◆忘却の花◆







「珍しい花じゃのう」
少女の手に摘まれたその花は真上から見ればまるで目玉のように見えた。
深紫が中心を丸く描き白、やがて薄紫に変わりゆく。
突き出た花芯は何かを捕らえるかのような不可思議な形。
「これ?時計草って言うんだ。水盤に浮かべようかと思って」
鋏で切り取り今度は花は水面に揺れて。
六月の光を乱反射させながらゆららと笑った。
「秋になれば美味しい実も着けてくれる」
「ほほう。随分とお得なものだな」
「でもこの花は受難の花でもあるけれどもね」
「……難儀なのだな」
「それでいて裏の言葉は聖なる愛。何とも不可解なもの。ふふ」
擬えた言葉というものその意味を知れば花も違って見えてくる。
宮中においては花を愛でる時間も余裕も削られていく。
「何か持っていく?」
「どうせならば何か意味を持たせて」
「相手によるね」
「発に」
頬を撫でる風が少し眩しさを増してきた季節。
思い起こせば何もかもが定まっていたのかもしれない。






茎の長い愛らしい鬱金香(チューリップ)を数本。
色は全て黄色に揃えた。
「俺に?」
「そうだ。花は嫌いか?」
自分よりも頭一つ小さなこの少女は事実上この戦争を終結させた人物だ。
軍師として数多の仙道と兵を指揮した風の道士。
「いや。好きだぜ」
彼女にしては珍しい色を選ぶものだと思ってはみてもその真意までは計ることなく。
いつもよりも少しだけ顔色が悪い方がずっと気になっていた。
それは今日が彼の人の月命日だからだと位置付けるくらいで。
そうでもしなければ苦しくなるこの胸の内をどうしたらいいのかさえもわからなかった。
「普賢がよく育てていた。何とも見るに清しいと」
かつかつと響く靴音。
細い背中に負った運命は優しいものではなかった。
宮中孤軍、彼女は仙界の者として異物の扱いを受け続けた。
この果てない恐慌を終わらせ戦争を終結させたことがようやく彼女を世間に認めさせることとなったのだ。
青葉は美しく風は優しく悲しく香るだけ。






月に掲げた鬱金香は燃えるような赤。
その意味を辿ってお気に入りの欄干に座って盃に月光をくみ取る。
「師叔、風邪をひきますよ」
己の肩当てをくるり、と彼女の肩に乗せて。
その柔らかな毛質に少しだけ瞳を閉じた。
「鬱金香……綺麗な赤ですね。誰への思いですか?」
「誰にだろうな」
月光に触れたそれが静かに白に変わりゆく。
燃える赤は愛の告白、それは白に変わり返事となった。
新しい恋を歩みなさい、失われた愛に囚われてはいけないと。
「白も美しい」
「では、僕からはこれを」
それは紫の鬱金香が一輪。
どこか彼の瞳に似た深い色合い。
「返事は出せぬぞ?」
「白と赤を混ぜれは薄紅に。それを返事として頂ければ」
可憐な薄紅は恋する年頃、愛は芽生えて誠実となるように。
「発には黄色をくれてやった。おぬしにもくれてやろうか?」
「僕は人間じゃないですからね。師叔を残して死ぬこともありませんよ」
いよいよ旅立ちが近付いて。
だから戯れついでに彼に花を渡した。
いつの日かあの意味に気付いてくれればと祈りながら。
「綺麗な月です。きっと……父上も母上も……普賢様もみてると思いますよ。もちろん、天化君も」
いつも一緒に居たかった。
あの笑みさえも霞んでしまいそうで時間の流れに鬱蒼としてしまう。
黒髪一筋風に溶けて、涙はただ静かに頬を伝う。
ここに居るのは疲れた一人の少女。
太公望という道士ではなくまだ幼い少女。
「きっと、道徳様に叱られてますよ。いっつも悪戯ばっかりで……」
「……本当に……どうしてだろうな……大事なものはいつも無くなってみんな消えてしまう……」
それはこれからも止まることはない。
人である彼は彼女を残して死んでいくのだから。
黄色の花が告げる実らぬ恋は嘘ではないもの。
実らせてはいけない恋なのだから。
「まあ、恋敵(ライバル)はいなくなりましたが……全然嬉しくないですね」
並んで見上げる月は何も変わらないまま、きっとこの先も同じ姿なのだろう。
それはまるで自分たちにも似ていて。
あの光は遥か昔、星の光も何もかも。
「!!」
すい、と黒髪に差しこまれる大振りの赤い花。
伸びた花弁の黄色が愛らしい。
ほんのりとした香りはどこか夏模様。
「仏桑華 (ハイビスカス)も似合いますね」
「仙気で花か……天才様は何でもできるのだな」
「ええ。ですから僕は死にませんよ」
そっと重なった掌の暖かさ。
少しだけ近くなった距離。
「その花は勇敢、繊細な美しさの意味です」
「歯が浮くどころが吹き飛びそうだ」
「でも……新しい恋の意味もあります」
「……………………」
小さな手を握って。
「もう一回、僕と恋をしてくれませんか?」
「今すぐでなくとも良いのならば」
「時間だけはたっぷりとあります。その前に片づけなければいけないことも沢山……」
形の良い手がゆっくりと歪んで彼の姿が変わって行く。
人としての形を持つ仙道と人ではないもの。
重なり合った唇が少しだけ暖かい。
鉤爪の手がそっと背中を抱いて守るように包み込む。
「ああ……おぬしの眼と同じ色だな……この花は……」
「似てますか?」
「ああ。それもどうでもいいことなのかもしれんが……わしらは業深き生き物だ」
時折彼女が見せる暗い笑みは人よりもずっと妖艶なもの。
育てば傾国の毒婦ともなるでろう、何とも可愛らしいその笑みで。
策士は素知らぬふりをして心をも蝕む。
「月夜に不埒な男は多いのか?」
「ええ。常識です」
「そうか」





薄情というのはどんな意味だろうと考えてみれば。
ゆっくりと相手に対する感情が薄れていくことなのだろう。
この思いは変わることがなくともあの人の笑顔は静かに霞んでいく。
静かに静かに記憶を蝕む忘却の恐怖。
「物言わぬものほど雄弁に語り、人ほど寡黙になるもの」
宰相として席に着く少女がそう呟いた。
黒髪が肩で跳ねてどことなく彼女に似たその姿。
同じ血を持つ二人の少女は全く違う運命を生きてしまった。
「ところであなたはこの花の意味を御存じなのですか?」
「いや」
「……そうですか。太公望さんは本当に旅立つ準備をしてるんですね」
ぱたん、と書物をたたむ姿。
流れる雲に思いを委ねる少女は、お気に入りの場所にここ最近は現れない。
少し項垂れる花が静かに告げる恋の終わりはまるで本の中のお話のよう。
「まあ、今生の別れってわけでもねぇんだろうし」
「あの人は……本当に最後の戦いに行ってしまうのですね……」
立ち止まることなく歩んだこの道はようやく終わりが見えてきた。
風に流れる花びらはその時を告げる。
「太公望さん!!」
何も知らないふりで彼女が振り返る。
曇りのない双眸で少しだけ寂しげに笑って。
「どうかしたのか?おぬしは忙しかろう。隠居のわしらと違って」
死者に手向けるための白百合が悲しいまでに似合う姿。
思えば彼女には死の香りが常にまとわりついていた。
「あの花を……あの方に渡した意味は……」
「意味も何も、綺麗だろう?黄色ならば明るくてな」
「でも……」
「百合も黄色ければ良いのにのう」
くるり、と踵を返して歩き出す。
彼女の本心はあの花にこめられているのは確かなのにそれを聞くことのできない気迫。
「太公望さん!!」
「あの花の意味があったとして何思う?わしの心は持ち去られたままだ。同じ顔をした違う男にな。
 望まれたように国を興し王を立てた。ならば……今度はわしの願いを成就させてもよいだろう?
 わしはあやつの心を持ったままに旅立つ。それがどんな結末を生もうとも」
生涯満たされることのない傀儡の心。
「幸せになろうなどとは思わぬよ。なれるとも思わぬ」
少女は静かに鬼となった。
喰らえど喰らえど満たされないと。
「人の世は人に任せる。手土産一つ貰うだけじゃ」
「苦しくはないのですか?」
「それは……わしがか?おぬしがか?あやつがか?」
背中だけで伝わる表情。
今から飛び込む最後の戦いは人として挑むことなどできない。
せめて綺麗な思い出でもなんて絵空事で。
一つだけ大切なものを奪っていきたいだけだった。
女として生きることを抑制された生涯に於いての最後の恋。
「ふふ……すべて独り言だ。黄色の花は親友が好きだったのだ。それ以外の他意はない」
壮絶などでは片付けられない過去を持つものはこれほどまでに凄味がでるものだろうか。
彼女を取り囲む優しい死人(しびと)たちの影。
「師叔、こちらへ」
「ああ。今行くよ」
その手を取る男もまた妖怪。
静かに人を辞めていく儀式。
「まだ出発はせぬよ。おぬしに伝えたいこともあるからのう。邑姜」
抱えられた百合だけがそっと揺れた。
それは水面に映る月のような儚さ。
「また後でな。邑姜」
宿した思いは暗い赤。
なんとも愛らしい鬼がそこには存在していた。
客星の明るい夜は幻想を生み星屑の幻燈を呼び覚ます。
世界は角も憎しみに満ちた美しさでいっぱいだ。





18:26 2009/06/02

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