◆申公豹という名の道士―後篇―◆
拾い集めた歴史は一つの仮説を生み出す。
それはこの世界全てを巻きこみその根底をも覆すというものだった。
あらゆるものに存在し、何度でも蘇ることのできる生命体。
しかし、あくまで「確信」であり「確定」ではないのだ。
そのところが彼にとって最も面白い事だったのだろう。
「王天君の蘇生能力が高い事は、みれば分かりますね?黒点虎」
促されてうなずく霊獣。今まで見た全ての生命の中でその速度は脅威とも言えるものだった。
そう、まさに神がかっているとしか言えないように。
青白く灰色に近いその肌は血液さえも黒。
「!!」
その身体を覆う衣類を剥ぎ取り目深にかぶられた帽子を蹴り上げて。
細い身体はまさしく彼女そのものであり浮いた肋が痛々しい。
その骨から産まれし命も憎しみも全て飲み込んで執着に変わる。
彼女にとっての愛情は執着だった。
「誰かに似ていませんか?」
細く頼りない身体。刻まれた呪詛。俺た指先。
どれだけ落ちても憎んでも心までは決して折れない。
心を売ることがあってもその最奥までは誰も辿りつけない。
全てを受け入れて全てを拒む少女の影。
「…………言っても良いの?」
「あくまで私の中の仮説です。あのとき、彼女から生きてる感じがしなかったわけがわかりました」
そう、触れて初めて分かることがある様に。
「ふむ。わしも修行を積む必要があるだろうな」
この先に待ち受けるのはまさしく敵としての妲己。あの日、全てを奪われた少女は憎しみを糧に
ここまでやってきた。
その背中には数え切れないほどの思いと願い。
「ご主人でも修行が必要っすか?」
「何を言うか。わしはまだ道士。普賢たちのように仙号はもっておらんのだ」
しかしながら太公望の相手になれる人物は限定されてしまう。
その最たる相手であろうヨウゼンの姿はここには無いのだ。
かつ、通常の空間ではその衝撃波にこの船自体が破損してしまう。
「空間を使う相手とじゃな。まあ、殴り合うだけが修行ではなかろうて」
小さく笑う唇。
「道行」
「なんじゃ?」
「一つ、わしの相手になってくれんかのう?」
選んだのは道行天尊。老子の目となり世界を見続けてきた女。
「太極図を持つものの相手が務まるかのう」
「謙遜は無意味だぞ。わしの相手になれるのはおぬしくらいじゃ」
御簾の中で印を結んでいた女は片目だけを開いた。亜麻色の巻き毛を留める簪。
この船を操縦するために道行は結界の中から出ることを由としない。
張り巡らされた多面構成の画面たちと飛びかう緑色の数字。
その数字は螺旋を描いて何かを構築していく。
「辿れば世界の存在確率を弄れる……か」
「真似事だ。普賢もこの程度なら出来たぞ?」
万物は数字によって構成されている。その並びを弄れば簡単にすべてを壊すこともできるのだ。
その数字の並びの何処を破壊すればいいかを見極めるのが困難とうだけで。
「太極図とはなんだ?」
太公望の持論では全てを癒すものだと考えていた。しかし、そうなれば普賢の持つ対極符印も
反宝貝となり同じ存在になる。
太極図と対極符印の違いを考え始めて浮かぶ疑問。
この宝貝は癒す物では無いということ。
「他の宝貝の力を消し去って癒す物と思っていたが…そうではないな?蝉玉たちがだるさを訴えておった」
持ち手である術者の精神力をも吸い取って全ての効力を消し去る。
「あのとき……一時的にだがわしの能力も上がった」
その吸い取った力は?
「その考えで当たりじゃ。あれは吸収して己の力に変える」
「………………………」
「ただし、器がそれに耐えきれぬならばそれまでじゃ。溢れだして溶解する」
古代からの宝貝は持つものを自ら選ぶと言う。
その最たる存在が聞仲の所持していた禁鞭だった。
「太極図はおぬしに逆らうことがないのだろう?」
「今のところはな」
閉じていた右目が開く。
「ならばあいわかった。おぬしの相手、この道行天尊が勤めようぞ」
その瞬間に生まれ出す磁場と圧力。大仙人の号も字も伊達では無い。
この狭い御簾の中は無限に続く宇宙に成り代わり存在など小さなものに。
「はてさて……太公望はどれだけ耐えられるか」
その闇の中心に簪を投げ入れる。
「道行!!なんじゃこの世界は!!」
「そこから自力で出てくるがよい。おぬしにはそれが一番の修行じゃ」
神様なんていない。信じられるのはこの手で触れたものだけ。
可能性を見つけ出すために使った五千年の時間は無駄ではなかった。
「王天君、知ってますか?知ってますよね?私の恋人の名前を」
蠢く細胞が王天君の身体を構築していく。
「わかっていて、貴女は彼女を殺そうとした」
じくじくと疼くこの肉。
「貴女は彼女に執着してる」
欲しいのはただ一つだけ。
「同じように私も彼女に執着している。それもまた愛ですが」
踏みにじられるこの思い。もう何度目の繰り返される夢また夢。
全て招くは愛情も執着
加速して行くこの心
15:36 2011/07/19