◆禁忌◆






失って始めて知ることもある。
それが世間ではさげすまれるような思いであっても。
誰かを恋しく思うのを、一体誰が咎めることが出来るのだろう。
この隔離された空間で持て余す思いと身体。
あの夜を最後に、彼が鳳凰山を訪れることはなくなっていた。
いや、そればかりはない。
彼の消息は掴めずに、まるで元から存在し得なかったかのようにすら思わせた。
それでも、痛む胸と軋む身体がそれが幻ではないと訴える。
胸の奥に刺さった小さな棘は抜けることなく、奥へ、奥へと沈んでいくのだ。
秘めたこの思いを道連れにして。
「ここは、誰も来る事の出来ぬ場所……おぬしも自らここに来ようとはせぬであろう?」
道徳の頬に手を当てて、公主は自分のほうに引き寄せる。
「……そうだな。貴女の存在自体が……崑崙(ここ)の秘密だ」
首筋をなぞり上げる舌先に震える身体。
仙界一と歌われるその美しさと儚さ。
硝子で出来た花のように脆く、力など込められないようにさえ。
「……あ……っは……」
そっと組み敷かれて覆いかぶさってくる男の頭を抱く白い腕。
鎖骨を噛まれて身震いする間に唇は張った乳房へと。
「んんッ!!あ、あっ!!」
ぎゅっと掴まれて、舌先が乳首をぺろりと舐め上げてくる。
柔らかい谷間に沈む頭。
交互に舐め吸われてただ喘ぐしかないこの浅ましい身体。
今、自分を抱くのは違う男。
異母弟を知り、同じ階位に居る別の男。
乳房をなぞるように唇は這い、そっとその先へと向かう。
窪んだ小さな臍も、海原の様になだらかなその白い腹も。
「あ、ぅん!!」
ぴちゅ…唇が濡れ始めた秘所に触れる。
じゅるり。音を上げて吸い上げれば呼応するようにとろとろと半透明の体液が奥からこぼれて。
指先を濡らすそれを絡めて、熟れた突起を擦り上げる。
そのままきゅっと摘むとびくん、と括れた腰が跳ねた。
くり…とやんわり攻め上げてくる指先。
「あ!!あんッ!!っは……」
時折迷い込む仙道を褥に呼び、仮初に肌を合わせる。
泣きたくなるような月の夜、同じ血を持つ男に女に変えられた。
赤く熟れた苺のような月は、寂しさを倍にするから。
「ん!!!や、あああァァっ!!」
その声は鳳凰山の監守ではなく、女の声。
男に抱かれることを甘受する一人の女。
びくん。悶える腰を押さえつけてなおも舌先を奥へと進める。
「っは……あ!!!ああっ!!」
ちゅっ…離れる唇。
意思とは裏腹に身体がそれを追う。
「あ……」
こぼれる体液を掬った指が口腔を犯していく。
両手でその手を掴んで、入り込む指に舌を絡ませた。
ちゅる…と吸い上げて、ぎゅっと目を閉じる。
「……っふ……」
引き抜かれて光る糸を断ち切る指先。
「……ああ……」
膝を折られて、入り込んでくる感触に吐息がこぼれる。
あのときよりもずっと従順になった身体は男を容易く飲み込めるようになっていた。
「…あ!!……う……んんッ!!!」
突き上げられるたびにじんじんと甘い眩暈が駆け巡る。
恐怖感も、何もかも。
ただ、火照った身体を持て余していただけ。
熱いのは器だけ。心はもっともっと、奥底に閉じ込められた。
小さな鳥篭の中、鍵を持つ男はその姿を見せないままに。
「……ひ…ぅ!!!あ、あんッ!!!」
甘く甲高い声。
傷一つ無い身体。
無垢と歌われて、誰もが羨望のまなざしで見つめる美女。
その誘いに乗らない男はいないだろう。
細い腰を抱えるようにして、ぐ…と繋ぎ止める。
(……寂しいのは、誰も同じ……か……)
優しさと憎しみは表裏一体で。
(誰を思って……いや、聞くまい……それはしてはいけないことだ)
縋るような指先が求めるのは今ここにはいない誰か。
絡まる細い脚。軋む腰骨と収縮する空の子宮。
「ああっ!!!や、あああァァっっ!!!」
自分を見つめる目。
抱いてくれる腕。
背丈も、身体も似てはいる。
(……何処に……)
それでも、同じようで何もかもが違う別の男。
ぎゅっと抱きしめられて感じるにおいも、その肌の熱さも。
本当に欲しいものではないから。
(こんなに思っても……一人……)
笑うことも、泣くこともなく只一人…月を見上げるばかり。
「あ、ん!!!」
絡めた舌先。舐めあって、噛みあう唇。
「ああああッッ!!!!」
涙で霞む視界。
ぼんやりと見える姿に手を伸ばして必死で抱き寄せる。
もう、離すことのない様に。
離れてしまわないように。
「……燃燈…ッ……」
小さく小さく呟いた声。
聞かなかった振りをして、男は女の中に己を吐き出した。






ぐったりとした身体に絡みつく長い髪。
己の胸で眠る仙女をそっと離してその姿を彼はじっと見つめた。
(その思いは、誰にも言えないな……公主……)
同じ階位を持つものとして、同じ男として燃燈道人が公主の元に身を置くことが出来ない辛さは痛いほどわかる。
ただの男と女ならばまだしも、この二人は父を同じとするものなのだから。
彼女を守るために鳳凰山は男子禁制とされ、厳重な警護の下に置かれている。
自分のように何かがなければ普通の仙道は入ることすらままならない。
(いっそ、ただの女になれれば楽なんだろうが……崑崙には貴女が必要だ)
仙界きっての実力者である以上は、勝手なことは許されない。
いや、例え階位を投げ打ったとしてもその思いは成就させてはいけないことなのだ。
禁忌。そんな言葉に置き換えてしまえば簡単で。
それだけで心を封じ込めることは酷く困難で苦しいこと。
(俺が、貴女に触れるのはこれが最初で最後……だから……)
眠る彼女の頬を、伝う光る雫。
(……貴女が呟いた男の名を、知る者は誰も居ないから……)
そっと払って、何事もなかったように立ち去る。
それが、彼に出来る唯一のことだった。








燃燈道人が姿を消したあの日のことを忘れる十二仙は誰もいないだろう。
皆が見つめるその中で彼の身体は地上へと落下して行ったのだから。
一二仙同様、公主も見つめる中で。
(燃燈!!)
ゆらゆらと揺れる思いは、見開いた目に映って。
落下しながら彼は小さく笑っていた。
(……異母姉さま……心配は要りませんから……)
静かに目を閉じて、彼は彼女にそう言った。
いや、その声は聞こえてはいなかっただろう。
それでも、彼女にははっきりと聞こえたのだから。
伸ばそうとしたその手は触れることなく握られるだけ。
離れて初めて分かった自分の気持ちに唇を噛んでも、もう、戻れない。
止まってしまった時計の針。
空席になったままの師表の階位を見る度に彼女の胸はちくり、と痛んだ。
それでも、その思いは誰にも告げられない。
ただ、一人で涙をこぼすことしか出来ない夜。
頬を撫でる風の冷たさに慣れることはなく、ただ、夜半の月を眺めては涙をこぼした。
そして、時間は過ぎ去り空欄だった最後の一席を埋めたのは若年の仙女だった。
頼りなく、折れそうな少女が異母弟の代わりなど務まるものかと彼女は密かに眉を寄せた。
齢百にも満たず仙人となり、師表十二仙に名を連ねる。
それがどれだけ稀有なことなのかは彼女が一番に理解している。
だからこそ、同じ女であるからこそ、彼女は少女を疎ましいと思った。
いや、例えそこに名を置くのが他のものであっても同じだったであろう。
誰であっても、男の代わりになるものなど居ないのだから。
空欄を埋めることは、彼の存在を否定しているかのように思えて。
始祖の仕打ちに生まれた小さな暗い気持ち。
人間ではく、仙人同士の間に産まれた彼女にはなかった感情。
(……燃燈の代わりをあの様な子供が務める?話もならぬ……)
予想とは裏腹に、少女はその手で師表を纏め上げていく。
そして、その中の一人と恋に落ちた。
同じように本来は禁忌とされる恋だった。
それでも違うのは、自分のように誰に告げる事が出来ないわけではないということ。
回廊ですれ違うたびにその背を一瞥する。
(邪魔だ……燃燈が帰る場所が……)
始祖はことのほか彼女を贔屓するのが公主の心を抉った。
少女の背に降りかかる運命など知らずに、彼女はただその背を見つめていた。







「待って、そんなに早く歩けないよ」
息を切らせて普賢は手を伸ばす。
「すまない、うっかりしてた」
その手を取ってきゅっと指を絡める。
抱えた書簡と巻書。道徳真君に半分、普賢真人に半分。
いまや知らぬものなど居ないであろうこの傍迷惑な恋人たち。
呆れながらも教祖も認めつつある関係だ。
「……仲の良いことだな。御二人」
水の仙女は唇だけで笑う。
「……公主……」
たった一度だけでも、他人になりきれない何か。
「羨ましいものだ。逢瀬を重ねられるというのが」
「………………」
その視線に伏せることなく、普賢はしっかりと見つめ返す。
「忘路の思いは、要らぬな」
耐え切れずに目を逸らしたのは男のほうで。
女はその言葉を読みながら同じように唇だけで穏やかな笑みを浮かべた。
「散り行く勿忘草……いいえ、散らすまいと?」
重なる視線を外して、彼女は前に進む。
「行こう。これ全部終わらせなくちゃ行けないんだから。元始さまに叱られるよ?」
「……そうだな。俺一人じゃこの半分もこなせない」
小さくなる二つの影を見つめながら彼女はため息をこぼす。
別に、男に対してなんらかの情があったわけではない。
あの夜は互いに忘れたものにしていたのだから。
幾度となくすれ違っても、意地の悪いことなどしたこともなかった。
違ったのはその少女の姿を見たから。
自分には出来ない恋に嫉妬したのだ。
ちりり。痛む胸。
抱えて眠る夜の寂しさにはまだ慣れることはできなかった。







鳳凰山に降り立ち、普賢は公主の元へと向かう。
男子禁制である鳳凰山ではあるが、仙女である彼女にその盾は通用しない。
「こんにちは」
簾を開けて、その奥に座する主に普賢は深々と頭を下げた。
「何用ぞ?」
「無駄話を。いけませんか?」
弟子に促されて彼女は側の席へと通される。
「先日は、無礼を」
「何ぞあったか?」
「はい。貴女がボクに」
男の過去など、嫌というほど耳にしてきた。
流した浮名は過去のもの。それがどうしたということもない。
真向からぶつけてきたのはたった一人だけ。
それがこの女だった。
「掛かる月も、勿忘草も、お嫌いですか?公主」
愛する男の席を奪う形となった少女は静かに笑う。
「……お前に何が分かると?儂のことが」
「はい。ボクには貴女のことはわかりません。同じように、貴女もボクたちのことなんて分からない……」
ふ…と翳る瞳。
「彼を、傷つけるのだけは御止め下さい」
「お前がその階位を降りるのならば」
「そうできるのならば、喜んで降ります。この様な大層な階位……ましてや燃燈様の跡目などボクには務まりませんから」
弱々しく見えた少女は、自分の意思で恋に落ちたことを証明するような瞳を持っていた。
「儂は……嫉妬したのだな。お前たちに」
「嫉妬?」
「憚ることなく、恋を謳歌できることに」
はらはらとこぼれる涙。
「告げられぬ思いは、何処に?何処に……置けば良い……?」
震える指先をそっと握り、彼女は公主を見つめる。
「異母弟(あやつ)が、帰る場所を作っておきたかった……」
「公主……」
「儂は……儂は……ッ……」
ぽろり、ぽろり、落ちる涙は指先越しに少女に移る。
「勿忘草は、真実の愛と言います。あそこに咲く花は、それに違わない」
あの日、燃燈が残した花。
『私を忘れないで下さい』と、意味を解していた。
その花に込められたもう一つの彼の思い。
ただ愛するのは貴女一人……そう囁く声が聞こえた気がした。









「あのね、毎回言うようだけども、少しは自分で何とかしようとは思わないのかな?」
困ったように小首を傾げながら、普賢真人は道徳真君を見つめる。
「頭使うのは苦手なんだよ」
「分かってるけれども、毎回毎回ボクが手伝うのは道徳にとって良くないと思うんだ」
「今回だけ!頼むっ!!」
拝み倒す姿に、くすくすと笑う声が振ってくる。
「相変わらず仲が良いな。うらやましいことだ」
「公主」
「道徳や、あまり普賢に苦労を掛けるではない。鳳凰山の仙道全てを敵に回す事となるぞ?」
冗談めいた脅迫は、笑い混じり。
「ほら、公主だってそう言ってくれてるんだから。たまには自分でやりなさい」
どさり、と手渡して先に帰るようにと促す。
その背を見送って普賢は公主のほうに。
「男とは、皆ああなのかも知れぬな。どうしようもなく、傍迷惑で……愛しい」
「うん……そうなんだと思う……」
「子供の面倒を見るのは大変であろう?愚痴ならばいくらでも聞くぞ」
「あはは。ありがとう。近いうちにお邪魔しそうだよ」
振り返って、手を振りながら普賢は彼の後を追う。
(なんとも……同じ女か……互いに業が深いのう……)
その後、鳳凰山を何度か訪れる普賢の姿が見られることとなる。
告げられない思いは互いにありすぎて、誰かに聞いて欲しい。
甘いだけの恋ではなく、甘えるだけの女にはなれない二人。
笑いあう声がこぼれる陽だまり。




ただ、恋をして。
ただ、思いを重ねた。


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