◆ひかりを探して◆





白い花びらはひらりと落ちて、時の流れを緩やかに写し取る。
目まぐるしく移り行くこの世界をただ見つめてきた。
人と人は寂しさを嫌い、嘘という名の愛を重ねて。
それを受け入れられずに『人』を捨てて『仙』となった。
積もり行く落ち葉のように、時間は流れて。
その派が朽ちるように、新しい国は生まれて滅んでいく。
少しの差はあれど、その繰り返しで歴史は作られてきた。
「珍しいわね、あなたがここでお酒を飲むなんて」
「そうですか?妲己」
「申公豹ちゃんは、付き合いが悪いから」
隣にたたずんで、妲己はくすくすと笑う。
「たまには妾と一緒に楽しくお酒を飲みましょうよ」
男は女をちらりと見て、首を横に振る。
「その酒には血が混ざってますからね。これでも私も道士の端くれ。なまぐさを口にする
 のは些か抵抗があります」
帽子を脱いで、夜風を受ける姿。
崑崙最強の道士と歌われ、その素性を知るものはほとんど居ないという男。
かつて、皇帝の座を蹴って仙界入りしたというのは風の噂。
余程のことがない限りは自分からは他人に関係することを望まない男だった。
「申公豹ちゃん」
「何ですか?」
月明かりを受けた男の顔は、どことなくまだ幼さが残るように思える。
強さは鎧となり、彼の素顔を隠してしまう。
「太公望ちゃんと寝たの?」
「ええ。それが何か?」
ゆっくりと男の目が細まっていく。そして唇が小さく笑った。
「あなたも確か千里眼の力を持ってますよね?妲己」
「人間相手じゃ満足できないかと思って」
「彼女も立派な仙道ですよ。あなたには渡せません」
男でも女でも、己の欲するものはなんでもその手にしてきた仙女。
その美貌と艶やかな身体で歴代の王を虜にしてきた。
申公豹とて、妲己とは何度か寝た仲である。
「それに、人間相手に満足できないのはあなたでしょう?」
「そうね。でも、飽きちゃうの。何でも。教主も、聞仲ちゃんも、みんな」
同じように悲しいと、彼女は言うのだ。
「でも、あなたと太公望ちゃんのは面白かったわ。じっくりと見させてもらったもの」
「見てたんですね。そんな気はしてましたから」
妲己の気配を感じながら、少女を抱いたあの夜。
見られているならば演じてやればいいと、きつくあの身体を抱いた。
嫌だと言う声を唇で塞いで、交換条件をちらつかせる。
太公望に選択肢があるように錯覚させて、その実は選ぶ道などないというもの。
思い出すように、申公豹は目を閉じた。







少し蒸し暑いその風に、太公望は袷を緩める。
(夏草の匂い……またあの季節がやってくるのだな……)
虫の声もどことなくまだ幼い。
肩に触れた髪が跳ねて、うなじの白さを引き立てた。
「呂望」
「……予告なく現れる男よのう、おぬしも。ああ、でも……」
すい、と伸びた指が申公豹の頬に触れる。
「今宵はずいぶんと人間のような格好じゃのう」
月光は、彼女をいっそう妖艶に仕上げる魔法の粉。
「おかしいですか?」
「いや、わしと年端も違わぬように見えると思ってな」
薄栗色の髪は、切りそろえられその表所を穏やかにみせて。
どちらかといえば細身で中世的な身体は、雷公鞭を振りかざし隠してきていた。
「たまには人間に戻るもの良いかと思いましてね」
後手に隠していた藤籠を太公望の手に持たせる。
「夜露に濡れた桃も、悪くはないと思いませんか?」
「そうじゃのう……一緒に食わぬか?」
申公豹の手をとって、太公望は回廊を自室へと進み行く。
光の薄いこの道と、永遠に続くような奥底の暗さ。
それはまるでこの先の彼女の運命を示しているようだと、男は首を振った。
「呂望、明かりも持たずに進むのは怖くないのですか?」
「慣れておるよ。この程度……わしの行く道よりは随分と見えるとは思わぬか?」
彼女は自分の進み行く道を地獄道と称して笑う。
進み行く自分もまた、鬼であると。
「鬼なのですか?」
少し硬い桃を齧り、太公望はけらけらと笑う。
指先で唇を拭って、薄皮の下の果肉を舐め上げる仕草。
「捕まえてみるか?鬼は手の鳴るほうへ呼べばよい」
齧りかけの桃を申公豹へと向ける。
「嫌いか?」
「好きですよ。月桃か女禍の桃のほうが良かったでしょうかね」
どちらも幻といわれる禁断の果実。
「見たことがあるのか?」
「一度。我が師が好んで食べていましたよ。月桃は夢見が良いと」
差し向かいの椅子に座って、申公豹は太公望の手に自分のそれを重ねた。
「あなたにも、好きなだけ食べさせてあげたいものです」
「身の丈に合わぬ贅沢は好きではないよ。喉を潤してる分だけで十分じゃ」
望んでしまえば、きりがない。分相応であればそれで良いと言う。
人の世の中で生きる『人』ではない少女。
本当にほしい物はいつだって心の奥底に閉じ込めてしまう。
例えるならば普賢真人のほうが余程素直だろう。
自分の心を具現化することを知ってるのだから。
だが、太公望にはそれがない。
他人との一時的接触は持っても、その次に進むことを知らないのだ。
「夏も近いな、また一つ年を取る」
「…………外に、行きませんか?」






夏の匂いと気配は、喉をじんわりと締め上げる。
「そういえばおぬしの誕生日はいつごろなのだ?」
二人分の足音が、青草の上でなにやら秘密の会話。
「今日ですよ。だからあなたに逢いに来ました。一緒に過ごしたくて」
「黒点虎は?」
「一人の男として逢いに来るのに、霊獣は必要ないでしょう?」
指先を絡ませて、少しだけ高くなった場所に腰を下ろす。
「言えば何か準備したものを……」
「こうしていられるならそれで十分です、呂望」
せめて、生れ落ちた日だけは人間として過ごしてみたい。
五千年以上、たった一人で過ごしてきたのだから。
「一人で生きることは、そんなに悪いものでもありませんでした。流れるままの世界を 
 見つめて……生まれては消える国を見つめて」
繰り返されるのはよくある話。
国の復興は恋人たちのそれに似ている。
出会いと別れ。その繰り返し。
「一人であることと孤独の意味を教えてくれたのは……あなたですよ」
きっかけは些細なことだった。






崑崙の一道士が金鰲の幹部の一人を撃つという話を耳にした。
退屈な毎日を打破してくれる吉報。
幼い顔の道士に感じたのはなんとも田舎の垢のついた子供だという気持ち。
長生きは出来ないだろうと直感した。
予想外だったのはその芯の強さ。
自分の頬にかすり傷とはいえ、傷を付けた。
それも少女が。
この面白い女の行く末を見るのも悪くはない。
封神榜を持っているということはいずれにしろ自分の首を取りに来るのは明白だからだ。
見守るうちに気が付く。
彼女も一人だということを。
自分とは違う「ひとり」ではあるものの、どこかしら重なるものはあった。
どれだけ傷ついても、ひたすらに他人のためだけにその身を削る姿。
随分と健気なのだと暢気に見守っていたが、その実はまったく違っていて。
自分の身を守る術を知らないだけなのだと知った時、鳥肌が立った。
痛みを知らない子供の怖さ。
笑いながら小鳥を握りつぶすこととそう大差ないこと。
彼女は子供だったのだ。
その子供に手を付けたのは初めは興味本位。
久々に抱くならば処女が良いと思っていたまで。
その柔らかさともろさ、混同する未完成の強さ。
身体でその世界を手にすることも出来る逸材。
ともすれば妲己よりもその誘惑は強かったのかもしれない。
触れて知るその甘さと至福感。
その感情は忘れていた『恋』だった。







「夏草の匂いは、おぬしに似ておる」
黒髪をさららと撫でる風。
「半端な季節ですよ」
「おぬしは完璧でもか?」
「まさか。この世に完全なものなどありませんよ、呂望」
小脇をすり抜ける小さき光。
手のひらで囲えば、そこに生まれる暖かい空間。
「蛍は……亡き者の魂と同じ色らしいですよ」
暗い暗いこの先の道を照らすのは、きっとこんな風に小さな光なのだろう。
「望」
こつん、と触れ合う額。
「………………………」
ちゅ…と重なって、離れる唇の甘さ。
小さな頭を抱きしめて、申公豹は彼女の耳元で囁いた。
「貴女を失うことがこんなにも怖いなんて思いませんでした……他の男が触れる度に
 嫉妬に駆られるんです。どうしようもなく……不安に……」
この身を焦がす恋の苦さ。
「妲己にも指摘されるほどです。それでも私にとってはあなたが大事で、愛しいのですよ」
「…………おぬしは、わしの最初の男じゃよ。それは死ぬまで変わらぬ」
「ええ、喜ばしいことです。一生忘れることの出来ないことですから」
重ねた手。流れる風。ただ、そこにある二つの魂。
「また、次の年もこうして…………」
細い指に自分のそれを絡ませる。
「一緒に…………」
泣きそうな顔していたのは、彼のほうで。
「…………うん…………」
ただ、頷く事しか出来なかった。
この壊れかけた世界の最後で見る光景はきっと、この蛍火のようなもの。
命は脆く美しいから。
可愛い女ではいられないし、ただ優しいだけの男でもいられない。
傷つけあうことも、抱きしめあうことも当価値だと教えてくれた男。
「わしの、生まれた日にも一緒に…………居てくれるか?」
「ええ…………」
誕生日には、甘い接吻を。
何よりも大事な贈り物。
月明かり、蛍火、夏の気配。
「うわっ……!」
草叢に押し倒されたのは男のほう。
覗き込んでくる顔はくすくすと小さな唇が笑っている。
「わしもたまにはな、おぬしにこうしてみたいのだよ」
「……構いませんよ、ただ……」
男の手が示すのはあたりを舞う蛍。
「観衆が多すぎます」
「場所を……」
「移しましょう。もう少し静かな場所へ」





闇夜に浮かぶ小さな檻籠。仙気で作った細い針金。
夜の朝の間にある空は、燃えるような紫色。
「もうじき夜が明けますね」
絡まったままの身体と触れ合う素肌。
女の柔らかさを抱きながら、男はそっと天蓋を下ろした。
「もう少し、夜のままでいましょう……離れなくても良いように」
少女の指先は、籠の爪を外し中の光を外へと放つ。
淡い緑の光は、蛍火。
「本来……命は神と呼ばれるものたちの領域でした。生まれることも、死ぬことも」
遠くを見つめる瞳は、長き時間を生きてきたものしか持ち得ない色合い。
「封神台の中で私たちは神になれるそうですよ」
「わしは、仙にも神にもならんよ。道士のままでいい」
腕を前に伸ばして、太公望は隣の男を目線だけで見上げた。
「私もです。道士のまま、悠久の時を過ごしますよ」
「神など……必要ないのだ。手など差し伸べてはくれぬ。生きるのに必要なのは己の手。
 それと、小刀があれば十分だ」
一族を失い、仙界入りするまで彼女は一人で自分の身を守ってきた。
生きるために必要なことは、頭の中に全部ある。
温暖な部屋で育った美しい花にはなれないといつも苦笑する唇。
それでも、荒野に咲く花は強く美しい。
疲れた旅人の心を癒すその色香。
「一緒に神になりますか?それとも……退屈な毎日を過ごしますか?」
「選ぶなら……少しばかり退屈でも構わぬから、神になどならぬ日々がいい」
太公望の手を取って、そっと唇を当てる。
「一緒に、過ごしませんか?面倒なことを全部終わらせたら」
「……………………」
「東の果ても、西の果ても。一緒に見に行きましょう。朝日がとこら出て、どうやって
 夕日になるのか。水の根源や、雪が出来る瞬間。探せば毎日が退屈なんてことはないんでしょうね」
無色だった風景にを鮮やかに染め上げたのは隣で微笑む少女。
花の色の美しさも、涙の意味も。
忘れていたはずの感情を与えてくれた。
無償ということすらしらずに、誰かに与え続ける。
そして、自分は何も受け取らない。
おそらく『神』の定義は彼女のようなものなのだろう。
「夏になったら蛍を見て、月を仰ぎましょう」
「それも良いな……早く……この面倒ごとを……」
ただ、そこにあるという事実だけで満たされること。
どれだけ長い時間を生きてきても、恋をすればその一瞬で溶けてしまう。
さららと流れるこの笹葉。
きらり、と光ものを探して手を伸ばし行く。
定まった物を運命というならば。
これ以上、この運命を憎むことなどないだろうと思えた。
(あの時、王位を得ていたら……あなたに出逢うこともなかったのですね)
閉じた瞼に触れる指先。
(つまらないものに拘らない主義でよかったと思いますよ。あなたのおかげで随分と
 賑やかな日々を過ごせるようになりました……)
薄暗がりの中、仄かな明かりが舞い飛ぶ。
(蛍は短命です……あなたはそれをしって逃がす。死に場所は自分で選びたいから。
 その光に自分を重ねるからでしょう?)
進み行く、進み行く、闇夜の迷路。
せめて迷うならば共にと、手をつないだ。





行くのも怖い、引くことも出来ない。
迷いながらもこの道を。
ただ欲しいのはたった一つの『平穏』
君の望んだ光。





「最近生き生きしてるね、申公豹」
風を受けながら男は霊獣の頭に手を乗せる。
「そうですか?いつもとかわりませんよ」
「呂望にあってからだよね。申公豹、よく笑うようになったよ。僕も呂望に逢うのは好きだよ」
目指すのは北の地。
忙しく動く彼女に、甘い甘い茶葉を差し入れるために。
「恋をすると、毎日が楽しいんですよ。黒点虎」
「呂望が毎日うちにいてくれたらいいのにね。誰かと違って食事も忘れないでくれるし、
 ブラッシングだってしてくれる。この間は爪まで切られたけど」
「おや、私でも爪は切ってもらったことなどありませんよ?まぁ……いずれは一緒に過ごせる
 ようになるでしょうね。子供たちには負けませんから」
笑いながら男とその忠実な霊獣は進み行く。




夏の気配は確信犯。
ただ、その笑顔を見て居たいだけだから――――――。






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22:30 2004/07/15


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