◆ラブリーベイベー◆
〜〜〜仙界師弟事情、其の弐〜〜〜


普賢が白鶴洞に戻っても、時間は流れていく。
好奇心に勝てずに発はあれこれと天化や道徳に聞いてくる。
「なぁ、こいつの修行時代ってどんなだったんだ?」
「天化はまだ修行中の身だがな。まぁ、脱走、逃走の常習犯だったな」
道徳真君も弟子に対しては真摯に当たる仙人だ。
数々の優秀な道士を育て上げてきた実績も頷かせるものばかり。
そして、彼の自慢の愛弟子がこの天化なのだから。
僅か数年で宝貝を使いこなし、重要計画に要されるまでの才能と資質。
多少の粗野を引いてもまだ余りある。
「今も昔も、お前は俺の心配の種だよ」







「今度俺のところにも新弟子が来ることになった」
身体を半分起こして、隣でうつ伏せになっている少女の顔を覗き込む。
「いい子だといいね。幾つになる子?」
「確か……もうじきに十になるはず。殷の武成王の次男なんだ。久々に骨のある奴に当たりそうだよ」
嬉しそうに笑って、前に手を伸ばす。
「じゃあ、暫くは紫陽洞(ここ)にも来れなくなるね」
「え、何でだ?」
彼女の指先には球体の宝貝。二人揃って師表十二仙に名を連ねる立場だ。
一切の欲を断つことを求められる仙道のはずが縺れた天命を振り切って今や公然の秘密。
「ちっちゃい子が来るのにこんなことなんてしてられないでしょ」
ぱちぱちと指先で対極府印の表面をなぞっていく。小さな光が生まれて室温が少しだけ下がる感覚。
ひんやりとした空気の流れに彼女は目を閉じる。
「うちにもモクタクがいるし。しばらくはお互い静かな生活しようね。仙人らしく」
「普賢、お前な……」
「ボクだってモクタクにもっと手を掛けてあげたいし、少し身体を休ませたい」
新弟子を取った当初はひっそりと通っても居たが二年もたてば弟子公認の仲である。
挙句の果てには送りだされる始末で頭を抱える羽目に。
「道徳だって少しは秩序って物を持った方がいいと思う」
「それじゃ俺が色魔みたいじゃないか」
「違うの?」
気だるそう指を折って、普賢は道徳真君のほうを見上げる。
「何でお前はそういう目で俺を見るんだ」
抱き起こして、少し強く包み込む。
「とにかく、暫くは大人しくしなさいね。新弟子も来るんだか……」
言い終わる前に唇が塞がれる。胸を押しやって抵抗しようとしてもしっかりと顎を取られてどうにも出来ない。
「……っは……」
ぴちゃっ…と唇が離れては重なる。口腔を嬲られるように舌先を吸われて唇を噛みあう。
抵抗する力が無くなる様に、執拗に繰り返される接吻。
「……ふ……ぅ……っ……」
(しばらくは普賢と離れ離れか……俺、どこまで耐えられんだろ……)
一切の欲は捨て去ったはずだった。それでも、一度抱いてしまえば離れるのが今度は恐くなる。
「なぁ、いっそモクタク連れて紫陽洞(ここ)に来ないか?」
「……ん……無理……」
唇を下げて、肩口を噛む。小さな痣を付けながら鎖骨を舌先でなぞれば細い身体が竦むのが分かる。
「その子が、あなたの捜してた子だといいね」
頬に触れる指。そのまま下げて、首を抱いて。
柔らかい胸が触れる感触はいつも甘く、穏やかな気持ちにさせる反面、嫉妬深い自分を晒される思いになる。
「ああ……多分そうだ。そんな気がするよ」
「その子もそうだけれども、モクタクもあの計画に持っていかれるのかな……実行に移すには適任者が居ないって話だけども」
敷布に沈む身体と二人分の体重を受けて軋む寝台。
「ん、ダメ。明日、望ちゃんのところに行くから」
「……モクタクが熟睡してる時を狙うしかない生活になるのか……」
悪戯に抱きしめて、唇を噛む。
「たまにはいいでしょ?お互い仙人らしくしてみようよ」
離れ離れ、逢えなくなるのなら。
今だけはこうして溺れさせて。





「仙人界って言っても、そんなに珍しいものでもないさね」
武成王の次男はそんなことを言った。
名は、黄天化。紫陽洞にて道士としての修行を受けるべく仙界入りした少年だ。
「えーと、し、師父??」
「言いにくいみたいだな。コーチでいいよ。他の弟子たちもそう呼んでる」
「よろしくさ」
見るからに健康的な姿。来るべくして来たという風にさえ見える。
ただ、一つ気になるのは若年にして咥え煙草のその姿。
何度指導しても改まる気配もない。その割には筋力も、体力も群を抜いての好成績だ。
(まぁ……精神安定剤みたいなもんなんだろうな)
両親の血を色濃く継ぐ少年は臆することなく自分に立ち向かってくる。
何よりもそのまっすぐで曇りのない目が気に入った。
「あー、コーチ、ここって女の人とかって居ないさ?」
「極少数だけど、仙女は居るぞ」
「美人?」
真っ先に思い浮かんだのは離れて生活する恋人の姿。
惚れた欲目と言われようが顔は整っている方だと思える。
「美人……か。美女とかになると公主あたりは美女だな」
「居るんだ。そっかそっか」
うんうん、と天化は一人で納得したような顔をした。
「お前がまずするべきことは修行だ修行。女に興味を持つには千年早い」
青峯山に来て早、一月。順応性も高いが、同時に旺盛すぎる好奇心で脱走暦も数え切れない。
うっかりなにかあれば被害は確実に広範囲に渡るのは確実だ。
(普賢は……美人っていうよりも、可愛い方だよな……うん……)
「コーチ、公主って人にはどうやったら会えるさ?」
「面会は無理だな。殆ど姿を出さないし、彼女は常に弟子たちに守られてるからな。追い返されるのがオチだ」
純潔の仙女は高嶺の花。何人がその花に手を伸ばして墜落死したことか。
自分の弟子にその轍は踏ませたくはない。
「ああ、丁度良かった。ちょっとこいつの相手をしててくれないか?」
道徳真君は道士を呼び止めて天化を指す。
「新しい子ですね。分かりました。コーチは?」
「一雨来そうだ。ちょっと出かけてくるよ」
「ああ、そうですね。よろしくお伝えください。先日戦書をお借りしましたので」
物腰穏やかそうな道士はそんなことを言って師匠を送り出す。
「雨降るとコーチは出かけるさ?」
「まぁね。あの人もまだ枯れたおっさんじゃないってことだよ、天化」
腰から下げた長剣を取って彼は天化を見据えた。
「さて、ここで手を抜くと俺までコーチに叱られる。さぁ、天化、掛かってきなさい」
兄弟子は穏やかに笑った。




青峯山に来てから半年。兄弟子たちにもなんだかんだと可愛がられながら天化はその腕を上げていく。
その成長振りは師匠である道徳真君を喜ばせるほどの早さだ。
直接の指導はまだであれ、その時期が来るのもそう遠くはない。
彼の基本姿勢はある程度の実力をつけてくるまでは直接の指導はしないということ。
悪戯に相手をして身体を痛めるのを避けるためのひとつの手段だ。
自分が手を下すこともないなら、それまでの器。道士としても開花することは難しいだろう。
「コーチ、いい子を見つけましたね」
「ああ、まぁ、素行には問題があるが多少ならば良しとできるくらいはな」
道徳真君は苦笑を隠せない。
なにせこの天化、脱走の常習犯なのだ。
その度にきつく灸を据えるものの、翌朝にはけろりとしている。
腕は未熟でも度胸は合格だと、笑った。
「雲行き、怪しいですね。雨でしょうかね」
「そうだな。ちょっと出かけてくる。あれの面倒、頼んだ」
本降りになる前に、彼は姿を消していく。
見送りながら、同じように苦笑する。雨の日はこの師匠は姿を消すのだ。
「師兄、コーチは雨の日は何で居ないさ?」
「おや、天化。居たのかい?」
「俺っちも遊びに行きたいさ〜」
「遊びたければ早く強くなることだね。コーチが指導してくれるように」
「なんで雨なんて降ってるのにコーチは好き好んで出かけるさね?わかんないさ」
降り出した雨はさらさらと霧雨になり、あたりを包み込んでいた。
雨の匂いはどことなく物憂気。戦士たちの休息の時間。
「好き好んでるからだろうね。まぁ、いずれ分かるよ」
長く伸びた髪を一つに纏め、道士は天化の頭を撫でる。
紫陽洞の慣例はある程度崑崙での生活に慣れるまでは兄弟子たちが入れ替わりで新弟子の面倒を見る。
誰かを育てることで得られるものも多いという考えからだ。
師匠である道徳真君が合格判定を出せば、今度は一対一での生活に切り替わる。
同時に修行の内容もより厳しい物に変更され、力有るものはより一層強くなれるのだ。
「雨なんて、鬱陶しいだけさ」
「同じこと、コーチも言ってたねぇ。昔は」
兄弟子はのんびりと構える。腰には革帯に仕込んだ宝貝。
「俺っちも貰えるかなぁ……」
「どうだろうねぇ。まぁ、がんばればどうにかなるよ。天化」
「コーチって本当に強いのか怪しいさ」
腕組みをしながら天化はそんなことを呟く。未だに師匠は自分とまともに手合わせをしてくれたことはない。
話ばかりは聞いてはいるが、この目で見るまでは信用できない性分だ。
百聞は一見にしかず。
「それに、案外肥満体(デブ)かもしれないさ。あの道衣は怪しいさ〜」
その言葉に思わず噴出す。
「あははは、面白いこと考える子だねぇ。だったら一緒に風呂入ったときにでも観察してみたらどうだ?」
「俺っち、風呂苦手さ……」
「コーチは肥満体じゃないよ。まぁ、いずれわかる。焦らずに行こうか天化」
霧雨は何時しか滝のような豪雨になり、何もかもを消してしまった。
止む気配もなく、降りしきる。



雨上がりの朝は水溜り。子供はまだまだ遊びたい盛りで。
道徳真君が帰ったのは結局晴天の三日後だった。
「おや、コーチ。お早いお帰りで」
「……いつの間にかお前にも嫌味を言われるようになったな」
すい、と小さな桶と包みを彼は弟子に手渡した。
「持たされた。発育不良にならないようにしろと……」
言葉から察するに包みの中身は何かしらの食物。
「こちらは?」
「花を愛でる心の余裕くらい持て、だと」
桶の中にはまだ露に濡れた紫陽花。光を浴びてきらきらと笑っているようにさえ見える。
「あの方らしいですね。あんな容貌で自分たちが束になっても叶わないのが悔しいのですが……」
「腐っても十二仙だからな。あいつも」
笑いながら回廊を歩く。紫陽洞はいつもと変わらない風景だ。
天化は兄弟子たちと当たりながら的確に相手の隙を窺っている。
模造刀だが、当たればそれなりの痛みと衝撃はあるはずだ。
「コーチが居ない間、泣かれましたよ。母親に会いたい、と」
「………………」
「強がって見せても、子供は子供ですね」
引き離すには早かったのかもしれない。まだまだ母の胸で眠っていてもおかしくはない年頃だ。
だが、成長しきってからでは道士になることは出来ない。
ましてや、大仙になるなど。
「待てなかった。あの才能は早めに開花させてやりたいんだ」
「ええ、恐ろしいほどの武具の使い手になるでしょうね。あとは……」
「?」
道士は笑いを堪えながら続けた。
「きっとコーチによく似た女好きになるでしょうねぇ。公主って人はどれだけ綺麗なんだ?とか、
道士に女の子は居ないのか?とか皆に聞きまわってますよ」
「……それは俺は関係ないだろう」
「なんで雨の日にコーチは居ないの?ってしつこい位ですけどねぇ」
その言葉に道徳真君は苦笑する。せめて雨の日くらいは一緒に居たいと思うのが本心。
その度に諌められて、それでも受け入れられて。
「そろそろアイツと本気で向き合うか……」
兄弟子の剣を弾く姿。時期はもうすぐだと彼は嬉しそうに呟いた。



その言葉の通りに天化と道徳真君の奇妙な生活は始まった。
まさにこの師匠にしてこの弟子あり。
武芸の才能は歴代の弟子たちの中でも群を抜いている。
勘の鋭さ、天性の筋力、何よりも的確な判断力。
「俺っちも宝貝もらえるさ?コーチ」
「今すぐってわけじゃないだろうけれども、いずれはな。まぁ、試験(テスト)は受けてもらうよ」
彼の試験は至極簡単なものだった。
それは道徳真君に一太刀入れるというもの。
言葉にすれば簡単だが、それが出来たものは極少数。
だが、合格すれば晴れて実力者の仲間入りになる。
この調子で行けば数年のうちにその日はやってくるだろう。
「今日はここまでにしておくか。きちんとトレーニングもしてるみたいだしな」
「じゃあ、俺っちちょっと出かけてきても良いさ?」
「まぁ……遅くならないなら」
天化は最後まで聞き終わらないうちに走り出す。
(一体あいつはどこに行ってんだ?まぁ、今のところ苦情とかは来てないからいいけども)
空は晴天。雨の匂いすらない。
「んじゃあ、俺もちょっと出かけきますかね」



「赤雲〜〜〜っ!!!!」
天化の目的地は竜吉公主の管轄する鳳凰山。
一度は追い返されたが公主の弟子の一人の赤雲と近しくなり、天化は時々姿を見せるようになったのだ。
仙界一の美女はその影さえも見せてはくれないが、弟子の赤雲も中々の逸材。
「天化。どうしたの?脱走?道徳真君様に怒られるわよ」
「ちゃんと断わってきたさ。赤雲」
大きな瞳と長い睫。健康的な四肢を持つこの少女。
手合わせをしても自分と同等の実力者だ。
「最近天気いいでしょ。道徳様大人しくしてる?」
「大人しくって?」
「あら、道徳様は雨の日は恋人のところに行くじゃない。天化知らなかったの?」
師匠は雨の日には姿を消す。それは以前からの行動で兄弟子たちも特に何も言わなかった。
「こ、恋人ぉ?」
「そーよ。同じ十二仙なの。九巧山の普賢真人様よ」
「あの人俺っちには駄目って言って自分は上手いことやってたさ!?」
「天化が来る前からの関係だから、いいんじゃないの?普賢様だって新弟子取ってるし、前みたいに
頻繁に通ってるわけでもないし。崑崙の話の種よ。あの二人は」
前髪を摘んで赤雲は続ける。
「十二仙じゃ一番若い人だしね。見た目も綺麗だし、剣術も結構精通してるみたいだし。道徳様が惚れて落としたって話よ」
「綺麗な人なんだ」
「うん。後は十二仙だったら道行天尊様も美人よ。でも、公主さまの方が美人度はお二人よりも上かな。
普賢様はどっちかって言えば可憐って感じだし、道行様は綺麗って感じ」
自分の師匠のことを嬉しそうに赤雲は話す。
「一回見てみたいさ。普賢さんて人」
「九巧山遠いわよ。道徳様みたいに体力あまってるならまだしもあたしたちだったら黄巾使わないと無理よ」
「道行さんて人も」
「道行様はご自分の洞府よりも乾元山に居るほうが多いわよ。道徳様の同期の太乙真人様の所ね」
仙道といえども、赤雲も少女。噂話には興味がある。
師匠に窘められても気になるものは耳に入れてしまうのだ。
「あと仙女って言うと雲中子さま?道士だともう少し居るんだけどね」
「ふ〜ん。まずはコーチの相手見てみたいさね」
赤雲は脚を伸ばして遠くを見つめる。
「でも、道徳様もカッコいいけども、玉鼎様もカッコいいわよね。二人とも剣術には精通してるし、大人の男って感じがする」
「コーチ意外と好き嫌いあるさね。俺っちのほうがいい男になるさ」
「あはは。そうだね。天化は有望株!」
赤雲はけらけらと笑って天化の肩を叩く。
「赤雲、九巧山ってどうやって行くさ?」
「天化、本気?」
「もちろんさ。みてみたいと思わないさ?あのコーチの恋人って言うんだから相当な変わり者さ」
「あたしたちじゃ黄巾使えないよ。どうやって行くつもり?」
赤雲は困り顔。天化は言い出したら聞かないタイプだというのは大分わかってきた。
丸い大きな瞳はどうしようかと思案しながら隣で笑う少年を見る。
「俺っちが赤雲をおんぶする。赤雲は案内するさ」
「ん〜、確かに天化は体力はあると思うけれども……九巧山って曖昧にしか分かんないのよ。
赤雲とて滅多なことでは鳳凰山から出ることはない。
「行ってみるさ、赤雲」
「ん〜……しょうがないわね」
天化は赤雲をおぶって彼女の言う方向へと走り出した。
目指すは九巧山白鶴洞。




晴れ渡る空の下、普賢真人は太極府印を使って庭に優しい雨を降らせる。
花々は美しく咲き乱れ、果実は彩りよく実を付け行く。
「普賢」
「望ちゃん、遊びにきてくれたの?嬉しいな」
庭に置かれた椅子に太公望は静かに座り普賢の後姿を見つめる。
「モクタクがね、裏に筍を掘りに行ってるの。晩御飯食べていって。なんだったら泊まって行って」
「そうさせてもらうつもりじゃよ。モクタクは元気なのか?」
「もうじき帰って来るよ。望ちゃんが来てるって知ったらあの子喜ぶよ。望ちゃんのことが大好きだからね」
小さな虹は光を浴びて宝石のようで、太公望はそれを目を細めて見つめた。
「ついでに言えばもう一人来て居るぞ、普賢」
「え?」
「普賢」
「どうしたの?雨降ってないよ?」
普賢は府印を収めて道徳真君を見上げる。
「俺だってたまには晴れた日にお前に逢いたいよ」
「だそうだ。まぁこやつは新弟子が居るからのう。早めに帰るだろうが」
けらけらと笑う太公望に道徳は苦笑する。
「残念だったね。今日は筍御飯にするんだけれども、その前に帰らなくちゃね」
「んじゃあ俺も天化連れてここに……」
「バカなこと言ってないで、モクタク呼んできて。望ちゃんが来てるって」
やれやれといった風に竹林に消えていく姿を見送って二人は顔を見合わせて笑う。
「まるで新妻のようじゃのう、おぬし」
「やだ。そんなこと無いよ。この間も喧嘩したし」
「想像するだけでも恐ろしいのう……おぬしらの喧騒は」
普賢は小さく笑って腰に下げていた剣を鞘から出す。
「呉鉤剣って付けてみた。二つ一組で挟み込んで相手を切り裂くことが出来るんだ。もちろん、一本でも
攻撃はできる。まぁ莫邪みたいに破壊力は無いけれども、奇襲攻撃が出来る点は大きいんじゃないかなって
思ってるんだけども……」
攻撃は直線的なものだけではなく、多角的に攻めることもまた重要と普賢はモクタクに常に説いてきた。
始めは何かと反抗的だったモクタクも長い時間を共有し始めてからは師匠の言うところの多角的な攻撃と物の捕らえ方を
朧気ながら理解するようになってきていた。
体格的に小柄なモクタクは正面きっての攻撃よりもその小柄さを生かしたほうが得策だと普賢は考えていた。
まだまだ宝貝を預けるには修行不足は否めないがいずれはと考えて試作品として作ってみたのがこの『呉鉤剣』だった。
「ボクじゃ基本しか教えられないから、あの人にたまに手合わせを頼んでるんだけどもね」
「モクタクも大分成長したのだろうのう」
「うん。望ちゃんに逢いたいってずっと言ってたからね。師叔は遊びに来ないの?って」
「そうか。ならば今度からはもっとちょくちょく遊びに来るよ。わしもおぬしの顔が見たいしのう。
まぁ、道徳ほどは通えぬがな」
最後の言葉に普賢は耳まで赤くする。
「そ、そんなんじゃないよっ。望ちゃんっ!」
「ほれ、亭主のお帰りじゃぞ、息子と」
「望ちゃん!」
確かに三人で並べはそう見えないことも無い。
「亭主?」
どっさりと筍を入れた籠を下ろしながら道徳は太公望を見る。
「おぬしと、普賢と、モクタクが並べば親子のようじゃからのう。差し詰めおぬしが旦那じゃろうて」
「ああ、そういうことか。そうなるだろうな」
嬉しそうに笑う顔。
「んじゃ、晩飯よろしく。奥さん」
呉鉤剣をすっと首筋に突きつける。
「だったらその筍の皮全部むいてね」
モクタクはいつものことだといった風に太公望の隣に座る。
「絶対に師匠の天下ですよ。あの二人が一緒になったら」
「だろうな。それとわしは今夜はここに泊まらせて貰うよ。久々に兵書の話でもするか?」
太公望の戦術論は普賢の理論とはまた違っていてモクタクにとって興味深いものだった。
この少女二人、どちらも一筋縄では行かない。
「危ないだろ!お前、俺を殺す気かっ!!」
「道徳が変なこと言うからでしょ!!」
ぎゃあぎゃあと言いあう二人を見ながら太公望はやれやれと笑った。



持たされた包みの中身はぎっしりと詰められた夕飯。
(ああいうところは嫁だと思うんだけども……言うと怒るんだよな。意外と凶暴なところもあるし)
ひりひりとする頬を摩りながら道徳は扉に手を掛けた。
「天化?」
珍しく静かな室内。どうやら帰ってきた形跡もない。
日も暮れて感じる室温も肌寒い。
(あのガキ……また脱走かましたか!?)
来た道を戻りながら道徳は必死に小さな影を探す。いくら天性の勘の持ち主でもまだ子供。
程無くして騒ぎを聞きつけた太乙や太公望、普賢が集合して一斉に天化捜索が始まった。
「師匠、天化って俺の同期に当たるの?」
「そうだね、そんなところかな。ああ……怪我とかしてないといいんだけども」
府印で場所を探ろうにも普賢は天化を直接に見たことがなくデータ不足。
太公望とモクタクと三人で聞きかじった情報を元に探し始める。
「道徳のところって何百年かに一回の割合で凄い子来るよね」
探知機片手に太乙も。
「道徳真君!!」
ばさばさと翼をはためかせて白鶴童子が舞い降りる。
「どうやら鳳凰山の赤雲もいないようです。もしや天化と二人一緒なのでは?」
赤雲は竜吉公主の弟子の一人。
なにかあったならば崑崙を巻き込む騒ぎになることは必死だ。
(あいつは俺になんか恨みでもあるのか!!)
青峯山周辺には痕跡もない。天化の行動範囲は限られてるはずだった。
「あいつまさか……出かけてた先って鳳凰山か!?」
「だとしたら納得も行くのう」
「コーチ、もしかしたら九巧山かも知れませんよ。普賢さまを一度見たいとかずっと言ってましたから」





「天化、ここ……どこだろう……」
半泣きの赤雲と手を繋ぎ、天化は空を見上げる。
九巧山を目指したはずがまったく見当違いのところを二人はぐるぐると回っていた。
既に日も暮れて久しい。
「どうやって帰ろう……」
「大丈夫さ。なんとかるさ」
どれだけ子供でも、男は女を守るもの。
それは幼い頃から教えられて来たことだった。
強くなければ黄家の男ではない。
父も母も、強くそして優しい人間だ。その背中を見て育った天化にとって今、赤雲を守るのは当然の行為だった。
「少し休むさ。それから考える」
「うん……」
自分の上着を赤雲の膝にかけて、天化は辺りを見回す。
雲行きこそ怪しいが自分たちに害をなすものはとりあえずは見当たらない。
(俺っちが赤雲を守るさ)
幼い二人は身を寄せ合って目を閉じる。
その小さな指を絡ませて。




ぱらぱらと降り出した雨。先刻まで気配窺っていた公主を鳳凰山に帰し、残った面子は捜索活動に専念する。
「あのガキ!!!見つけたら親元に強制送還だ!!」
「そんな事言わないの!天化だって今頃道徳が見つけてくれるの待ってるんだから!!」
どれだけ探しても、二人の足跡さえも見つからない。
「望ちゃん、どうしよう」
「困ったのう、しかし……子供の足で九巧山まで来れるだろうか?」
「普通のガキなら無理だが……天化ならやりかねん。あれは殷の武成王の次男。あの黄家の血を引く子だ」
黄家は代々優秀な道士を何人も輩出してきている。
道徳真君もかつて天化の先祖に当たるものを指導した過去を持つのだ。
「まったく……見つけたら腹筋一万回どころじゃねぇくらいキッツイお灸据えてやらないと……」
口ではそういっても、心配しているのは誰の目にも分かった。
「ボク、もう一回あっちのほうに行ってみるよ」
「わしも行く」
女二人は再度捜索に出ようと足を進めた。
「普賢」
ばさ、と上着が飛んでくる。
「傘の代わりに使えよ」
「風邪引くよ?」
「俺はいい。お前よりはずっと頑丈だから」
「……ありがとう。借りるよ」
雨粒を払いながら分散しようとした時だった。
「お探しの子供は、この子達かい?道徳」
「雲中子!」
天化の手を引き、空いた手には眠る赤雲を抱いて雲中子は進み出る。
「天化!!」
「九巧山に行きたかったんだろうけれども、道を間違えたのか私の庭先に居たよ」
つかつかと歩み寄って道徳真君は天化を見据える。
半泣きでも必死に涙を堪える様。
(一端に男か……いくらガキでも……)
「天化、心配かけたんだから師父に謝りなさい」
「……ごめんな…さ…い……っ……」
やれやれと道徳真君は愛弟子の頭に手を置いた。
「反省したか?」
「……じだざっ……ゴーヂ……っ……」
安心したのか涙声。それでも泣くまいと必死な様。
「デッ!!!」
ぐりぐりと拳で頭を押され天化は思わず声を上げる。
「明日の自主トレ、腹筋一万回追加な」
「鬼ッ!!!」
「何とでも言え。俺はこれから公主の所行って来なきゃなんないからな」
弟子の不始末は師匠の責任。
徒弟制度の厳しい崑崙では当然ことである。
「道徳。このまま天化を帰しても風邪を引くから。鳳凰山は男子禁制でしょう?代わりにボクが行って来るから」
「わしも行くよ。独りよりも良いであろう?普賢」
その名前に天化は声の主を見上げる。
(この人がコーチの……?でも、顔見えないさ……)
僅かに見えるのは灰白の髪と形のいい小さな唇。
すい、と赤雲を抱き上げて二人は雨の中に姿を消していく。
「帰るぞ、天化」
「うん……」
雨の中、手を引いてくれる師はまるで父親のようで。
久しく会わない家族のことを思い出させた。
その日に見た夢は懐かしい日々の夢。
まだ、運命の足音など聞こえない日々の優しさだった。





(今度は間違えないで来れたさ……)
伐りこみの影から天化は庭先の様子を窺う。
道徳真君の後をこっそりと付いてきて、今度は間違いなく九巧山に到着できた。
「望ちゃん、月餅食べる?」
「おお、ご馳走になるとするか。道徳も不憫じゃな。来てすぐさま太乙に連行されるとは」
「あはは。また怪しい薬とか渡されてないといいんだけれども」
桜茶を入れながら女二人はあれこれと話しこむ。
「時に普賢、庭先に子犬が紛れ込んでいるぞ」
「そうみたいだね、出ておいで」
気配で気付かれていたのか天化はそろそろと顔を出す。
「ああ、道徳のところの……こんにちは、天化」
「こ、こんにちはさっ!」
目深く被られた帽子が邪魔をするが、穏やかで柔らかい表情の少女。
(綺麗な人さ……コーチ……)
「今度は迷わずに来れた?疲れたでしょ、お茶でも飲んでいって」
「は、はいっ!戴きますさっ!」
その様子に太公望は笑いを堪えきれずに口元に手を置く。
「ははは。そんなに緊張するか?師匠の恋人の所に来るのは」
それは艶やかな黒髪の少女。
大きな瞳に長い睫。
子供心にも素直に響く健康的な美しさ。
(仙女ってみんな美人ばっかりさ……?)
天化の頭に手を置き、太公望は笑う。
「帰り道は気をつけるが良い。道徳と鉢合わせにならぬようにな」
触れた手の暖かさ。
思えばそれが恋と言う気持ちだった。






「あの後の始末は大変だったんだ。原始さまにはこってりと絞られるわ、普賢には文句言われるわ……
 まぁ、今だから笑い話にもなるけどな」
外見だけを取れば発と道徳はそう変わらない。
一方は一つの国主、もう一方は人間を捨て去り仙人として生きるもの。
同じような年頃でも進むべき道はまるで違う。
「今も昔も、お前は俺に自慢の弟子だよ。まぁ、心配事の種であることにも変わりは無いけどな」
「へいへい」
「鼻水垂らして泣かなくなっただけ成長したか。ははは」
本気でぶつかり合うからこそ、この師弟の絆は揺ぎ無い。
「普賢も帰ったことだし、酒でも出すか?」
「珍しいさね〜。王様、本当に好運(ラッキー)さ。コーチの酒はいいもんばっかりさ」
男三人、あれこれと話しながら夜は更けていく。
覗く月は人の世も、仙人界も同じ。



そして、一人で眠る彼女にも。



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