宵篝、笹の葉の揺れる音、夏の風。
爪先が触れる空気はどことなく生暖かい。


「昌、これはこのままでよいのか?」
姫昌の膝に乗りながら少女は治水工事の製図を広げた。
「呂望はどう思う?」
「わしは……ここを少し直したほうがいい気がする」
小さな指が指し示す部分を、彼は筆で改めていく。
外見に合わずに彼女は多角的な才能があった。
宰相たちも始めは眉を細めたもの、政治理念を見事に論破されてからはあれやこれやと彼女に構う。
西岐城で過ごすのが当たり前のようになりつつあった。
「疲れただろう?あとは俺がやっておく」
「昌がするならばわしもする。疲れているのは一緒だ」
片手で少女を抱きながら、西伯候は山積みされた書類を片付けていく。
「父上」
「伯邑考」
「僕も何か父上のお手伝いがしたいのです」
しかしながら子供の彼に出来ることは無い。
姫昌が頭を捻らせていると少女は子供の前に歩み寄った。
「伯邑考というのか?」
「はい。あなたは?」
「わしは呂望。父の手伝いがしたいのだろう?」
少女は書きかけの書を床に広げて子供の手に筆を握らせる。
「これと同じように印をつけてくれるか?」
「はい!」
嬉しそうに指示された印を書き込んでいく。
「呂望はずっとここに居るのですか?」
「ずっと……居られるとよいのだが……」
瞳が悲しそうに曇る。約束は出来ない。
「ここにずっと居てくれたら、僕の母上になってくれますか?」
「…………」




「あれの言うことは気にしないでくれ……早くに母を亡くしたものでな」
窓に腰掛け、夜風に髪を泳がせる少女。
さらさらと夏の風に流れていく。
「同じか……わしにももう身寄りは居ない……」
それでもこの身体には姜族の血が流れているから。
「昌、おぬしならこの世界を変えられるのではないか?」
男の唇が額に触れる。
「俺一人でどうとなることでもあるまい……やれることをやるまでだ……」
「その時はわしも昌の力になりたい」
「なら……ここに留まってくれるか?」
「……おぬしがそう……望むなら……」
触れ合う唇が、離れるのを拒む。
少し震える身体を抱きすくめられて目を閉じる。
「俺の妻になってはくれぬか……呂望……」
「そう……望むのなら……」
落とされた寝巻きは床に。細く幼い裸体が露になる。
「……恐いか……?」
「少し……でも……」
そっと男の背に手を回す。
「昌なら……構わない……」




敷布の冷たさを感じながら、肌を滑る男の手の感触に酔わされる。
傷をつけないように、気遣いながら触れてくるその指が愛しい。
「綺麗な身体だ……」
「見たのは昌だけだよ……」
「呂望?」
「道士を辞めたら……ずっと一緒に居られる?」
おずおずと絡めてくる腕。
「……今だけでも、道士ではなくて、呂望でいたいの……」
それは一瞬の幸福でも構わないから。
あなたの腕の中に居るときは一人の女で居たいのです。
「……呂望……」
不完全で未熟な肉体。
押し割って身体を絡めた。
泣きながらしがみ付いてくるその腕と、声。
離したくないと思った。
手放さなければならないと知っていても、触れずにはいられなかった。
「…っ……あ!……」
「……痛むか……?」
目尻に口付けられて少女は首を振る。
「今……こうして居られるだけで……望は幸せです……」
例え離れ離れになることが分かっていても。
あなたを愛したことを忘れることは無いから。
あなただけ。
生涯一人だけと決めたから……。




「師叔!いい加減に崑崙にお戻りになったらどうですか!!」
業を煮やした仲間がばさばさと翼を広げる。
「嫌だ。わしはここに住むことにした」
ふいとあらぬ方向を向き、少女は歩き出す。
「師叔!!」
ため息をつきながら、困惑する道士。
「呂望のお客人か?」
「西伯侯……あなたからも師叔に崑崙に戻るように言ってくださいませんか?」
「……できれば俺も呂望を還したくはないのだが」
「あの方は教主様の直弟子です。いわば崑崙に選ばれたお方。こんなところで油を売っている暇は
ないのですよ。なのに師叔はまったく帰還するつもりも無く……ああ、もう……」
「道士を辞めるといってもか?」
「今なんと……?」
「道士を辞めれば崑崙に帰る必要も無いであろう?」
羽が一枚、風に乗る。
「あの方は崑崙のものです。決してあなたのものではございません」
見透かしたような声。
「いずれこの世界はあの方を必要となさいます。それが崑崙に選ばれてしまったものの宿命と教主は申しておりました」
頼りなく脆い少女は世界に選ばれたという。
「ご縁があるならばまたあなたも師叔に会えますよ。あなたが強くなるのならば。世界に選ばれるように」
羽は少女の背に触れてその身体を鳥篭の中に封印した。
「白鶴!!何のつもりだ!!」
「崑崙につれて帰りますよ。西伯侯」
「嫌!!!ここに残る!!!嫌!!!!」
宙に浮いた籠は道士の足元に。
「呂望!」
「昌!!助けて!!!帰りたくない!!」
伸ばした指が微かに触れる。
「先にお戻りください、師叔」
強制転移で籠は一瞬にして消えた。
「あなたが世界に愛されればいずれまた師叔に会えますよ、西伯侯」





そしてどれほどの月日が流れただろう。
少女は太公望と名乗るようになる。
少しばかし破天荒だが知に長け、人の心を重んじる道士。
そして『封神計画』を一任されるほどの実力を持ち得るようになった。
懐かしい西岐。
その山奥の小さな岩場で釣り糸を下げる。
「釣れますか?呂望……」
そこに佇むのは確かに愛した男の姿。
「大物がかかったようだよ……昌……」
伸ばされた手。
「逢いたかった……ずっと……ずっと!!」
少し大人びたその姿。
「私は年を取りすぎた……」
「変わらぬよ……昌は昌のまま……」
世界は二人をひっそりと包んでいく。
「あなたは綺麗になった……随分と……」
「望は……昌のものです……これからもずっと……」
耳に伝わる鼓動。
ずっと求めていた。
触れ合った魂が二つ。
夏の風が優しく包んでいた。

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