◆プラネタリウムチョコレート◆





「ねぇ、銀ちゃん。銀ちゃんは私を残して死んだりしないよネ?」
板チョコを齧る男の傍らで、少女は小さく呟いた。
「神楽。おめー、そんなに俺様を糖尿病で早く殺したいのか?」
「違うヨ。銀ちゃん、私よりも脆いから」
日傘を回しながら、神楽はけらけらと笑う。
戦闘民族である『夜兎』は、太陽の光を避けるために常に日傘を持つ。
彼女も例外なく、日傘を持ち歩いていた。
「銀ちゃん、チョコばっか食べてると脳味噌まで解けちゃうヨ」
「でもよー。チョコ食わないと銀さん生きていけないのよ。神楽ちゃん」
「銀ちゃん、あっちいこうヨ」
男の手を引いて、少女は静かに歩く。
自分で決めた道は、まだはっきりとしないけれども。
「私もチョコ食べたい」
「んじゃ、チョコパフェでも食いますかね」
地位も名誉も御金も無いけれども、一緒にいたいと思える何か。
自分の星では得られなかったものを彼は持っている。
「それ、私の苺!!」
「神楽、好きなものは早めに食わねーと、こーいう目に合うんだぞ」
銀色の匙が、少女の唇に触れた。
「……………………」
「ん?どーした、神楽?」
「私、銀ちゃんの『好きなもの』じゃないんだネ」
君と一緒にいたいと願ったのはいつからだろう。
夢の中はまるで別世界で、この思いも告げることが出来るのに。
口の中でとろとろと蕩けるクリームの味も、わからないまま。
切なさだけがほろほろとこぼれた。





「神楽ちゃん、お風呂沸いてるからね」
「ありがと。新八」
こきこきと首を回して、眼鏡を押し上げる少年。
「僕、今夜は帰らなきゃ行けないんだ。帰らないと、姉上にぶっとばされ……」
「新八も大変ネ。でも、私、姐御大好きヨ」
二つに結んだ髪を解いて、少女はくすくすと笑う。
自分たちと同じ姿の、異なった血の持ち主。
「おやすみ、また明日ネ」
「神楽ちゃん」
少女を呼び止めて、その手に飴の様な物を握らせる。
「これ、姉上が好きなんだ。お風呂に入れるんだって。なんか……元気なかったから。
 買い物のついでに持ってきたんだ」
ピンク色の包みの中に、見える透明な球体。
「あのね……銀さん、悪い人じゃないんだけどねぇ」
「……うん、私も知ってるヨ」
だからこそ、ほんのりと痛むこの胸は。
彼女がまだ、恋に恋する少女だということの証明なのだから。





窓から見上げる月は、故郷によく似ていて。
本の少しだけ寂しさが募る。
(パピー、にーちゃん……私、もう少し地球で頑張ってみるよ)
湯船に肩までつかっても、一番奥が冷たいまま。
「おぅーあ……なんだ、神楽おめーも風呂入ってたのか」
「ほぁちゃあああああ!!!なに、粗末なもの晒してるネ!!銀ちゃん!!」
「粗末とかいわれると、銀さん泣いちゃうぞ」
少女の言葉など、気にも止めずに男も湯船に浸かる。
「乙女のバスタイムに勝手に入るような男は最低ヨ」
「神楽、乙女はチョコ食いすぎて鼻血だしたりもしねぇし、グーで男なぐったりもしねぇぞ」
「馬鹿だネ、銀ちゃん。私はニュータイプの乙女よ」
これだけ近くに居ても、君が遠いことを一番に感じてしまう。
それでも、君の言葉が過去から自分を引き出してくれた。
「ニュータイプねぇ……夜兔ってのはみんな強い女なのかねぇ」
教えてください、神様。この人のそばに居るための資格を。
どうすれば彼が笑って生きていけるのかを。
「強くなくちゃ、生き残れない」
「だな。女は気が強いくらいで調度いーんだよ」
強くなければ生きてはこれなかった。甘えるだけの誰かはもういない。
星を飛び出して自由が欲しいと叫んで、今は不自由の中で見つけた小さな光にすがるだけ。
窓際の花は何時しか萎れてしまって色を失う。
そうなる前に誰かが綺麗と言ってくれたなら、それだけでも花は幸せだといえるのかもしれない。
「銀ちゃん」
「んぁ?」
「銀ちゃんはどうして坂本たちと一緒に行かなかったネ?」
頭に載せたタオルを降ろして、空気を含ませながら湯船に沈める。
球体から生まれる泡はまるで人生の縮図。
「俺はなぁ、空飛ぶよりも大地に足着けてるほうが好きなんだ」
「銀ちゃんだったらきっと面白い船作ったヨ」
「んでも、それは俺じゃねぇ誰かがなんとかするもんな。坂本とか。あいつは船しか
 頭ん中ねぇから駄目なんだろうけど」
彼は不自由な自由を選んでこの星に残った。
自分は自由を求めて星を飛び出した。
けれども、手に入れたものはいったいなんだったのだろう。
「何か悩みでもあんなら、銀さんが聞いてやるぞ?」
「ううん、つまんないことだヨ」
「詰んねぇことでも、お前がそんな顔するくらいのことなんだ。そりゃあ一大事だろ、
 神楽ちゃんよぉ」
ぱしゃん!手で作られた形は水鉄砲のそれ。
正面から受けて神楽は頭を振った。
「何するネ!!銀ちゃん!!」
「おーおー。それくらいで何時もの神楽だなー」
「……銀ちゃん……」
不自由な自由でも、彼はそれを楽しんでいる。だからこそ、彼の周りにはいつも誰かがいるのだ。
特別なんかじゃないはずのその手が教えてくれたのは、とっておきの気持ち。
「新八もいないし、風呂上がったらアイスでも食いますか」
「私の分もある?銀ちゃん」
「おーよ。さっき買ってきた。スペシャルチョコマーブルだぞ」
この手をしっかりと掴んでくれたのは彼だけ。
その暖かさを信じてみようと
冬の空でも寒さを忘れてしまう魔法を彼は持っているから。
夢よりも御伽噺よりも現実が一番ドラマティックだと教えてくれた。




「せっかくだから湯冷めしねぇ程度に外で食うか」
階段を上って、どうせだからと屋根の上に座り込んだ。
歌舞伎町が一望できるこの場所は、二人にとってもお気に入りの一角。
「銀ちゃん」
「んー?」
カップアイスの蓋を外して、木箆を差し込む。
「銀ちゃんはこの街が好き?」
あの星を好きだと思ったことはない。自分を待つものはもう誰もいなかった。
夜兎の血は、どこに行っても疎まれる。安住の場所など無いと。
「うるせぇババァはいるわ、アイドルマニアの眼鏡はいるわ、底知れねぇ腹のガキは
 降ってくるわ、挙句もじゃもじゃには拉致されるわ……最悪だな、ここ……」
「…………………」
口の中に広がるバニラとチョコレート。
甘い甘い地球の味。
「でもなぁ、俺ぁそういうの嫌いじゃねぇのよ。面倒でも何でもな」
ぽん、と少女の頭に手を置いて。
「だから、お前が落ち込んでると銀さんもつらいのよ」
たくさんの命を乗せてこの星は回り続ける。
数え切れない光の中に、君もいるのだから。
あの日、君に出会ったことはきっと神様からの取って置きのプレゼント。
甘い甘いチョコレートよりも、ずっと心に染みてくる。
「俺はこの街が好きだぜ。この街に住むお前もな」
夢は覚めてしまうけれども、彼はここに居るのだ。
この星で生きて、笑って、愚痴をこぼして、涙を飲み込んで。
隠した言葉の下にある光。
それはどの星よりも綺麗だと言うことを知ってしまった。
「銀ちゃん、もしも私が夜兎に帰ったらどうする?」
人匙掬って口に含む。
「すぐに忘れちゃう?」
天井も壁も無いこの空間。
広がる星だけがただ綺麗で涙が出そうになる。
「夜兎ねぇ……旅費高そうだからやめとけ、神楽」
数多の惑星から地球を選んだあの日の自分。
「銀ちゃん!!」
「ま、お前みたいにロケットにしがみつくわけにもいかねぇから、もじゃもじゃにでも
 頼んで行くしかないんだろうけど」
少しだけ距離を縮めて。
「忘れるわけねぇだろ。そういうことは滅多に言うもんじゃねぇ」
人が死ぬのは痛みでも、老衰でもない。
誰かにその存在を忘れられたとき。
「何が何でも俺はお前のことは忘れねぇっての」
「銀ちゃん……」
寄せられる好意に気付かないほど幼くも無く、それを見過ごすほど老いてもいない。
「良いか、神楽。よーーーーっく憶えておけ。明日世界中、いんや、宇宙中の奴らが
 お前を忘れても俺だけはぜってぇに忘れねぇからな」
「銀ちゃん!」
飛びついてくる少女をそっと抱いて。
「俺は好きなもんは最後まで取っといてから食うんだよ」
「私もだヨ」
「あー、ちゅーしてぇ……してもいいか?」
思わず噴出してしまう言葉も、彼なりの優しさ。
「野暮なことは聞かないのが男ネ。銀ちゃん」
だから、ぎゅっと抱かれて瞳を閉じた。
初めてのキスは甘い甘いチョコレートの味。
月に住む兎も今日だけは顔を隠してくれる。
「大好きヨ、銀ちゃん」
このキスが彼の気持ちなら、告白は自分からしよう。
「ずっと一緒に居ても良い?」
「当たり前のこと聞くなんて、おめーも頭悪ぃな。神楽」
二度目のキスは少しだけ乾いた唇。
月明かり、相合傘、小さな小さな二人だけの空間。
「ありがとう……」
「おーよ。お前養うくらいちょろいのよ。万事屋銀さんに任せとけ」
「一回も給料もらったことないアル。銀ちゃん、甲斐性は無いほうネ」
「そのうちでっかくなるのよー。大器晩成だから」
寄せた肩、絡ませた指先、二つ並んだ空のカップ。
「しょーが無いから、私が見守ってあげるアル」
きっと、この星空を生涯忘れることは無いだろう。
この瞳を閉じるのは、君が居なくなった次の日なのだから。




「ほぁちゃあああああ!!何するネ!!このメガネ!!」
炸裂するとび蹴りと響く悲鳴。
「朝から何を愉快なことしてんだよ……なんですか、ここは動物王国ですかぃ?」
ぼりぼりと頭を掻いて、眠たげな瞳が二人を捕らえた。
「何が原因なんだよ」
「僕がいつもみたいにゴミ片付けてたら神楽ちゃんがいきなり……」
「おいこら、神楽。ゴミはゴミ箱にって習っただろ?」
「だって、新八、これ捨てようとしたアル。これは捨てちゃ駄目ネ」
手に抱えられたのは二つのカップ。中身の無くなったアイスクリーム。
「…………新八、それはゴミじゃねぇので捨てないでください」
「えええええええ!!!!銀さん、これどう考えたってゴミだよ!!」
「わからない男アルな。ゴミじゃねぇって言ってんだろ!!」
この青い星は、これからもたくさんの恋人たちを出会わせていく。
小さな小さな奇跡の糸で。
「あ、それゴミじゃねーな。メガネ君、ちょっと俺にそこのチョコとってくんない?」
「……チョコなら神楽ちゃんが食べてますよ」
「オイコラ!!神楽!!俺のただひとつの楽しみ奪うんじゃねぇ!!」
「ウルサイヨ。ケツの穴の小さい男ネ」
それでも二人でまたあの空を見上げられるならば。
この喧騒はきっとアイスに溶けたマーブルと同じ。
「二人とも静かにしてくださ……!!」
同時に入る二発の蹴り。
崩れる少年を見ながら男は頭を掻いた。
「神楽、チョコパフェでも食いに行くか?ジャンポパフェ30分で食いきればおつれさま
 もタダだからよ。お前ならやれるって銀さん信じてるから」
差し出される手をとってしまうのは。
彼のことを大事に思えるから。
この暖かさはうそなどない。
「甲斐性のねぇ男だな。根性見せろや」
「銀さん今ケツが痛くてね。根性だせないの」
「まぁいいけどネ。いこ、銀ちゃん」




いつか夢のようにあの空を二人で飛べるのならば。
幸せの兎が地上に来るのかもしれない。
まだ空は飛べないから。
それまではこの小さなプラネタリウムで夢を見よう。







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20:58 2006/03/17









                

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