◆空を泳ぐ人魚◆




「坂本さん、この請求書はなんろ?」
男の眼前に紙切れを突きつけて、女は呟く。
「何で、あんたの遊んだ金を払う義務があると?」
癖のある黒髪をばりばりと掻いて、けらけらと笑う声。
「あっははははは。あれじゃ!ちょーっと遊んできて……」
「この金額が、ちょっとか?」
栗色の髪に手を伸ばす。
鎖骨の辺りまで伸びたそれは、男とは対照的に癖の無いものだ。
さらりと指を抜けるのと同時に、女の手が男の手首を捻り上げる。
「毎回毎回、いい加減にしろといっとろーがぁぁぁあ!!!」
「うぎゃああああ!!!陸奥!!俺が悪かったろぉああああ!!!」
「じゃかあしぃんじゃ!!このもじゃもじゃ頭がぁあああ!!」
響き渡る男女の声は、この船の名物だ。
「坂本さんって、この船の船長ですよね?」
「操縦だけな。ほかの運営は陸奥さんがやっとるよ。お前、新入りだもんな。
 陸奥さんが坂本さんを怒鳴りつけるのも蹴り飛ばすのもグーで拳入れるのも
 簀巻きにして吊るすのも百烈ビンタも日常茶飯事だから、気にすんな?」
小柄な女は、自分よりも頭一つ分背の高い男を豪気に殴り飛ばす。
その鮮やかな動きは、見るものの目を奪うほどだ。
「陸奥、俺が悪かったというとるにー!!」
「その言葉は聞き飽きた」
がすん!と一発蹴りを入れて女は操舵室へと消えていく。
この船は宇宙を泳ぐ。
それぞれの夢を乗せて。





(航路に問題も無し。坂本さんをそろそろ回収したろかの)
首をこきり、とまわして陸奥は扉を開く。
「なんじゃ、自力であがってきたんか、坂本さん」
「俺を殺す気か、お前」
「死にとうなかったら、フラフラせんこったな」
ぺちん、と頬を打つ小さな手。
「痛いちに」
「冷たくなっちょる」
作り置きのコーヒーをカップに注いで、男の前に差し出す。
この女は意図せずに、他人の心を揺り動かすことができる。
「暖まるろ?」
鬼の副官と言われても、眉一つ動かさない。
感情を吐露するのは、男がふらふらしたときくらいだ。
それ以外は、とろんとした瞳で操舵室にこもっていることが多い。
「あんまり遊びすぎると、皆に示しつかんろ?坂本さん」
「んー……そうじゃの……」
「頭がそげんこっちゃ、わしも休めんよ」
街娘の様に、華やかな飾りも。
きらめくような化粧もせずに女はこの船に鎮座する。
船を守るものは古来より女神が多いと言うが、この船例外ではなかろう。
星の波間を泳ぐ船に、女は髪を靡かせて乗り込んできたのだから。
「自動操縦(オートモード)にしたきに。ここいらの海域は安全じゃろ?
 少し寝かせてもらうぞ」
手で口元を押さえて、陸奥は欠伸をかみ殺す。
よろめく足元はどこか危なっかしい。
「陸奥……お前、飲酒運転しとったろ!!」
「あんたが余計な世話掛けるからじゃ」
どこかさびしげな背中にさせた原因は、明らかに自分。
どうしたものかと、頭を掻いても答えなどでるわけもなく。
ただ、ぐるぐると時間だけが過ぎてしまう。
「陸奥。足元危ないろ」
「大丈夫じゃよ。坂本さんも早めに休みや」
「そうじゃの。一緒に寝るか」
陸奥をひょい、と抱き上げて男は鼻歌交じりに扉を蹴り上げる。
「な、何するろっ!!」
「一緒に寝る。久々に。第一おまえが俺の相手ばせんから、俺もふらつくんじゃ」
「勝手な言い分つくるなーーーーーっっ!!!」
「ほいほい。わかったから、静かにするろ」
好きで乗ってしまったこの船。
行く先は星任せ。






「なんで、こうなるんじゃ?」
腫れた頬を擦りながら、男は女の隣に立つ。
「病気がうつされたら、たまらんからの」
「う……それは…………」
暗闇の中、ぼんやりと浮かぶ小さな光。
陸奥の掌で、じっと動かずにそれは輝きを灯す。
「綺麗ろ、坂本さん」
「宇宙蛍。ここいらじゃそうそう見んものじゃ」
小さな光は、夜空へと消えて行く。
柵も何もないその自由さが、胸を締め付ける。
「陸奥?」
「わしは、阿保じゃ。女癖も悪ければ、髪の癖も悪い男に釣り上げられた」
いつも、微妙な距離が邪魔をする。
君の心に触れる事に出来ない、このもどかしさ。
本心を見せられないわけではないのに。
君に、拒絶されることが怖くてここから動けない。
「陸奥」
「あんたが最後に落ち着く港は、どこなんじゃろうな」
「俺は、お前を釣り上げてなんぞおらん」
この数歩が。
酷く遠い。
「じゃあ、なんでわしをこの船に乗せた?航海士は他にもおろう」
「……それは……」
手を伸ばせば、抱きしめる事も出来る。
いつものようにキスをして、じゃれあうことも。
「わしが釣り上げたのは、人魚じゃからのう……」
「?」
「水槽の中じゃ、生きられん。でもな、手元に置きたかったじゃ」
宇宙を泳ぐ人魚は、その手を伸ばして男を惑わす。
唇からこぼれる言葉は、魅惑の呪文。
「海に、帰りたいか?」
やたらに真面目な夜には、涙がこぼれそうになる。
何度も何度も、自分に言い聞かせてきた。
見て見ない振りをしよう、と。
「わしが、人魚か?」
「あー……うん」
「船を沈める妖女じゃ、人魚は」
振り返った顔は、どこか少し呆れ顔。
それでも、仕方が無いと彼女は小さく首を振った。
「わしがこの船を降りても、良いのか?」
「いやじゃ。そげんことは、わしが認めんっ!!」
「わしも、坂本さんと同じように、遊んでも良いか?」
「それはもっと認めんっ!!陸奥は俺の女じゃっ!!」
「大声ださんでくれ。皆が起きるきに」
ゆっくりと近付く足音。
息が掛かるほどの距離。
「そう思うなら、態度でみせてみんか」
「うー……」
「ふらふらふらふら。祭りの金魚か、あんたは」
頬に触れる手の柔らかさ。
逃げずに、互いを見詰め合うための儀式。
「陸奥も、わしの事は好きじゃろ?」
「知らん」
背けた頬が赤くなるのが、彼女の答え。
「なんじゃー……わしの事好いちょると思っとったのに……」
わざと項垂れれば、必ず彼女は手を差し伸べてくる。
「坂本さん、身体に障るきに。部屋、戻るろ?」
「ん……」
釣り上げた人魚は、その声で男を魅了した。
尾鰭は足となり、慣れない大地を踏みしめる。
(わしは、釣り場の感は誰にも負けんのじゃ。だから、おまえを見つけられた)
星の海を並んで見つめて。
まだ誰も知らない海図に、標を付けよう。
「風邪ひくき……」
ただ触れるだけでも、いつもよりもずっと真面目なキス。
どくん、と心臓が高鳴る。
「風邪ば引かれたら、わしが皆に恨まれるの。戻るか」
「……………………」
鼻歌交じりで、扉に手を掛ける。
「陸奥」
「?」
「わし、釣った獲物は大事にするほうじゃぞ〜」
子供のように駆け出して、ばたん!と扉を閉じる音。
(魚もな……ただ水槽の中でおとなしくする気はないきに……坂本さん……)
ゆらり、ゆらり、と進む船。
宇宙(そら)を見上げて、女は小さく笑った。






「坂本さん、この請求書は何じゃ」
「その〜〜〜〜、まあ、あれじゃ。陸奥、話せば分かるきに、なっ?」
やれやれと陸奥は首を振る。
「まぁ、いい。次の寄港先ではわしも請求書をもらって来る」
「待て!!それは俺が認めんっっ!!」
御伽噺のように、優しい日々はまだ遠い。
それでも、この関係を愛しいと思える気持ちは二人の共有する感覚。
「美容室、飲食代、それから……何しようとなぁ……」
命は短い。その間に出来る事を精一杯にやりたいから。
この歩ける足と見える目で、どこまでもいこう。
その隣に、君が居てくれるのならば。
きっと、迷うことなどないのだから。





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0:39 2005/03/05


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