◆独白と告白◆




道行天尊を抱きかかえ、韋護は来た道を戻る。
(師匠もただ、のほほんとしてるわけじゃないんだな)
道行は滅多なことでは感情を表に出すことはしない。
たおやかさと言う名の無表情と言ってもいいほどだ。
その道行が白鶴童子に対して怒りに近い感情を見せたことに、韋護は戸惑いすら覚えた。
「師匠」
「韋護、儂ものう……老いたと思わぬか?」
完全体の今、道行天尊は肉体的には若返っている。
それでも、老いたと呟くのだ。
「どうしてですか?」
「今、世界に必要なのは老いたる標ではなく、新しい風なのじゃよ。韋護」
緋色の目は、古き世界を見つめ、その移り変わりを全て映し出してきた。
繰り返される歴史はただ、悲しいことを思い出させる。
人の栄華は瞬きするほどのものでしかなく、かつて自分が人間であったことすら忘れてしまうから。
「太公望や普賢。そして……韋護、お前もだよ」
「……古い物だって大事でしょうよ。俺は、師匠や文殊師伯みたいな人が居てこそ今の世界が在ったと思ってますぜ」
道行はただ、優しく笑う。
「韋護。お前は姿形に囚われぬ子だ……儂の自慢の弟子じゃよ」
「師匠。なんですか急に」
二人の関係を知らないものが見れば、師弟が逆に見える外見の二人。
す…と伸びる指先が韋護の顎先に触れる。
「髭くらい剃ってきたらどうじゃ?男前が台無しじゃぞ」
まるで母が子供に与える愛のように、道行は韋護の成長を見つめてきた。
十二仙の中で最も秘密裏の多い仙女はいつも穏やかに笑っていた。
その小さな身体に罪を抱き、進むことも退くことも出来ないまま。
そして、全てを取り戻して自分は過去のものだと呟くのだ。
「師匠。俺……もっと早く生まれてくりゃあ良かった。そしたら、少しはあんたの苦しさとか、悲しさとか……
振り払ってやれたかもしれない。俺……自分の力のなさが悔しくて……」
「力ばかりが強さではないぞ。お前はそれがわかる男だ」
「師匠……」
「お前にしか出来ないことが沢山ある。韋護、儂はお前を育てることが出来たのを誇りに思うよ。願わくば
お前が強さを履き違えることの無い道士になってくれることを……」
追いかけても、この腕をすり抜けて。
いつも遠くばかりを見つめていた。
今、彼女が望むのならば捨て駒にでもなろうと思えるほど。
「もうじき、この仙界を二分する戦いが始まる……韋護、儂らも行かねばならぬ」
そしてそれはきっと最後の大戦になるであろう。
見つめる未来のために、導き出した答え。
新しく吹き抜ける風のために、その道を準備しようと決めたのだから。







初めて触れた女の身体は柔らかく、甘い匂いがした。
「……韋護。その手を離せ」
後ろから抱きしめてくる腕に、道行の声はいつもと同じで何の変調もない。
それを良い事にその手を上にずらして、柔らかい乳房に。
「韋護。何のつもりだ」
「なんて言うか……仙界って女が少ないな〜って。師匠はちっさくて可愛いじゃないですか」
不埒な弟子に小さなため息。
「韋護。吹き飛ばされたくなかったら手を離せ」
仙界でも名の知れた問題児はこうして師匠に手を掛けてくる。
「師匠がこう、もっと……皺だらけとかそんなんだったら俺も何とも思わないんですけども」
「儂は婆だぞ?今年で幾つになるかはお前も知ってるだろう?」
見た目は二十歳前後。ともすれば十代にも見える。
初めて見たときはまさか崑崙の師表の一人だとは露程も思わなかったほどだ。
「それでも、あんたの心はまだ現役の女だ」
「……………」
白の長衣。胸の組紐に掛かる指。
焚き詰めた香は身体に染み付き、甘く淫靡に誘う。
そのままするりと腰に手を回せば、腕の中に閉じ込めてしまうことが出来る。
「韋護、慣れぬ事はするでない。指が震えておるぞ」
韋護の手を取り、道行はそっとそれを自分の頬に当てる。
肌で感じる他人の暖かさ。
それに相反するからかう様な声。
意を決して偉護は道行の顎を指先で上げて、そっと唇を重ねた。
乾いた唇同士が触れあって、ゆっくりと離れる。
ただ、触れるだけの口付け。
「もう少し、勉強することだな、韋護」
道行は甘い香りだけを残して自室の扉を閉める。
韋護は腕に残る感触にただ、ため息をつくしかなかった。
いたずらに掛けた指で知った自分の気持ち。
それが恋だと気付くまで、そう時間は掛からなかった。







「本当に良いのかい?まだ、開発途中だよ」
雲中子をガラス張りの箱の中に閉じ込めて太乙真人は再確認する。
彼女が入ったのは物体をある場所に転送するために作った試作品の宝貝だった。
金螯同様に崑崙も日進月歩で宝貝の開発は進んでいた。
「時間無いからね。そろそろ鶏もお目覚めと見てるから」
「鶏?」
電極を入れると雲中子の唇が歪む。
「……白い……羽ってこと……さ…っ……」
じりじりと姿がゆがんで一瞬で彼女は消え去った。
「……面白い揶揄するなぁ……雲中子……」



転送先は乾元山の太乙の研究室。
指先の痺れを払って雲中子は自分の洞府へと急いだ。
「雲中子」
「黄竜!」
「終南山に行くのか?」
「そうよ。朝が来れば鶏が鳴くからね」
腰から下げた鞭を取り、彼女は目を細めた。自分が居ない間に何があったかは大まかには予想がつく。
そして、これから何が起こるかも。
二人、終南山へと走っていく。
「おや、お早いお帰りで雲中子。それに黄竜真人まで」
ばさばさと白い翼を広げて、白鶴童子はとぼけた口調で二人を迎えた。
「虫唾が走るな。人間形態にもなれるクセに」
翼をはためかせて、白鶴童子はゆっくりと人の姿へと変わって行く。
妖怪仙人でありながら教主の直弟子の一人。
その才覚を認められた器の持ち主。
「白鶴。お前はなぜここに居る?原始様と共に下山すればよかったものを」
「私の意志ですよ。雲中子」
赤い瞳が細く笑みを浮かべる。同じように雲中子の紅を引いた薄い唇も。
「いや、違う。君は……残されたんだ。ここを監視するためじゃなくて……邪魔だったから」
伸びた指先が白鶴を指す。
「原始様にとっては太公望のほうが大事だからね。太公望と普賢には『師叔』の称が付いたけれども、
君はそれが無かった。妖怪仙人だから?違うね。君は……器が足りなかったんだ」
封神計画の実行者に選ばれたのは若き道士。
しかも、小さな少女だった。
道士としての暦ならば白鶴童子のほうが遥かに長い。
それなのに、教主が選んだのは過去に因縁を持つ太公望だった。
「悔しいだろう?女二人にお役目を全て持っていかれたんだ。封神計画も、十二仙を束ねることも」
自ら望んで階位を捨てた雲中子とは立場がまるで違う。
白鶴にとっては太公望は後輩にして格上に当たる厄介な存在にもなっていたのだ。
封神計画の実行者。例えるならば十二仙の誰かがそれに当たればこうは思わなかっただろう。
無名の一道士。
歯軋りしてもどうにもならない現実は彼を打ちのめした。
お世辞にも太公望は素行の優秀な道士ではない。
「嫉妬。それが君の敗因さ」
雲中子はぴしりと鞭を大地に打ち据えた。
「どのみち反逆罪で連れて行かれるんだ。私は太乙や普賢のようにただ処罰を待つようなことは出来ないタチでね」
「面白い。私はこれでも教主の直弟子。生きた年数はあなたよりも上です」
「あはははは。白鶴……君がどうして封神計画から外されたかよく分かったよ」
吹き抜ける風が、雲中子の髪を攫う。
ぴん、と伸ばした左腕と構えられた鞭が風を斬る。
「奢りさ、白鶴。どれだけ生きたって君にはきっと……持ち得ない感情があるってしってるかい?」
腰の鞘から長剣を抜き、白鶴童子は雲中子に剣先を向けた。
「君は……誰も好きになれない。自分さえも。可哀想な子だ……」
「……馬鹿にするなっ!!」
半妖態の姿で白鶴は雲中子に飛び掛っていく。
背中からは一対の真白の翼。指先には赤く伸びた爪。
吊り上った赤い瞳。
「……っ……図星突かれたってとこだね……」
白鶴の剣を鞭で受けながら雲中子はにやりと笑う。
それは仙道には本来見ることの出来ない、女の笑み。
白鶴は背筋がぞくりとするのを感じながら尚も剣を取る。
鞭は剣を弾き、爆炎を生み出す。太乙が作った彼女一様の宝貝。
「だから人間形態にもなれるのに、敢えて鶴のまま……太公望に見抜かれるのが恐いから」
「黙れェッ!!!」
嫉妬は身体を焼き尽くす。何もかもを真白な灰に、骨の欠片も残らぬほどに。
「太公望が男なら、君もこうはならなかったのにねぇ……」
額に浮かぶ汗。
雲中子は己の疲労を悟られないように白鶴を追い詰めていく。
彼女は本来戦闘向きではない。太乙真人同様、研究開発と後方支援に適してしているタイプだ。
「言うなァッ!!!」
「いとも簡単に『真人』の称を得た普賢……君の一番嫌いな弱い子供……他人に守られるしか能の無い
相手と見くびっていたのに。いつの間にか追い越して、本当の強さを分かり始めていた」
白鶴は耳を押さえて頭を振る。
「自分には誰も居ないから……」
金螯と違い、崑崙山での妖怪仙人の扱いは良いものではなかった。
元が人間の道士たちは妖怪に対して寛容な心は無く、棘のような言葉を浴びせられることもあった。
教主の直弟子の一人になってからは直接に揶揄するものは居なくなったが、白鶴の心に刺さった棘は抜けない。
そして青天の霹靂のような太公望の抜擢。
確かに数十年で仙人クラスの力を持つ逸材だということは分かっていた。
それでも腑に落ちない暗い気持ち。
悟られてはいけない。そうやって仮面を作り続けてきた。
重ねて、重ねて、今の地位を外れまいと必死になった。
「ほら、君が崩れ始めてる」
「止メロッッ!!」
一度崩れてしまったものは、完全にもとの形には戻れない。
今、自分たちの動きを彼に止められるわけにはいかないのだ。
「雲中子、そこまでにしておけ」
「黄竜……」
「白鶴はあくまであの御仁の言葉通りに動いてるだけだ。罪があるわけではないだろう?」
雲中子の手を取り、鞭を収めさせる。
「白鶴。俺たちはいずれ戦地に赴く。だから、お前は今までのように崑崙(ここ)を守ってくれ。
俺たちは……生きて帰れる保証が無いからな……」
低く、静かな声。
その言葉に彼女は黄竜を見上げた。
滅多なことではそんなことは言わない男が呟いた小さな真実。
耳を塞ぎたいのは自分だと、雲中子は小声で漏らした。






目を閉じて思うのは前線で果敢に戦う親友の姿。
そして、下山中の愛弟子の姿だった。
(モクタク……無事に帰って来るんだよ……)
指を組み合わせるのは不安な気持ちを紛らわせる時の癖。
主だった十二仙の弟子たちは殆ど太公望と共に最前線での戦いに身を投じている。
その最たるのが天化、ヨウゼン、ナタクの三人。
(お願いだから……ちゃんと帰って来るんだよ……)
太極府印を抱きしめて、膝を抱えるような格好で座り込む。
たった一人、音も無く、ただ画面と数字だけで構成された空間に。
ばらばらと落下する緑色の数字は規則正しい暗号を生み出しながら崩れては再生する。
不安。
たった二文字に全てが支配されるから。
自分が弱く、悟りきれていない『人間』なのだと痛感させられる。
(望ちゃん……)
痛みも、苦しみも、悩みも、全てを受け入れて太公望は前に進み行く。
腕をなくしても、誰かを傷つけても、我儘なほどに前だけを見つめる。
(望ちゃん……ボク、望ちゃんにこの命……あげる……)
仙界を分けるであろう戦い。戦地に赴くのはもうじきだ。
そして、おそらく自分の時間はそこで止まるであろう。
(ボクが、望ちゃんを守るよ……だから、安心していいよ……。)
不安に苛まされる夜は、手を繋いで眠った。
二人、悪戯ばかりしては悪童と教主のお叱りを受けた。
眠れない夜はこっそりと抜け出して星を眺めては未来に思いを馳せた。
そして今、その未来のために何もかもを投げ出して戦う親友は痛々しく、そして美しい。
(大丈夫……何も恐くない。恐くなんか無い……)
聞こえるのは運命の足音。
時計の針が狂おしいほどに静けさを囁く。
(怖いことなんかない……大丈夫、やれる……一人でも大丈夫……)
繰り返し、繰り返し、呪文のように呟く。
「普賢」
ふいに響く声に、振り返る。
「どうした?泣きそうな顔して」
「道徳……」
同じように座り込み、肩を抱き寄せられる。
「ね、ボク……強いと思う?」
「どうした?急に」
「ううん。いいんだ……」
この男を知ってから、随分と自分は変わった。
知りえなかった感情と、他人の優しさ。そして、無条件に与えられる愛情の暖かさを知った。
触れて来る指先も、自分の名を呼ぶ声も、その目も、なにもかも。
全てが愛しいと思えるようになっていた。
「もしも、もしもボクが死んだら……ボクのことは忘れていいから」
「普賢、何を……」
「一年に一度だけ、思い出して。それだけでいいから」
「お前は死なない。俺が守るから」
彼女が何を言っているのかは、皆まで聞かなくても分かっていた。
それが今の自分たちの立場。師表たるものとしての考えなのだ。
そして、彼女がその命を失うとき……そのときは自分の命も無いだろう。
「長生きしようぜ、俺はきっと頑固なじーさんになると思うけどな」
そんなたわいの無い言葉さえ、今の自分たちには絵空事の未来。
「うん……ボクは……」
「普賢は可愛いばーさんになるんだ。その前に俺は父親に、お前は母親になる」
夢だっていいから。夢でいいから。
「だから、余計なことは考えなくていいんだ」
くしゃくしゃと頭を撫でられてこぼれる笑み。
「うん。道徳に似た男の子を産もうかなぁ」
「男は要らん。俺は普賢に似た娘がいいな。可愛がる自信がある」
「やだ……変なこと言わないでよ」
今だけ、こうして、ここだけ、そっとして。
「道徳、最後まで一緒に居てくれる?」
そっと抱かれて目を閉じる。
「ああ……一緒に居るよ……」
「ありがとう……」
それはたった一人を守るために生まれた考え。
その一人だけが、未来の光を呼び込むことができるのだから。
運命に選ばれた少女。
(何かを守るためには、犠牲が伴うから……それが大きければ大きいほどに……)
今はただ、目を閉じてこの世界の中に居よう。
繋いだ手を離したときから、道は分かれたのだから。
(だから、ボクの命なんて……いいんだよ……)
震える肩。少しだけ強く抱かれて同じように男の背を抱く。
「ごめんね……」
「どうして謝るんだ?」
「だって……ボクが何を考えてるかわかってるんでしょ……」
「ああ……」
彼女が出した決断は、恐らく師表たる自分たちの総意と言っても過言ではない。
「今は、今だけ……何も考えるな。俺とお前だけ、この話を知ってるのは」
「うん……」
数え切れない夜を越えて、夢のような日々を過ごした。
そして、ただ、愛した。
それだけのこと。
愛して、愛された。甘くて、優しい日々。
思い出はいつも綺麗だから、いつまでもその中に閉じこもって居たくなる。
まるで陽だまりの中のよう。
「ねぇ……こうしてると今起きてること全てが嘘に思えるよ……」
同じ仙人同士が戦い、命を落とす。
正義と言う名の大義名分の下に。
「ずっとこうしていられたらいいのにね……」
裸足で歩くこの道を、君が一緒に来てくれるというのだから。
これ以上のこの運命を憎むことはしないと誓える。
さあ、行こう。
光ある場所のために。






もう、無邪気に笑うだけの女ではいられない。
幼年期が終わるように、この世界もゆっくりとその姿を変え始めているのだから。
「どういうことよ。さっきの……」
「相手はそれだけ強い男だってことさ」
終南山の彼女の邸宅で、黄竜は雲中子に詰め寄られる。
「馬鹿なこと言わないで!!どうしてアンタが死ななきゃなんないのよ!!」
ヒステリックに叫ぶ声。
普段の彼女には見られないその姿に、黄竜道人は困ったものだと苦笑した。
「ちょっとは弁解したらどうなのよ!嘘だって言いなさいよっ!!」
「嘘だ。ちょっとお前をからかって見たかった」
ぎこちなく笑う顔。
それは彼女に付いた最初の嘘だった。
その嘘にさえ縋りたい。それが本当の気持ちだった。
「馬鹿……アンタなんか大っっっ嫌いよ!」
半泣きの目を擦りながら雲中子は乱暴に椅子を蹴り上げる。
「俺は、お前が好きだよ」
「分かってるわよ!!アタシだってアンタのことが好きよ!!好きなのよ!!」
ぎゅっと胸元を掴む細い指。赤く彩られた爪が震えていた。
「約束してよ……ちゃんと帰って来るって……」
「努力するよ」
「怪我しても、死に掛けてても良いから……アタシが治すから!!なんだってするから!!」
「そうだな。お前に治せないものなんて無いからな」
不器用な言葉しか話せない恋人は、あるがままの自分を受け入れてくれた。
「死んじゃ嫌よ……もう逢えなくなっちゃう……」
「泣くな。化粧が崩れるぞ」
「どーしてアンタっていつもそうなのよ!」
「お前は化粧などしなくても十分綺麗だがな」
馬鹿馬鹿しい会話でも、他愛無いことでも、君がここに生きていてくれる。
それだけが、欲しい唯一つの未来。
「アンタ、身体が頑丈なだけが取柄なんだから死なないわよ」
「そうだな。精々かすり傷で済みそうだ」
頬に手を当てて、少し屈む。
そのまま軽く唇を合わせると、首を抱く手の感触。
離れて、重なって、より深く。
ただ、このまま時間を止めてしまいたかった。




運命は回る。
何もかもを飲み込みながら。



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