◆人々が愛した理想郷、神々が恋した幻想郷◆





「諏訪子さま、どうかなさいましたか?」
祟り神の異名を持つ洩矢の本尊は、のんびりと湖を眺めていた。
まだ人は鬼を恐れ、鬼は神に下っていた時代。
「いやあね、いつか私のことを見える子なんかいなくなるんじゃないかなって思ってたところ」
神として祭られるその姿は幼さの残る少女そのもの。
両脇を結わえる封印紐の赤さが栗金の髪を引き立てる。
石段に座ってにこにこと眼下の子供たちに目を向けて。
子童の中に交る鬼や妖怪たちの姿はまだ優しい風景だった。
「あ、洩矢の神様!!」
その中の一人が走りだせば後に続く姿。
「神様!!明日も良いお天気かな!?」
「お母さんの病気早く治るかな?」
少女の手が子供たちに触れる。
それだけで起される小さな奇跡はまさしく彼女が神であることの証明だった。
祟り神と恐れる者はほとんどが他の土地のものだった。
守矢神社本宮に住まう彼女は人を守るためにのみその恐怖の力を行使するのだ。
普段はのんびりと過ごし。祭事となれば神としての力を放つ。
土着神と八百万の神や精霊を束ねる姿。
「あ!!八坂の神様!!」
「諏訪子は子供に囲まれるわねぇ」
蛇を模した注連縄を負い、軍神が穏やかに笑う。
洩矢神社には二つの神が存在するのだ。
「八坂の神様、もっと剣道上手になりたいんだ!!」
「ああなれるよ。もっともっと強くなってこの地を守っておくれ」







二人の女が守るこの土地は不可侵にも近い。
中央からやってきた八坂神奈子は軍神として守矢の神に挑んだ。
洩矢の神は敗れ去り全てを彼女に譲り渡した。
実権を持った八坂の神はあたり一帯の神を統括すべく動き出す。
しかしながら永年の土着信たちは首を縦には振らなかったのだ。
『我らが従うのは洩矢の神だけ』と口々に言い、しまいには結界まで張り出す始末。
洩矢諏訪子は荒ぶる土着神と季節神たちを力だけで統括していたのではなかった。
水神を派遣し、風の神を退ける。
時に人に厳しく、そして優しく。
人々の信仰は神の姿を目視できるような強さであり、子供たちは神に触れることができた。
「諏訪子、次の巫女を探さなきゃいけないね」
本宮に祭られる諏訪子は社から動くことがほとんどない。
洩矢に仕える巫女が選ばれ代理としてその言葉を伝えるのだ。
しかし、人間の命は一瞬の物。
瞬きをする間に老いてしまう。
「諏訪子様、神奈子様」
老いて骨ばった手の巫女は今日も変わらずにそこに存在する。
今までにも数えきれない巫女たちを見送ってきた。
「諏訪子様?」
「本当に、本当にありがとう。巫女がいなければ私の声なんて聞こえない」
出会ったときから髪一筋も変わらない姿。
「私は洩矢の巫女です。お仕えすることが一番の喜びです」
できることならば彼女の時間を止めてしまい永久を与えたい。
しかしそれは神として人を狂わせ全ての意味を消し去ってしまう行為につながることだった。
「神奈子様も難しいお顔をなさって……いかがなさいましたか?」
目に見える命の灯。
それはもうじき消えてしまう。
「いや……少しだけ秋風が染みただけよ……」







人はやがて強いものを恐れないようになった。
神を見ることはできなくなり、祟りなど思い込みだと言われるほどに。
朽ち果てた地蔵、打ち捨てられた社。
洩矢の本宮を参る人もほとんどいなくなっていた。
「洩矢様!!人間をどうにかしてしまいましょう!!」
「このままでは我らまで消えてしまいます!!」
静かに円座の中央に座り、諏訪子は印を結ぶ。
忘れていけないことを人は忘れてしまったのだ。
夜を恐れず神をも撲殺するように。
里に鬼が降りることも無くなり天狗もその姿を消した。
神は何のためにあり、誰を守るのだろうか?
「諏訪子、どうする?私がでようか?」
軍神である神奈子が動けば人間など一瞬で消し去られるだろう。
しかしそれでは何も変わらないのだ。
「私がなんとかする。みんなも安心していてほしい」
市女笠を被る神は静かにたちあがる。
そしてそのまま姿を消してしまった。





土着神の頂点である諏訪子が本宮を空ける。
それは保障された安定が消えることを意味していた。
季節神達は勝手にふるまい妖怪は跋扈。
水田の水は消え川まで干上がってしまう。
花は春も秋も関係なく咲きでたらめな作物が育つ。
神の居なくなった土地とはかくも荒涼たるものかと。
「お前たち、神社に行っておいで」
「洩矢の神様いないよ。八坂の神様も」
そして人々は巫女すらいないことに改めて気が付いたのだ。
巫女は人と神との間を繋ぐ者。
人の思いは巫女が初めて神に伝え成就される。
当たり前のことを捨て去った人間に神は同じように返しただけなのだ。
「東風谷の家は洩矢に仕えるだろう?巫女を出さねば」
しかし肝心の東風谷家に少女はいない。
神が消えてからその血は男子のみが受け継いでいたのだ。
主なき本宮で行われる祭事。
それからどれだけの月が過ぎただろう。
ある晩に東風谷の花嫁の枕もと、少女がその顔を覗き込んでいた。
『もうじき子供を授かるだろう。しかし、その子は東風谷の子ではない。洩矢の子だ』
じゃらじゃらと手首を鳴らす鉄の輪。
言い伝えだけで知る守矢の神の存在。
『悪いけれどもその子は私が貰い受ける。だからといって妙な考えは起こさない方が良い』
少女の背後に蠢く数多の土着神たち。
そのおどろおどろしい外見に動くことすらできない。
浮き出た脂汗を少女の指先が静かに拭う。
『その子が生まれるまではお前が私の声を聞くんだ。人は私の声など聞こえないからね。
 いや……聞こえなくなったんだ。神を捨て去った人間には』
祟り神は決して誰かを呪うものではなかった。
死霊悪霊を封じるのその力の強さ。
それが祟りと呼ばれるものだったのだ。
『強い子を産んでくれ。洩矢の子にして八坂の守人になる』






そして東風谷の家には久方ぶりの娘が誕生した。
生まれたその晩、家屋の周りを取り囲む百鬼夜行。
その先頭に座して祭られる神の姿。
ぞろぞろと入ってくる異形の者たちに人間は呼吸すら儘ならない。
牛頭馬頭が門番となり静かに祟り神は屋敷に入る。
震える母親から赤子が離れ軍神の腕の中に抱かれてしまう。
『ああ、やっと巫女に会えた。この子は洩矢の子。私の力を少しだけ与えよう』
少女の手が赤子の額に触れる。
一瞬にして閃光が赤子に飲み込まれ少女は満足そうに笑った。
『人にして奇跡を起こす力。その子は洩矢の者』
悪鬼、土着神を引き連れて少女は本宮へと戻って行く。
そして人は改めて神の力を知ることとなったのだ。
幼子が手をかざすだけで風が巻き起こり干上がった川に水が流れる。
現人神と呼ばれた少女は洩矢の巫女となった。
「諏訪子様、いかがなさいましたか?」
「早苗、私たち違う土地に行こうかと思って」
それはかねてから考えていたことだった。
二人の神は社ごと異郷へ持ち込むべく準備をしていた。
「早苗の力があれば人は困らない。現人神として」
「し、しかし……」
「早苗がその力を残したいと思えば子を産めば良い。人がそれだけ守るべき価値があるならば」
もうこの土地に神は必要ない。
同胞と妖怪の住まう隔離された空間への移住を望む姿。
「早苗、お前は洩矢の巫女だけどもそれよりも普通の女の子だ」
「神奈子さま……」
もうこれ以上悲しい運命を繰り返さないように。
巫女の力を現人神として自分達は一切を退く。
「諏訪子様、私もご一緒させてください」
「私たちのことは早苗だけが覚えててくれればいい。ここに残って人間として過ごす方が良い」
「私は洩矢の巫女です。巫女は神に仕えます。私も諏訪子様と神奈子さまと一緒に参ります」
人としての命はあまりにも短すぎて。
またその別れを繰り返す。
小さな神様はその力の強さゆえに恐れられた。
祟りとは疚しき心を持つ者にのみ降りかかる禍。
「人の忘れた心を持つ場所、その場所にも永遠はないんだ」
たとえその夢のような世界に行ったとしても彼女との別れは避けられない。
「神奈子さま、それでも……私は巫女です。お二人に仕えることが私の役目……」
伸びた髪は月日を示し、風は夕凪赤を灯す。
永遠の夢は人を人ならざるものに変えていく。
「東風谷早苗は守矢の巫女。お二人は守矢の神様です」
迷いは力を奪い、その霧が晴れればより強い力を得るだろう。
「私もお二人と供に」
巫女は人と神を繋ぐ者。
別世界の人もきっと巫女を求めるだろう。
「……そうだね。早苗も一緒に行こうか」
「はいっ!!」







巡り巡る幻想絵巻の美しさは一瞬の栄華の如く人の命を写し取る。
山頂の守矢の社には今日も妖怪がちらほらと。
「げきげんよう、祟り神」
日傘を差して式神を従える女の姿。
空間と境界を操る幻想郷の住人。
「ああ、隙間妖怪。どうかしたの?」
縁側に座ってのんびりと足を伸ばす姿。
諏訪子は季節神に特に愛される特性を持っていた。
「麓の神社で宴会があるのよ。招待状を持ってきたわ」
「私たちに?」
「そう。同じ巫女もいるし神もいるのに騒がないなんてもったいない。萃香が……ええ、
 のんべえの鬼がね、どうしても歓迎会をしたいって」
化け猫と九尾狐狸精を従える女は絶えず笑む。
「そういえばこの間、お前の友達が来たね。向日葵をもらったからお返しに月花を
 渡したよ。そこそこに強い子だ」
「まあ、幽香が。強いものは惹かれあうのですわ」
「そういうこともあるのかもねぇ。幻想郷は素敵な場所だ」
神と対等に渡れる妖怪はそう多くはいない。
おそらくこの八雲紫が認めるものに限られてくるだろう。
「麓の神の神は珍しい。あれは悪霊だったものだろう?」
「そうね。白黒の魔法使いの師匠よ」
「ああ、あの白黒。この間うちの殿を荒らしに来て早苗とやりあってたよ」
「積もる話が多そうね。あなたの相手ができる連中も多いから楽しいわよ、幻想郷は」
境内を掃除する巫女に視線を移し、そっと歩み寄る。
「ごきげんよう」
「八雲紫様、何か御用でも?」
「ええ。今晩の酒宴の誘いに。もちろんあなたも」
「はい!!是非に」
深々と頭を下げ、三人を見送る。
主である二人の神はどれを土産にしようとあれこれと話をしていた。
「早苗!!ちょっとおいで!!」
「早苗ーーー、どっちをお土産にしようか?」






巡り巡るこの柔らかく残酷な世界。
全ては神の御心のままに。
「そういえば、あんたと神社の名前って違うのよね?」
博麗の社を守る巫女の盃に浮かぶは月。
「ああ、あれね。洩矢は私の名前だけども、ここに越してくるときにちょっと変えたんだ。
 ここなら祟りだどうだとか関係なく過ごせるように」
並ぶは烏天狗、言わば今まで山を守ってきたもの。
驚くほどこの神は穏やかで滅多なことでは怒ることがない。
「守矢神社を守る巫女は洩矢の子として生まれた」
軍人と盃を突き合わせて笑う姿。
「うちの早苗は鍛えてあるからね。修行したくなったらいつでもおいで」
八坂の神は拳で統括する力を持つ。
力だけでの恐怖は痛みになれればそう大きなものではなかった。
守矢の神はその心をゆっくりと蝕んでいく。
後々までの禍根を刻み忘れることさえも許されない。
「諏訪子、こんど珍しい巻物貸してくれよ」
「白黒は返さないでしょ?」
「返すさ。私が死んだあとにアリスが持っていく」
その言葉に俯く少女の影。
小脇の人形が窺うよう顔を見上げる。
祭事に暗い話は要らないと祟り神はとん、と指先でアリスの肩を突いた。
「?」
「前に私の神社に一緒に来たでしょう?うち蔵には良いお酒がいーっぱいある」
「お酒……」
「飲めば長寿。そっとあの白黒に教えてあげれば良い。本当はうちの巫女だけが飲むことを
 許されるんだけども……ここに集う人間になら分けても良い」
少しでも一緒に居られるように。
「あら。その話聞き捨てならないわね」
蝙蝠の羽を閉じて吸血鬼が諏訪子の隣に座り込む。
「うちのメイドも人間よ」
「ここの人間はみんな人間離れしてて……楽しいばっかりだわ」
巫女が払うはずの妖怪が隣に並び、酌をするのは式神二匹。
月に叢雲、輪の中には月の姫。
今宵だけは争いを忘れ不死鳥もその羽を閉じる。
「お姉さまーー!!」
「煩いのが来たわね……」
「お、フラン。飲むか?」
小さな人形がフランドールの肩に座る。
指先でその髪を梳いてフランドールは視線をアリスに向けた。
「ね、ね。私にもお人形作って!!壊さないようにするからっ!!」
「大事にしてくれるなら、紅魔館のみんなの作ってあげる」
「本当!!メイのも!?」
「ええ。そうだ、一緒に作りましょう。魔理沙に道具は運ばせるわ」
小さな弟子にアリスは穏やかに話す。
悪魔の妹といわれてもまだ幼さの最中なのだ。
「美鈴、妹様の警護はしっかりとね」
メイドはナイフをしまいながら視線を移す。
門番は困ったように笑って輪の中に入り込む。
「魔理沙」
「パチュリー。具合良いなら飲めよ」
「そうね。たまにはいただこうかしら」
魔女たちの舞踏会というにはあまりにも賑やか過ぎて。
神も人も妖怪も全てがただ同じ世界にある。
「幻想郷は本当に素晴らしいところ」
亡霊も悪霊も妖精たちも。
それは隔絶された小さな箱庭なのかも知れない。
しかしその住人達は誰よりもその場所を愛しているのだ。
故に隔離された空間でも確かに存在する。
「いいねぇ……昔はよくこうやって杯を酌み交わした。あのころは鬼も神も人も……
 懐かしさはまだここでは必要ないんだね……」
軍神のその言葉に頷く小さな神。
月はこの世界もあの世界も同じように照らしてくれる。
俯き憂うだけの日々は過ぎゆき、今はこうして過ごすことができるように。
いつかこの痛みも過去のものになってしまうのだろうか?
「おや珍しい。本物の鬼がいるよ」
巫女の傍らで盃を空ける姿に軍神は視線を向けた。
「あれも私の盟友ですわ。昔は一緒に暴れまわって……今でこその幻想郷。今日は明日の過去になり、
 明日は未来の過去になる。繰り返しだけの日々に弾幕遊戯は一種の清涼剤」
扇を開けば浮かぶ死蝶たち。その羽ばたきはこの世のものではないものの美しさ。
「忘れずに、どんな巫女も……私たちとともにあります」
彼女もまた歴代の博麗の巫女を見送ってきた。
「美味しいお酒に無粋な話もあれですわね」
「まったくだ。お詫びに今度は守矢の酒を開けよう」






幻想郷は全てを受けいれる。
すべて飲みこんで夢になる。
無粋なる嫉妬は飲み込み、星と変われば。
いつの日かの光は幻想となりて少女たちに恵となり降り注ぐ。
「ごきげんよう」
満月に日傘を差すような行為も彼女ならば許される。
新参の神と古参の大妖怪の顔合わせ。
「八坂の山の神……博麗の巫女を追い払おうとは以後には考えぬように」
従えた式も主に呼応し、瞳はまさに桜花繚乱。
式の式さえもその強さを増幅させられる妖気はもはや神にも近かった。
「物騒な妖怪だな」
「人は貴重な貴重なもの。ころ合いを待てないようではごちそうにもありつけませんわ」
透けるような金色の髪に結ばれた封印糸の赤。
その深紫の瞳は全てを見つめてなにもみない。
「紫様、空になってますわ」
「紫様、お月さまが綺麗ですぅ……」
その笑みの下に隠したのは神をも欺く秘策なれども。
「一度あんたとやりあってみたいもんだ。昔……あいつとはやりあったからね」
祟り神の最高位に座する少女神。
盃に触れる小さな唇に残るあどけなさ。
「弾幕に美しさを求めて戦いに花を添える。乙女文楽、危うく脆く可憐に」
幻想郷に住まうこの少女はまさに歴史そのもの。
畏怖されつつも受け入れられる。
人として英雄となるは巫女と魔法使い。
そしてそこに瀟洒な従者も加わった。
「うちの早苗もうかうかしてられないね。守矢の巫女としての力は強いんだ。まあ
 真面目すぎるけども……すくなくともそこの式よりはずっと強いね」
「あらあら。八雲の名を甘く見てほしくはないですわね。ねぇ藍」
主の隣、九尾狐狸精は月の光に陽気になる。
「そうですねぇ……私もそのあたりの底辺の神には負けませんよ?」
「この間もどっかの神様が迷って来て、藍と橙に追い払われてたし。最近は追い萩がはやってるみたいだから
 八坂の神も気を付けられたし」
ただ強くあり儚くあり、全てを受け入れて。
流れるままに流されて刺激的に誘うは弾幕の海。
四十六夜に思うは月に掛かる兎の影よ。
「紫様、盃が」
「随分と躾の行き届いた狐だな」
「あら。そのあたりの畜生と一緒にしてほしくはないわね」
夜の空に生まれた意味を問いかければ幻葬の花が咲くように。
一瞬の花を愛で永遠を少しだけ止めて。






それは箱庭の物語。
世に幻想の花が咲く。






13:45 2009/05/09









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