◆閑話01――あいのことば――◆





「カバっち、師叔見なかったさ?」
「ご主人ならお休み貰って出かけたッス。ヨウゼンさんと」
「へぇ〜〜おやすみ!?ヨウゼンさんと!?」
そう言われれば、ヨウゼンの姿も朝から見ていないことに気付く。
「そんで、どこ行ったさ?」
「知らないっす。ヨウゼンさんが二、三日留守にするってしか」
ニコニコと笑う四不象に悪気は無い。
毎日走り回る太公望に、たまには休ませたいと思うのは彼も同じなのだから。
「哮天犬さんに乗って出かけたっす」
ふわふわと四不像は宙へと消えてしまう。
苛立ちを噛み砕いて、天化は煙草に火を点けた。






「ヨウゼン、これは?」
「ああ、いいですね。師叔の髪の色にも良く合いますよ」
「わしのことはいいのだ。これも候補にしておくか」
色とりどりの光玉をあさりながら、太公望はあれこれと手を伸ばす。
「綺麗な簪だ。師叔」
太公望の頬に手を当てて、そっと振り向かせる。
「贈り物も大事ですが、貴女にもあげたいのですよ」
肩の下で揺れる豊かな黒髪。
何者にも染まること無いその意思を写し取ったように、風を絡ませる。
「赫、緋、蓮、銀……何が良いでしょうね」
道衣を脱いで、街着で並んで歩く姿。
「おぬしと歩くと、皆が振り返るよ。ヨウゼン」
彼女が嫌がる左手はそのままに、手を繋ぐ。
絡めた指先から流れ込む暖かさ。
それは、彼女の心の奥の小さな光に似ていた。
「師叔が居るからですよ。それに、僕と貴女なら一緒に並んでも釣り合いが取れますからね」
臆面無くそんなことをいう男を見て、彼女はくすくすと笑う。
眉下で揺れる前髪。小さな唇は、ほんのりと濡れた色合い。
僅かに塗られた白桃色の口紅。
「ヨウゼン、こっちはどうじゃ?」
「むしろこれは貴女に合いますよ。師叔」
「それではダメなのだ。あやつ合うものでなければ……」
ため息をついて、肩を落とす姿。
その細い背を、人目をはばからずに抱きしめたくなる気持ち。
「普賢様なら、師叔が贈るのならば何だって嬉しいと思いますよ」
「それでも、あやつに似合うものが欲しいのだ。それに……道徳に負けるわけにもいかぬ」
親友の恋人に、負けたくないのは少女の意地。
「僕も、普賢様になりたい気分ですよ」
「?」
「負けたくない、奪われたくない。師叔にそんな言葉を使わせるんですから」
こうして二人で並んで歩ける間だけでも、自分のほうを見つめて欲しい。
小さな嫉妬は、彼の心にもあるのだから。
「……そんなつもりも無かったのだが……すまぬ……」
小さく下がる頭。
意地悪を仕掛けたくなるのは独占欲が胸をつつくから。
(師叔と喧嘩したいわけでもないし、二人で遠出なんてそうそう無いし……)
手を繋ぎなおして、ヨウゼンは太公望をつれて前に進む。
「せっかくです。ゆっくりしていきましょう。僕も師叔と喧嘩をしたいわけでもないし」
「許してくれるか?」
「仲直り、しませんか?つまらないことで意地を張り合うのにも……飽きてきました」
それは彼の小さな本音。
軍師とその補佐役はどちらも意固地なところがあり、譲らない性格だ。
それでも、結局男のほうが折れてしまう。
それは惚れてしまったほうが負けだということ。
「お腹空きませんか?」
「……少し」
「そこに入りませんか?丁度お昼ですしね」
少し考え込む顔に、ヨウゼンはにこりと笑う。
「美味しい老酒も頼みましょう。今日は軍師業は休みですから」
「そうだのう」
穏やかな空の色は、二人の気持ち。
肩が触れ合える喜びは、誰にも譲れないから。




向かい合わせで席を取り、品書きに目を通す。
淡い薄荷色の爪に、ヨウゼンは目を細めた。
(僕と出かけるから……あの色にしてくれたのかな……)
前日まで太公望の爪は、素のままの薄桜。
書類を抱えて、ばたばたと回廊を走り抜けていた。
(自惚れたっていいよね。僕だってずっと師叔と一緒に来たんだ)
頼んだ二人分の料理を取り分けながら、太公望は少しだけ昔のことを話し始めた。
羌族は決して豊かな部族ではない。
遊牧の民は定住はせず、季節季節を過ごしてきた。
「こうして、このような場所で食事など考えることもできんかったよ」
玄米と粟の塩粥には、飾りに金粉が。
湯匙でそれを掬って、飲み込んで。
「それでも、幸せだった」
木耳と椎茸、榎木の入った薬湯。白豆腐に絡むのは中華味噌。
韮と大蒜を甘辛く煮付けたものには白胡麻が。
「羌族は、どの部族よりも自然と共に過ごしてきたと思うよ」
指先についた欠片を舐め取る舌先。
人差し指を這うその舌が、酷く艶かしかった。
「嫌いですか?こういうところは」
小さく横に振られる首。
「慣れぬのだよ。未だに。わしは羌族の田舎娘じゃ」
「そんなことはありませんよ。立派な淑女です」
「綺麗な簪も、耳飾も。どうしたらよいか分からぬのだ」
宮殿で暮らすことも、軍師としてもてはやされる事も。
どれもが彼女にとっては恐怖に近いことだった。
崑崙に入山するまで、太公望は一人で生きてきた。
手には形見の小刀。一族を滅ぼした陰の皇后への憎しみだけが彼女を支えていた。
「まだ、道士になったことを後悔してますか?」
「いや」
甜食(デザート)の杏仁豆腐を口にしながら太公望はその匙先をヨウゼンに向けた。
「道士とならねば、おぬしに出逢わんかった。ヨウゼン」
その言葉が、胸にじんわりと染みてくる。
杏仁豆腐を一口掬い、ヨウゼンの口元へ。
「わしは、こうしておぬしとこれが食えるなら……」
頬杖をついて、ニコニコと笑う大きな瞳。
「それでいいよ。ヨウゼン」
口中で蕩ける杏仁豆腐は、ほんの少しだけ涙の味がした。
「泣くほど嫌いか?すまなかった……」
「そうじゃ……無いんです……」
片手で顔を覆い、ヨウゼンは首を振る。
「もっと……あなたを大事にしなければと……」
「過保護すぎるくらい、大事されておる」
「でも……!!」
「ああ、そうじゃ。すまぬが娘々、これを二つ」
品書きの項を指差し、なにやら注文を。
程無くして届いたのは薯澱粉(タピオカ)と椰子の果汁に牛乳を加えたもの。
淵には果実が飾られている。
娘たちが好むものは、彼にとってはある意味鬼門だ。
太公望の好むものも、例外ではなかった。
「これが食えるなら、宮廷暮らしも悪くは無いぞ」
「……甘い、ですね……」
「おぬしは泣きそうな顔で笑うからのう。ヨウゼン」
甘いのは、甜食よりも、彼女が触れさせてくれる心。
その光は何者にも冒されない。
「美味かろう?」
「ええ…………」
男が、それを食す姿を彼女は見守る。
まるで母が子供を見るかのような視線で。
「師叔、御酒を準備しましょうか?」
「いや、今日は良いよ。酒でつぶれるよりもおぬしとこうして居たいからのう」
恋は、唐突に降って来て何もかもを変えてしまう。
愛の言葉はさりげなく、鮮やかに。
心のいちばん柔らかい部分に、沈んでいくから。
「慌しく時間が過ぎても、一人ではないと思える。それが幸せというのなのだろうな……」
憎しみだけで、生きていくには彼女は弱すぎて。
悪女になりきることは出来ないと、首を振った。
軍師と言う名の下で、復讐を彼女は形にしてきた。
それももうじき終わる、と加えて。
「殷を討伐したら……わしらは隠居じゃ。杏仁豆腐(これ)もしばらくは食えなくなるんのう」
「師叔が望むだけ、準備しますよ……」
「この微細な味も再現できるか?」
くすくすと大きな瞳が笑う。
長い睫は試すようにゆっくりと伏せられて。
「出来ますよ。僕は天才ですからね」
「ははは。そうか……ならば、さっさと厄介ごとは片付けねばならんのう」
たまには、時間を止める前に全てを戻して。
雑踏に紛れて手を繋ごう。
そうして、また次の日を迎えよう。幸せの光を掴むために。






地平線に蕩けていきそうな夕日を見ながら、二人して哮天犬に凭れる。
ふわり、と柔らかい毛並みが心地よい。
「綺麗ですね」
「そうだのう……」
何百年経ってもこの太陽は変わらないのに。
空の色は一秒たりとも、同じではない。
「師叔」
結い上げられた髪に、す…と挿したのは鬼蜻蛉の簪。
細い鎖の先には赤玉と紅真珠。
この太陽を封じ込めたような緋。
それを紅茶に溶いたような美しさ。
「いいえ……望。これは、僕から貴女に」
「……ありがとう……」
寄せ合える肩と、合わせられる背があるから。
この暗くて長い茨道を進むことが出来るのだろう。
「ヨウゼン」
頬にそっと触れる唇。少しだけ乾いて、ほんのりと熱い。
その頭を掻き抱いて、何度も何度も接吻を繰り返した。
どれだけ欲して、手に入れても。願望は尽きることを知らない。
だからこそ、愛しいと思う感情が生まれるのだろう。
「このまま……星が出るのを待ちましょう。贈り物は明日、違う町で見つければいい」
「星?」
「流星を追いかけて、夜間飛行もいいでしょう?師叔……いえ、望」






広がる夜空を走りぬける風。
光を追いかけて恋人たちはどこまでもいけるから。



  
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15:01 2004/09/22






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