◆開宴直前、篝火幻燈の夜◆






「紫様」
境界を操る妖怪は、式神を打ちいまやその式の式まで存在する。
主の力に準ずる式は、媒体を九尾狐狸精とし幼獣の中でも比類なき強さ。
その式が操る式は凶兆の黒猫。
割れた尾が愛らしいまだ幼さの残る姿。
「なにかしら、藍」
「いえ、よい天気ですので橙に日向ぼっこでもでも思いまして」
まだ打ちたての式神は中々媒体に根付かない。
それもそのはず、依り代としたのは瀕死の黒猫。
「あなたが式を打てるようになるなんてね。もっと楽な生活になるのかしら」
日傘をくるり、と回せば伸びた髪が風に舞う。
この世界のあらゆる境界を操り、そしてあえて何もしないことを選んだ女。
動くのはその世界をゆがませる者のぞんざいを確認した時のみ。
「私の猫は?」
「はい。ただいま」
まだ完全に人間形態を維持することはできない黒猫は、二尾の式となった。
人語を解することはできてもまだ話すことは困難。
ゆるりと流れる時間のように、彼女は無理強いをしなかった。
「ねぇ、藍……私、今まで自分がたった一つの種族であることを嫌だと思っていたの」
完全なる単一種族にして、最高位の力を持つ妖怪。
生と死の境界さえも操れる彼女の力。
物事の存在確率という境界を壊してしまえば、全ては無に還る。
だからこそ彼女は自分の力を誇示することなくただその流れに身を委ねた。
「紫様ほどの御方がですか?」
「いつまでも一人だって思ってた。この力は厄介なものでねぇ……」
眩しいと眼を細める姿。
妖怪にとって弱点になり得る陽の光さえも愛でることのできる存在。
四季に於いて境を破壊すれば美しい光景もなくなるのだ。
「でもね、私は式を打つことができた」
九尾狐狸精を媒体にした比類なき式神。
己の名を冠したその幼獣は従者として常に隣に居る。
「私に死というものが訪れれば、貴女も消えてしまうわ」
主と全てを共にする運命。それが式神。
「でも……私は死ぬまで一人じゃないのね」
「………………」
「あまり難しい顔をしないでちょうだい」
彼女の消滅をもって式神もまた消えうせるように。
流れ星は竜の鱗だと彼女は笑った。
繰り返す歴史の中に佇み、その全てを受け入れて拒絶する存在。
「紫様、私は紫様の式で良かったと思います」
暴れ狂う狐狸精を式の媒体にすることは不可能に近い。
その金色の光を押さえつけるその絶対なる強さ。
「私は生涯、紫様にお仕えする身ですから」





はらはらと降りしきる雪が美しい。
「紫さまーーーーっっ!!」
駆け寄ってくる妖獣には二本の黒い尾。
「橙、あまり大声を出さないように」
「藍さま。はいっ」
二匹の妖獣を従えて、今日も彼女はくるりと日傘を回す。
「最近、地下に不穏な動きがございます。結界はまだ動かず……しかし……って橙!!」
のんびりと紫の膝の上で丸くなる姿。
その指先がさわさわと髪を撫でればうっとりと瞳を閉じて。
「猫は日向で丸くなるものよ」
「ええ……まぁ……」
「それで、地霊たちが不穏なのね。そのあたりは上手に動いてもらいましょう。まだまだ
 その時期ではないでしょうし」
願うささやかなことで、しかしながらそれは彼女の尺度でのこと。
あの月をも手にしたいと境界の妖怪はただ微笑む。
揺れる栗金の髪を結ぶは真紅のリボン。
融合するならばそれは太陽と同じ色となり、文字どおりに彼女は最強の妖怪となる。
「紫様、何か起きるんですか?」
二つの尾を揺らして、妖獣が女の隣に座り込む。
「橙は水が駄目だものねぇ……うふふ、温泉がわくのよ。博麗の社にね。あったかくて気持ち
 いいから、岩場の上にでも乗れば良いわね」
柔らかな髪を撫でる指先。
その行動に一つ一つに無意味なものなど存在しない。
真の策士は一つで十の結果を生み出す。
「そうえいば、月も最近は綺麗でいいですね。いつぞやは紫様と博麗の巫女と月まで行きました」
九尾狐狸精を妖獣に従え、彼女はその偽物の月を射抜きに向かった。
迷い家に掛かる僅かな光を頼りに、鬼火を取り込みながら。
あのときよりも少しだけ肌寒くなった。
「幽々子が黒死胡蝶を操ってくれたのよね」
揃いの扇は金色に紫紺の蝶が二匹。
ひらら、とはためかせて彼女は冥府の果てまでもふらりと向かう。
その相手がたとえ生命のすべてを裁くものでも変わらない。
「紫様、十王四季からの書状は如何なさいましょう?」
楽園の最高裁判長は境界の妖怪を快くは思わない。
すべての存在確立を操ることができるその能力。
それは生と死の境界を崩してしまうことにも通じるからだ。
「どうせつまらないお説教でしょ。そんなもの見るよりも、ここで藍や橙とのんびり
 してるほうがずっといいわ」
空間に生まれた隙間に手を入れ込む。
そして掴まれていたのは籠に入ったままの焼き菓子だった。
さくさくした歯応えはその形から簡単に察することができる。
上にかけられた果汁の甘さと蜂蜜の香り。
「これは、どこから……」
「おやつよ、ふふ。橙、おやつにしましょうね」
「はいっ!!紫様!!」
籠を頭の上に載せて先頭を歩く黒猫、その後ろを歩く二つの影。
八雲紫の爪先が大地に触れることは極稀だ。
「魔法の森には子供が好きそうなお菓子がたくさんあるのよ」
「あー……あの白黒……あと、七色……くらくらしますね」
ぱぁん、と扇を開く。
「いいじゃない。同じ永夜を愉しんだ仲ですもの」
言葉は語るだけ無駄なときもある。
その笑みひとつで天神さえも打ち倒すことができるように。
「あら?幽々子からだわ」
肩に留まる紫紺蝶。
ざわめく空気に歪む唇。
不意に伸びた手が月精を締め上げた。
「!!」
みしみしと軋む頸の骨は、そのまま音を立ててあらぬ方向に折れ曲がった。
眉一つ、瞬き一つ、一筋の髪も揺らさずに紫はそこに存在する。
背負うは深淵たる黄金の月。
「紫様……」
強き者ほど笑みを絶やさず、弱きものはよく吼える。
彼女もまた常に静かな笑みを浮かべるのだ。
「あとで出かけてくるわ。大した用件じゃないのだけれども」




四季美しい冥府の館に住まう少女。
魂魄を従え生前と変わらぬゆるりと弛まぬ時間をすごす。
「幽々子、来たわよ。さっきはありがとう。うちの子たちにあげてきたわ」
少し冥界は肌寒いと羽織ったストール。
結び目に飾られた赤と金は彼女のお気に入りの色合いだ。
「おいしいものの気配に私は敏感よ。それと、異変にも」
「だろうと思った。最近は人里にまで魍魎が炙れてる。おかげで歩くだけで匂いが……
 うちの子はまだ元気の盛りだからねぇ。藍も心配しすぎだけれども、あれだけ
 溢れてるとさすがに滅入るわ。目にいい風景じゃないし」
思い瞼を開けて見据えるのは真実だけ。
「向日葵畑のあの子も同じこと言ってたわねぇ……」
縁側で脚を伸ばして、幽々子は落ちる花びらを指先で拾い上げた。
それは瞬時に紅色の蝶になりいずこかへ消えてしまう。
「色は大事よぉ?」
「赤には紅がよく合うってことでしょ?まったく異変は……どっか歪んでるのかしらね」
「その歪みを直すのが紫の役目じゃないの、うふふ」
死の境界のない少女と全ての境界を操る女。
斬り切れない縁は今もこの先もずっと続いていく。
「幽々子さま〜〜……おや、八雲紫様、お久しゅうございます」
白銀の髪がふわり、と揺れる。
二本の刀を携えて御庭番の二代目は今日も主の傍らについた。
「妖夢、お花見の準備よ」
「ええ、先ほど吸血鬼からの手紙をメイドが持ってきました」
「準備をお願いね、妖夢」
「はいっ」
西行寺は呪われた血筋。死を取り込みながらも己は死を遠ざける。
その血の交わりさえも境界の妖怪は簡単に撥ね退けた。
「花見なんて……季節はずれも良いところじゃない」
「そうね。でも……そうしたら困った天人は誘い出されるんじゃないかしら?」
爪先に引っかけた草履、薄紅の鼻緒。
「亡霊もなめられっぱなしは嫌なのよ」
「幽々子……」
「紫はいつだって私に変わらずに接してくれるじゃない。でも、寄りかかってばかりじゃダメ。
 たまには私から動かなくちゃね」
その笑みは孤独を忘れさせてくれた。
感情の行方をもう一度思い出させくれた生涯の友人。
死も何もかも、二人を別つことはできない。
「幽々子ーーー!!遊びにきたぞぉ!!」
じゃらじゃらと鎖を引きずりながら現れるは鬼の姿。
「お、紫じゃんか!!呑もうぜ!!」
「相変わらずね、萃香は」
陽気な鬼は幻想郷を監視し続ける。故にこの強い妖怪二人とも自然に惹かれあった。
「大宴会するわよぉ、萃香」
「本当か!?やったぜ!!霊夢も喜ぶな!!お賽銭って奴がはいるんだろ?」
博麗の巫女と生活を鬼が共にするとは何ともやんごとなきことと女は笑った。
本当に強いものは常に陽気で笑顔を絶やさない。
この伊吹萃香や、花畑に佇む風見幽香のように。
「お賽銭入ると良いわねぇ。妖怪ばっかりでお賽銭なんかくるかしら、ふふ」
「あら、妖怪だって少しは投じるわよ?何せあの神社に居るのは久遠の精神……悪霊を
 超えてしまった存在だもの」
ちょこん、と紫の膝の上に座った萃香の髪を撫でる。
「おー!!大宴会だー!!」
「それに、大暴れできるわよ。手加減一切なし。鬼は暴れて何ぼでしょ?」
「おう!!」
にぎやかな声に誘われるように、この白玉楼には客人が絶えない。
この間も死神が休憩させてくれと来たばかりだ。
「あらあら、もうお菓子がなくなったわね。妖夢、お菓子を持って来て頂戴」
「はい、幽々子様」
始まる大宴会と協奏曲。
あの世とは本当に賑やかで優しいところと笑い合う。
魂という鎖から解き放たれた存在は無限にその思いを馳せる。
誰にも縛られず何にも触れず、全てに融合するように。
「やあね、ここはいっつも煩いわ」
「お!!レミリアじゃんか!!」
「うわ、鬼っ子までいるじゃない。咲夜!!このうるさいのどうにかして頂戴!!」
瀟洒な従者は静かに主の後ろを歩く。
「これはこれはレミリア嬢。我が主の御友人に何か御不満でも?」
化け猫を従えて歪んだ空間から現れたのは九尾の狐。
「紫様!!忘れ物持ってきました!!大事な日傘ですっ!!」
それはただのこじつけだと知っていても。
「あら、ありがとう橙。助かるわ」
まだ成長途中の眼は摘みたくないと彼女は騙される振りをする。
「あらら、随分と賑やかになってきたわね」
「なあ、幽々子!!霊夢んとこ行こうぜ!!」
「そうね。みんなで博麗神社に行きましょうか」





それは幻想郷の歴史の中のほんの些細なこと。
それでもきっと大切な大切な一秒のこと。
人も妖怪も鬼も全てが笑い合える稀有な空間。
「魅魔さま、ここんところなんだけど……」
「うん。これなら今の魔理沙の力でも十分だね」
「じゃあ、こっちはどうかしら?その理論を肯定すると人形たちも……」
魔法の森の小さな家では、二人の魔法使いと一人の悪霊の神があれこれと話し合う。
「流石は魔理沙のお師匠様ね」
「だろ?魅魔さまはそこらの神なんかじゃ太刀打ちできないんだぜ?」
師匠を褒められて魔理沙も嬉しそうに笑う。
その笑顔は真夏の太陽のような眩しさ。
いまや博麗の神となった悪霊はその全てを超えた。
「諏訪子たちとやりあっても魅魔さまの方が上だな」
のんびりと紅茶を啜りながら、アリスお手製のクッキーを頬張る姿はとても悪霊だったものには見えない。
まっすぐな瞳と気性はまさにこの師匠から受け継いだ精神だろう。
「病弱なあの子といい、あんたといい、魔理沙の周りは賑やかだねぇ」
感情豊かな弟子がいつの日か笑顔だけで過ごせるようになるのだろうか。
強き者は笑顔と言う無表情になってしまう。
できるならば彼女にはこのまま感情豊かに過ごしてほしい。
「本当に、みんな良い子だ」
「そういえば、どうして魔理沙は名前を変えたんですか?」
一文字だけ、彼女は離れる時に名前を変えた。
新しく生まれて過ごすための小さな儀式として。
「魔法使いは万物の知識を持つものことを言う。すべての理をしるものだ。だからその
 真理の一文字を魔理沙に与えただけさ」
久遠の夢に運命を任せて彼女は神となった。
人間のままで過ごすか否かはいずれ彼女は選択を迫られるだろう。
ふわふわの金髪をゆらしながら少女は空を飛ぶ。
「良い名前だろ?私の自慢の弟子さ」
「へへ……魅魔さまに褒められると照れるぜ……」
普段は見せないようなその表情。
嫉妬してもどうにもならないことが多すぎるとわかっているのに。
「不思議な世界を案内するのは兎ではなくて、人形かい?」
見透かされたような言葉に思わず首を振る。
まだまだ彼女も修行が足りない。
今はこうして穏やかに過ごせるだけでも満たされるこの思い。
いつか離れてしまうその時まで変わらずに隣に並べるように。
「ジンジャークッキーも良いもんだね。幽香はいつも手土産はヒマワリの種だ。
 私はネズミじゃないんだけどねぇ」
その言葉にアリスが噴き出す。
「やだぁ、そんなお土産」
「酒の肴にゃいいんだろうけど。あの神社は宴会だけは事欠かない」
笑い声を遮るようにこつこつとドアを叩く音。
佇むのは大輪の花を抱えた件の風見幽香だった。
「やっぱりここね。今日は花束よ」
「向日葵かい」
「彼岸花と菊じゃないだけ感謝なさい」
椅子を進めればしずしずと座る姿。向日葵を受取ってアリスはそれを瓶に挿した。
「神社になんだか変なものがたくさん来てたわよ」
吐息一つで花を生み出すことのできる彼女。
その指先が人形の髪に触れた瞬間、ふわりと花飾りと模様がドレスに浮かぶ。
「可愛い」
「せっかくのドレスなら、お花があった方がいいでしょう?もういっぱい戴けるかしら?」
紅茶を運ぶ蓬莱人形の髪をさすれば同じように花飾りが生まれる。
長く生きるものと強いものは何気ない奇跡を起こすという。
「神社で宴会なら行かなきゃな、アリス」
「そうね。おつまみがわりにピクルスでも持っていこうかしら」
「魅魔様も自分の神社だぜ。早くいかなきゃ」
帽子をかぶり直して箒を手に取る。
「先に行ってておくれ。私も幽香と向かうよ」





箒に二人乗りしながら目指すのは博麗神社。
上空に差し掛かればすでに宴会の喧騒が響いていた。
かかる雲は月の美しさをより一層増してくれる。
「霊夢!!」
急降下、砂煙、二人の魔法使い。
「こんばんわ。お土産にピクルス持ってきたわ」
見上げれば社の上、悪霊の神はのんびりと盃を月に掲げている。
その傍らには向日葵を抱いた少女の姿。
「あら、魔法使いさんが二人も」
「紫も宴会か?じゃあ、珍しい酒が呑めるな」
縁側に座る式神二人。盃を交わす鬼と亡霊。
世界は非常識に今夜も素敵に巡り巡る。
「霊夢、あとこれ……この間頼まれた蜂蜜」
「悪いわね。あんたは魔理沙と違って約束守るわね」
「失礼だな。私だって死ぬまでは守るって言ってるだろ?」
月を背に神社に向かうのは永遠を抱いた姫とその従者たち。
竹林の闇を抜けて半獣と蓬莱人ものんびりと月に盃を傾けた。
「霊夢!!遊びに来たわよ!!」
「レミリアまで……あ、フランドールまで来ちゃったわ。魔理沙!!アリス!!あっちの
 相手は頼んだわよ!!神社が壊れたらあんたらだって宴会できないんだからね!!」






こんな月の夜はみんなで騒げばいい。
神様だって笑う星降る夜。





12:46 2009/04/02




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