◆迷走◆
策士、策に溺れるという言葉がある。
太公望と皇后の智謀合戦。
結果として太公望は目の前で姜族を虐殺される。
失意呆然。
そんな太公望を混乱に乗じて武成王は自宅に匿う。
心身ともにぼろぼろに状態は目も当てられなかった。
「あなた、着替えを持ってまいりましたわ」
「おお、すまないな。悪ぃが頼む」
さすがの武成王でも相手が仙人でも少女の体に触れのには抵抗があり、
妻の手を借りていた。
あれから一週間。太公望は目を覚ます気配すらなかった。
傷は癒えても、心の傷は癒える事は無い。
「太公望殿…」
「こんな幼い子に…仙人界という所は斯様なところなのですか?」
二人には仙界入りした息子がいる。
年のころはおそらく太公望の外見と大差無い。それが一層二人の心を締め付ける。
「…う……」
「太公望殿!」
「太公望さん」
ゆっくりと体を起こし、頭押さえる。ずきずきと痛む感覚が、自分は生きていると
訴えている。節々の痛みも生存の証。
「武成王…」
状況を理解できない太公望に武成王はこの一週間のことを話した。
太公望は死んだことにして、皇后の目を晦ました。
姜族の事。
太公望は眉一つ動かさずに聞いていた。
いや、表情すら、作れないのだ。
「肋骨と折れてっから、しばらくは養生しな」
声は、ただ、響くばかり。
痛むのは骨でも肉でもなく、もっともっと奥。
目の前で失われていく、命。
父も、母も、兄弟も、そして、姜族。
自分の力の無さ、不安、恐怖。
忘れていたものがぐるぐると回りだし、胸を締め付ける。
まるで、空気に溺れるように。
「何の用だ?」
「もう、前に進むのは止めませんか?好きでやっている封神計画でもないのでしょう?」
「………………」
「あなたが傷つくのを見るのは心苦しいのです」
「申公豹」
「?」
「わしは…封神計画を降りる気はないよ…誰になんと言われようとも…」
「その傷で行くのすか?宝貝も持たずに?」
「それでも、行くしかないのだよ…」
その細い肩に運命は容赦なく降りかかる。
これから幾度となく、痛みも躊躇いも雨のように降るだろう。
それを塞ぐ傘はない。持つ事も出来ない。
ただ、打たれることしか出来ない雨。
「呂望、見なさい」
黒点虎がどさりと四不象を落とす。
「スープー…」
「皇后が転寝しているときにかっぱらってきました。毒抜きもしてあります」
細い指を解いて、打神鞭を握らせる。
「これで私に借りができましたね。倍にして返していただきますから」
「申公豹…」
「それから」
彼が手渡したのは一輪の白百合。大輪では無く、楚々とした美しさ。
「これは私から、あなたにです。呂望」
「その名で…呼ぶな」
「嫌です」
黒点虎に跨り、申公豹は宙に帰る。
「呂望、私に借りがあることを忘れないように」
「……ああ…」
ほんの少しだけ、心が温かい。
「御主人…?」
「スープー、いつまで寝ておるのじゃ、行くぞ」
同じように太公望も宙に帰る。
「スープーが寝ている間に色々考えておった…わしにはまだまだ力も味方も少ない」
風は追い風。
太公望の髪を優しく書き上げる。
「行くぞ、大きな味方を作りに!」
太公望の去った宮中では狂ったような晩餐が繰り返されている。
皇后は夜な夜な処刑された罪人の臓物を貪っていた。
滴る血さえも、彼女を彩るその美貌。
その姿に武成王は殷の滅亡を予感した。
「李氏様」
「おお、どうした?」
褥に潜り込む。
「いい夢を見せて差し上げますわ…李氏様」
彼女に性欲というものは無い。妖怪に何かを求めても無意味な事なのだ。
それでも、彼女は人間の肉の体を満足させるために殷王の上で踊る。
李氏自身を舌で嬲り、自らの中に埋め込む。
それは彼女にとっては何の意味もない事だった。
術をより長く持続させる事と、宿主であるこの体の生理的欲求を満たすため。
「あああ…李氏様…!…」
喘ぐ声も彼女の本能ではない。
それはただ、男を喜ばせための道具。
(申公豹もこの男もなにが楽しいのか…)
豊満な胸をまさぐる手。
腰を抱かれ、突き動かされても、それは体だけが感じる事。
彼女の目的は別なのだ。
(いずれ申公豹には聞けるときがくる…わらわはそれまでこの男を操ればよい…)
それぞれの夜は更けていく。
それぞれの思惑を乗せて。
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