよ。第一、タイムセールなんか行ったことねぇっつーの。馬鹿かてめぇは」
手際よく刻まれていく色取り取りの野菜たち。
「ま、そんだけ卵があれば毎日ホットケーキでも作ってやれるけどな」
外見にそぐわず、二人とも少し幼さのあるものが好きでもあった。
ホットケーキ、パフェ、ハンバーグにパスタ。
オムレツも防人の好物だからと一番最初に覚えたものだった。
無造作に結ばれた赤い髪。
「なあ、あれ取ってくれよ」
届かないからと無理をするよりも隣に恋人がいるならば頼ってしまえば良い。
ようやくそんな当たり前の行為ができるようになったばかり。
「ほら」
「ついでに開けてくれ」
きつめに締められた瓶の蓋を開けて手渡せば中身を取り出して再び刻みだす。
ともすればガスなど必要なく調理できる女と、刃物などなしで食材を刻める男。
面倒だと焼夷弾に二人乗りで帰還した時には大目玉を食らった過去。
常識とは何とも面倒だと非日常の住人が日常で呟いた。
「幸せってこういうのなんだろうな……」
柄にもなくそんなことを思ってしまうのはきっとこの穏やか空間と空調のせいにしてしまえばいい。
何気なく肩が触れるだけで感じる至福。
「お前、脳にじゃがいもの皮でも詰まってんじゃねぇのか?」
多少荒々しい口調でもそれが彼女たる所以ならば。
「な……なんだよっ」
少し屈んだ彼の唇が触れて。
「……っは……」
離れて重なった視線に生きてることを確かめる。
「何でお前が泣きそうな顔すんだよ!!」
「ちゃんと火渡が生きてるんだなって思っただけだ」
ぺち、と軽く頬を打つ手。
その手の甲にそっと唇を押しあてる。
おとぎ話でも出てきそうなキスシーンの舞台はキッチン。
「髭面の王子様かよ」
「白雪姫ってよりは……羅刹女って感じだけどな」
「お前も王子ってよりか牛魔王って感じだぜ」
「じゃあ丁度いいだろ。いい夫婦だ」
投げつけられるオレンジを片手で受け止めて。
「ったく……くだらねぇ……」
耳までほんのり赤くなるのはどうしてだろうと問い詰めたくなる。
意地悪をするにはまだ少しだけ早い時間を恨めしく思うならば。
「おい、なんで人のケツ触ってんだよ」
「いいケツしてんなあって」
「殺すぞ!!」
「あー、いいなぁ……俺、火渡の上で腹上死が理想だな」
ナイフが飛んできたところで洒落にならないと笑いだす。
お互いが叶わない相手を選んだといわれても、恋に理屈は少なくて良い。
不条理が跋扈する世界を歩くならば一人よりも二人で。
絡ませた指先を離さないように、魔法をかけた。






「んでだな、ここを……」
戦団の中では相変わらずすれ違いばかりの生活が続く。
それでもまだ非常事態ともなれば召集される立場から外されることはない。
「で、これも……」
「火渡戦士長……その……」
「あ?」
ちら、と移される視線は鋭い。
「後ろの人が……」
しっかりと抱きつきながら乳房を鷲掴みにする長身の男の姿。
全身を覆うメタルジャケットと対になる赤い髪。
「他の女にんなことさせたらセクハラでぶち込まれるからな」
「そ、そんなもんなんですかっ!?」
「そんなもんだ。てめぇもさっさと持ち場行けよ」
チョップで軽く額を打つ。
「落ち着く……」
「何が落ち着くだ。馬鹿」
他人がどう思おうとも関係はなく、自分たちにだけ見つけられる真理があれば良い。
「おめぇも見ろ。ここ」
「ん?」
小さな体に似合わないその強さはまさに火力は全開状態。
スタイルの形状は布越しでも十分にわかるほど。
一枚の書類を二人で見ながらも彼の手は彼女の胸に。
「ああ、まとめて捕獲して」
「んで俺がどかーん」
「一番良いな。まあ、大半のことは俺と火渡でなんとかなる」
「んじゃこれ照星さんに持ってってくれよ」
少し屈んで人目など気にしないキス。
男の胸を押しやって顔面に書類をぐし、と叩きつける。
「ちゃんと持ってくよ」
「さっさと行きやがれ」
戦士長といわれる立場の二人が織りなす悲喜交々はある意味一滴の清涼剤。
他人の恋愛は暇つぶしにはもってこいだ。
赤に金も映えるが白銀はより一層その色香を引き立てる。
対極の力を持ったひと組の男女。
「キャプテンブラボーはいつもああなんですか?」
「あんなもんだな。男は大概乳が好きだし」
「まぁ……気持ちはわかりますけども……」
研究者からしてみても彼女はなかなかに興味深い検体でもあった。
肉体能力を限界まで持ち込まなければ火炎同化は引き起せない。
一切の防御を捨てた陣は脆くも美しいほど。
脆弱な心を切り捨てれば強い肉体が出来上がる。
「他の女にされるよりか良いだろ。別に俺は嫌じゃないし」
「……好きなんですね、本当に」
何気ない一言で耳まで真っ赤に染まりあがる。
「ち、違っ……んなわけじゃない!!」
普段は見ることのできない狼狽に思わず零れる笑み。
炎を自在に使う彼女は感情を表にはあまり出さない。
激昂しているように思える時でさえも相手を冷静に分析する。
いかに単純にその核を打ち砕けるかを、猫のような目で見定めるのだ。
「火渡戦士長も女の人ですね、なんだか安心しましたよ」
「……うるせー……」
「可愛いじゃないですか。キャプテンブラボーがうらやましい」
「あいつの晩飯はベーコンエッグに白米にしてやる」
それでも彼女は彼に手料理を差し出す。
彩りも栄養価も文句のつけようのない食卓を準備して。






「で、俺の晩飯は白米にベーコンエッグだけなのか?」
「十分だろ」
つん、と有らぬ方向を見る恋人にため息。
浮かぶこの思いはどうして伝えればいいのだろう。
こんな甘い空間を独占できる喜び。
「何にやけてんだよっ」
肘を突いて心底幸せそうに笑う防人にあきれ顔の女の姿。
「ベーコンエッグがこんなにうまいもんだとは思わなかったがな」
「好物だったっけ?」
「……気付けよ、お前が作ったものなら俺は何だってうまいって思えるんだよ」
テーブル越しに向かい合って視線を重ねれば幸せになれるように。
「……ライチ、剥く……?」
伺うような上向きの瞳。
「剥いてくれるんなら」
彼女の指ごと口に含んで。
「指とか切ってねぇもん」
「細いなって思って」
「そりゃお前よりは」
馬鹿馬鹿しい会話でも相手が生きているからこそできるもの。
死んで彼岸の彼方でもまた会える様に。
いつもよりもやさしい角度でゆがむ唇。
まだ笑うことには少しだけ慣れない。
「アイス、食う?」
「食うけども俺はもうちょっとこうしてたいな」
「……もうちょっとだけだぞ……」
「ああ」





人生は長く短く愛しく可笑しく。
欠けた卵のようにでこぼこだからこそ楽しい。





21:48 2009/04/30



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