◆連鎖◆




「さて、これからの予定を立てようか?」
普賢は画面を閉じて振り返る。
白鶴が来たという事はすでに自分たちの行動は下山している教主には伝わっていることになる。
実行犯の普賢の厳罰は逃れられない。同様に道徳も。
指揮したことを問われれば恐らく太乙真人も同罪に処されるだろう。
十二仙のうちの三仙を欠いて聞仲を迎えるのは得策ではない。
「あれのことなら……儂が何とかしよう。おぬしら二人を罪人と処すならば……儂の罪は、どうやっても
拭えぬものとなる。開祖といえどもあれも男ゆえに……」
ふわりと巻き毛が揺れる。亜麻色の髪は色味を強めて緋色のようにも見える。
「今の儂には不思議と恐いものがないのだよ」
「道行……」
瞳の色も緋色掛かり、彼女の意志の強さを現すよう。
欠けた身体は取り戻した。戦地に赴く覚悟も出来ている。
「わしにはこれだけ仲間がおる。何を恐がる必要があろう」
「どっちにしてもボクと道徳の立場はあまり良くはならないね。下手したら太乙も」
すい、と伸びた指が普賢の額に触れる。
「普賢も儂にとっては娘のようなものだ。心配はいらぬ。おぬしら二人にかかる火の粉は儂が何とか
できるはずじゃ。儂にも意地があるでのう」
うふふと彼女は笑う。どんなことであれ、一度は愛して子供を設けた相手。
どんな形であれ、自分の手で終わらせなければならなかった。
「普賢が娘なら差し詰め俺は息子になるのか?」
「儂はそんな息子は要らんぞ」
「酷い言い方だな、道行」
残された時間は出来るだけ有効に使いたい。教主が崑崙を空けるという事態はこの先は恐らく無いだろう。
それだけ今の太公望の立場は重く、責任あるものという事だった。
「娘……か。そうだったらどんなに楽だっただろうね」
普賢は口だけで笑った。
「太乙は下山してるけれども……今なら全員集められると思うんだ。この際だから本当のことを知っておきたいし。
道行……君は知ってるんでしょう?本当のことを」
「…………ある程度はな。だが、儂とあれはもう接点が……」
「彼は今も君を愛してるよ。君の魂魄を閉じ込めるくらいにね。だって、見て。代用品でも封神台は
機能してるんだ。じゃあ……何のために道行の魂をあそこに閉じ込めたのかな……?」
口だけで笑って、普賢は再度画面を立ち上げていく。
それを韋護はじっと見つめていた。
通常、十二仙が一堂に会することは無い。普賢とてまだ二、三度しか面識はないのだ。
「原始様の御考えは……ぼんやりとだけど見えては来たね」
「そうじゃな……ならば儂は文殊の所に行って来るよ。あれは頼りになる男じゃ」
再び韋護に抱えられて道行は文殊のところへ向かう。
それを送りながら普賢は画面に目を向けた。
写るのは太公望と天化の姿。二人から見れば親友と愛弟子の姿だ。
組み合わせとしては悪くは無いが、状況を考えれば戦力不足は否めない。
(望ちゃん……)
画面越しに見守ることしか出来なくて、目を背けたくなる現実は大事な友の首をしなやかに締め上げる。
その手を振り払うこともせず、彼女はただ、前を見つけるのだ。
(望ちゃん……ボクも、君の力にはなれるよね……?)




文殊天尊と向き合わせ、道行天尊は彼の顔をまじまじと見る。
「なんだ、道行」
「儂の前ではその色眼鏡はとれ。文殊」
言われて文殊天尊は眼鏡を外す。少しつりあがった切れ長の目の光は鋭い。
道行天尊同様に前時代の十二仙の一人。いわば先の大戦の生き残りである。
ほんの少しばかり道行が先に仙界入りはしたものの、何かと繋がりはある二人だった。
「元に戻ったんだな。お前」
「ああ、太乙達の力でな。これで、ようやく揃ったのう。崑崙十二仙」
小さな猪口に酒を注いで文殊は口を当てる。
更に二つ作って道行と韋護に進めてきた。
「師匠」
「受け取れ。儂も喉が渇いたからのう」
「んで何だ?世間話でもしに来たのか?道行」
飲み干してほんの少しだけ染まる頬。
「力を貸してくれ、文殊。娘のために」
「お前のためになら貸してやってもいいけどな。お姫さんのためにゃあ、無理だ」
口ではそんなことを言うが、真意は彼女の力に、つまりは公主のために加勢する事。
公主を「姫」と揶揄するのも文殊だけである。
「俺は、お前のためなら多少やばめなことくらいは覚悟は出来てる。なぁ、道行」
伸びた手が巻き毛を掴み、そして離れた。
「あん時掻っ攫っておきゃ、良かったんだな。お前を。しくじった。そんでまた同じ過ち繰り返そうとしてんだ……
俺も進歩がねぇ……前は爺に。今度は若造にか……」
「その気も無いくせに」
互いの心の内を分かりきったもの同士の言葉。
「儂等も老いたのう。文殊」
「ああ、そうだな。爺と婆になっちまったなぁ」
笑いあう姿。
たしかに文殊天尊と道行天尊は同じような年齢なのだろう。
しかしながら文殊は四十も半ば、道行に至っては見ようによってはまだ十代だ。
「師匠も、文殊師伯も言葉に重みないっすよ」
「まぁそう言うなよ、韋護。俺はお前の能力は高く買ってるんだ。道行が弟子を取るなんざ久々だからな。
この女は面倒が嫌いでな、よほどのことがない限り弟子なんざ取らねぇ性分だ」
韋護はちらりと道行を見る。
ただ、にこにこと彼女は笑うばかり。
「んで、お前はどうするつもりだ?お姫さんはあの通り病弱だ。それにあのボンも生きてんだろ?」
「……知っておったか」
「血は繋がってねぇはずなのに、ボンの方お前に似てるのは何でか考えなかったのか?」
「偶然だ。儂はあれには『術』を教えたまで」
「シスコンでマザコンってのはなんともなぁ」
くくく、と文殊は笑う。道行も苦笑するばかり。
「ボン、って?」
「普賢の前に十二仙に居った者じゃ。娘とは……腹違いになる」
「そんじゃ師匠が母親って訳でもなんだろ?」
「ああ。あれが言うには『義理姉さまの親ならば自分の親でもあろう』とな。訳の分からぬことを言うのじゃよ。
まぁ、いずれ分かるじゃろうて、焦るでないよ。韋護」
道行は過去をあまり多くは語らない。
それがかえって疎外感を増幅させるのだ。
韋護は宝貝こそ使いはするが、『術』は使うことが出来ない。
道行天尊は彼に術を教えることはしなかったのだ。
強すぎる力は、必要ない。彼女の教えは一貫している。
「韋護、お前はこの計画の事を知っておるか?」
「仙道の介さない世界のために妲己を倒すって事だろ?」
「表向きはのう……原始は儂までも謀りおって。大法師二人はどう思っておるか……」
同じように全時代からの師表たちはこの事態をどう思うのか。
年若い仙人たちは小さな反旗を教主に翻した。
首謀者は計画の要となる封神台の開発者の一人。
そして、秘策として育て上げてきたはずの懐剣。
「集合させてみるか。原始も居ない今なら可能じゃろうて」
「お前、何をするつもりだ?」
「真実を……見るまでだ」
道行は口だけで小さく笑った。




崩れていく画面を見ながら、ため息だけが時間を刻む。
暗闇と緑の数値。そして警告の赤だけで構成された世界。
肩を寄せ合って、疲れた身体をお互い寄り添わせた。
「今後の身の振り方、考えない?」
「まぁ、よくて降格。悪くて……封神台か?」
「間違ってないね。二人揃って除名くらいはなりそうだね」
「そうだな。大人しく二人で隠居するのも悪くはないよな」
肩を抱くと、珍しく身体を寄せてくる。
「……ごめん。今だけいいから、甘えさせて……あとはこんな我儘言わないから……」
この先、確実に自分たちも戦地へと赴くことになる。相手はそれだけの力と強さを持つ男なのだから。
十二仙総当りで行くしか、倒す術は恐らくない。
「疲れた……色々あったから……望ちゃんががんばってるのにボクだけあなたに甘えるのはずるいかもしれないけれども……
これから、もっともっと大変なことが沢山あると思うから……今だけ……」
甘えることの得意ではない彼女はそっと目を閉じるだけ。
「ねぇ……聞仲強いよね……」
「ああ……強いな」
「勝てるかなぁ……」
「……勝つ。お前は俺が守る。だから、余計なことは考えなくていいんだぞ」
重ねた唇は少しだけ震えていて、乾いた感触だった。
「自信家だね」
「戦士にとっては己の力が武器で、腕が盾だから」
それは力無きものには言うことの許されない言葉。
彼はその身体一つで今の地位を手に入れた。宝貝はその付属に過ぎない。
その過去を誇らしげに言うことも、誇張することもなかった。
生まれ持った戦士の血とでも言うべきか。
「じゃあ……ボクも道徳を守れるようにしなきゃ……」
誰かに守られ、背後に居るだけの女にはなりたくは無い。
一方に依存することは嫌い、向かい合うならば対等でありたいから。
愛するならば、女としてではなく、一人の人間として。
「最強の武器だな、お前なら」
「そう?嬉しいな」
小さな肩に、運命は降りかかる。その火の粉を少しでも祓ってやりたくて手を伸ばすのだ。
「!」
赤い光と共に一枚の大きな画面がゆっくりと浮上する。
その中に写るのは道行天尊。
「普賢、招集じゃ。終南山まで来てもらえぬか?道徳も」
「雲中子の所へ?」
「この機会無くては全員顔を会わせることも出来ぬ。白鶴の動きは儂が止めた」
ぷつりと画面は消えて、二人は顔を見合わせた。
「白鶴の動きを止めた?」
「……道行ならやりかねんな。終南山ってことは黄竜か。雲中子の所を開けたのは」
「行こう、道徳。時間がない」
何もかもが急速に動き始める。回りだした歯車は止められない。
今できるのは、事実を知ることと受け入れること。
たった一つの真実を探し出すことだけ。





十二仙全員が揃うなどということはまず滅多なことでは起こらない。
精々、定例会議と称して五十年に一度あるかないかだ。
「道徳、久しぶりだな!」
「慈航。お前も相変わらずだな。こんどまた酒でも飲むか?」
道徳真君と慈航道人。この二人は何かと仲が良い。
(緊張感の欠片もないよ……この二人……)
「普賢もさ、とっとと嫁に行っちまえよ。こいつ一人にしとくと荒れ放題だぜ?」
(それは十分知ってるけど……なにも皆居る前で言わなくてもっ!!慈航っ!!)
対極府印に触れる指が少しだけ震える。
「慈航、何も普賢は道徳のものと決まったわけではないぞ」
「玉鼎……」
「そうか?俺はてっきりこの二人は一緒になるもんだと思ってたからさ」
慈航道人も物言いははっきりしている方だ。
(やだ、もう……慈航、後で知らないからね!)
「おぬしら、その辺にして席につけ。もうじき大法師二人もくる」
道行の声で引き離され、慈航はまだ少し話したりなさそうにしている。
やれやれと普賢も席に着く。その両隣には道徳真君と玉鼎真人。
円座の中央には議長宜しく道行天尊が座していた。
下界で太公望たちを援護中の太乙真人を除く十一人。
「待たせたのう、道行」
「随分と若返ってきたのう。霊宝」
長く伸びた髪は一纏め。白髪に真紅の瞳。
「こうでもせんと爺と言われるからのう。たまには良かろうて」
「瞿留孫、おぬしもか」
「元始がなあのように老体をしておる。仕方無しにわしらも付き合っておるがのう」
肩の辺りで跳ねる濃紺の髪。同じ色の瞳に顎には無精髭。
共に大法師と称される十二仙だ。
瞿留孫大法師、霊宝大法師、文殊広法天尊、道行天尊。
この四人が前時代の十二仙である。
「おい、道徳……じーさんたち……だよな?」
こそこそと慈航が耳打ちをする。
普段見る二人とはまったく別の雄々しい姿。年の頃は三十前後の男盛りだろうか。
「威厳がないじゃろう?この姿では。何、道行に少しばかりあわせただけじゃ。元始が戻ればこうもしてられんからのう」
霊宝はけらけらと笑う。
(マジですか……御老体二人があんな格好なのは反則……)
ふと、隣の普賢真人に目を向ける。
多少のことでは動じないはずの彼女だが、瞳が若干泳いでいた。
「……普賢……?」
「ちょっと吃驚しちゃった……だって……」
(俺も、渋めな男になれるように努力しようかな……)
揃いも揃った十一人。道行は全員の顔をまじまじと見つめて口を開いた。
「本来ならばここに太乙真人を加えて正式に十二仙だが……矢面に出るのはこの面子。ならば問題はなかろう?」
太乙真人は開発者としての能力を買われて十二仙入りしている。
戦力と見るよりは雲中子と共に後方支援に回るのが適しているタイプだ。
「まずはこの計画は何のために発動しておる?」
ちらり、と慈航を見る。
「何って……仙道の力なしで人間界を浄化するための計画だろ?」
「ならば儂等総当りで行けば狐の一匹くらいは捕獲できよう」
言われて慈航は言葉を詰まらせた。
「ならば、何故それをしないのか?赤精」
「んー……できねぇワケじゃないしねぇ。言うなればわざと泳がせてるってとこか?」
趣旨は何度も暗転する。この封神計画と言う名の元に。
「聞仲の持つ禁鞭は儂等の持つ宝貝とは別物のスーパー宝貝。まともに当たって勝てる相手ではない」
霊宝はふん、と小さく笑う。
「だから、原始は下に赴いたのじゃろう?俺たちが叶う相手かどうかを見るために」
趙公明の持つ宝貝は七つあるといわれるスーパー宝貝の一つ。
仙人界第二位の破壊力持つ『金蛟剪』に対峙する太公望の宝貝は打神鞭。
原始天尊が作った亜流の宝貝だ。
「ああ、ただの道士がただの宝貝を使って、仮にもあちらの三強と称される男……スーパー宝貝を持つものに
太刀打ちできるかを見極めるためにな。もし、太公望が勝つことができるならば儂等にも勝機はある」
聞仲に対峙するのは師表たる十二仙。
そのために力は温存してきたのだから。
「俺たちはあの御方にとっちゃただの駒に過ぎないって事か?」
「簡潔に言えばのう。儂等が今更どうあがこうとも道は変えられぬ」
ふわりと巻き毛が揺れる。
「じゃが……儂がこの姿に戻ったようにあれの計画も少しずつだが狂ってきておる。ここで一花咲かすのも悪くは無かろう?」
「そうだな。大義名分はさて置いて、惚れた女ひとりくらい守らなかったら笑われそうだ」
黄竜道人は横目で道徳真君を見やった。
「崑崙がどうのこうのは知ったことじゃないが、これ以上の邪魔は要らないってことだな」
「道徳も言うじゃねーの」
「当たり前だ。お前も早くそーいう相手見つけろ。慈航」
道行天尊は二人のやり取りを見ながらにこやかに笑う。
道徳真君も、慈航真人も彼女から見ればどれも可愛く思えるのだ。
「道行、お前もゆっくりと老いる道を選ぶのか?」
「ああ、この大戦が終わったらゆっくりと考えることにするよ」
ぱん!と手を叩き、二人を静まらせる。
「さて、いざ聞仲と当たるとなれば指揮官が必要じゃ。崑崙のではなく、儂等のな」
おそらく、崑崙を率いて陣頭指揮を執るのは太公望。
聞仲と対峙するのは自分たち十二人。
「指揮官?」
「相手の位置を知り、打ち勝つための判断能力を持つものだ」
す…と道行は普賢を指した。
「普賢、ぬしが儂等を率いるのだ」
「ボク……が……?」
十二仙の中では最も年若く、仙人としての暦もまだ浅い彼女。
「そんな大役……大法師二人の方が……」
「必要なのは新しき風じゃよ、普賢。ぬしが十二仙に選ばれ、太公望がこの計画の実行者となった所以を考えるがいい。
古きものはいつまでもあってはならぬ。ぬしらの時代じゃ。儂等はぬしの指示に従う」
時代に必要なのは老いたる標ではなく、新しい息吹だと彼女は笑った。
何時までも過去にしがみ付いて進めないままではいけないと。
「新しい……風……」
「そうじゃな。俺等の時代は終わってる。必要なのは新しい風だ」
譲り葉は大地に。繰り返される終焉と始まり。
古きものたちは新しい命の源となる。
「儂等の命、ぬしに渡そう。好きに使うがいい」
その声は凛とした強さ。
「道行天尊、瞿留孫大法師、霊宝大法師、文殊広法天尊。この命、お前に渡した」
四人。強く揺ぎ無い者たちの姿。
「晩飯の時間までに帰ってこれんなら……俺もお前に託すぜ、普賢」
赤精子。少し照れながら小さく呟く。
「小官も、夕刻までに戻れるなら」
広成子も同じように。帽子を深めに被って顔を隠した。
「んー、とっとと聞仲をぶっ倒せばいいだけの話だろ?頭使うのは苦手だから俺は普賢の指示受けるわ」
慈航真人。旧友の道徳真君の肩を叩く。
「早めに帰らんとうるさいのが居るからな。俺にも」
黄竜道人。太乙真人同様に下山中の彼女の顔が浮かんだ。
「ならば私はお前の盾になろう、普賢」
斬仙剣を手に、玉鼎真人は彼女を見る。
「俺は、お前を守る」
繋いだ手は離さないと、道徳真君は笑った。
「皆……」
重すぎる運命に潰されそうな身体。
「ありがとう。みんなの心……ボクが預かる」
生まれてくる新しい時代に、譲れるものは全て譲り渡して行こう。
土に還って、また生まれて来る者たちのための礎になると彼等は言うのだ。
(望ちゃん……ボクもがんばるよ……)
風はまだ小さいものなかもしれない。小さな小さなつむじ風。
革命は些細がきっかけ。ならばその小さき力になろうと。






帰り道、並んで歩く二人を柔らかい風が包み込んだ。
「ねぇ……重圧(プレッシャー)かも……でも……がんばるよ」
「ああ……難しく考えることは無いと思う。慈航が言ってたみたいに聞仲を倒して……帰って来るだけだろ」
彼はそう言って笑った。
それが困難なことだとは十分理解している。それでも、そう言わずにはいられなかった。
「俺とお前は生きて、ここに帰って来る。あの四人みたいに十分生きたんならまだしも俺にはまだ見たい未来があるんだ。
そのためなら……なんだって出来る」
細い肩を抱いて、小さな声で呟く。
「俺と、お前と、いつかここに……もう一人小さいのが来るんだ。それが俺の見たい未来」
「……うん……」
必死に笑おうとしても、零れる涙を抑えることが出来ない。
ぼろぼろと子供のように泣くことしか。
「泣くなよ、綺麗な顔がぐちゃぐちゃになるぞ」
「……うん……」
「俺は、お前とお前の未来を守るよ。だから、何の心配もしなくて良いんだぞ」
「……うん……」
「な?」
重い運命は少女二人の肩に降りかかる。
全てを受け止めて、この空の下で彼女は笑うのだ。
両手を天に伸ばして、まるで誰かを見送るようにその全てを。
「太公望には天化たちがついてる。お前には俺たちがついてる。難しいことなんかじゃない。心配することもない。
だから、安心していいんだ。俺はお前を残して死んだりしない。生きて、二人で帰って来るんだ」
「うん……皆で帰って来よう……」
この風景を守るために。
今、隣に居る君を守るために。
君と二人手を繋いで、行こう。
「普賢、俺はお前を守りきる自信はあるんだ。だから、たまには……俺を頼ってもいいんだぞ」
「道徳は強いもんね。頼りにしてるよ」
「いや、その口調はしてないな。たまには俺にもカッコつけさせてくれ」
少し照れた風に笑って、道徳真君は普賢を抱き寄せた。
「何時だって、どんな時だって、道徳はカッコいいよ」
「え……」
「多分、ボクのほうが先に君を好きになったのかもしれない」
宝剣を手に戦う姿に息を飲んだ。
真っ直ぐで何もにも臆することなく進み行く姿。
それは憧れにも似た気持ちで道士時代の自分の心を捉えた。
そして、対峙して始めって知った歴然とした力の差。
ぎりぎりと歯軋りをして、そして……嫉妬した。
勝てないことの悔しさは彼女の心に棘となって彼の存在を埋め込むことになったのだ。
「でもね、あの時はそれがこういう感情だって分からなかった」
「普賢……」
「ごめんね。可愛い女じゃなくて」
「馬鹿だな……お前が可愛くないって言うならどれを可愛いって言えばいいんだよ……」
上手く言葉が出せないほど、自分の心を隠しきれなくて。
「何も考えなくていい。お前は俺の傍に居て、笑ってれば良いんだ」
ただ、抱きしめるしか出来なくて。それだけが今の自分に出来る唯一の手段。
「泣きそうな顔しないで」
「俺は今幸せなんだよ」
守られるだけではなく、立ち向かう強さ。
大事なものが出来れば人は何よりも強くなれる。
生きて帰る為に、あの場所に帰る為に、生き延びる術を必死に手繰り寄せるから。
「一緒に帰ろうね……まだ見ないこの先の沢山の日々を一緒に見よう……」
「ああ……これから先の数え切れない未来を見ていこう……」
甘い考えなのは重々分かっている。
それが霞みの様な夢だということも。
相手はそれ程の強さと意思を持つ男。無事に帰れる保障など無いのだ。
無謀なのは分かりきっている。
そして、これが最後の大きな戦いになるということも。
分かっているからこそ……信じたい。
自分たちの未来を。
この先に続く道を。




さらさらと崩れる砂時計が置かれた空間。
黄竜道人は終南山の雲中子の研究室(ラボ)の管理室で浮かぶ画面(モニター)を見つめていた。
「雲中子、聞こえてるか?」
「ええ、しっかりと。どうかしたの?」
画面に映るのは微笑む彼女の顔。
「そんなにアタシに会いたい?」
「そうだな、会いたくなった」
「やだ、本当に?嬉しいわ。早めに帰れるようにがんばっちゃおうかな」
雲中子がただ一人自分のことを女名称で使う相手。
それがこの黄竜道人だった。
「冗談はいいんだけど、本題は?」
「いや……お前が戻ったら話すことにするよ」
「そう?黄竜がそんなことで通信使うなんてめずらし……ちょっと太乙何笑ってんのよ!!」
背後の太乙真人がからかい混じりに何かを言うらしい。
「今のこと道行に言うからね!!まったくあんたって本当に馬鹿じゃないの!?」
「おい、そんなに太乙を苛めるな」
「だって、アタシのこと笑うのよ!この男。頭にくるったらありゃしない!!」
雲中子は拗ねた風に画面越しに男にそんなこと言う。
「道行は、無事だ。お前……無理しただろ?」
「道行はアタシの大事な友達よ。太乙もね。友達が困ってるのにほっとけるわけ無いじゃない」
向こう見ずで、勝気な瞳。
自分の意思を曲げない彼女とはぶつかることも多いが、それでも離れることは考えたことは無かった。
「早めに帰るわ。待っててね、黄ちゃん」
「その呼び方はやめろ。痒くてかなわん」
「やだぁ、照れちゃって。可愛いんだから」
赤く引かれた紅は彼女の細い唇を彩る。
爪を磨き、化粧を施す珍しい仙人だ。
女を捨てることを義務付けられた崑崙でおそらくは唯一女であることを主張する通称『変人』は、
薄い画面(モニター)そっと口付けた。
「心配しないで。アタシそんなに弱くは無いわ」
「そうだな。お前の留守の間終南山(ここ)は俺が見てるから安心しろ」
「そうね。庭に水だけちゃんとやっておいてね。杏育ててるんだから」
「ああ」
「それから……あの子が帰って来たら優しくしてあげて。淋しがりやだから」
「ああ……」
他人を振り回し、いつの間にか心の奥底に住み着いた女は時折酷く脆い表情をする。
誰に何を言われても、自分の意思は変える事をしない。
それが彼女を単独で開発班の適任者に押し上げたのだ。
仙号は得ても、大層な身分は要らないと勝手気ままに終南山で研究に没頭していた。
「アタシも淋しがりやだって知ってた?」
「ちょっとはな」
「ふーん……まぁいいわ。じきに帰るから待っててね」
画面を閉じる寸前、雲中子はにこりと笑った。
「さて、俺はあいつに本当のことを言うべきなのか?」
この命は近いうちに消える可能性が高い。
それを彼女に告げるべきか黄竜道人は思案していた。
余計な心労は与えるべきではない。ましてや雲中子は太乙真人同様に後方支援の要だ。
「俺も、生きて帰れるように努力するよ」




それぞれの思いは風に乗って。
その風はやがて新しい動きを起こしていく。
今はただ、前だけを見つめて。










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