◆夜明け前の隙間に於いて◆
全身に走る鈍い痛みに瞳を閉じる。
じんじんと痺れた四肢とぼんやりと濁った視界。
呼吸するたびに広がる鉄分の味は赤。
同じ赤ならばもっと鮮やかで甘い誰かをと思ってしまう。
(……私……死ぬのかなぁ……)
率いていた部下たちとも離れ離れ。
予想していた以上の戦力に戦士長の名を持つ彼女も苦戦していた。
死はいつも隣合わせでしっかりと腕を絡ませてくれる。
同じ死神ならばもっと艶やかな方が良い。
(……っは……痛いなぁ……脚とか逝っちゃったかな……)
涙は誰にも見せたくないからと目深に帽子をかぶり直して。
破片の草原に投げ出したこの体が確かに存在していた。
最後に送ったメールはたった一言『すぐ終わらせて帰るから』と。
返事もたった一言『お前の約束はあてにならない』
白を染めてくのは愛しい色。
なのにそれは確実に彼女の命を削って行くのだ。
痛みを過ぎれば痺れにたどり着く。
血痕を辿れば彼女の場所などたやすく見つけられるだろう。
命の期限を数えるのは好きになれない行為の一つ。
(ああ……私は死んでも良いけど……うちの仲間(こ)たちは……)
感覚の薄れていく指先。
瞼の裏でさえも輝くような銀瑠璃の星々。
消えそうな意識を必死に繋いだ。
苛立ちを噛み殺して煙草に火を点ける。
こんな日はやけに煙が苦く思えてしまう。
戦士長である防人衛からの連絡が途絶えて三十八時間。
彼女の率いた部隊はほぼ全滅したらしい。
「照星サン」
司令室のドアを蹴りあげて唇の端をあげて女は笑った。
「防人んところ、全滅したんだろ?」
「そうみたいですね。防人本人も行方不明で連絡が取れません」
ブーツの踵を鳴らしてデスクに飛び乗って。
しっかりと視線を絡ませて男の頬を両手で包んだ。
「んじゃ再殺(おれ)の出番だろ?」
「戦士長は待機です。戦士、千歳を派遣してください」
「じゃあ……」
そこまで言いかけて今度は男の指先が彼女の唇を塞ぐように触れた。
「君はこの任務には関われません。再殺からは千歳君を向かわせます」
彼女も組織の歯車として動いているのだ。
「命令違反は許しませんよ。今度やったら降格措置、核鉄没収のツーコンボです」
「でもっ!!」
「むやみやたらに攻撃できるなら私は真っ先に君を投入してますよ」
大規模爆撃ではないからこそ厄介だと。
左側が寂しいと唇を噛んで、だからこそ自分が行きたいと詰め寄る。
「駄目です。千歳君を呼びなさい」
携帯を手にして吐き捨てるようにして彼を呼びだす。
空間移動の使い手は電話を折りたたむと同時に姿を現した。
「千歳君、防人と部下たちの救出に向かってください」
「衛もやられてるんですか?」
「ええ。連絡がとれません。防人クラスの戦士がその状態です」
「分かりました。では、同行者に戦部を指定してもいいでしょうか?僕一人では打撃に
欠けます。戦部ならばストイックに戦闘だけに特化してくれますし」
飛びかかろうとする火渡を右手で抑え込む。
「千歳!!」
「火渡はここで待ってて。第一、お前じゃ衛ごと全部燃やしちゃうだろ?」
「防人はそんなに弱くねぇ!!」
「普通ならね。無意識下でどこまで衛がシルバースキンを制御できるか……あれは厄介な
武装錬金だからなあ……」
踵を返して退室していく姿。
楯山千歳の命令の遂行率は完全に近いものがあった。
最短最少の時間と被害で行動を成し遂げる。
それは裏を返せば犠牲は厭わないことに通じていた。
「千歳、今回は俺か?」
長い回廊を歩きながら体躯の良い男が問う。
「意地悪をしないであいつを連れていけばいいものを」
長い黒髪を掬いあげて千歳はそれを自分の指先に絡ませた。
「役に立つならそうしてるさ。でも……君には自動修復があるだろ?」
「ああ。また俺の記録が増えるだけだな」
「僕の目的はあくまで衛と部下たちの救出だからね。火渡は衛ごと焼き払っちゃうしなぁ」
保証のない恋と命はいつまで抱けばいいのだろうか?
消えない過去も拭えない傷も互いに分け合えるのは建前だけ。
月が沈んでも免れない死という定め。
ただ強くあり誰かを守れるように、手を伸ばしてみても。
結局は届くことなどない。
無意識下で作動するのは自己防衛システム。
あらゆる攻撃を遮断するその能力は創造主の意識が途絶えた瞬間に発動する仕掛けがあった。
拘束服としての本体の警護及びあらゆるものの殲滅。
その対象は広範囲に及ぶ。
創造主が心停止するか意識を取り戻すまでそれは解除されることがない。
いわば攻防一体となった陣形だった。
「このあたりなのか?」
ヘルメスドライブを駆りながら千歳はあたりを見回した。
「たぶんね。生体反応はあるから生きてることは確かだよ」
微弱な生体電波は確かに防人衛本人のもの。
「僕は攻撃には優れてないんだ。だから優秀な護衛が必要になる」
「嘘を吐け。素手でホムンクルスを撃ち抜けるだけの力はあるだろうが」
厭らしく歪んで笑う唇と肩に乗せられる太い腕。
「下手すりゃ俺だっておまえは平気で殺すだろう?」
「状況に応じて。面倒だと思ったらその時点で」
どこか似た者同士の彼と彼女。
「戦部も僕が邪魔な時はさっさと殺ればいい」
なぜ再殺部隊に楯山千歳が在籍しているのか。
それは火渡の暴走を止めることと坂口照星の命令を厳守するための要因だと戦部は考えていた。
しかしそれは違っていた。
千歳は自分の生に対しての執着がどこか薄いのだ。
任務も単独で遂行することが多い。
普段の彼を知ってる数少ない人物が防人衛だった。
「踏み込んじゃいけないことくらいわかるだろ?」
視線だけで男を竦ませる力。
「似た者同士の衛と出会えて……良かったって今は思ってるよ……」
彼は同じような関係を持つ火渡のことを名前で呼ぶことは少ない。
その反面防人のことは名前で呼ぶことが多かった。
「なるほどな。で、当の戦士長はどう扱えば良いんだ?」
本能のままに練成されるのが武装錬金であれば防人衛のそれはもっとも厄介なものに変貌する。
徹底した生への執着が最高位の防具を生み出したのだから。
全身を包み込む美しいその白銀の防護服。
夜半に佇む姿は女神の姿を借りたまさしく死神だった。
「恐らくはストレイトネットが射出される。それを激戦で止めてほしい。あとは死なない程度に
衛を痛めつけて機能を停止させる。それか意識が戻ればシルバースキンは通常の形態に戻る筈
だから。こういう行動は火渡には理解できないからね」
雨林を分け入って件の場所に近付いていく。
「そういえば、あんたはあいつのことを名前で呼ばないんだな」
「…………そういう間柄でもないからね」
「ほほう。ならば防人戦士長はそういう間柄になるのか?」
「そうだね。火渡と衛のどちらかを取るなら……僕は衛を取る。火渡りには照星さんも
いるから大丈夫だし。よし……ここだ……」
辿り着いたのは瓦礫の山。そしてそれは夥しいホムンクルスの破片でできたものだった。
辺りに飛び散った内臓から察するに人間型も混ざっていたらしい。
「しかし、姿が……」
「来る。戦部、全力で叩きのめして。相手は……戦士長だ!!」
良い終わると同時に二人が離れる。
大地を蹴りあげて飛べば月を背にした長身の影。
完全に意識を失った彼女はまさしく鉄壁の自動人形と化していた。
僅かに俯いたその顔はまるで戦闘前に会釈でもするかのように。
理性という輪から外れた純粋な戦闘要員。
「!!」
右手が宙を斬ると生まれる風の刃。
それは大地を切り裂き爆風を生み出した。
「こんな機会でもなければ防人戦士長とは殺りあえないな」
十文字の槍を駆り宙で相対する。
繰り出される拳を先端で塞いでそのまま横腹を蹴りあげた。
確実に入った感触はあるものの女が落下する気配は微塵も無い。
「!!」
射出された銀色の光が戦部の左腕を縛り上げてそのまま斬り落とす。
ぼとり、とまるで人形の腕でも捻るように落下したそれは痛みすら追いつかないほどの出来事。
「そういうことか……」
高速自動修復で瞬時に再生する腕。
楯山千歳が彼を引き連れてきたのは高い戦闘力だけではなくこれも大きかった。
限りなく不死に近い者。
「……っと!!」
槍が左肩から胸を引き裂く。
その瞬間に始まる修復作業。
(俺の激戦と同じ早さか……面倒な相手だ。敵にはしたくないもんだな……)
幽鬼のようにゆらり、と指先が動く。
右手を掴んで粉砕するように込められる力。
激戦を引き離すためのその行為は簡単に読み込めるものだった。
首筋を手刀で撃ちつければ離れる右手。
シルバースキンで唯一覆われることのない一点が目になる。
「千歳!!指示を頼む!!」
「そのまま叩きこめして体力を削ってくれ!!」
「偉く面倒な武装錬金だ!!」
人は本能のままに動けばそれは時にとてつもない力と変わる。
あらゆる攻撃を遮断し肉弾戦を得意とするもの。
「相手が相手だからね」
戦部の肩を足場にして千歳が女の顎先を蹴りあげる。
「容赦ないな」
「相手が相手だからね。本気で行かなきゃこっちが死ぬ。
夜明けまではまだ時間が十分すぎる。
その銀色の光はまるで最後の矢のようにやけに美しく思えた。
生み出される無数の束帯が四肢を縛り上げて切り落とす。
その度に繰り返される再生。
死に最も遠い男女の織り成す殺人喜劇は命などあってないもの。
「戦部!!上だ!!」
大地を蹴りあげて渾身の力で左胸を突き上げる。
みしみしと感じる骨の砕けていく音。
「!?」
槍の先端を光が包み腐食するかのように飲み込み始める。
本体が不死ならばその根源となるものを破壊していく。
無意識に守られた彼女は純粋に戦闘能力が全開放状態だ。
「まったく……楽しい夜になりそうだ」
ブーツの紐を直して、立ち上がれば背後に感じる男の気配。
「どこに行くつもりですか?」
「トイレ」
「随分と重装備ですね。お化けでも出るんですか?」
「でるよ。銀色のお化けが」
「じゃあついて行ってあげますよ。昔はよくお化けが怖くて泣いてましたね」
掴みかかろうとする手を片手で捻りあげる。
ぎりぎりと感じる痛みと歯軋り。
「命令違反は認めませんよ。甘えたいならもっと強くなりなさい」
「誰が!!」
「今の君では防人に殺されます。意識のない殺人人形を相手にするようなものです」
「……だって……」
歪む瞳が潤んで己の無力さを知っても。
「防人は君を殺せます。でも……君にあの子は殺せない」
この恋は思いの深さが初めから違っていた。
手に入れられないならば最後に彼女は力ずくで奪う。
感情を表に出す者は全てを飲み込む深淵にはまれば抜け出せないように。
「帰ってきたら大事にしてあげなさい」
「……照星さんは心配じゃないのかよ」
「そんなに弱いとは思ってません。仮に死んだとしたらそこまでだったのでしょう」
それは何人もの部下を失い仲間を失ったものにのみ許される言葉。
彼もまた人の命に守られてここまできたのだから。
正確な判断ができない者は戦場で死を招く。
「強くなって……私をここから引きずり降ろしなさい」
満身創痍なのはお互いさまで。
相手がそれを感じないのが無意識の恐ろしさだと唇が歪んだ。
歪な方向に折れ曲がった女の指先。
それでも止むことのない攻撃は弾丸の雨のようだった。
「おい……平気か?」
唇から流れる血を拳で拭う。
「何とかね……差し詰め月下の殺人人形だ……」
「余裕はあるな。じゃあ行くか」
肩で息をしながら男二人の脚が同時に女を蹴りあげる。
同時に一か所への攻撃がシルバースキンに対する有効な行為だった。
恐らくは中の本体にもそれ相応のダメージはあるだろう。
あとは痛みに意識を取り戻すことに賭けるしかない。
激戦が鳩尾を撃ちつけ千歳の右手が首を締めあげる。
僅かに動く瞼に帽子を弾き飛ばした。
「衛!!」
「……ち……とせ……?」
取り戻される意識と同時に槍が女の胸を直撃する。
「!!」
勢いよく落下していく身体を追いかけるようにしての急降下。
「厄介な女だったな」
「良い汗掛けただろ?」
「ああ。またこういうときは俺を呼べ。ついでに辺りを掃除していってやる」
別れる二つの影が月に浮かぶ。
叩きつけられた身体はぐったりとしていて再び意識を失っていた。
シルバースキンが作動するまでの僅かな時間。
これを逃せば再び同じ作業に戻ることになると、彼女の内側から核鉄を取り出す。
(あーあ……派手に折れてるな……)
シャツに仕込みこんだ赤い体液。
鉄分の匂いが鼻を衝いても、もう吐き気も嫌悪感も無かった。
ヘルメスドライブを解除して核鉄に戻す。
二つ分のそれを使えば完全回復には遠くても応急処置にはなるはずだと。
女の身体を静かに包み込んでいく銀色の光。
その隣に座って彼は天を見上げた。
(ああ……ただ星が綺麗だね……)
あの光の元になる星はもう存在しないのかもしれない。
それは繰り返される歴史に似ていて郷愁を呼び覚ます。
「……千歳……」
「気が付いた?」
鈍い痛みに視線だけを彼の方に向ける。
「部下たちは半分無事だよ。戦部と手分けして戦団に送り届けた」
「そう……良かった……」
「しかし、本当に衛は強いね。戦部連行してなかったら僕が死んでた」
頬についた煤を払って彼が笑う。
寝転んだ草の上、風だけが二人を撫でていく。
この手にある力は誰のための物なのだろう。
遠い空から呼ぶ声は誰もの?
「火渡も来たがってたけど置いてきた」
「…………ありがとう」
少しだけ小さな声。
「お礼なんていらないよ」
昔から、彼と二人で過ごす何気ない時間が好きだった。
ただ居心地の良い純粋な空気。
「千歳」
「右大腿骨、胸部、肋骨。今のところそこが折れてるから。胸部骨折は戦部がやった」
余計な事を考えなくてもいいように。
「後で仕返ししてやれよ」
そっと重なる手。
「……うん……」
黒髪清しく夢を紡いで。
闇夜に浮かぶ銀の光は希望に変わった。
夜明けまで全て終わらせようと飛んだ青年は、仮面の怪人だったのかもしれない。
「私、千歳のことが好きだよ」
「気が合うね。僕も護のことが好きだよ」
「そうだね……ふふ……」
困ったように笑う彼女に必要なもの。
その一つが彼の存在だった。
胸を焦がす業火の嫉妬を押さえ込んでくれる。
「明け方に照星さんが迎えに来るって。確実に火渡付きだ」
「また文句言われちゃうなあ」
「それまでは少しここで休んでよう。流石に僕も疲れた」
珍しく煙草を取り出して火を点ける。
一口開け吸い込んでそれを彼女に口移した。
「任務明けの一服好きだろ?」
「うん」
キスはいつだって甘いわけじゃない。
「……痛ったいなぁ……やだもう……」
「そりゃそれだけ粉砕骨折してればね」
「痛み止めくらい持って来てくれたっていいじゃない」
「残念ながら薬は頭痛薬と媚薬しか持たない主義なんだ」
わざと両手を広げて心底残念だと。
彼のそんなところがきっと彼女の黒く染まりがちな心には必要なのだろう。
「火渡がぎゃーぎゃーうるさかったからちゃんとフォローしてくれよ?」
黒髪を撫でる傷だらけの手。
「僕のフォローはその後で十分だから」
「じゃあ、その間千歳のフォローは大戦士長にお願いする」
「ああ、そうしてもらえるとありがたいね」
二本目に火を点けて。
昇る紫煙を見つめる目が細くなる。
「身は華と与に落ちぬれども 心は香と将に飛ぶ」
「何それ」
「空海の辞世の句だよ」
「そう……なんだか……」
そっと閉じられる双眸。
「このまま死んでもいい気分だね」
それは確約されることのない未来。
「まだ夜明けまでには時間があるから」
重なる唇。
「訳のわからない未来も爛れた過去も捨てちゃえばいいんだ」
君も僕も。
「そうね。ここで全て終わらせて……」
脆弱な心を切り捨てて。
「終わらない夜もこれでおしまいだ」
事もなげに笑って二人で手を繋いだ。
「ねえ、千歳。もし私が死んだらどうする?」
「そうだね……相手をとりあえず殺してから火渡を殺っとくよ」
「どういう考えよ、それ」
「最大にして最後のプレゼントさ」
赤によく映える銀色のリボンで包み込んで。
最高級の死体は何よりも美しい。
「最高。その約束忘れないでね」
並べば僅かに彼女方が高い背丈。
「僕の時は照星さんで良いから」
「納骨まで一緒にしてあげる。死しても二人を別つことなんてないように」
それは素敵な呪いの言葉。
どんな力でも二人を離すことなどでいはしないように。
「衛は本当に火渡が好きだね」
彼と話せること。
彼としか話せないこと。
「うん。ほら、私たち運命の恋人だから」
「いつになったら照星さんは僕に振り向いてくれるんだろう……」
深いため息も夜と朝の隙間に消えてしまえば。
「さて、午後からは大戦士長のご機嫌窺いいってきますか」
「付き合うよ」
「じゃあ、任せた。その間に火渡を攫って逃走する」
重なり合う手を打ちあって。
「いざ、決戦会場へ」
「了解、戦士長」
9:39 2009/05/28