◆季節外れ―目を伏せると……―◆






しゃんと首を伸ばした花は水仙。
冬も近いというのに太極府印のなせる業かその花を開く。
(水仙って、何か道徳みたいな気がする)
凛々しく背を伸ばし、太陽に準ずる花。
その上部にそっと唇を当てて、目を閉じる。
ほんのりとして、清清しい香り。
(そうだ。望ちゃんに香油もらったんだ。付けてみようかな……)
兄弟の引き出しから取り出したのは、銀細工のされた小瓶。
その中に閉じ込められたのは練り香。
指で掬えば、少しばかり強めの甘みのある匂い。
「普賢さんはいるっすかー?」
「四不像。どうしたの?」
「ご主人から普賢さんを迎えに行って来いって言われたっす」
「そう?じゃあ、行こうかな」
四不像の背に乗って、目指すのは西周。
風と一体になれるのは、霊獣でしか味わえない感覚だ。
「気持ちいいね、四不像」
ぷわん、と鼻を掠める香り。
「普賢さん、何か良い匂いがするっすね」
「そう?望ちゃんにもらったのを付けてみたんだ。おかしくない?」
「おいしそうな匂いっす」
「あはは。食べられないように気をつけなきゃね」
四不像の頭をなでで、普賢はくすくすと笑う。
どうせ乗せるならむさ苦しい男よりも可憐な少女のほうが良い。
四不像も普賢ならばと崑崙まで飛んだのだ。
時折あたる胸の柔らかさ。
(普賢さんも、ご主人も女の子っすねー。柔らかくて気持ちいいっす)
ふわふわ、ぽわぽわ、柔らかい身体。
甘い甘い香りと一緒に、二人は西周へと降り立った。







太公望と話を済ませて、たまには一人のんびりと街を歩く。
隣にあるはずの影が無いことが、やけに新鮮に思えた。
行き場の無い左手。
繋いでくれる右手の主は、雲の上に。
ふらり、ふらり、と店先を覗いて目を瞬かせる。
「あれ?普賢ちゃん?」
「発?どうしたの?こんなところで」
「昔の友達に会いに行った帰り。普賢ちゃんこそ、彼氏は置いてきたの?」
「うん。いつも一緒に居るわけでもないよ」
けれども、となりが空いているのはどことなく違和感があって、寂しい。
もどかしげに何かを探す左手の置き場。
「じゃあさ、俺とデートしない?」
「え?」
左手を取って、指を絡ませる。
「決まり。行こっか、普賢ちゃん」
彼女の歩幅に合わせて、すこしだけゆっくりと歩いて。
まるで元から恋人同士だったかのような雰囲気を作り出してしまう。
「ね、発……」
「普賢ちゃん、お酒とか好き?」
「あ、うん」
「友達がさ、店してんだ。こっち」
裏通りを抜けて、路地を曲がったところにある小さな酒家。
奥に通されて進められたのは甘い果実酒。
琥珀色の液体は、やんわりとした甘さ。
「追加いっか?肉とか魚とか使わないで美味いもの頼むぜ」
「あ、発。発は、ちゃんと食べて」
「一緒に居るときは、同じもん食うのがスジだろ?普賢ちゃん」
勧められれば、断れない。
押しに弱いというのは今間の言動から分かっていた。
だから、こうして二人きりになれる空間を彼は選んだのだ。
「普賢ちゃん、結構飲める?」
「そうでもないよ。酔い潰そうとする人には強いだけ」
玻璃の淵に触れる唇。
その唇の感触を知りたいから、こうして罠を張った。
(望よりも、ほっそいんだな。あっちが薔薇ならこっちは百合ってとこか)
指先、頬、薄い耳朶。
ゆっくりと桜色に変わるのを目で追いかける。
(もうちょっと……だな)
宮中で見たときから、一度この腕に抱きたいと思ってきた。
邪魔をする男は、どうやら本山から動いていない。
与えられた好機は逃さない主義だ。
「……ん……」
だんだんと、動きがゆっくりに。
(いっただっきま〜〜す。可愛い子は一回くらい食っとかねーと、発っちゃんの
 名が泣くってもんだ)
とろん、とした瞳と瞼が触れて。
ことん、と普賢は卓に顔を埋めた。





そっと寝台に下ろして、道衣の金具に手を掛ける。
しかし、この金具が曲者だった。
一つを外せば、一つがくっつく。
慣れなければ、簡単に脱がせることはできない。
「……ぅ…ん……」
肌に触れる手の感触に肩が小さく揺れる。
指を滑らせて、内側を止める金具を外す。
それが引き金となって、ぱらりと道衣が脱げて行く。
「…!!??発!!??何、やだっ!?」
「はーい♪大人しくしようね〜〜」
ぷるん、と乳房が解かれたさらしから顔を出す。
「や……止めてって言ってるでしょうっっ!!!!!」
左手の拳が下から顎を突き上げる。
腐っても崑崙十二仙に座する女。
素手での破壊力は、通常の人間とは比べ物にならない。
ましてその手解きをしているのは道徳真君。
丸腰で襲おうと思う方が愚の骨頂だろう。
「痛っってぇ〜〜〜〜〜っ」
「それでも西周の王様なの!?大体君ね、そういうのだから望ちゃんを繋ぎとめられないんだよ!!
 君のお父様は……」
そこまで言って普賢は口を噤んだ。
それは親友の傷を抉ることだったから。
「親父のこと、普賢ちゃんも知ってんのか?」
「五十年位前かな。望ちゃんと二人で崑崙を抜け出したんだ。いい男がいるよ〜って
 望ちゃんが言うから」
上着を直して、寝台の上にちょこんと座る。
「望ちゃんと好みは違うから、どうとはいえないけど……器のある人だなって思ったよ」
そっと手を伸ばして、少しだけ赤くなったそこを摩る。
「ごめんね。手加減したつもりだったんだけど」
「あ、いや……それより親父のこと聞かせてくれよ」
「んー……あれはね……」





黄巾力士に乗って、二人で西岐へ降り立つ。
目立つ道服ではなく、簡素な街着に着替えて少女二人は人込みに紛れた。
「大成功だのう。黄巾も二人なら動かせるわ」
「そうだね。やっぱりたまに遊ばないと」
まだまだ興味の尽きない年毎の娘々は、店先に並ぶものに目を奪われる。
東西南北の中で最も栄華を極めているのがこの西岐。
納める男の名前は姫家の嫡男の昌と言う。
彼の手腕で小さな邑はここまで発展を遂げた。
「お嬢ちゃんたち可愛いから、これはおまけだよ」
「わぁ、ありがとう」
「ありがたく頂戴するかのう」
出来立ての餡饅を口にしながら、椅子に腰掛け足を伸ばす。
「西伯侯姫昌。我が羌族を受け入れた稀有な男」
太公望は小さく呟く。
本来は自分が先頭となり守らねばならなかった一族。
「辺境の民を受け入れる男は中々おらん。思うに……」
食べかけの餡饅を平らげて、指先をぺろりと舐める。
「殷を打ち倒し、王となるべき男はやつしか居らん。わしが探していたのはきっと
 姫昌だったのだよ。だから、おぬしにも見せたいと思ったのだ、普賢」
残りの餡饅を半分に割って、普賢は太公望に手渡す。
「はい。はんぶんこ」
隣に居て、いつも同じように空を見つめること。
同じ未来を見つめてくれる親友だからこそ、自分の想いを知って欲しかった。
「じきにここを通るよ。おぬしにも見て欲しいからのう」
「好きになった人?」
「そうかもしれんのう。この気持ちを恋と言うならば」
まだ、恋を知らずに。
恋に恋焦がれて、憧れる乙女十七。
止まった時計の針をゆっくりと進めてくれるかもしれないその指先に。
早まる動悸と、ときめきを覚えた。
「上下隔てることのない男、理想を具現化するにはまだ足りぬだろうが……なに、
 わしも同じ立場。わしがどうにかなるころ姫昌もどうにかあるであろうて」
薄紅色の光はどこまで優しく、自分たち二人を包んでくれる。
一瞬だけこの時間を楽しんだら、仙道となるために崑崙に戻るのだから。
「来たぞ、あれが西伯侯姫昌じゃ」
警護も付けず、息子を引き連れてのんびりとした足取り。
腰に短刀は携えてはいるものの、それに触れる気配も無い。
それだけ、西岐は安全だということ。
寧ろ、彼が民を信頼し、その相互が成り立っているからだろう。
「わしの、この気持ちが恋ならば」
まっすぐに前を見る男。
「きっと、コレが初恋なのであろうな」
ふいに、男の目線が二人を捕らえる。
同じように太公望も男を見つめ返した。
これが最初の出会い。
そして、運命のきっかけになろうとは誰が思っただろう。
「帰ろう、普賢」
「うん」
小さくなる背中を見送って、男は首をかしげた。
(はて……あの背中に見える羽根は何なんだ?俺の目の錯覚か?)
その運命を操り、立ち向かうものは背に真白の翼を持つという。
切なさ、悲しみ、あらゆる物を取り込んで天を駆けるその姿。
(仙界のものか?斯様な少女も仙となるのか……俺もうかうかしては居られないな)
あなたに逢う為にこの翼を羽ばたかせて。
この手を伸ばそう。
あなたのために。
あなたのために。





文王と送り出されたあの日、彼女は一人で空を見つめた。
変わり行く日々の中でたったひとつ変わらない思い出を抱いて。
その手を取ったのは、彼とよく似た彼の血を引く男。
「わかってんだよ……あいつが親父と俺を重ねてることは……」
項垂れる発の頭にそっと触れる手。
さわさわとまるで子供にするように、撫でてて来る。
「普賢ちゃん?」
「是好孩子。不哭(いい子だね、泣かないで)」
「俺、そんなに子供じゃねぇよ」
「甘えたいときには甘えたら?望ちゃんもボクも君よりは長く生きてる」
「落ち込むよなぁ……俺じゃ親父に勝てねぇじゃんかよ……」
「そう思うなら、そうかもね。でも……どうにかならないわけじゃない。
 望ちゃんは君を武王として選んだんだから。他の誰でもなく、君をね」
彼女もいずれ、戦渦へ身を投じるのだ。
「望ちゃんが心配する。帰ろう、発」
待っていてくれる誰かがいることは幸せで。
それをなくして初めてそれが幸せだったと気付くから。
恋も、なくして初めてそれを自覚する。
それは親友がこぼした小さな言葉だった。




「普賢、道徳のやつが捜しておったぞ」
桃を齧りながら、太公望が駆け寄ってくる。
「たまには探させておこうかな」
「……?その匂い、わしがやったものか?」
「うん。残り香がいいみたい」
籠の桃を手渡して、二人でのんびりと立ち話。
そうこうしているうちに騒がしい男が、彼女を見つけてしまう。
「普賢!!どこ行ってたんだ!!」
「どこだっていいでしょう?ボクだって遊びに行きたいときくらいあるもの」
はい、と桃を一つ手渡す。
「心配したんだぞ」
「大丈夫。発に襲われそうになったけど、殴り飛ばせるくらいの力はあるから」
「そうかそうか……何だって!?どこだ馬鹿男はっっ!!」
「未遂だし。先に殴り飛ばしたから」
くすくすと笑う唇。
果汁でほんのりと濡れて、どこか妖艶に光っては誘う。
「そうかそうか。丁度発も来た事だしのう」
打神鞭片手に、太公望もにこにこと笑う。
「発」
「あん?」
「こんの……たわけがーーーーーーーっっっ!!!!」
巻き起こる風は欄干を吹き飛ばし、発の外套を切り裂く。
「他の女に手出しすることには口出しはせんが……」
ぴし!と打神鞭の先が発の顎に触れる。
「よりにもよってわしの親友を手にかけようとはいい度胸ではないか」
「望ちゃん、先に殴り飛ばしたからいいよ、もう」
「俺の女に手を出すとはいい根性してるな、武王姫発」
どこか似たもの同士の親友と恋人。
齧りかけの桃を一撫でして、ため息も一つ。
「普賢ちゃん!!何とか言ってくれ!!」
「相手が悪かったね。しーらない」






機嫌は斜め四十五度。
宥めて諌めて抱きしめて。
「すまなかった。過度の嫉妬は自重する……」
打風刃の巻き添えで出来た傷に、丹念に薬を塗りつける。
「なぁ、普賢。その匂いって麝香じゃないのか?」
「麝香?望ちゃんに貰ったの」
まだほんのりと香るそれが、人肌を引き寄せるから。
目を閉じて、ゆっくりと確かめ合おう。
少しだけ肌寒い空気を変えてくれる温かさ。
分け合えることの幸福を、見つけたのだから。





「そこに座れ、発」
腕組して男を睨む少女は裸体。
同じように男も。
「大体おぬしは何を考えておるのだ!!あれほど普賢と雲中子と道行に手は出すなと
 何度も言ってきただろうが!!」
「なんで床に来てまで説教されなきゃなんねーんだよ!!」
「たわけ!!おぬしの無責任な行動の招いた結果じゃ!!」
それでも、その言葉には彼女の小さな嫉妬も込められていて。
それを知っているから、小言も受け入れてしまえるのだ。
「俺の本命はお前だ!!」
「そんなこと知っておるわ!!それとこれとは別物だ!!」
騒動の夜の最中で目を閉じて。
君の名前を何度も呼ぼう。
「ちっとは素直になれよ!!俺のこと好きなんだろ!!」
「だったらどうした!!おぬしの軽薄なところも含めておぬしのことは好きだと言っておろうが!!」
少しばかり乱暴な愛の言葉でも。
君の言葉は優しいから。
「俺だってお前の凶暴な所も込みで愛してんだよ!!」
「しってるわ!!大馬鹿者が!!」
何時までも。何時までも。
君が幸福でありますように。
何時までも。何時までも。
傍に居られますように。




西周上空は今日も快晴。
響く少女の声は今日も今日とて明朗である。




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11:54 2004/11/15

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