◆地図に無い場所◆




「おい!!そこのお前!!」
風に靡く紫紺の髪。羽衣を纏って彼女は大地に降り立つ。
「ん?誰だった……?ああ、王貴人だ」
伸びた髪をかき上げて、男はにこにこと笑う。
水を自在に操る彼の名は高友乾。
聞仲の指揮下に居る九竜島の四聖の一人だ。
眼鏡を押し上げて女の顔をまじまじと見る。
「脳みそまで水になったか!!」
「そうでかい声を張り上げるな。俺は耳だけは良いんだ」
岩の上にぺたんと座って、貴人を手招く。
ぶつぶつと文句を言いながらも、女はその隣に腰を下ろした。
「虹鱒が綺麗だったからここで見てたんだ。光を受ければ鱗が七色に輝く。水の中でも
 美しいけども、陸に上げられて息絶えても綺麗なのはこの魚くらいだな」
「……飽きれた。そんなことで私のとの約束をすっぽかしたのか?」
凛とした女の声と、穏やかで低い男の声。
「すまない。これを貴人にも見せれればとあれこれ考えてたら時間が過ぎていた」
まだ太陽は昼の真ん中。
のんびりとすごす時間だけは十分にあった。






きっかけは些細なことだった。
その気性の激しさから王貴人は周辺に敵を作りやすい体質だ。
四聖とは本来は敵同士。上に立つ者通しも穏やかな関係ではない。
「……痛っ……私としたことが……ッ!!」
食いちぎられた右足首は、辛うじて繋がっている有様。
妖怪同士のいがみ合いで負った傷に、彼女は眉を顰めた。
片手を岩壁に置きながらどうにか身体を引きずる。
一歩踏み出すたびに吹き出る体液と痛みに唇を噛む。
「どうした?随分とひどい格好だな。王貴人」
仙気で浮かべた笊に腰を下ろして、男はのんびりと女に声を掛けた。
「……何の用だ!!私を殺しにでも来たか!!」
「なんだ、お前……怪我してるじゃないか」
たん、と降り立って男は貴人の足をじっと見詰めた。
筋組織と覗く白い骨。たっていることも本来ならば困難な痛みであろう。
「きゃ!!」
膝抱きにして男は笊に乗って九竜島の自分の島へと向かう。
「離せ!!」
「そのままでは足が死ぬぞ。そんなに暴れなくても治療以外はしないよ」
「……………………」
失態が妲己に伝わればいくら義理の妹といえどもお咎めなしではすまない。
完全なる君主は絶対的な支配者。
「確か……高友乾……」
「そう。ちょっと前に君の背骨を砕いたのも俺」
王都朝歌を追われた際に、彼女の動きをとめたのは他ならないこの高友乾。
「なら、なぜ私を……」
女の言葉を遮ったのは唐突な一言だった。
「俺、これでも医師だからさ。怪我人はほったらかしに出来ない。それに、女の子の
 足に傷なんか残ったら大変だろ?せっかく綺麗なのにさ」
乾いた大事に染み込む優しい雨。
誰かの優しさは彼女の心に一適の雫となって静かに落ちた。





時間は流れて彼女の足は傷の欠片も残さずに元に戻った。
されっぱなしでは気が収まらないと九竜島のそばに入ってみるものの件の場所には行けずじまい。
「貴人ちゃん?元気ないよっ」
「喜媚姉さま……」
「足、まだ痛い?妲己姉さまに頼んでお薬貰ってこよっか?」
見た目は幼くとも、彼女は自分の義理の姉に当たる。
齢数千年の雉の精霊。時空を駆ける羽を持ち、高い変化の能力を誇る仙界の住人。
「もう大丈夫ですわ。心配かけてごめんなさい。喜媚姉さま」
「よかったっ!!貴人ちゃんが元気ないと喜媚も元気なくなっちゃうからっ」
ちくり、と痛むのは胸の奥。
痛みの消えた足首に触れる指先。
まるで真昼の月のようにぼんやりとしたこの思い。
(何だって言うのよ……この私がどうしてあんな男のことを気にかけなければならないの!!)
苛々の原因は遥か遠く。
空を見上げてため息をこぼすばかり。




「馬鹿じゃないの!?医師のくせに熱出して寝込むなんて!!」
怒鳴り声に高友乾は耳を手で塞ぐ。寝込みの身体には多少きつい女の金切り声。
それでも男の唇はどこか微笑んでいる。
「何がおかしいのよ!!」
「ん……ここに誰かが来るなんて何百年振りだろうって思ってた……」
額の汗をふき取って、真新しい氷嚢に交換する。
その冷たさに表情が和らぐのを見て貴人は小さく息を付いた。
「大体ね、この私がどうして姉さまの敵のお前のところなんかに来なきゃいけないのよ」
「……それもそうだ。どうして?」
身体を起こして、ごほごほと咳き込む。
無意識に背中を摩ってくれた手に男は女を見つめた。
「……分からないわよ。ただ……逢いに来なきゃいけない様な気がしたのよ……」
短く切られた紫紺の髪が、光に透けて魔法の糸のよう。
震える指先を伸ばせば、それを受け止める柔らかな彼女のそれ。
「こんな綺麗な手をしてるんだ……もっと早く気付けば背骨折ったりしなかったのにな」
「な、何よ……急に……」
「俺さ……あんまり誰かに優しくされるの慣れてないから、ちょっとしてことでも過剰に
 反応しちゃうのかな?君がわざわざここに来てくれて、怒鳴り声上げてるのに凄く嬉しい」
伸びた空色の髪と女のような白い肌。
多少頼りない体つきと形の良い唇と意思の篭った瞳の色。
「できれば、もう少しここに居てくれるともっと嬉しい」
「……お前には借りがあるから……治るまでなら居てあげても良いわよ……」
「本当に?」
手を伸ばして眼鏡を取る。
「もっとちゃんと君の顔が見たいからね。王貴人」
石琵琶の美女は、静かにしていれば彫像のような美しささえあるのに。
一度口を開けば言葉は石礫となってしまう。
「だから俺のことも名前で呼んで。友乾って」
生まれたての感情に名前を付けるならば、きっとこれが『恋』の始まり。
君と出会えたことへの館舎とこの先の運命への哀願を。






生まれてから一度も厨房などにたったことの無い貴人にとって、調理器具というものは未知なる物。
人間でも妖怪でも噛み千切って飲み込めばよかっただけのこと。
王宮に住まうようになってからは腕利きの料理人が贅を尽くしてくれる。
与えられるのが当たり前で与えることなど今まで無かったのだから。
「危ないから、俺が代わるよ。貴人はそこに座ってて」
椅子を指されて渋々とそこに座る。
慣れた手つきで男は野菜を刻んで米と一緒に土の鍋に掛けた。
煮込まれるたびに生まれてくる匂いは素朴ながらも暖かで食欲を静かに刺激する。
「私は何をすればいいのよ」
「味見して。俺、今さ……味覚無いみたいだから」
隣に立って小皿を受け取る。
「悪くないわよ。美味しい……でも、どうしてこんな面倒なことするのよ」
「面倒?普通だろ?」
「だって肉ならその辺を歩いてるじゃない」
その言葉に高友乾は思わず噴出す。
「何よ!!何がおかしいのよ!!」
「確かにそうだ。その辺の人間でも妖怪でも腹に入ったら一緒だもんなー」
鍋に蓋して、貴人の手を取って庭に出る。
芍薬を始めとして生薬になる花々が所狭しと咲き乱れていた。
鮮やかな赤から淡い桃。儚げな白はむしろ青に近く、頭を垂れる果実は穏やかな緋色。
「これ全部、薬の元。貴人の足に使ったのもここから取ったやつ」
「綺麗ね……花は好きよ。お腹にはたまらないけども」
何本かを切って、小さな瓶に活けこむ。
「お腹いっぱいにはならないけど、なんか幸せな気がしない?」
ただそこにあるだけ、咲くだけの花たち。
「そうね……綺麗だわ……」
「ただ飲み込むよりも、少しだけ形を綺麗にするだけで何倍も美味しい気がするんだ。
 そこに、誰かがいてくれればもっと美味しい。たとえそれが腐った死体でもね」
どこだって地の底だって、君と行けるならばきっと素敵なところ。
迷わないように手を繋ごう。
たくさんの扉を潜り抜けて走りたい。
誰でもない君と一緒に。




晴れない心は日増しに膨らんで、今にも破裂してしまいそう。
誰かがそれは恋だと囁く。
(なんで私があんな男を好きにならなきゃいけないのよ。第一、妲己姉さまの……)
もうあの無残な傷は無い。足に残らないようにと彼は薬を調合してくれたのだ。
文句の一つでも言ってやろうかと九竜島へと向かう。
「ああ、貴人だ。ちょうど良かった。散歩に行こう」
「…………………」
言われるままに男の隣を歩く。
岩場を越えて眺めの良い場所に二人で座り込んだ。
「具合はもう良いの?」
「あれ以来すっかり熱も出なくなったよ。君を引き止める理由をなくしちゃった」
「引き止める理由?」
「もっと一緒に居たいって思ったんだ」
耳に沈む、低く優しい声。
「違った出会い方したかったなぁ……背骨折って瀕死にさせるなんて全然浪漫的(ロマンティック)じゃないや」
劇的な出会い方をして、運命的な恋に落ちることが出来るのならば。
時間を巻き戻してどんな言葉を選ぼうか。
「そうしたら、貴人がもしかしたら俺のこと好きになってくれたかもしれないのに」
「な……何言ってんのよ……」
喉の奥で生まれた言葉が行き場を求めて暴れまわる。
「アンタなんか知らないわよ!!どうしてこの私がアンタなんか好きにならなきゃいけないのよ!!」
ぼろぼろとこぼれる涙。
「泣くなよ」
「泣いてなんかいないわよ!!」
指先がそっと涙を払う。
「頼りないし、女の子みたいだし、妲己姉さまの敵だし、脆いし弱いし面倒だし……
 わけの分からないことばっかり言うし……ッ……」
拳で涙を拭う。
「でも……好きなのよ……っ……」
「はいっ!?」
「アンタのことが好きだって言ってるのよ!!」
涙交じりの告白は、おまけに喧嘩腰。
「本当に?」
「もう知らないわよ!!」
「待って!!だって……嬉しくてなんていったら良いかわかんなかった!!」
一秒よりも小さな数字でも、長く一緒にいたい。
「俺も、貴人が好き」
「………………………」
「何とか言えって」
「知らないわよ!!一々煩いのよ!!」
岩場の影に咲いた小さな花。
ただ一人だけ生まれたての恋人たちの会話に耳を欹てて居た。





指を絡ませるだけで気持ちが穏やかになって、肩を寄せるだけで満たされる何か。
不似合いな二人かもしれないが、それでも自分たちは幸せだった。
「二人で見る月も良いもんだね。いつもよりも綺麗に見える」
「そうね。そんな気がするわ」
秋風は優しく頬を撫でて、その冷たさは身体を寄せ合うきっかけをくれるから。
厚意を断らずに甘えることにした。
「くっついてるとあったかいし」
「そうね……あったかいわね……」
額に何気に触れた乾いた唇に、胸がどきん…と早くなる。
「こっち向いて」
両手が頬を包んで、視線が重なった。
「目、閉じて」
鼻先にちゅ…と降る接吻。
ゆっくりと柔らかな唇に、男の乾いたそれが重なる。
ただ触れるだけの口付けなのに、ひどく甘い気がした。
「もう一回してもいい?」
「一々聞かないで!!」
「許可貰っておかないと殴られそうだし」
誰かの暖かさを知ることと、自分の心を知ること。
見果てぬ夢の始まりに、もう一度瞳を閉じた。





幸せの青空は澄み渡り、まるで水面のよう。
緋色の包みから出てくるのは三段重ねの箱。
「すげー……これ、俺のために?」
「ち、違うわよ!!多く作りすぎただけっ!!あんたのためなんかじゃ……」
それでも、重箱を押し付けてくるのは彼女の気持ち。
「ありがとう、貴人」
「べっ、別にあんたのためじゃないって言ってるでしょ!!」
形よりも気持ちの入った中身に、高友乾は目を細めた。
厨房になどたったことのない彼女は、一体どんな顔をしてこれを作ったのだろうか?
そんなことを考えるだけで口元が綻んでしまう。
「……指、切ったのか?」
「違うわよ。ちょっと失敗しただけよ」
「……うん、ありがとう……」
一つずつ分かり合えばいいだけのことと気付くまで、随分と遠回りをした。
「ごちそうさま、美味しかった」
今はまだ知らない未来。
穏やかなこの日差しを浴びて二人だけで笑えるこの世界。
「そうだ、ちょっと目、瞑って」
「こう?」
「うん」
指先に感じるわずかな冷たさ。
「………………」
「ちょっとでかいかな?」
小さな指輪が光を受けて輝く。
透き通る空に流れる羊雲。水面に浮かぶ羊草。
「まぁいいや、そのうちもっとちゃんとした奴送るからこれでちょっと我慢して」
君が笑ってくれるなら、どんなことだって出来る気がしていた。
望むならば雨の日でも太陽を引きずり出そう。
「……馬鹿……」
「馬鹿で結構。そのうち貴人も馬鹿になってくれるといいなぁ……出なきゃ恋じゃないだろ?」
周りから見ればはた迷惑なほどがちょうどいい。
琥珀の太陽はただ笑うばかり。
「馬鹿になんかならないわよ」
「いーや、絶対になるね。自信あるもん」
「それ以上馬鹿になったら話にならないわよ!!」
喧嘩ができるのはそれだけ近くに居られるから。
こうして顔を見合わせられるくらい近くに。
「馬っっ鹿みたい!!」
「馬鹿でいいもんね」
鳴り響く幸せの鐘の音。
きっとずっとにぎやかな日々が自分たちを待っている。



爪先立ちすれば越してしまう身長でも。
肩が並んでしまっても。
しっかりと絡まるこの指先の温かさ。
ただ二人で在る事を幸せに思った。





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21:20 2005/11/15















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