◆メルト―Casket of Star―◆
少しだけ髪形を変えたのはどうしたの?と聞かれたかったから。
たとえ見る相手がごく少数であっても。
「そういえば、どうしてキャプテンブラボーはうちの戦士長が好きなんですか?」
円山のその言葉に再殺部隊全員の視線が突き刺さる。
戦士長である火渡本人は大戦士長に説教を受けてる真っ最中だろう。
缶ビールに口を付けながら珍しく私服の彼女は思いを馳せる様な伏目。
「なんていうか……最初は私も照星さんのことが好きなんだと思ってたんだけども
そうじゃなくって、いっつも一緒に居た火渡が好きだって気付いてからかな……
おかしいのかなとか色々考えたんだけどもどうにもならなくて」
黒髪は短く切られて少しだけ影を落す。
「おそっちゃった♪」
「やっぱりそうなのか!!」
一斉にかけられる言葉にけらけらと笑う。
「悩んでもどうにもならないから。だったら私が世界一かっこよくなれば火渡だって
男とか女とかそういうの関係なく私のこと好きになってくれるかな、って思った」
再殺部隊に配属されて間もない二人は顔を見合わせる。
防人衛という女の言葉を理解するにはそれなりの経験が必要だった。
「そこの忍者マニアとお坊ちゃんには理解できないだろうけども」
同性愛は大っぴらに言えるものではない。
グレーのジャケット、髑髏のシルバーリング。
女らしさよりも精悍さの強い女は、戦団の中でも幹部に在籍する。
同じ戦士長の火渡赤馬、大戦士長坂口照星との関係を無視すれば素行にも問題は少ない。
「あんたレズかよ」
「どっちもいけるだけ。人生は間口が広いほうが何かと生きてくのは楽なのよ」
その言葉に円山がうんうんと頷く。
ジャケット越しにもわかる豊満な胸は年頃の戦士の多いこの場所では目の保養にも毒にもなった。
「運がよかったら戦部みたいに火渡のセフレになれるぞ?」
「あんた下品な女だな」
少年の眼鏡を防人は親指でく、とあげた。
「上品さを残してると死ぬよ?お坊ちゃん」
後に見た彼女の体は夥しい傷だらけだった。
それは再殺部隊をまとめる火渡も同じで自分の弱さを自覚させられることとなる。
「円山、もう無いみたい」
「うちの戦士長は無駄に飲むから買い置きの意味がない〜、もう〜」
並べばこの円山のほうが余程女性に見せるだろう。
うっかり勘違いした犬飼が今も追いかけられているような不慮の事故は多発していた。
「あっつー……なんか……」
ジャケットを脱げば白いシャツがその体躯を露にする。
口では悪態を吐いた犬飼も思わず息を飲む。
「犬飼ちゃん、今チョットキタでしょ。股間に」
「ば!!馬鹿!!」
「キャプテンブラボーはいい体してるわよー。シルバースキンがマイクロミニだったら
良かったのにぃ。脚だって綺麗だし」
ひら、と犬飼の前に円山が翳した一枚の写真。
水着姿の二人をしっかりと抱いている大戦士長の満面の笑み。
(……職権乱用だ、この人……じーさまとは違うよ……)
くっきりとした胸の谷間と腰の括れ。
健全な男子だったら反応しない方がおかしいだろうその体つき。
「照星さんにホテル代と飯代出してもらったからね。火渡は酒と煙草に使っちゃうし
貯金できない体質は改善させなきゃ」
かつての大戦士長は彼の祖父でありまた誇りでもあった。
「根来、もう一本くれ」
甘い吐息は秘密の暗号。優しく熔かして飲み込むために。
うなじに僅かばかりかかる黒髪。
「お坊ちゃんは仕事してんのか?」
「犬飼倫太郎って名前があるんですけどっ」
「ああ、わんこ。火渡に焼死体にさせられないように気をつけな」
キラーレイビーズの殺傷能力は決して弱くはない。
それすら不条理でねじ伏せる女が上官になっただけのこと。
「わんこって言うな!!」
「戦部、何か肴があればうれしいな」
噛みつきそうな勢いの少年を制して、再びビールに手を伸ばす。
素体の防人衛は意外すぎるほどに普通の女だ。
積極的に話に混ざるでもなければ離れすぎるわけでもない。
「火渡、こっぴどくやられてんのかな」
煙草に火を点けてそんなことを呟く。
酔いのまわった者たちは騒ぎ出し、あまり飲酒は好まない新米の戦士がなぜか隣に座った。
「ん?お手」
「犬じゃない」
ゆっくりと酒を空ける姿は彼女を待っているからだと気がつく。
「あんた、なんで戦士長が好きなの?」
「……そうだなぁ……うっかり火渡が死んだら殺したやつは殺りにいくなぁ……」
ぽつんと答える。
「火渡だけでいいの、本当は」
確かめるように呟く言葉たち。缶を両手で握って。
「戦場で落ちた恋は錯覚だっていうけどね。デッドラインでの感覚は恋に似て、生き残る
ための本能がそれに準じる。よく……私たち生き残ったな……」
散って行った仲間たち。この手に抱いた誰かの冷たさ。
ゆっくりとはがれおちて行く感情を繋ぎとめてくれたのは、隣に居る彼女だった。
「あんた、好きな子とかいる?」
その言葉に思わず首を横に振る。
「恋愛なんてするもんじゃない」
「あんたがいう台詞じゃないね」
「嫉妬で死にそう」
どれだけ飲み込んでも生まれくるこの感情を隠して、隣で笑えるようになりたい。
苦しくて息もできなくて気持ちを誤魔化して。
どれだけ思えばあきらめられるのだと思っても、それすらできない。
溶けてしまうそうなこの思いを、耳まで赤く染めて伝えるのに。
「どうして私、女に生まれてきちゃったんだろうな……」
差し伸べられる手は望むものではなかった。
それでもその手がくれた光は決して間違いでもなかった。
膝を抱えて、閉じられる双眸。
鉄壁の美女はどこか脆弱でさえあるように思えた。
「良いね、わんこは男だ」
「…………………」
これ以上好きにならないように。そんな魔法があるならばどんなに楽だろう。
きっと自分ではない誰かの暖かさの方が彼女を救える。
それでも、誰かの隣で笑う彼女を見れば痛む胸。
五千百度の炎よりも激しい胸の中の嫉妬という感情。
「私も男に生まれたかったな」
「………………」
「一回でいいから危険日の火渡に中出ししてみたい」
「下品な女だな」
くしゃ、と栗色の髪を撫でる指先。
重なった視線がどこかやさしい。
「私、死んだら火渡に何も残せないもの」
自分よりもずっと死に近い女の言葉は重みがあった。
戦士長となるものはごく僅か。
心身ともに強さを持つものであり、実績も必要だ。
百番目の彼女は死に最も遠い武装錬金を練成した。
死になくないと、願いを写し取った核鉄。
「良いね、あんたは」
優しさの中に歪んだ狂気。この瞳は恋に狂うものだけが放つ光を持つ。
染まる紅蓮は銀色を燃やしつくしてしかるべき。
「ぼ……僕は火渡戦士長のことは何とも……」
「あははは。そのうち食われる食われる。一緒に私も頂かせてもらうから」
脚元に転がる缶の山。
時間はゆっくりと過ぎてくれる。
「強くなりなさい。いつか、誰かに恋をした時のために」
遠くを見るようなその視線。
「火渡……相当絞られてるな……」
「何やったんですか、火渡戦士長は」
「張り切って照星さんの髪を寝てる間に全部コテで巻いただけ。ま、会議ギリまで起こさなかった
から照星さんは素敵なヘアスタイルで会議に出席。エゴイスト思い切り掛けられて咽てて」
「あんた……」
「一応止めたよ?アフロはやめとけ、ってね」
「……………………」
それからほどなくして腰をさすりながら件の女が現れる。
目じりの涙と咥え煙草。
「痛ってぇ……あのロートルぶっ殺す!!」
「火渡、おいでー」
「ん?なんで防人がここで飲んでんだ?」
ぴょこぴょこと走り寄って迷わずに隣に座る女。
「すげー勢いでケツぶっ叩かれてよ。俺はガキじゃねぇっつーの。お、わんころ。防人にセクハラか?」
ビールに手を伸ばしてプルタブに掛かる指。
「んー?俺、その指輪見たことねぇよ?」
しげしげと触れてくるのに、綻ぶ唇。
「良いでしょ」
「俺には?」
「自分で買いなさい。私だって今回は少し無理したんだから」
「あれ?お前、髪切った?」
「ちょっとね。伸びてたし」
彼女の気持ちは本来はあってはならないものだった。
それを理解するにはまだ少年には時間が足りなくて。
「わんころ、俺にもビール」
「犬飼倫太郎!!」
「ポチでいいじゃねぇか。ビールっつってんだろ!!」
今にも発火しそうに睨まれれば従うしかない。
「ほら、あんまりいじめない」
「ドMにゃいいだろ。犬は犬らしく尻尾振ってりゃいいじゃんか」
愛しげに赤毛をなでる手。
その視線がいつもよりもやさしい気がした。
これ以上恋を重ねてはいけない。
「いいなぁ、これ」
指輪に触れる彼女の指先が愛しくて、引きちぎりたくなる。
その悲鳴も喘ぎも誰にも聞かせたくない。
「だから、あげないって」
そう言っても笑う唇。
「火渡戦士長、ビールです」
不機嫌そうな少年からビールを奪うようにして口をつける。
上下する喉と珍しく解かれた赤い髪。
「お前も飲めよ、わんころ」
「未成年、なんですけど」
「根来なんか潰れてるぜ?再殺(うち)で生きてくにゃ酒飲めねぇときついぞ」
親指でくい、と屍になった根来を指す。
同じように潰れた円山と戦部にもたれるような姿。
促されて口をつけるものの、彼女たちのようにおいしいとは思えない。
「あー、ケツが痛ぇ……本気でやりやがったあのロートル……」
「腫れてたら座薬入れたげる」
「お前頭大丈夫か?座薬じゃ治んねぇだろ」
普段は見えない上司の表情に少しだけ驚く。
彼女もこんな風に笑ったりするのだと。
業火五千百度を操り、事実上最強の攻撃力を誇る女。
「いいよなぁ、こんくらい乳でかいと」
ぐにゅぐにゅと乳房を掴む。
掌の中に納まりきれない柔らかなそれは指先で形が僅かに変わる。
「あんまりサイズ変わんないって」
「いや……俺の方がちっちぇえよ」
「ここじゃないとこで揉まれたいなぁ」
子供にするように抱き寄せれば、ぽふんと胸の谷間に顔が埋まってしまう。
あんぐりとそれを見つめる少年に防人は悪戯っぽく片目を閉じた。
「おおおおおお!!やっぱ柔らけえっっ!!これは男だったらマジ死ぬ!!」
恋路の果ては地獄の都、イヴ二人なら確実に落下できる。
「いっつも生でやってんのに、何言ってんだか」
「そうだった。うん、ふかふか」
そのまま赤い髪に指を差し込んで。
背中を抱いてくる手に感じる至福感。
「あーチューしてぇ」
「誰と?」
「お前」
恋に落ちる音が耳の奥でする。
「酔っ払ってる」
「あ?」
「そこでお坊ちゃんが固まってるよ、戦士長」
酒のにおい混じりの吐息がかかる。
女の首を抱くようにして火渡は体を防人に預けていた。
「な、何だってんだよ……気持ち悪い……」
「気持ちいいけどね……火渡はあったかくて柔らかいから……」
君を抱く左手が震えた。
「見慣れておいて。私も酔ってる」
深い深いため息が一つ。
「火渡、こんなとこで寝ない。襲うよ」
「あー?らんらって?」
「了承はとったからね。明日、足腰がたたなくても自己責任」
小柄とはいえ軽々と女を担いで立ち上がる姿。
「犬飼、部屋帰って寝なさい。ここで死んでるのも自己責任になるから」
「……はい……」
さりげなく彼女に掛けたジャケット。
きっと彼女が男だったらもっと簡単に割り切れたのだろう。
「途中まで一緒に行ってもいいですか?」
も少しだけこの女性(ひと)の話を聞きたい。
彼女もそれを察してくれた。
「もう少し飲んでく?」
「はい」
風邪を引かないようにと気遣って、寒くないようにと。
幸せそうに眠る彼女の横顔には普段の横暴さも殺気もない。
こめかみに愛しげにキスをして。
「そんなにその人、良いですか?僕たちには強暴だし、乱暴だし……」
曇る表情を見れば普段彼女がどんな風に接してるのか簡単にわかってしまう。
「同じレズだって、もっといい相手捕まえられそうだ」
その言葉に防人が笑う。
「言われるよ、それ結構。素行悪いからなぁ、こいつ」
柔らかそうな頬と半開きの唇。
「火渡、優しいよ。素直じゃないとこも含めて」
「…………………」
「どこまで私はこいつに惚れてんでしょ」
「その人……死んだらどーすんですか?」
「真っ白な骨を拾って墓場に捨てましょう。新しいお茶は金髪の女の子」
「?」
「そういう歌があるんだ。死んだらか……」
煙草に火を点ける。
「悪夢の始まりだ。もう誰にも逢えなくなる」
意味深な言葉をつむぐ形の良い唇。
おそらく酒が回ってるのは本当なのだろう。
「火渡がいないのは嫌だなぁ……だったら……私から火渡を奪ったやつの一番大事な
ものを全部壊さなきゃね……両腕だけ残して全部燃やしてあげる。火渡の核鉄は
誰にも触らせない」
「な…………」
「泣いたり笑ったりするところも見れない、キスもできない。一本ずつ指を折って、毎日
ゆっくりと焼いてあげる。簡単になんて死なせない……」
これ以上にない優しい声。
眠り扱ける戦士長は何も知らない。
「許す許さないとかじゃないな……生まれたことを後悔させてあげる」
すべてを包み込み飲みこむのは彼女のほう。
捕らわれた蝶は美しい緋色。
その籠に描かれた空があまりにも美しい。
偽物の空が本物に変わる前に飛び立たなければいけないのに。
「誰にも邪魔なんかさせない」
「ふあ?ひゃもる?」
ふいに目を覚まして顔を挙げる。
それでもまだ眠り足りないと胸に顔を埋める有様だ。
「火渡、部屋帰るよ」
「うーあー?」
「赤馬」
「まも?」
「はいはい。甘やかしてあげるから」
とろんとした目付きで起きることを頑なに拒む。
「部屋、帰ろうか。犬飼」
「はい」
狂っていたのは自分の上司ではなくその隣に並ぶ女。
「あんたの趣味がわかんないよ……」
「理解されなくてもいいんだ。火渡が私のこと理解してくれればそれで」
幸福の下に隠した感情を少しだけ覗けば、彼女に対する底知れぬ恐怖に気づいてしまう。
だからこそ、大戦士長は二人を自分の傍から離さない。
「おやすみ、明日も火渡と遊んでやってね」
「殺されない程度にしてください、って言ってください」
「理解してくれるかわからないけどね」
痛む頭と腰を抱えながら、苦手な書類に目を通す。
(戦部にあんまりホム食うなっつわねーとダメだな)
ミルクと砂糖の入ったコーヒー。
「火渡戦士長、午後からのことなんですが……」
机の上に足を乗せて、女はやる気がなさそうに視線を投げた。
「その指輪……」
「やんねーぞ」
「別にいりませんよ、そんなの」
「殺すぞ」
コーヒーを啜って指で顎下を一直線に切る。
「……もうお尻は痛くないんですか?」
「ああ、湿布貼って寝たからな」
貼られたの間違いでしょう?とはいえずに。
「キャプテンブラボーのこと、衛って呼んでるんですね。壮大な寝言でしたよ」
飛んでくるマグカップをどうにか受け止める。
「てめぇに防人の名前呼ぶ権利なんかねぇよ!!ぶっ殺すぞ!!」
物の例えでも許せないと向けられる視線。
それでも夕べの彼女よりずっと穏やかに思えてしまう。
「呼ぶつもりなんてありません。興味ないですから」
酸素に触れた赤は黒に変わる。
それはまるで彼女のたちのようで禍々しくも美しい。
「あークソムカツク」
左手に輝く指輪は中指に。
きちんと彼女の指に合わせたサイズの同じ指輪。
赤を引き立てるシルバー。
その意味の真意を彼女は知らない。
「おい、わんころ。これもって照星さんとこ行って来い。途中で防人にあったら
ここに来いって言っとけ」
空気は当たり前に存在する。
だからこそ失った瞬間に生命は消えてしまう。
炎は酸素がなければ発動できないように。
「火渡」
「ポチのやつ仕事速ぇなぁ」
「犬飼?知らないけど、何か頼んだの?」
「お前にあったらここに来いって言えって」
「そりゃ、犬飼だって嫌な仕事くらいあるでしょ」
赤が似合う彼女の笑みは星だって撃ち落しそう。
その赤は酸素を飲み込み黒に変わる。
黒を包む銀は世界を移す鏡のようで。
彼女の胸に宿る焔の色は鈍い黒に近い。
「俺のあったんじゃん」
「おそろいにしないと誰かさんはすぐに大暴れするからね」
全て、お揃い。
指も足も内臓も。過去も絶望も流した涙も。
狂いそうな感情も、焦がれる思いも、眠れない夜も。
「なんだよ、もう行くのか?」
「仕事あるからね。夜は空いてる」
「……ふぅん……」
一対掛けるはずだった肋骨まで同じ二人のイヴ。
届かなかった思いは届いてしまった。
「防人」
「?」
「ヤらせて」
「乗っかりたいの?」
つかつかと進んでグローブに包まれた手が頬を包み込む。
「わかんねぇ。夜空いてんだろ?」
「空けてんのよ」
吸い差しの煙草を奪って咥える。
銘柄も揃えて匂いが同じになるようにした。
偶然を装って必然に変えて、脚色して運命に見せた。
「んじゃ俺が予約いれてやるよ」
「手付金貰ってくね」
重なる唇と分け合う呼吸。
「じゃ、夜に」
「おう」
冬空に輝く凍てついた銀瑠璃の星々はまるで棺のよう。
この恋は滅びのきらめきにも似た光を放つ。
楽園を二人で追われるのならば構わない。
その導く光――――――Casket of Star――
16:14 2008/12/03