◆記憶の底◆







「お目覚めですか?女禍様」
培養液の中で目を覚ました異形の女に微笑む唇。
世界を生み出した始祖は慈愛とも憎しみとも取れる瞳で見つめ返した。
「世界は申しつけられた通りに動きましたわ」
「そうか……ならばよい……」
一片の魂魄さえあれば自動蘇生を可能とする特殊生命体は、その名を女禍と言う。
ふわりふわりと宙返りをして再び瞳を閉じる。
(凄い力……傍に居るだけで気力が満ちてくる……)
女禍の側近として動くのは狐狸精妲己と二人の妹たち。
「王天ちゃん、でてきてもいいわよぉん」
空間が歪んで現れる少女の姿。
青白い顔には血の気が全くなく、死人にも見える艶めかしい細い身体。
「こいつが女禍……きしょいな……」
「あらん、失礼なこと言わないの。女禍様はとーってもお優しいんだから」
口元を五火七禽扇で隠した女の瞳が囁く。
「ま、俺は出かけてくるけどな」
「気を付けて行ってくるのよん。心配しちゃうから」
じゃらじゃらと引きずられる鎖が悲鳴を上げる。
黒皮の上着と夥しい装飾品。
その中でもお気に入りの髑髏の指輪に唇が触れた。





のんびりと月花茶を飲みながら糸を紡ぐ銀髪の少女。
「燃燈、暇だったらそっちの糸を同じようにやってくれないかな?」
揺り椅子に座ってゆっくりとした動作で紡がれていくのは紫紺の美しさ。
「嫌だったらさっさと帰って」
「だってよ。なんでお前は俺の普賢と仲良くできねぇんだよ。そりゃ、お前のねーちゃんとは
 真逆な感じだけども、お前と女の趣味がかぶってなくていいじゃねぇか」
莫邪の宝剣を修復する作業も一段落と、拳で汗を拭う姿。
「お茶淹れるね」
「ありがとう。でも、俺がやるよ。何が良い?」
「道徳の好きなので良いよ。ちょうど無くなっちゃった」
湯に落とせば花開くそれは彼女のお気に入りの一つだ。
「普賢真人、こんなことをしている余裕はあるのか?」
甘い匂いに浮かぶ笑み。
そっと腹部に触れる彼の手に同じように微笑んで、今度は燃燈道人を見つめ直した。
「来るべき女禍との戦いには備えてるよまだそのころには生まれてないだろうし。
 進行状況はあちらの教主に聞けばいい。彼と奥さんが色々と纏めてくれてるよ」
通天教主は姚天君を従えて忙しそうに封神台の中を飛び回る。
元々仙界の一つを統括する力と人望は厚いせいか、ほとんどの物が耳を傾けた。
彼女は探知機能を使ってこの空間を維持させるための操舵を執り行う。
「大体、子供など修行の邪魔に……」
「それ以上言ったら莫邪でお前の後頭部に禿を作るぞ」
椅子から下りて小さくため息を吐く。
「どうやっても、ボクが気に入らないんでしょ?別に良いけどもだったらさっさと帰って。
 苛々で流産でもしたら取り返しの……」
良い終わる前に炸裂する拳の乱打。
勢いよく吹き飛ぶ青年の姿に普賢は声を失った。
「ど、道徳ーーーーーっっ!!」
思わず後ろから抱きついて必死に制止する。
わなわなと肩を震わせ、怒り心頭なのが伝わってきた。
「どんだけ苦労して子供授かったと思ってんだこの馬鹿野郎が!!」
「だからって暴力は駄目ぇ!!」
「今すぐ微塵斬にしてやる!!」
父親になってからというもの、彼の過保護ぶりは増加する一方だった。
祝福されども文句は言われる謂れは無いと剣を突き付ける姿。
「すまない。俺が悪かった」
「悪かったで済むか!!馬鹿野郎!!」
それでも流石は十二仙筆頭だった男だけあり、大した打撃にはなってはいない。
(この人、回復蘇生が尋常じゃない……凄いな……だから道徳も本気で殴ったんだ……)
息巻く恋人を諫めて花茶を淹れ直す。
「ボクじゃない人があなたの後を継げれば良かったんだろうけども」
「いや……子供のことは俺の失言だ。忘れてもらえればありがたい」
同じように燃燈の前にも茶器を出す。
漂う香りに少しだけ和らぐ表情。元来生真面目な彼は恋人ほど柔軟さは持ち得ない。
「女禍の住む場所はどうもボクたちが居た場所……違う次元って言うのかな?簡単な
 探知じゃ分からないところだった。だから聞仲も初めて操舵室に入って分かったんじゃないかな。
 お腹はちょっと重いけども、操縦は大丈夫。何かったらこの人がなんとかしてくれる」
銀眼の少女はにこやかに笑う。
「道徳のお友達なら仲良くはしたいなって思うよ。だからもう少し、ボクにも解るように話して。
 あなたもすぐに手はあげないで。もし、子供にそんな落としたら原子分解するからね?」
物腰こそ柔らかだがこの少女は男よりも狂気染みている一面を持つ。
殺すならば完全に、痛めつけるならば立ち上がれないように。
静かに追い詰めていくその姿は殺気などないから性質が悪い。
「教主たちにあとは聞いてみて。月がしばらく動かないから」





寝台の上に身体を投げ出して大きく手を広げる。
浮かぶ二つの月は自分たちにも不思議な力を与えてくれるらしい。
(やっぱり……どんどん人間じゃなくなっていくんだね……)
無意識に零れ落ちた涙。
「普賢?」
「わかんないけど……悲しいわけじゃないけど……」
唇が重なって添い寝するように寄せられる彼の身体。
そっと下腹部を撫でる大きな手。
「あれだ。妊婦は色々と不安になるってやつだろ」
いとしげに少しだけ膨れだした腹部へ布地越しに触れる唇。
「体系変わって……嫌じゃない?」
「いや、ほっとんど変わってねぇ。ちょっとふっくらしたくらいで、全然」
「本当?」
重なる視線に力いっぱい頷けば、くすくすと笑う。
「腹の中に入ってるから自重するけども、本当はすっげーやりたい」
「…………する?」
「その誘い方は反則だ……俺だって親になるんだから少しくらい……」
夜着をそっと脱ぎ捨てて。
左胸に残る傷跡を片手で隠した。
「まだ、大丈夫じゃないかな……たぶん……」
あの戦いの中で負った傷跡はまだ消えずにそこに存在している。
彼の両手が頬を静かに包んだ。
「ありがとな。俺は普賢も子供大事だから、体が冷えるのはやっぱできねぇや」
夜着を直させて今度は自分の胸に少女を抱く。
彼の手を取って親指を軽く吸い上げた。
固まる舌と唇の感触に、ぎゅっと抱き寄せられる。
「……あんまり無理はしないでいこうぜ。俺よりも普賢の方が負担はでかいし」
「……大好き……」
「俺も愛してるぜ。大丈夫、何があっても俺は離れない」
「頼りにしてる。操舵室に籠ったらボクは動きが取れなくなるから」
凍えるようなこの空間で確かのは互いの存在。
夢のような現実は魂魄の身になって初めて知った事実。
思い出にするにはまだ完成されないこの感情。
「おやすみ、普賢」
甘やかしてやれるのもあと僅か。
彼女はこの小さな空間を支配する座に就くのだ。
その両手に抱いた力を螺旋に変えて。
「寝るまで抱いてて」
「おう」
不安がる夜に、今度は二人でいられる。
それだけで今は十分だと唇を噛んだ。





澄み渡る空は封神台の内部でも同じこと。
宝剣を手にした少年は少女に呼び止められた。
「俺っちが、行くさ?」
それは彼女がまとめた仙界大戦までの歴史表。
羊皮紙に書き綴られた詳細な内容と封神台の内部での出来事。
「無理だったらボクが行くし」
彼女が向かおうとしたのは遥かなる別世界。
死と生の狭間に存在する者たちにのみ侵入を許される冥府という場所。
生きながらにして渡るものは魂魄を自在に操る。
死してまだ死者になることの許されない彼女たちは冥府でも裁かれることがない。
信賞必罰に触れない稀有な存在は歴史の道標にとっても計算外だろう。
「教主と姚天君には結界維持のためにここから動いてもらうことはできない。ボクもこの体じゃ
 なかったら自分で行くつもりだったし。聞仲は誘導役だしね。道徳は悪いけれども
 ボクの警護に使わせてもらうよ。内部に籠ったらボクは攻撃手段も防御手段も無くすから」
酸漿の灯りを持たせて導くは冥府への道。
時空を開くにはそれなりの仙気が必要となる。
銀色の双眸が鋭く光りその道を引き出した。
「今の幽冥教主は何をしってるかな」
本来ならばこの魂魄渡りは自分が成さねばならないこと。
「行ってきたらどうだ?普賢」
声をかけたのは黄竜真人。
「操舵室には金光聖母を置けばなんとかなるだろう?」
「でも…………」
「気になるなら行ってこい。道徳と天化二人なら百鬼夜行でもなんとかなる」
続けたのは文殊広法天尊。
「ま、念を入れて玉鼎真人もつれていけや。それまでは意地でも俺らとあちらの十天君
 でなんとかしてやらぁな……」
煙管で空間を叩き割れば、より明確になるその長い長い螺旋階段。
「ガキ共、女一人くらいは守れんだろ?」
それぞれが宝貝を手にして静かに頷く。
圧縮された空間を操り、時空軸を固定させることができるのは文殊広法天尊の特性のひとつ。
そして、彼くらいの大仙でなければ維持させることは不可能だ。
「行け。あちらの教主にあってこい」





夜に飛ぶ蝶は紫紺で美しい。
その一羽が彼女の髪に留まった。
「はて、老君とは男性とお聞きしておりましたが……」
竹筒の書簡を広げながら姫昌はそんなことを問う。
薄い唇が猫のように、にぃ、と笑った。
「私はどちらでもあってどちらでもないのさ」
若草萌ゆる髪と瞳。失った色素が生み出したもう一つの色彩。
その肌は陶器にも似て凍るよな寒気のきらめきを帯びていた。
布地越しに柔らかな乳房の形。
伸びた素足は視線を奪うような脚線美だ。
「あなたが傾国の美女ならば納得もしたでしょうに」
鬼が盃に酒を注ぐその光景。
鮮血の交ったそれでも彼女は静かに喉を鳴らして。
「あの馬鹿は何をやってるんだか」
心を偽るのが人ならば彼女は偽りも真実も全てを無に帰す唯一の存在。
未来視は彼女から一切の希望を奪ってしまった。
だからこそ、夢を飲み込みながら眠りにつくことを選んだのだ。
「しかも間違えている。大馬鹿だ」
髑髏を硯にして、朱墨でそれを正していく。
その姿に姫昌は思わず声を上げて笑いだす。
「随分と、私たちに似ている御方だ」
「太公望が思い人よ、不遇にしてなぜ幽冥に導かれたかわかるか?」
それは真実を知るものの言葉。
彼女は全てを見つめて飲み込む能力を持っている。
「永遠に二人を引き離すために。彼女は彼女であって彼女ではない」
「?」
「あの子は生涯、君だけに忠義を誓った。君によく似た息子のために大戦争を起こして
 国を産んだ。そして今度は君のために、最後の戦いを引き起こそうとしている」
長い袖は腕を隠し、短い丈は脚を魅せる。足首に絡まる蔦葉と小さな花。
はち切れそうな乳房を止める金具に刻まれた幽冥の証印。
「さて、君があの子をどう思っていたか聞かせてもらおうか?なにせ……冥府の夜は長いものでね」
暗い暗いこの道を一人で歩いて行く。
少女は生涯、この地に降りることはない。
どこかを見つめるようで何も映すことのないその瞳。
傾くことのない悠久の月を見上げて、壊れたようにけたけたと笑う。
それはただの骨が笑うように見えて、姫昌は声を失った。
確かに目の前の音は存在し呼吸をしているのに。
自分の管轄する冥府の住人と寸分違わぬようにも感じるこの奇妙な思い。
(これが有であり、無である者……)
金扇が口元を静かに隠す。
「さて、何から聞こうか?」
戸惑う言葉を与えられてもきっと彼女はその気持ちさえも上の空にするだろう。
幽冥教主が彼女を認めるのは同じように全てを見ぬくからだと気付かされる。
「君と、あの子の話を」






17:22 2009/01/20




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