◆策士◆




(なんとも頭の痛い連中を相手にすることになったのう……)
横目で四不象に後ろに下がるように命じると太公望は眼前の三人を見据えた。
褐色の肌に金の髪。長身の長兄。
細くがりがりとした小さな身体の次兄。
巨漢の三男は常に菓子袋を離さない。
(さて、どうするか……流石は趙公明の兄弟……)
風の中、太公望は前を見据えた。
「噂通りの美少女か……たまんねぇよな」
「わしの相手はおぬしらか?趙公明以外とやりあうつもりはわしにはないぞ?」
打神鞭を下げて、彼女は小さく笑う。
妖怪にはない人間のしなやかさと脆さ。
「ファムファタル。どうやら……アンタみたいだな」
笑う男を見据えて、太公望は仕方ないと打神鞭を向けた。








「あんまり無理しちゃいけないね」
天化の腹に包帯を巻きつけて、其の先をきつく結ぶ。
「でも、気に入った。お前になら……太公望を預けられそうだ」
白鶴童子と共に再び地上に戻った雲中子が笑う。
ぴん、と指先が天化の額を突く。
「傷の縫合と、投薬だけはしてあるけれども……只の傷じゃないね。この私の作った止血薬がまったく効かないなんて
 ……痛み止めは必要かい?」
雲中子は小さく唇を噛む。
崑崙で最も薬学に優れているのは他ならない彼女自身。
其の実績は未だに誰にも塗り替えられてはいない。
生きてさえいれば体がどの様に破損していても原型に戻す。
太乙真人とは対照的なスタイルの仙女。
「怪我人ばっかりだ。太公望も無事だといいんだけれども」
蝉玉にカプセルを渡しながら彼女は船を見つめる。
「俺っち、師叔のところに……望のところに行かなきゃ」
「ダメだね。今、君を向かわせれば私が太公望と道徳に叱られる」
血はしっとりと包帯に染みて、赤く其の箇所を指し示すようで。
「でも……ッ!!」
「……庭の掃除と、研究室の掃除と、ああ、そうだ。納戸と書庫も久しく開けてないなぁ」
雲中子は顎に指を当ててうんうんと一人で頷く。
「全部やるっていうなら、二人に取り成すよ?ね、太乙」
「ついでに乾元山のほうも頼めるかい?」
かつて、親友の背中を押したように二人は天化の背を押す。
「もちろんさ!!」
「いい子だ。ちょっとだけ待ちなさい。薬を調合するから」
親友の自慢する弟子は、かつての友と同じような瞳で前を見る。
崑崙に残り、同じようにこの計画の真意を知ろうとするもの。
参戦の命を受け、その剣となり戦場に華を添えるもの。
幾重にも分かれているはずの枝の幹は同じ。
「痛みは無いかい?」
「血が止まらないだけで……痛くはないさ」
蝉玉の腕に包帯を巻きながら太乙真人はその会話を聞いていた。
「止血剤が効かないんだから、気合で何とかしなさい。それに……」
「?」
「君だって、早く恋人の所に行きたいだろう?ヨウゼンも」
「雲中子さま……」
仙女となるときに女を捨てるはずの崑崙で、彼女は未だに現役の女を謳歌する。
それ故に分かり得る感情もあると説くのだ。
捨て去ることで得るものもあれば、失うものもある。
「何時だって、男は女を守りたいもんだろ?女だって男を守りたい事だってあるんだ。その気持ちは酌んでやれ」
「そうね……あたしもハニーの為ならなんだって出来るわ」
仙界の一道士と金螯の大幹部の一戦。
勝率は小さじ一杯の砂糖で海を甘くするような確立だ。
「たとえ、相手がどれだけ強くたって……太公望は負けないよ」
「うん……知ってるさ。師叔は強い」
「あれが本気を出したら、あの趙公明だって倒せるさ。さぁ、皆、準備して。残務処理が残ってる」
風はゆるやかな追い風。
進むべき道を記すように。






趙公明の予想に反して太公望は三人をじりじりと追い詰めていく。
「口ほどにもないのう……其の程度ではわしに触れることも叶わぬぞ?」
「……綺麗な顔に傷がつくからって思ってたけど、それ程余裕はかましてらんないってことか」
雲霄は背後の二人に目配せする。
「とっておきの秘密、行くしかねぇな」
其の腕に持ったのは二つで一組になる宝貝。
「行くぜ!!!金蛟剪!!!」
二つの刃が重なり合い、その刃先から生まれるのは白龍と黒龍。
二匹の龍は退行薄井に向かって其の牙を向いて襲い掛かる。
「げっ!?下の階とは段違いではないかっ!!」
走り回りながら彼女は必死に策を巡らせる。
金蛟剪の破壊力は、仙人界で二番目に位置していた。
雷公鞭のような広範囲に対する威力は少ないが、一転集中の破壊力はおそらく最高位。
「逃げても無駄さ。そいつらは永遠にあんたを追いかけるんだ」
雲霄は小さく「まるで自分の思いのようだ」と加えた。
その牙を交わしながら太公望は走り回る。
(綺麗な手段ではないが、そうも言っては居られまい)
龍と向き合い、風をぶつける。
小さな竜巻など容易く飲み込まれ、彼女の胸元を牙が掠める。
「ああ……ッ……!!」
上がった声は、悲鳴とは似ても似つかぬもの。
それは房事のときの嬌声にも似た甘い声。
「……うわ…ぉ……」
片手で胸を庇いながら打神鞭を振って牽制する姿。
「……嫌、止めて……ぇ…っ!!」
ごくりと息を飲むのが空気を経て伝わってくる。
(掛かったな……今だ!!)
切先を変えて彼女は雲霄の手首に風の刃を放つ。
「!!」
からからと音を立てて床を転がるのは金蛟剪。
「しまった!!」
「掛かったな。この色ボケ仙人が!!」
ぱっと手を離せば道衣には傷一つない。それを見て雲霄はしてやられたと眉を顰めた。
始めから、彼女の仕掛けた罠。
雲霄の性格を見抜いての太公望の策略だった。
「さて、趙公明よ。まだわしとはやらぬか?」
「面白い。力と力。手抜きはしないよ」
重なる運命。
それも面白いと彼女は男を見据えた。
「でも、君はまだまだ本気を出しては居ない……だから」
趙公明は四不象に小さな瓶を投げつける。
「スープー!!」
床に当たって飛び散るその液体はガスとなり四不象を包み込んだ。
「!!」
煙が消えて現れたのは石化した霊獣のその姿。
「さぁ太公望君、これで君は本気を出さざるを得ないね」
「……何処までも好かぬ男め…ッ…」
ぎりりと唇を噛んで彼女は宝貝を構えた。








時間の概念のない空間。
その中で向き合うのは一組の男女。
「とうとう呂望と趙公明があたることになりましたね」
まるでそこに女が居ないかのように、申公豹は呟く。
「あらん……太公望ちゃんったら可愛い名前してるのね」
熟れた巨大な月を背に、女は嘯く。
赤とも、紫とも見えるそれは、異界であることの証明。
「公明ちゃんは強いわよぉ?太公望ちゃんじゃ勝てないかも」
「ならば、私が彼を討ちます。もし……仮に呂望が封神台に送られることがあるのならば……」
静かに雷公鞭の房を撫でて、小さく彼は笑う。
「彼を封神台にぶちこみます。解析プログラムを動かして呂望はそこから取り出しますから」
「やっだ〜ん。申公豹ちゃんったら、恐〜い」
「貴女ほどではありませんよ。妲己」
目の前で微笑み女は殷の皇后にして仙女である。そして男は最強の道士の名を持つ。
ただ、女は少しばかり男の思う少女を忌々しく思うところがあった。
彼女の義理姉妹の一人の『王貴人』を原型である石琵琶に戻し、今もって彼女は人形をとることが出来ずにいるという事実。
千年を越える貴人が八十にも満たない道士に討ち取られたという話は二つの仙界を瞬く間に走り抜けた。
妲己、申公豹、聞仲。
この三人のうちでもっとも太公望の能力を高くし、最も嫌うのがこの妲己。
同じ女である問いことがそれを増徴させるのだ。
「所詮、あなたも人間ってことね」
「ええ……これほどまでに誰かに心を奪われるなんて思っても見ませんでしたよ」
「全てを見物する予定だったのにねぇん。すっかり太公望ちゃんに骨抜きにされちゃって」
くすくすと女狐の仙人は笑う。
額に開くのは妖怪仙人でも高位の者にしか見られない眼。
「趙公明程度には、私の呂望は討てませんよ」
「どうして?」
「彼女の本当の力を見ていますから。それに……」
申公豹はため息をついて、苦笑する。
「何時の世も、男は女には勝てませんからね。紂王が貴女にそうであるように」
「そうね。始祖ですらも、ただの男なのだから」
「始祖……開祖。どちらにしろ私には関係のないことですね」
「あらん。あなたにだってお師匠様はいるでしょ?」
そこまで呟いて妲己はふと言葉を止めた。
「一人だけ、開祖にならない大仙が居たわね。確か……太上老君とか呼ばれていたはず……」
ぷわん。傾世元嬢が甘い香りを漂わせる。
(どっちにしても邪魔だわ。太上老君も、二人の開祖も)








乾元山の研究室の鍵を開けて、道行は韋護を従えてその階段を降りていく。
人の身体を構成する遺伝子のような螺旋の白き階段。
爪先がそこに触れることはなく、ふわりと髪を揺らしながらゆっくりと。
「師匠、何をするんですか?」
「少しばかりな。何、ささやかな仕返しじゃよ」
居並ぶボタンを押す細い指先。
薄桜の爪が翠の光を反射する。
「娘のことは分かるな?」
「ええ。あのお姫さんですよね?」
散らばる電極を彼女は自分のこめかみに貼り付けて、順にボタンを押していく。
「あれは儂にさっぱり似てはおらんと思うておったが……」
最後の一つを押すと同時に、道行の身体を蛍光色と白の光が包み込む。
「!?師匠ッ!!」
ばちばちと光は韋護を拒むかのように激しく炸裂する。
「……なんとも、面倒じゃのう」
光が消えて現れた姿に韋護は息を飲んだ。
見慣れなはずの師の姿ではなく、そこに居たのは黒髪に鷲色の瞳の少女。
「……師匠……?」
「こうなれば、似ているのかもしれんな……」
ふわりふわりと宙を舞い、再びボタンを操作し始める。
立ち上がった画面に浮かび上がるのは封神台。
その内部へ、彼女はゆっくりと侵入していく。
「これは、儂の一部が入っておった場所じゃ。まだ、儂を異物とは見做さぬじゃろう」
その傍らで韋護は次々に変わって行く画面から目が離せなかった。
封神計画の概要はしってはいた。
崑崙の道士として、それに参加することはある一種のステータスにも繋がるからだ。
才無き者は例え年長のものでも、封神計画に抜擢されることはない。
どれだけ師匠の力が強くても必要でなければ崑崙に残されるのだ。
その代表例が太公望。そして天化だった。
共にまだ若年の道士二人。
仙号も得ぬまま二人は封神計画遂行のために選抜されたのだ。
同じ年代でも仙号を得て、師表の一人に名を置く普賢とはまた違う。
「何を……」
「探すのじゃよ。本当の意味を」
三つのパスワードを打ち込み、殻をはがすように封神台の最深部を彼女は目指す。
公主と見紛う姿になったのも視覚プログラムを逸らすためだった。
パスワードの一つにも設定されている彼女のたった一人の子供。
自分が男を見限ることはあっても、彼女だけは鳳凰山の主として男を裏切ることは出来ない立場。
裏を返せば、それだけ男の信用を勝ち得ているということになる。
「碧遊宮の主は……封神計画の実態を知らぬ」
「誰ですか?そりゃあ」
「通天教主って言ってやりゃあ、分かりやすいか?」
その声に道行はゆっくりと振り返る。
「文殊」
「ガキは二人掛かりでやっとだったろ?たまにゃ俺も片棒担がせろや」
「雲霄同はいいのか?空にしたままで」
「お前だって玉屋洞空けてきてんだ。俺に言えた義理じゃねぇだろう?」
ぽふぽふと道行の頭に触れる手。
「老い先短いんだ。後悔はしたくねぇ。同じ過ちは二回やったらただの阿保だ」
三人の目線は画面の中央で鈍く光る命の欠片を見つめる。
太乙真人が作り上げた、封神システムを壊すことなく作動させるための逸品だ。
表面を包む薄い光の膜を一枚ずつ剥がして、その中枢にそっと手を伸ばす。
「封神台の内部システムを見ることは出来ても、肝心のものが見れぬ」
「肝心なもの?」
「収容された魂の行き場じゃよ」
内部、外壁を見ることが出来てもその中間層に位置する場所を見ることがまったく出来ない。
それを道行天尊は不審に思っていたのだ。
「しかし、何故そんな場所を?」
「俺たちの、墓場だからよ。韋護や」
文殊は道行の肩に手を回し、そっと引き寄せる。
「韋護。お前は俺みてぇになるなよ。同じ女から二度も振られるなんざこの文殊様最大の失策だ」
何度も、何時の時も。
子供のことを思って声を殺して涙する彼女に手を差し伸べようとした。
けれども、それは自分の欺瞞であり、偽善でもある。
年月と共に、彼は偽善の定義を少しずつ纏め始めた。
始めは自分の思考を紙に写し取る作業に過ぎなかった。
それはやがて独自の理論となり、後に太乙真人や雲中子、普賢真人に愛読される一冊となる。
『やらぬ善よりも、やれる偽善の方が良い』と皮肉めいた口調で彼は呟く。
そして、この先の残り時間を知ってしまった以上、これ以上の後悔は重ねたくはなかった。
「あれが、儂を求めたのは……あの方に似ておったからだろう」
「……碧遊宮の御大とかつて派手に取り合って挙句の果てにはどちいも墜落死したってあれか?」
小さなため息と、苦笑がこぼれる。
「仕方ねぇだろ。何時だって男は女を取り合って喧嘩すんのさ。二つの仙界だってそうやって出来たんだ」
一度だけ、文殊は道行と夜を共にしたことがあった。
噂に違わぬその身体。
教主を色仕掛けで誘い込み、仙号を得たと揶揄されるだけの産物。
それでも、実際の彼女はごく普通の一人の女だった。
触れていればその温さと柔らかさを離したくなくなる。
他人を包み込む何かが彼女にはあったのだ。
教主が惹かれたのは、おそらくその柔らかい心。
そして、たまたま思った人に似ていたということだった。
間に子供を生すことがなかったならば、道行も今頃は玉虚宮で正妻として仙道たちの采配を取っていたかもしれない。
師表の座は実力で勝ち得た。
いまや崑崙で彼女のことを卑下するものは居ない。
元は人間の仙道が多く住まうこの地は、人間の感情を捨てきれないものの集まりということにもなる。
「趙公明か……いつになっても馬鹿は出てくるということか」
「そういや師匠も一度当たってるんですよね?」
「まあな。金蛟剪さえ押さえれば勝てぬ相手でも無かろうて」
画面を切り替えて、最上階の太公望を映し出す。
「!!」
「どうかしましたか、師匠」
「気のせいか?崑崙の浮力が落ちている気が……」
電極を外すと、いつもの姿にすっと戻っていく。
「落ちてんなぁ……何かが崑崙の力を吸い取ってるってことか」
にやにやと文殊は顎を摩りながら笑う。
「手ェ、貸すか?道行」
「頼む」
ふわふわと浮かぶ彼女を先頭に、三人は外を目指す。
「お姫さんとこか?」
「ああ。韋護」
道行を抱えて、韋護と文殊は鳳凰山を目指す。
教主不在であるならば今の崑崙の管轄は公主の居る鳳凰山を基点とすることになるからだ。
「公主様……」
「慌てるでない。赤雲、碧雲」
二人を従えて、彼女は崑崙の中枢を見つめる。
(これほどまでに強いか……あの男は……)
「竜吉公主」
「文殊さま、道行さま……」
すとん。と降り立ち、道行は公主の隣に並ぶ。
「ここは、無事のようじゃな」
「道行」
並ぶ二人は、似てないようで、似ている。
道行天尊は幼少の竜吉公主の教育係を務めたこともあり、鳳凰山の仙道からの信用も高い。
「男子禁制らしいが、緊急事態なんでお邪魔させてもらった。こっちは道行の弟子だ。問題はあるか?」
女二人、じっと見つめるその先。
運命がただ、手を広げて待っていた。
その行き着く先も見せずに。







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