◆青天の雨◆









「さて。そろそろわしらも旅立つか」
それは透き通るほどに晴れ渡った日のことだった。
何時の模様に彼女は空を押し上げて遠くを見つめる。
「そうですね。いつまでもここにはいられませんし」
「それに、旅立つには絶好の日じゃ」
くすくすと笑う薄い唇。
風に揺れる頭布はまるで兎の耳のよう。
羊雲は静かに流れて頬を撫でる風の清しさ。
「今日が何の日か知っておるか?」
いまや名実ともに太公望の補佐官となった青年が首を傾げる。
「今日はな、運命の日じゃ」
それはたったひとり忠誠を誓った人が旅立った日。
それはかけがえのない親友を失った日。
己の脆弱さに歯ぎしりし初めて明白な殺意を知った日。
そして―――――――彼女が仙界へと誘われた日。
「嫌なものだ。すべてが同じ日に重なっておる」
それは偶然に見せかけた仕組まれた歯車。
その道を外れるために今はいばらの道を歩き行く。
真っ赤に染まった脚はもう痛みさえも感じない。
「……ええ」
ただ隣に居ることしかできなくとも。
誰かが傍に居てくれるだけで十分だと笑うのに。
その笑みがどうしても死に向かうようで生者のそれに見えない胸騒ぎ。
「どんな結末になろうとも、どんなことがあっても」
彼の手がそっと彼女の頬に触れた。
「僕は最後まであなたの隣に居ます。この場所には誰にも譲らない」
悪しき化身と罵られ、神として祭られて。
人として生まれ人を捨て人のために身を焼いて人の為に彼岸に赴く。
黒髪揺れる朝焼けの清しさも、紺が解けていく宵闇も。
あの日々が全て夢だったと言わんばかりに人の世は動き始めている。
「一つだけ忘れ物をしました。先に進んでいてください」
「何を忘れた?」
「父の形見です。必ずあなたの剣となり……戻りますゆえに」
誰かを信じられないなどという気持はもうどこにもなく。
この心を置き去りにする場所もなく。
あの人との約束も、もはや成就してしまった。
「良い風じゃ」
「ええ」
しっかりととりあった手。これ以上の暖かさはもう要らない。
ゆっくりと剥がれ落ちた幼年期と初期型の歴史たち。
古い神様など捨ててしまえと遠くから声が聞こえた。





八卦路の中に胡坐を掻いて少女は両腕を横に突き出した。
「動かすよ」
身体中に纏わりつく生体管。
封神台の内部を管轄するこの空間に座したのは一人の少女。
神として祭られしかつて人として存在した仙人だった。
「座標軸の設定完了。これより封神台を切り離します」
余化の声を合図に少女はその指先で正確に数字の羅列を打ち込んでいく。
浮かび上がる緑色の数字たちが螺旋を描きながら少女の周りを徘徊する。
「歪曲空間への侵入を試みます。操縦者(パイロット)はそのまま機動させてください」
封神台の内部に入れるのは女性だけ。
それはかつて内部に幽閉された女の魂の名残なのか、それとも孤独な神様の欠片なのか。
「防護壁を解除。圧縮空間に備えて次期高炉(セカンドナビ)を起動させます」
その声に姚天君が少女の頭上で印を結んだ。
浮かび上がる生命呪詛と世界樹の戯言。
姚天君と金光聖母、そして余化が綺麗な正三角形を描く陣を取る。
「封神台、発進!!」
揺れだす外部に反して内部は別空間になり静かな緊張だけが持続する。
二つの仙界の技術の総決算。
そして、二つの仙界が手を取り合った瞬間だった。
「表は静かじゃのう」
空中に浮かんだままの姚天君の声に余化が答える。
「いいえ、姚天君様。表ではあの分身たち相手に公明さまたちが戦っておられまする」
「ということは道徳も?」
「はい」
その声に普賢が画面を起動させる。
映し出されるのは帯びたたしい数の軍勢と戦う仙人たちの姿。
それは目指すべき空間が正しいことを示唆していた。
「操縦だけに専念してください、普賢真人」
「……ま、そこまで弱い男じゃないけども……」
「確かに相手は神様の欠片かもしれませんが、此方の戦力も確かですからご安心を」






縛竜索が弧を描くたびに消えていく残像。
大仙の名を持つ男はその戦闘能力の高さは確かなものだった。
「ほえー……趙公明もやるもんだねぇ……」
銜え煙草を弾き飛ばして宝剣を構えなおす少年の姿。
目の前では彼の師が一刀で影を真っ二つに切り裂いた。
「おれっちも負けてらんねぇさ!!」
禁鞭など無くとも男の拳は頭蓋を打ち砕き、脳漿が飛び散っていく。
「聞仲もすげーさ……改めてみなくても……」
経験値の低さを若さと勢いで補っての戦闘を続けてきた彼から見れば、今ここで戦っているのは
みな歴戦の猛者たちに他ならない。
真に強きものは己の肉体一つで闘うのは歴史が教えてくれた。
「おい趙公明!!どこまで片付けりゃいいんだ!?」
「飽きるまでだね。久々の運動は清々しいと思わないかい?道徳真君」
靴底が砂煙を巻き上げて道徳は首をこきり、と鳴らした。
「だってよー、慈航。あっちが飽きるか俺らが飽きるからしいぞー」
夜を止めたこの空間の中は全てにおいて隔絶されている。
夜明けまですべて片付けるために、時間は少しでも長いほうがいい。
ため息は煙草で打ち消してもう一度大地を蹴った。






「よし、そろったな。ヨウゼンは少し遅れてくるし」
それぞれがそれぞれの思いを抱いて、最後の場所へと旅立つ。
これが本当のさようなら、だとは誰も言わずに。
「本当に行くのかよ」
太公望の隣に立つ新しい王が少し拗ねたような声をあげた。
「これが最後の戦いだからのう。行かぬわけにもな」
「そっか……止められねぇのはわかってんだけどさ……」
人の世は人に、仙道はいよいよ神を討つ。
最初の日と同じ傍らには霊獣が寄り添った。
違うのは今はこんなにもたくさんの仲間がいる。
失ったもの、得たもの、何一つ無駄なものなどなかった。
「まあいいか。今生の別れってことも無いんだろ?」
「うむ」
男が上げた手を少女のそれが軽く打つ。
このときはまだ二人とも知らなかった。
太公望という完全な存在はこれで見納めになろうということを。
「ご主人」
その背に乗りこんで空を見上げる。
解け行く雲はまるで理想郷に見たそれのようで少しだけ郷愁を呼び起こした。
「太公望さん」
自分の血を持つ最後の一人。
その姿も名も肉親そのものの存在。
「いよいよ最後の戦いですね」
それは長かったこの歴史を変える大戦争を終わらせるためのもの。
姜族の歴史を変える最後の一人。
「私は貴女を誇りに思う」
それは彼女一人の言葉ではなく、その場にいる人間全ての言葉だった。
「だから……必ず帰ってきてください」
「うむ……しばらく人の世は頼んだぞ」
次々に消えていく仙人たちの姿。
覚悟を持つものの後ろ姿はかくも美しいものかとため息までこぼれる。
「行くぞ、スープー」
「はいっす!!」
彼女の足が大地を離れて。
「望!!」
僅かに動いた彼の唇から読み取る言葉。
「…………………」
小さくうなずいてその姿は彼方へと消えていった。
全ての仙道を引き連れて。
雲を突き抜けて太陽を真後ろにして進みゆく少女。
「……雨……こんなに良いお天気なのに……」
静かに降りだした雨は暖かくて。
「武王、城の中へ」
「……………………」
「武王?」
「良いんだよ。少し濡れてたいんだ」
この涙が彼女にわからないように雨に濡れよう。
必ず戻ると笑ったあの子のためにできるだけのことをしよう。
その願いは太平の世であり民族の壁をなくすこと。
彼にしかできない彼女の願いをかなえる行為。
(わかってるから、早く帰ってこいよ)
いつも隣にいた小さな姿。
小言も笑い声も、もう聞こえない。
この手の届く距離にいた一番愛しい存在が、今は一番遠い場所に行ってしまった。
(必ず、帰ってこいよ……)





之に於いて地上からは仙道は全て消えうせた。
古い歴史を道連れにして―――――――。





13:31 2009/08/11

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