◆コラール・パルティータ◆




それははじめからさだめられていたことなのかもしれない。





「君が、碇シンジ君だよね?」
夕焼けを見つめていた少女がゆっくりと少年の方を振り向く。
「どうして……ボクの名前を……」
白銀の髪が陽を受けて緋色に変わる。
鮮やかなる生命の彩。
「君の事を知らない適格者なんて居ないから」
岩場から飛び降りて、少女はくすくすと笑った。
「ボク、カヲル。渚カヲルって言うんだ」
伸びてくる腕の白さ。まるで、一度も外になど出た事の無いような肌。
「カヲルでいいよ。碇君」
紅玉の瞳が優しく笑って。
「僕も……シンジでいいよ。えーと……」
自分の事を『僕』と言う、この少女。
「カヲル……さん?」
「何かこそばゆいね。御爺様たちもカヲルって呼ぶんだけど……」
男子の制服に身を包んでも、小さな主張をする二つの乳房。
ベルトで締められた腰の細さと、首筋の甘さ。
「じゃあ、カヲル君とかは?」
「そのほうが呼びやすいかもしれない。カヲル君」
運命の鐘は鳴り響く。
悲しい必然を背負った二人の上に。





主を失った弐号機との互換を、難なく少女はクリアする。
もし、それを当のアスカが知ったならばどうなったであろう?
何年も掛けて築いてきたものを、一瞬で奪われるのだから。
「あれ?待っててくれたの?」
待合の椅子に掛けて、天井を見上げる少年に少女は声をかけた。
「あ……うん」
「ありがとう。嬉しい」
「疲れなかった?初めてエヴァに乗ると、体中が痛くなったりすることもあるから」
すとん、と隣に座りこむ。
「そうなんだ?何も聞いてないから」
「大丈夫だった?」
「うん。心配してくれてありがとう」
「着替えたの?」
先刻までとは変わって、ニットのカーディガンとタータンチェックのスカート。
「荷物が届いてたみたいなんだ。御爺様たちは時間と暇とお金はあるみたいだよね」
「カヲル君って……どこから来たの?」
少しだけ跳ねる襟足が気になるのか、指先がしきりに其処を撫でる。
「ドイツ」
「そうなんだ。外国なんだろうなっては思ってたんだけど……」
そっと、重なってくる手。その温かさに呼吸が一瞬失われた。
「怖い?ボクのこと」
じっと見つめてくれる瞳。
その光の中に、浮かぶ自分の顔。
「…………どうしたらいいか、わからないんだ……」
誰かに触れて傷つくくらいなら、一人で居るほうがずっと楽だから。
苦しいことから逃げる術だけは、沢山知っている。
「ボクの事、嫌い?」
「わからないよ……僕にも……」
少しだけ二人の距離が短くなって、肩口が触れ合う。
「そうだ、ご飯食べよう?ボク、シンジ君ともっと話したいんだ」
もっと一緒に居たいと言うこの感情に嘘は無い。
それでも、もしかしたらまた傷つくのかもしれないと思うと足が竦んで動けなくなる。
「お話するのも、嫌?」
「ううん……ご飯、食べよっか……」
指先から感じるこの温かさを、信じたい。そうすればきっと何かが変わるから。
いつだって「また」「もう」「そして」「やっぱり」そんな言葉だけ。
「シンジ君は、少し寂しい目をしてるね」
「………………」
「でも、優しい光を持ってるね。優しい人は余計に傷つくから辛い」
言葉は、誰かを傷つけるための物ではなく。
そして、誰かを疑うための物でもない。
「お腹空いたね。行こうか」
無償であるからこそ、与えられるもの。
無償であるからこそ、奪えるもの。
言葉にすれば同じなのに、何もかもがまっさかさま。





「どうして、カヲル君は……男の子の格好をしてたの?」
長い長い通路に短い影が二つ。
「エヴァは、女だからね。形だけでも男の子のほうが相性がいいんだ。シンジ君も
 そうでしょう?それに、あの弐号機はボクのことを愛してくれる」
静かに静かに笑う彼女。細い身体は抱き締めたら折れてしまいそう。
いや、砕け散ってしまいそうな錯覚さえも抱いてしまう。
儚げという言葉を纏って、彼女は手を差し伸べてくれる。
「シンジ君は、エヴァにどうして乗るの?」
「え…………どうしてって…………」
乗れと命じられて、最初はそれに従った。
そして、自分の意思で操縦するように変わって行った。
それは、何かが疎通したことでもあり、一種の融和だったのかもしれない。
彼女の言う様にエヴァが『女』だとすれば、全てが合致する。
「カヲル君は?」
「自分に帰るため。エヴァはね、アダムの肋骨からできてるんだって。知ってた?」
風にひらひらと揺れるスカート。
「御爺様から聞いた話だけどね。シンジ君は、ドイツに来た事はある?」
少しだけ歩き疲れて、通路に設置されたベンチに腰掛ける。
すらりと伸びた脚と、ぼんやりと光る素肌。
「え……僕、外国とかいったことがないんだ。アスカもドイツからきたっけ……」
今や自分を見失った、本来の二号機の適合者。
彼女が血の滲む想いをして得た操縦者の椅子を、少女は一瞬で自分の物にしてしまった。
「綺麗なところだよ。いつか、一緒に行きたいね」
積極的に誰かに誘われることに慣れないせいで、すぐ傍にある手に触れる事さえも出来ない。
この臆病な気持ちを捨ててしまえれば良いのに。
「日本に行ったら、御友達が出来るよって」
「え?」
「僕、ずっと向こうの施設で育ってきたの。だから、お父様もお母様も知らない。御爺様たちは
 日本に行ったら御友達が出来るよって言ったの。だから……」
震える右手に、重なる柔らかな左手。
「ボク、日本に来たの。シンジ君に逢いに」
「僕……に?」
「うん。エヴァに乗る子は、御友達になってくれるよって」
鞄の中から取り出した菓子パンの袋を破って、少女はそれを二つに割った。
「さっき、葛城三佐にもらったの。はんぶんこ、しよ?」
誰かとこうして何かを分け合うことなど今まで経験した事など無かった。
口の中に広がるクリームの甘さ。
それよりもずっとずっと甘い彼女の横顔。
「部屋(うち)に着いたら、何か作るね。お腹空いちゃったでしょ?」
「え…………」
「泊まって行って。ボク、シンジ君ともっとお話したい」





パスタと簡単なサラダ。カップには少し甘めのパンプキンスープ。
「凄いね……御料理とか得意なの?」
「女の子なら、作れるようになりなさいって御爺様がうるさかったの。スープは
 インスタントだけど、送ってもらった奴だから美味しいよ」
エプロンを外して、真向かいの席に座る。
準備された部屋は、少女の一人暮らしには若干簡素ではあったが不便を感じるほどでもないらしい。
解かれてない荷物が、何個か部屋の住みに置かれている状態だ。
「向こうの御部屋と、同じ感じにしてもらったの。そのほうが落ち着けるから」
パスタボールの中で踊る、色とりどりの野菜達。
誰かに与えてもらえる温かな何かは、一瞬で固められていた心を溶かしてしまう。
「口に合うと良いんだけど……」
心配気に見つめてくる、少しだけ潤んだ赤い瞳。
小さな唇がかすかに開く。
「美味しいよ。僕、こんなに美味しいパスタ食べたの初めてだよ」
「本当?良かった」
一歳しか違わないはずなのに、少女はやけに大人びて見えた。
かと思えば、屈託も無く笑う。
「お代わりもあるからね」
「うん、ありがとう」
幸せだと思える時間があればあるほど、悲しみは深くなってしまう。
終わりを見つめる彼女と、終わりという意味を知らない彼。
それでも、出会ってしまった『不幸』と出会わなかった『幸福』のどちらを選べと問われたならば。
出会わないことを、選べる程薄情にはなれなかった。





(参った……どうやって、出て行けばいいんだろ……)
先にバスルームを使ってと言われ、そうしたまでは良かった。
けれども、今度は出るに出れない状況なのだ。
(カヲル君に先に入ってもらえば良かった……)
問題はどの顔を下げて彼女の前に出れば良いのか。
ドアに手を付いて項垂れても、答えは出てくるはずもない。
「シンジ君、どうかしたの?」
曇り硝子の向こうに見える細い身体。
「な、なんでもないよ!!大丈夫っ!!」
「そう?」
鈴を転がしたような声に反するように、自分を引っ張ってくれる細い手。
時折見せる憂い顔が、心を掴んで離さない。
窓枠に囚われた月のように、届きそうで届かないもどかしい気持ち。
意を決して、ドアを蹴るようにして飛び出す。
「シンジ君?」
硝子の器に入った、星の欠片達。淡い色のそれを口にして、かりり…と砕く。
「コンペイトウって美味しいね。日本に来て良かった」
「え…………」
「シンジ君も、食べよ?」
もっと早く、彼女に出会うことが出来たならばこの感情は抱かなかったのかもしれない。
手を伸ばして、その体を抱き締める。
「……シンジ君……」
同じように、抱き締めてくる手の暖かさ。
けれども、このときに彼には見えなかったのだ。彼女がどんな笑みを浮かべているのか。
彼の肩を抱きながら、そこに埋められた薄い唇。
確信犯の笑みは、聖母によく似ている。
うっとりと目を閉じて、獲物を捕らえたと微笑んで。






「こういうこと……したことあるの……?」
唇が離れて生まれる言葉。
「秘密……」
他人に触れるのに臆病な優しい手を取って、小さなキスを。
「シンジ君は?」
横に振られる首に、くすくすと甘い唇が囁いた。
思った以上に細い身体の線と、なだらかな腰。
躊躇いがちに手を伸ばして、膨らみを見せる乳房に触れた。
「……んー……」
ぎゅっと瞑られる瞳と、長い睫。首筋に噛み付けば、ぴくんと肩が揺れる。
少女特有の柔らかな肌と、まだこれからも成長するであろう二つの乳房。
掌から少しだけこぼれるそれと、肌越しに感じる心音。
異性の身体は、想像していたよりもずっと柔らかくて壊れそうなもの。
「…ぁ……ッ…」
少年の舌先が、小さな突起を掠める。
掌の中で形を変える柔らかな、彼女の一部。
口唇が乳首を包み込んで、ちゅる…と音を上げた。
確かめるように乳房を唇が辿って。そのたびに、小さく揺れる細い肩。
「あ……!!」
今度は貪るように舌先が絡まって、背中を抱き締める。
もどかしげに動く腰と、重なってくる柔らかい唇。
ぴちゃぴちゃと舐め合って、視線を重ねた。
「あったかいね……シンジ君って……」
仄暗い水の中で、ずっと求めた光のように。彼女にとって彼は温かな太陽だったのかも知れない。
少年の喉にキスをして、そっと手を滑らせて行く。
「怖い?」
「……ちょっとだけ……」
指先が掠めるように熱源に触れて、確かめるようにそこに絡んでくる。
「カ、カヲルく……ッ…」
やんわりと扱きながら、自分の上で切なげに目を瞑る少年を見上げた。
指に絡まってくる体液を感じながら、どうすれば一つになれるだろうと目を伏せる。
ただ繋がるだけではなく、彼の一番奥底の物に融合したい。
「あ!!」
横倒しのまま向かい合って、互いの身体を弄りあう。
「ん……あ…っ!…」
たどたどしく触れてくる指先に、身体が震える。
人間は次の命を紡ぐために、生殖行為を行う。体液が溢れてくるのも行動を円滑にすまさせるための
潤滑液に過ぎないはずだった。
ゼーレで受けてきた行為と、変わらないはずなのに。
「や、んんっ!!」
同じように濡れているはずなのに、ひどく身体の奥が熱く感じた。
少年の指が動くたびに、どんな微細なものでも逃がしたくないと蠢く膣肉。
身体だけではなく、もっと違う何かが疼く。
「あ、ァ……シンジ…く……!」
とめどなく溢れだす愛液は、彼の指をぬるぬると濡らす。
その指先が、震えるクリトリスを押し上げた。
「きゃ…ア!!アあっ…」
汗ばんだ身体を組み敷いて、膝を割って脚を開かせる。
(僕でも……女の子をこんな風にすることが出来るんだ……)
ふ…と入り口に息を吹き掛ければ、それだけで彼女の喘ぎが強くなる。
躊躇いがちに舌先でそこをなぞり上げて、今度は唇で肉芽を強く吸った。
「!!!!」
びくびくと震える細い腰を押さえ付て、秘所に顔を埋める。
柔らかな媚肉を舐め嬲って、夢中になってそこを吸った。
「あ!!ああんっ…あぅ……!!」
ぴん、と尖った乳首を噛んで、丹念に其処を口腔で愛撫する。
「あっ…あ!!やー……んん!」
しがみつく様に頭を抱いてくる腕と、肌で感じるぬるついた体液。
「……ここに、挿入れても……いい……?」
「……うん……」
おずおずと開く脚と、埋め込まれる他人の一部。
膣内を擦り上げるだけの行為のはずなのに、満たされていく感情。
「…ァ……ぅん…!……」
ぽろぽろとこぼれる涙を払ってくれる指先。
(ああ……そうなんだ……この気持ちが好きって気持ちなんだ……)
人間だけが持つ恋愛感情。身体は『心』とうものと密接に絡み合う。
だからこそ、ただ唇を吸い合うだけで得られる至福感。
「……くん……好き……」
忙しなく腰を動かす少年の背中を抱き締める。
「……シンジ君のことが……好き……」
潤んだ瞳が投げかける甘い視線。
「僕も……カヲルくんのことが……好きだよ……」
この感情は明日になれば消去されてしまうものなのかもしれない。
少年も少女も残酷で悲しく優しい生き物。
だからこそ、生体兵器に乗り込み戦うことができる。
「…き……大好き……」
繰り返す言葉は、呪文のように耳を支配して行く。
じんじんと熱い身体と、もてあます愛欲を正当化してくれる魔法のように。
例え、明日になってこの気持ちが嘘になったとしても。
「ああ!!ああんっ!!」
この身体の中に、残される遺伝子の欠片を取り込んでこの身体は想いを身篭る。
「っは……カヲル……く……!!…」
内側で震えるて弾ける何かと、受け止め気れずにこぼれる混ざり合った体液。
ぐちゅぐちゅと絡まって肌を重ねて。
一つの肉塊になって腐ってしまえれば良いのにと、小さく呟いた。
堕ちて行く夜の心地よさは、肌を冷やして思考回路を目覚めさせる。
真実など見つけられないまま、まだ熱いままの身体を抱き締め合った。






指先に灰白の髪を絡ませて、目を細める。
「どうしたの?」
「珍しいなって思って……綾波とも違う色だし……」
「ファーズトチルドレン?」
「あ、うん……」
胎児のように身体を丸めたまま、目だけで少年を見上げる。
体内回帰を予想させる体液と同じ赤の瞳。
「生まれつき……おかしい?」
「おかしくなんか無いよ!!その……」
「?」
「……綺麗……だなって……」
自分の感情を誰かに伝えることに慣れない少年なりに、捜した言葉。
「ありがと……嬉しい」
残酷な明日が来るまでの残りのこの時間を。
出来るだけ大事にしたいと、胸が痛んだ。
硝子の向こうにいる、明日の声なんて聞こえないように耳を塞いだ。
ただ、彼と一緒に居たかった。






鳴り響く歓喜の歌に首を振って、少女は静かに歩き出す。
「使途進入です!!」
「やっぱり……あの子が最後の使者だったのね……」
セントラルドグマを降下して行く姿はどこか神掛かってさえもいる。
光を帯びて、その背に羽を持つ最後の使途。
第十七使途、ダブリス。それが彼女の名前だった。
「アスカは……使えない。シンジ君を行かせるしか……」
待機したエヴァの中、少年はモニターを呆然と見詰めていた。
使途殲滅が自分に課せられたもの。
その使途は、一番あってはならない姿をしているのだ。
「シンジ君!!出撃よ!!」
「い……嫌だ!!こんなの嘘だ!!」
少女は弐号機を従えて、最下層を目指す。彼女の狙いは最初から決まっていたのだ。
「命令よ、行きなさい!!」
「こんなの……こんなの嘘だぁっっ!!」
画面に映しだされる拡大された彼女の顔。
その唇が小さく動く。
「……カヲル君……僕のこと、好きって言ったのは嘘だったの……?」
初めて感じた誰かの好意。初めて知った誰かの暖かさ。
何もかもが嘘だとしたら。
「……君も、僕の事を裏切るんだね……」
操縦桿を握り、力を入れる。
「僕を……裏切ったんだ。父さんと同じように!!」
優しく甘い嘘に、溺れたままでいたかった。






「待ってたよ、シンジ君」
スカートの裾を翻して、振り向く姿。
「よかった。来てくれないかと思った」
まるで何も無いかのように、彼女は微笑む。
「君が使途だなんて……嘘でしょ……」
「嘘じゃないよ」
反射的に、彼女の身体を掴む。それでも、何も変わらすに自分を見つめてくれる瞳。
唇も、声も、肌も、優しい匂いも、何もかも。
何一つ忘れることなく、憶えているのに、
「僕を……裏切ったんだ……っ!!」
違う、と横に振られる首。
「大好き」
「嘘だ!!」
「嘘なんか、ついてないよ……」
明日、君が自分のことを忘れてしまっても、君のことを忘れることなどない。
この温かな感情を教えてくれた君の手に掛かれること。
それはきっと、誰かが自分にくれた最後の幸せ。
「だって……シンジ君に出会うために、生まれてきたんだもの……」
最後の愛の告白は、彼女の唇から。
「大好き。ずっと、ずっと」
「カヲル……くん……」
「僕を殺すのがシンジ君で、本当によかった……」
鳴り響く歌声と、せめぎ合う感情。
こんな未来など、欲しくは無かった。
ただ笑い合って、当たり前の時間を分かち合えればそれでよかった。
ただ、それだけで十分だった。
「う……うわぁああああああっっ!!」
手の中で消えて行く命。
最後に彼女の唇が笑っていたことなど、彼は知る由も無かった。





優しい嘘でも、甘い言葉でも。
この現実を否定してくれる誰かが欲しかった。






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17:27 2005/07/09



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