◆例えば君の知らないあんな事◆






「何やってんだ、糞ドレッド」
折りたたみ自転車に乗った金髪の少女は銃を背負う。
「見りゃわかんだろうが、カス」
「ああ。そのカスからみてもカツアゲってのはどうにもカス以下だな」
相変わらずフーセンガムを膨らませて、お気に入りのジャケットのポケットにも同じもの。
「恵んでほしいなら一枚くらいくれてやるぜ?」
「いらねーよ、カスの物なんか」
ぱちん。弾けたガムにもう一枚と口の中に。
無糖ガムを膨らませると言うのは案外難しいものだ。
「お前これからどこ行くんだよ」
「ホテル帰る」
屍累々は見飽きた光景で、あたりに広がる血の匂いも特に気にもならなくなった。
「ナントカ手帳のネタ探しはもういいのか?カス」
「んー……今日、そういう気分じゃねぇんだよな……どっちかっつーとカレー……」
ぼそぼそと呟いて考え事をするのは彼女の癖の一つだ。
それなのにその内容を察することはほぼ不可能に近い。
口に出る言葉と腹の中は全く別物に分けれるのがこの悪魔の恐ろしいところだ。
それに比べれば直情型の金剛阿含は分かりやすい男だろう。
「あァ?カレー?」
「そういうこった。んじゃまたな、糞ドレッド」
「待てやカス」
ハンドルに掛かる手を掴めば面倒だと言った表情。
「触んな」
「あァ!?」
「触んなっつってんだよ」
いつもと少しだけ違う横顔。その意味を探ろうとしても肝心なことは絶対に漏らさない。
「……ピアス変えただろ、カス」
「よく気づいたな。テメーにしちゃ上出来だ糞ドレッド。と、言うわけで俺様は飯の時間だから帰る」
はぐらかしは上等であっという間に自転車は走り去ってしまう。
夕刻闇に消える金色の光はいつもと違う色合いだった。






「妖ちゃん、おかわりは?」
「もういいや。これ以上食ったら帰れなくなる予感だ。食い過ぎ注意なカレーだよな」
武蔵家でさも当然のように夕食に混ざる光景もそう違和感が無くなっていた。
両手を合わせて「ごちそうさまでした」というのは武蔵家でのルールの一つだ。
「うわー、雨降りそう。早めに帰んねぇと」
言い終わる前に降り出す雨に眉を潜めた。豪雨の中の自転車ほど不憫なものは無い。
「悪ぃ、かーちゃん。傘借りれっか?」
食器を片付けながら雨雲の様子を窺えば、大粒のそれが一斉射撃を仕掛けてきた。
こうなってしまえば傘などあっても無用の長物に他ならない。
「……やっぱいいや。濡れて帰る」
「泊っていけばいいじゃない、妖ちゃん」
「はい?」
間髪いれずの応答に、蚊帳の外の息子が笑いだす。当然ながら小さな声で。
「かーちゃん、今何つった?」
「泊っていけばいいじゃない。お布団もあるし」
豪雨という理由だけで果たして昨今の親は息子の同級生の女子を自宅に宿泊させるものだろうか?
何が何だかという表情を読み取ったのは父親だった。
「泊ってけや、いくらうちの倅が馬鹿でも場所ぐれぇ選ぶだろ」
痛いほどの強さであろう雨粒に小さな自転車では太刀打ちできない。
ここで断るよりは宿を借りるほうがどう考えても得策だろう。
「んじゃ、お言葉に甘えさせていただくぜ」







ある日、息子が連れてきた同級生は本当に同じ学年なのかと思えるような少女だった。
細身の身体に男子の学生服。金髪にピアスのその姿は日本人というにも難しい。
「お前、随分と面白ぇな」
「どーも」
職人気質の彼の父親からすれば彼女は異世界の住人にしか思えない。
「厳、ありゃ日本人か?」
「多分」
断言できないのは仕方ないとしても、彼にとっても知らないことが多過ぎるのは事実で。
少しだけ距離を縮めることができたがゆえに自宅に連れて来てみたのだ。
「名前は何だ?」
「蛭魔妖一」
「本当の名前は何だって聞いてんだよ、俺は」
初見で何かを見抜くのは、修羅場を潜りぬけてきたものにしか持ちえない感覚。
その一言にヒルマの左眉が僅かに上がった。
「まだ、内緒」
悪戯に片目を閉じて、人差し指を唇わざと当てる。
「いい度胸してるガキだな」
「誉められてンのか?まあいいや」
ケタケタと笑う姿。多種多様な人間を見てきた立場からしても稀有な存在。
それからも息子は時折その少女を連れてくるようになった。
一人息子が相変わらず何を考えているかは分からないが、両親にしてみれば初めて娘ができたような
感覚に内心面白いものがあったのも事実だ。
「妖。オメー将棋出来るか?」
「嗜む程度に」
向いに座って将棋盤を睨む二つの影。
実の息子の自分よりも余程親子に見えると笑って、ムサシは学校から配られたプリントに目を通した。
「妖、オメーの名前を当ててやろうか?」
にやり、と笑う男の唇。
「アラヤダ。棟梁ったら何を言い出すンでしょ」
「オメーが俺らに隠し事してっからだ」
ぱちん。ぱちん。駒が鳴らすは夢の中の下駄の音。
猫のような少女は転じて妖怪狐のようにも見えるのはなぜだろうか?
「棟梁の息子だって知らねぇのに」
ふわり、きらり。金色の髪が惑わすように揺れて煌めく。
「倅が知らねぇんじゃ、俺が先に聞くわけにゃいかねぇってか」
「そゆこと。でも、妖まではあってる。だからそう呼んでもらえりゃいい」
組んだ指の上に顎を乗せて、ふふ、と笑う顔は十四歳。
親元を離れて一人で暮らす少女に家庭の味をという大義名分で息子が連れてくるのだから何かしら理由はある。
「そのうち話すかもしんない。ちょっと待っててくれっと嬉しい」
武蔵家とヒルマの奇妙な関係はこうして始まった。







早めに済ませなさいと押しこまれた浴室から出れば、パジャマ代わりに置かれた男もののシャツとハーフパンツ。
(どう見ても糞ジジイのだな。まあ、良いけど)
手早に着込んで居間に戻れば未成年のはずのムサシが普通にビール飲んでいる光景も見慣れてきた。
「ヒルマも飲むか?」
「妖。オメーも飲め」
同じタイミングで重なる声は流石親子としか言いようがない。
「妖ちゃん、どっちが良い?」
右と左に違う銘柄を持ちながらにこにこと立つ彼の母親も、ヒルマが未成年だということは半分無視して久しい。
仕様も無いと肩を竦めて。
「ドライのほう」
「厳と一緒なのね。お父さんは違うけれども」
風呂上がりのビールは普段ホテルでもそうしているから違和感は無く。
気になるのは普通にそれを出してくる武蔵家の家族模様ということになる。
「厳の部屋にお布団敷いといたから」
「あんがと、かーちゃん」
「妖ちゃんが早くお嫁に来てくれるの待ってるんだけどね」
その一言に思わず咳き込む。ムサシの突拍子も無い言動は母親譲りだと言う証明と確信。
思わず息子の方を睨めば知らないふりを決め込んでいる。
「ゴラ!!糞ジジイ!!」
耳を力いっぱい捻る指先。
「イデデデデデデデデデッ!!」
「誰が誰の嫁だゴラ」
「親父もお袋も気が早いってことでいいだろ、痛ェ!!」
初めは借りてきた猫だった悪魔はすっかりと武蔵家に馴染んでしまっている。
元々職人たちの寝泊まりの多い武蔵家にすれば一人増えたところで何も変わりは無いのだ。
「妖、足りんのか?」
「んじゃもう一本」
口元を拳で拭って。
「いい飲みっぷりだ。大工の嫁はそれぐれぇ飲めねぇとな」
「だから嫁じゃねぇっつてんだろ、棟梁」
そんなやり取りを見ながらムサシも三本目に手を付ける。
大概の相手に攻撃的なヒルマが自分の父親に対しては一貫した姿勢を取っているということ。
(そういや、親父には糞とか言わないよな、ヒルマ)
自分にとって尊敬や畏怖の対象とする者にはそれなりの礼節をもって接する。
悪魔は意外にも礼儀に関しては徹底していた。
「イッ!?」
一瞬の閃光と響く雷鳴。
「あらあら。やっぱり妖ちゃん泊っていくのが正しかったわね」
ゆっくりと近付いてくる雷鳴にヒルマが息をのむのが分かる。
「ガキはとっとと寝ろ」
その一言に押されて今度は二階にある武蔵の部屋へと移動した。
御丁寧に敷かれた布団の上にぺたんと座って、掻っ攫ってきたビールを飲み干す。
ベッドに腰掛けた少年と掛け布団に座りこむ少女の奇妙な関係。
「枕二つとかじゃなくてよかったぜ」
机の上に飲み終わった缶を置いて、ヒルマはムサシの隣に座り込んだ。
「いくらうちのお袋でもそれはねぇよ」
「あり得る。かなめならやりかねねぇ」
程よく回った酔いは機嫌を良くしてくれてはいるらしい。
何だかんだと取りとめのない話をしてお互いにベッドと布団に潜り込む。
灯りの消えた室内で目を閉じれば一層耳に入る雨音と雷鳴。
お互いに寝てないことはその気配で分かるような関係なのに。
「ヒルマ」
普段なら何かしらの反応があるはずなのに、肩さえ動く気配がない。
「なあ、ヒルマ」
「うるせぇ」
「こっち入んねぇの?」
その言葉に身体を捩れば自分の脇をあけて、ベッドをぽんぽんと叩く仕草。
彼が彼女の住むホテルに泊る場合はベッドが一つな分、それが自然になっていた。
しかし、ここは武蔵家でありなおかつ布団まで別口に敷かれている状態だ。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「なんで?」
ほれ、と手招きしていたのが強硬手段とヒルマの手首を掴む。
結局のところ力では押し勝てないのを分かっている彼の最終手段。
「よしよし。やっぱこのほうが落ちつく……」
ふわふわの金髪が頬をくすぐる感触と、腕の中の暖かな悪魔。
「テメーが落ちつくだけだろ、馬鹿」
「え?ヒルマは俺とこうしてるの嫌か?」
「嫌だなんて言ってねぇだろ、糞ジジイ」
形の良い額にキスをすれば、きゅ、と閉じる瞳。
何度かそんな遊びのようなキスを繰り返して今度は唇を合わせる。
肉厚な唇が彼女の薄いそれを挟み込むようにして、そのまま抱きしめあって。
入り込んでくる舌先と次第に深くなるキスにヒルマが胸を押し返した。
「……馬鹿野郎、ここはテメーんちだぞ」
シャツの中に入り込んだ手が張りのある乳房を弄る。
「ちょ……待てって……」
「んー」
「んーじゃない!!」
「ヤりてぇ……」
「……今すぐ不能にさせてやろうか、この糞エロジジイが……」
わきわきと両手を動かして喉笛を噛み切りそうな歪んだ笑みが唇を彩っていく。
「そりゃ困るな」
どうにかその気を引きだそうとしてはみるものの、悪魔はそう簡単には絆されない。
「今すぐ引きちぎられんのと一晩我慢すんのと選ばせてやるぜ」
「あー……んじゃ我慢する……」
「俺は布団の方に戻るぜ」
「それは駄目」
「なにが駄……ッ!!」
いい終わる前に室内を照らしだした鮮やかすぎる青白い光。
少しだけ間を置いて落石のような怒号音が響き渡った。
「こりゃ近くに落ちたな……って……ヒルマ……?」
硬直したまま瞬きもしないその様は普段の彼女からは想像も付かない。
「もしかして……雷駄目なのか?」
「んなわけねぇだろッ!!」
裏返る声。
「……ヒルマ」
鮮やかすぎる白い光は嫌だと、からからに乾く唇。
自分にできることは限られていて、そう考える前に彼女を抱きしめていた。
「……っは……あ……」
その光は光としてではなく閉じ込めたはずの記憶を引きずりだそうとする。
だからこそ、思いだす必要がないともう一度閉じ込めようと意識がもがく。
「平気だって……言ってんだろ……ッ……」
きつくしがみついてくる細い腕だけが真実。
縺れる様に抱きしめあって何度も何度もキスを繰り返した。
「……悪ィ……」
背中に感じる温かな手。
「なんか辛そうだったからな……」
「ツマンネエ話があるんだ」
ぼそぼそと薄い唇が言葉を紡ぐ。
「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり」
「?」
「ツマンネぇ昔の歌……同じやつが死ぬときにこう言ったんだ」
一呼吸置いて、もう一度息を吸い込んで。
「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」
いつも彼女の話はぐるぐると回っていつも真意を探すのに苦労してしまう。
「春が来るはずだったのに、来たのは冬で、早すぎて……何もかも予定が狂ってて……
 せめて綺麗なあの月をと願って……真っ白でなにもなくて……」
彼のシャツをきつく握る指先が、がたがたと震えた。
「少し早すぎただけじゃなくて……全部駄目で……」
吐き出す様なその言葉にただ聞くことしかできない。
「その月の名前は幻月で……四月には花が咲いて……」
浮かんだ汗。千切れ千切れの記憶。
「幻月の本当の名前は妖月って……望月が示すのは四月で……」
思いだしていけないことなのに、思いだそうとして、思いだしたくて。
「……あとわかんねぇ……出てこねぇ……」
目の前の君は四月に生まれた。願い望んだ望月の春に。
「……ざまぁねぇや……」
不安定な心の行方を知るにはまだお互いに子供であって。
何もかもに理由をつけられるほど強くも無ければ大人でもなかった。
素体の君は儚げでまさしく幻月としか言えないような。
それでいて紅い月に魅せて見せる。
「だから……」
ぐい、と胸元の布地を掴んで引き寄せる。
「俺の名前だ……テメーだけ覚えててくれりゃいい……」
「……そんな名前なのか……」
「ああ。他の誰にも言ったことねぇ」
望まれて望むままにその心の思うままに飛べるように。
「妖」
望まれて焦がれて求められて。
「俺は、難しいことはわかんねぇけど、お前がその日に生まれて良かったと思う」
「…………………」
「全部予定通りだったら、俺と出会えねぇだろ?お前と一緒に卒業して、入学してぇもんな」
この夏を呼ぶような激しい雷雨が去れば水たまりに映る虹の青空。
君の知らない君のことを知りたいと願うのは我儘なのだろうか?
「親二人ともちゃんとした日本人なんだな」
ぽつり、と呟いた一言に思わず笑い出す。
「なんだそりゃ。俺だって元は黒髪だぞ」
「あーそのころに出逢いたかったぜ……黒髪のヒルマか……」
しみじみと頷けばきゅ、と鼻先を摘ままれる。
「中学がる時にはもうこの色だった」
「この色がヒルマって感じだしなあ」
少しずつ君の事知ることができるのなら、それがきっと一番なのだろう。
夏の空のような鮮やかさもそれに掛かる雲の儚さも。
「……寝る。テメーも寝ろ」
「んー」
隙間なく抱きしめれば布地越しに触れる柔らかな胸。
「……少し、でかくなったよな……?」
「……知らねーよ、馬鹿……」
「俺の努力が……イデデデデデデ!!」
「向こう半年ヤらせねぇぞ」
「え!?ごめん!!俺が悪かった!!」
「嘘だよ、バーカ」
耳をふさぐ手が今度は自分ではなく彼の手に変わるならば。
この雨もそう悪いものではなくなるのだろうと思い抱いて。
また少し遠い朝の気配を追いかけるように二人で目を閉じて。
堕ちる夢の色など覚えていなくても良いのだと定義付けた。





「よし、これで直った」
小さな銀色の自転車は乗り回すには丁度良い。
前輪のパンク程度ならば直してくれる相手もいることで、今までよりも使用頻度は格段に上がった。
「俺、高校入ったらバイクの免許取るんだ。四月生まれだから早めにとれんだぜ。で、後ろにお前乗っけて走る」
「精々荷物持ちだな」
自転車を引きながら夏の匂いのする緑の道を歩いて。
左手と繋いだ右手。そっと指先を絡ませてもう一度。
「金曜は良いよな。部活終わったら俺もバイト無いし」
「バイト?」
「大工は土日が休みだからさ。まあ、来いって言われたら行かなきゃなんねぇけど、多分ねぇな」
出来るだけ一緒に居たいのは心にも体にも彼女を充電したいから。
「明日の夕方はうちで飯食えって、お袋が言ってた」
本来ならば咎めるべき関係も、長い目で見れば許容できるということらしい。
いずれは息子の嫁になるのならば今のうちにそれなりの関係を築くのも大事だと。
「だから、今日はそっちに泊っていく」
「ヤりてぇだけだろ、糞ジジイ」
にぃ、と笑う唇と覗く小さな牙。喉笛を噛み切りに来る悪魔は今日もやっぱり可愛らしい。
うっかりすれば特徴的な鉤尻尾まで見えそうなそれ。
「い……一週間ぶりなんで……」
「流石にテスト中はなあ……まあ……」
ぐい、と手に力を入れたのは彼女の方。
そのまま引き寄せて噛みつくようなキスを一つ。
「お互いに思うところがあるってやつだろ?」
舌先が彼の唇を舐めあげて、ここが公道だと言うことを一瞬忘れそうになる。
「安心しろ。ホテルの良いところはどんなに汚しても次の日には綺麗になってることと、
 プライバシーは完全に保護されることだ」
それでなくとも、ヒルマを脅迫できるような人物などいない。
十四歳の恋は時々は大胆に不敵に夜は素敵に。
「そういや、もうすぐ七夕だな」
「あー……イベントとか絡むとレート変動の計算がまたずれるんだよな……」
暑い、とシャツをはためかせる。
夏祭りの始まりの季節なのか浴衣姿が目に眩しい。
「織姫ってのは難儀なんもんだ。一年に一回しか逢わねぇ男に義理立てしてやがる」
ケケケ、と笑って見上げる空は青よりも透る蒼。
「家に荷物置いてからそっちいくわ。その前に電話する」
今度は彼の方から小さなキス。なんだかんだと離れられないのはどうしてなのだろう。
軽く手を振って離れて慣れた道を歩き出す。
路地裏を安全かつ靴を汚さずに歩く方法は人それぞれだろう。
「よぉ、カス」
銀色の自転車が似合わない道とやけに似合う屍が積み上げられる光景。
ぱちん、と弾けたガムと揺れるピアス。
「テメーも好きだな、喧嘩。雲水に怒られっぞ」
「あー?雲子ちゃんはな、ンな心狭くねぇよ」
「そうだな。なにせテメーを受け入れてるくれぇだ。俺にゃマネできねぇ」
足りない、とガムを取り出して手を止める。
そのまま阿含を人差し指だけで呼びつけて。
「誰にんな行動取ってんだよ、カス」
「金剛阿含だな。金剛雲水の双子の弟、努力しない天才。身体能力は高いが素行は不良。
 ついでに加えるならば重度のシスコン……俺のデータにミスはあるか?」
二卵性の双子はその性別を違えて生まれ落ちた。
よく似た顔をした異なる肉体の二人。
「ンだよ、テメーはよ、カスが」
仕方ないと近付いた男の顎先を掴んで噛みつくようなキスを一つ。
がり、と触れた犬歯がぽたり、と赤い体液を一滴落とさせた。
「……違うもんだな」
「んだゴラ!!カスとキスしても面白くもなんともねぇんだよ!!」
「そうだな。俺もわかったわ」
ぺしん、とガムを投げつける。
「さっき雲水とすれ違った。浴衣着てた。いつものカツラ被って」
自分への責任だとあの日、黒髪を全て落とした姉の姿。
「あそこまで悟れねぇよ、俺は」
悪魔と悪鬼の密談は。
「テメーのシスコンは病気レベルだ。金剛阿含」
ヒルマが相手を名前で呼ぶ時には意味がある。その真意を図るための小さな癖。
「だからなんだってんだ?高々、同じ親から産まれたってだけだぜ?弟が姉を慕うってのは
 普通の感覚だろうが」
「普通の弟は姉とセックスしたりしねぇよ」
その視線は侮蔑でもなんでもなく、ただの視線なのに射抜かれるような感覚を覚える。
「殺すぞカス」
「殺ってみろよ。お前の大好きなお姉ちゃんは本格的にお前を見捨てるだろうけどな」
指先が男の胸を押した。
「浴衣姿、綺麗だったぞ」
気まぐれな悪魔は誰が相手でも臆することは無い。
「カスに構ってる時間なんざねぇんだよ」
「そりゃ俺もだ。ケケケケケケ」
親指で唇を拭ってガムを一枚取り出す。いつもの無糖ガムではなくきついミントの香。
それは彼女なりの消毒法も兼ねている行為の一つだ。
「んじゃ俺も予定あるもんでな」
自転車ですり抜ける路地を曲がっていけば自分の住処。
遠くで聞こえる祭囃子に眉を顰めた。





掛かってきた電話を取れば案の定、祭囃子が耳に掠める。
「で?かなめがなんで俺に用事があんだよ」
「いや、お袋がヒルマを呼べって言うから……今からそっち迎えいく」
ぷつり、と切れて携帯電話をベッドに投げつける。
綺麗な弧を描いて枕の上への着地は流石は投手といったところだろうか。
文句をちぎっても何も生まれないと手早に着替える。
ほどなくして聞こえるノックにドアを開けた。
「迎えに来た」
「そもそもなんでテメーのかーちゃんが……」
言い終わる前に手を取られる。
「いいから、いいから。まずは俺んち行こうぜ」
湿度はだいぶ下がって肌に触れる空気も暑さが少し無くってきた夕暮れの手前。
溶かした杏飴のような橙が蒼を静かに侵略して夜が降りてくる。
取りとめもない会話をして武蔵家に向かえば、そわそわと彼の母親が待つ姿。
「ああ、妖ちゃん!!こっちこっち!!」
「かーちゃん、普通は息子に先に声かけるもんだぜ?」
「だって厳はいくら言っても着てくれないもの」
その言葉に首を傾げて自分の隣の男を見上げた。
「浴衣出てきたから、ヒルマに着せたいんだって」
「はぁ!?んなことの為に呼んだのかよ!!」
玄関先に飾られた笹の葉。泥門町の七夕祭りに合わせて地域密着型の工務店は行事にも積極的だ。
短冊に書かれるものは無くともその飾りが擦れる音が耳に心地よい。
「私のなんだけども、妖ちゃんなら着れると思ったの」
「まあ、かーちゃんの息子よりはましに着れると思うぜ?」
手を引かれて奥の方に通されれば、当の息子は邪魔だと置いてきぼり。
「妖ちゃん細いのね」
紺色の空に飛ぶ銀色の蝶。
腕に巻かれたテーピングや細かな傷跡は同年代の女子には存在しないもの。
「ちゃんと食ってんだけどねぇ。こればっかしはどーにもなんねー」
腰に巻かれた帯は赤と黄色が交差してその細さを静かに魅せる。
「浴衣なんて着たの初めてだ」
「小さいころ着せてもらわなかった?」
その問いに静かに首を横に振る。
「母親の事はあんまり覚えてない」
「そう……女の子だと着物とか浴衣とか着せてあげたいって思うんだけどね。うちじゃ息子一人だし。
 私の浴衣も着物も無駄になっちゃうかと思ったけど、妖ちゃんが着てくれるなら良いなって思ったの」
「時期尚早だぜ、かーちゃん。もっと良い女捕まえるぞ、あの息子」
ケタケタと笑う唇。帯に差し込まれた団扇。
「どうかしらね。私は妖ちゃんがうちに来てくれればそれが一番良い気がするの。はい、出来た。苦しくない?」
「まったくねぇな。和服っつうのは俺よりか息子のほうが似合う気がするけど」
「厳のもあるんだけど、着たがらないのよ。老けるから嫌なんだって」
「的確な自己判断だ。家庭持ちに見えるよな、そういう格好させっと」
トレードマークの逆毛をぐしゃぐしゃと崩せば年よりも少し幼い素顔。
「浴衣にゃあわねぇ金髪かもしんねぇけども」
「おー、馬子にも衣装」
「死ね」
襖を勢い良く開けた主との応戦は聞きなれたもの。胸を拳で小突くさまも。
「んじゃ行こうぜ、神社」
「テメーの奢りだ、糞ジジイ」
少し小さな下駄でも、その音は闇に溶けていく。
「あ、妖ちゃん待って」
「んー?」
「はい、これ」
渡された白狐のお面には赤い糸。
「悪いものが寄ってこないように」
「そりゃどーも」
側頭部にそっとひっかければ何とも艶やかな白面九尾。
意味深に笑ってもう一度手を繋ぎなおす。夕暮れ夕闇、下駄の音。
「悪いものが寄ってこないようにってなあ……悪魔に寄ってくる悪いものってなんだ?」
石段をゆっくりと登って信仰の寄り代となる神社を目指す。
並ぶ屋台とはしゃぐ子供たちの中、一人だけの異形。
「………………」
視線には慣れていて別段どうだとも思わないが、隣の誰かの為に狐面を下ろせば悪魔よりも古代から住まう妖に。
「寄ってくるって言ったら……俺か?」
「そういうことになる。今気付いたんだが、これ付けてるとガム噛めねぇな」
いつも彼女は一人だった。人ごみの中でもどこにいても。
「あっち行こうぜ。面白そうだ」
頭の後ろで結ばれた赤い紐を外して顔を覗きこむ。
「うん、顔が見えてる方がいい。それに……赤い糸はお面じゃなくて小指を結ぶんだろ?」
「顔にあわねぇこと言うねぇ、糞ジジイ」
冷やかしながら屋台を覗いて十四歳の夏を謳歌する。
人生はそんなに悪くも無く面白いものだと思えるように。
「こういう糸で引っ張る奴って、アタリってあんのか?」
林檎飴に触れていた薄い唇がそっと離れる。
そのままムサシの唇に齧りかけのそれを当てるとヒルマは紐の塊を凝視した。
「かーちゃん、アレ欲しがってたよな?」
指さすのは凧紐に結ばれたゲームソフト。暇つぶしにヒルマが獲ってきた本体に合わせるものだ。
「この紐だ」
ぐい、と引き寄せれば目当ての物が引き上がる。
手土産代わりと他のゲーム機器を次々に引き上げていく様はまさに悪魔だった。
「統領にやらせて、脳味噌を若返らせろ。ケケケ」
「いや……接続とかからのレベルだ……つか、凄いな。お前」
「案外簡単だ、あの程度なら。運じゃなくて脳味噌使うだけだからな。で、俺は綿あめが食いたいんだがな、糞ジジイ」
ピンク色の綿あめに難色は示したものの、味は同じだと唇が触れた。
歩き疲れたと下駄を鳴らした恋人と社裏、人気のない小さな石段に腰掛ける。
「ムサシ、一個聞いても良いか?」
飴が絡まっていた割り箸でがりがりと土に落書き。
「もしさ、兄弟が居て、姉だったりしたらその姉に弟は恋愛感情抱くもんなのか?」
落書きは樹形図に変わる。
「話がまったく見えねぇ」
「二卵性の双子っつーのは、同じ遺伝子を持つ異なった性別になることがあるってやつだ」
「普通はないだろうな」
釣り上げついでに貰ったヨーヨーには蝙蝠の羽根。
割り箸の落書きに飽きたとそれが振り子のように揺れた。
「普通じゃなかったら?」
「あるんじゃないか?俺は経験したことねぇから何とも言えねぇけども」
「ヘビーな議題だ」
ヒルマがそう言う場合は大概どうにもならないことが多かった。
「ヘビーな悩みが無くなる様に、短冊に何か書きに行くか?」
七夕の短冊に願いをなぞって、何を思おうか?
空に広がる星屑の流れと鵲の光。
「他人の為になにかを願うなんざ御免だぜ」
「俺はヒルマが嫁に来てくれるようにって書く」
「願掛けしねぇと無理ってくらいの自信の無さか、ケケケケ」
「うわあ、可愛くねぇ」
「悪魔は神には願わねぇ」
ふん、と笑う顔はどうしても愛しくて。
打ち上げ花火の音など無視してキスをした。
「……やっぱ、違うもんだな」
唇が離れて、彼のシャツをぎゅっと握る指先。
「違う?」
「オメーとすると気持ちイイけども、他だとそうでもないっつーこと」
「ななななななな!!他の男とキスしたのか!?」
「した」
肩を掴まれて揺さぶられると、今度はむくれ顔に変わって。
「比較対象した結果、オメーが良いって言ってんじゃねぇか」
「キ、キスだけだよなっ!?」
「今んとこは」
「だああああああっっ!!今んとことかじゃなくて地球が破裂してれも駄目だーーーーっっ!!」
喚いたり叫んだり忙しいものだと、ぺち、と頬を打つ手。
「よし、俺は短冊に書くことが決まったぞ」
「へ……?」
「ムサシの馬鹿が治りますように。これで決まりだ。悪魔でもどうにもなんねぇからな」
分からないことだらけで恋は始まっていくのだから、少しずつ知り合えればいいのに。
気持ちだけが焦ってしまって不安定な心の行方をつい揚足取ってしまう。
「短冊いかねぇの?」
立ち上がろうとするのを制して手を伸ばして。
抱きしめて不安など無いと証明するようにぐりぐりと頭を抱いた。
「あーもう、絶対ぇ誰にも渡さねぇぞ」
「精々努力しやがれ」
ころころと笑う声。
視線を重ねればこつん、と今度は額が触れ合った。
「頼むから、他の男とキスとかしないでくれ」
「今のところはオメーのキスで足りてるからな」
素直にその心ををぶつけて「好き」という一言はなかなかくれなくとも。
「オメーが足りてるかはわかんねぇけども」
「足りてる!!ヒルマだけで十分だっ!!」
「そか。じゃ、いいんじゃね?」
綿あめの残り香、少しだけ甘いキス。
「おっと今日はここまでだ」
背中を抱いてより深いキスをしようとすれば、人差し指が彼の唇を止めた。
「この浴衣はレンタルなもんでね。汚したらそりゃでかい花火がテメーの頭に降ってくる算段だ。
 ついでに言えば俺は浴衣の着付けなんてできねぇ」
脱がせたらそれなりのリスク。
「あー……んじゃまたお預け食らうのか……」
「そう言うことだな。帰ったら泊ってけって言われんだろうし」
「俺って世界で一番不幸で幸せなんだろうな」
「わけがわからねぇ」





身軽だった行きは良い宵、帰りは荷物を彼に持たせて。
着替えれば案の定予想してた台詞と準備されたアルコールに手を付けた。
「妖ちゃん凄いのねー。前も持ってきてくれたし」
「計算でとれるモンだけな」
プルタブを引いて口を付けたのは三本目。
胡瓜の浅漬けを肴に縁側で脚を伸ばす。
風呂上がりの香は欲情に直結させる面倒な魔法だ。
「棟梁と一緒に遊んでみればいいんじゃね?」
「んなテレビゲームとかはやらねぇな。よっぽどこうやって飲んでた方がいいってもんだ」
「ケケケケケ。未成年に酒飲ませちゃ世話ねぇぜ」
夏の手前の流れ星。
「あー、やべぇ……俺が先に潰れる……ッ……」
「もう酔ったか糞ジジイ」
「だらしねぇな、嫁より先に潰れてどうすんだ」
「離婚?」
「離婚するにゃ先に結婚だろうが、妖」
「アラヤダ、統領ニ上手クハメラレタワ」
疑似親子関係でも彼女にとっては何かしら楽しいのは事実で。
「余り突っ込まれる前に、コレを担いでお暇しましょ」
「うあー……悪ぃ……ヒルマ……」
「あとで料金は徴収するけどな。ケケケケケ」
右肩にムサシを担いで左手にはドラビールを一本。
そのまま階段を上ってベッドの上に彼の身体を投げつけた。
「飲むか?」
「…………少し」
「潰れてんのに懲りねぇな、テメーも」
一口飲み込んで重なる唇。
入り込んでくるぬるいビールがやけに甘く感じた。
「寝酒って良いんだっけ?まあ、どっちでもいいか。寝ろ」
「足りねぇ」
「ハァ?」
「今のでもうちょっと飲まねぇと寝れねぇ」
「…………」
500MLの中身を減らすにはそれ相応の手間と時間。
「お預け食らってるからキスで充電させてくれ」
「お前は本物の馬鹿だな、ムサシ」
広がる夜空に流れ星。雨は降らない天気予報。
「足りてねぇのはお互い様だけどな」
額に触れるアルミの冷たさ。
流れる星に何を願おう?






17:27 2010/07/04



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