◆Lovers change fighters, cool◆





勢いよく飛んできたビールの缶を片手で受け止める。
「幾ら分譲でも、壁に亀裂は問題あるだろ」
「ムカつくんだよ。ここは俺の持ちモンだ。とっとと出て行きやがれ」
声を荒げることもなく淡々とした罵倒はその怒りが本物である時だけのもの。
このときの凄味に比べれば普段の喚き散らすような怒号はまだ可愛いものだ。
視線を逸らすこともなくきつく睨みつけてくる緑眼。
「今からイヴに入るもんでね。嫌なツラ見てると感覚が狂うのよ」
硝子テーブルの上のノートパソコンがせわしなくちかちかと線を描く。
普通の高校生の金銭感覚は持ち合わせていない恋人は毎夜資金を増加させていた。
「ああ、わかった」
閉じるドアの音と僅かに握りつぶされた缶ビール。
「………………」
そのままテーブルの隅に投げ出してじっとモニターを見つめる。
大きな動きも無くいつもならばこのまま夕食のパターンだ。
面倒だとそのままにした部屋は薄暗いままで窓も開けっぱしだ。
生温かい風が頬と神経を逆撫でする。
「……なんだってんだよ、糞ジジイ……ッ!!」
こんな時は撮り溜めておいたゲームを見る気にもならず、動く気にもならない。
照明代わりのパソコンがただ光るだけの空間。
何もかもが面倒だと目を閉じる。
雨の手前、独特の湿った匂いだけが鼻を突いた。






実家に戻れば戻ったで詮索されるのが分かれば、どこかで時間を潰した方がはるかましだ。
たまには本屋でも冷やかすかと入れば、喧嘩真っ最中の相手が欲しがっていた本ばかりが目につく。
「高村光太郎なんて読むような……ああ、読むか……」
言葉に韻を含ませて裏を読ませて真意を隠す。
その語感の豊富さは心理戦を得意とする悪魔につくづくと頭が下がる量だ。
「あと、これもか……」
どれも普通の高校生が手を出すようなものではない。
いつのまにか自分の中で彼女の存在が当たり前にように占めていて、何気に呟いていたことまで覚えていた
自分に苦笑してしまう。
夕立の気配と匂いは書籍には天敵だ。
上着の中に抱けそうな一冊だけを手にして。
「あの馬鹿、頭痛で喚いてなきゃいいんだが……」
低気圧と雨は彼女にとっては天敵だ。土砂降りになれば傷みは消えるがこんな夕暮れが一番痛む。
マンションの少し手前の公園で、ベンチに一人座りこむ。
(これが倦怠期ってやつか……?まあ、三年付き合って大分アレの事は理解できるようになってはきたけど……)
急な癇癪も理不尽な突っかかりも受け止められるだけの男になりたい。
殴り合いも銃の乱射も大分昔よりは柔らかくなった矢先のこの有様。
(いくらなんでもビール投げつけるっつーのはどうよ。俺はあいつの彼氏だぞ)
自分がやきもきしているように彼女も同じでいてくれるだろうか?
愛情はいつも与える分が多過ぎて供給不足も否めない。
それはでもどちらも感じること。
煙草をやめた今となっては口寂しさを消すものはもっぱら無糖ガム。
それすらも彼女が自分のジャケットに無断で入れてあった名残。
「……なんだってんだあの女は……ッ……」
どちからが折れなければこのままの状態。その気まぐれさは夏の手前の空と同じ。
(二時間……少しは機嫌がよくなってりゃいいんだが……)
ばりばりと頭を掻いてもチクタクと時計の針は無情に進むだけ。
物に執着しない彼女が珍しく同じ時計を揃えたのも気まぐれだったはず。
(違うよなぁ……なんとなくだけども……)
こんな風に思い悩む姿など、普段の彼からは想像もつかないだろう。
どれだけ大人びていてもどんな世界に住んでいても、まだ自分たちは月齢十七。
「……参ったな……」
「ムサシさん?」
その声に顔を上げる。
「セナ」
「どうかしたんですか?」
練習も休みのはずなのに、埃だらけの頬。原因は少し後ろ歩く男の姿。
「お前こそ、練習が休みの日に何をやってたんだ?」
「ええ……ちょっと盤戸戦の個人特訓をしてました」
ぽふ、とセナの頭に置かれる手。
「利用されてるのは元よりで、練習に付き合ってましたよ」
「巨深のラインバッカーがわざわざか」
「ええ。恩を売るにはいいじゃないですか」
実際のところ、こうでもしなければ二人出会うこともできないような微妙な関係。
プレイヤーとしての小早川瀬那に興味がないと言えばそれも嘘になる。
「赤羽さんがアイシールドなら、筧君が一番知ってることになりますからね」
「まあ、俺は何も言わないがな。問題は……」
言い終える前に男の手が携帯をずい、と眼前に突き出した。
画面に浮かぶメールは送信者など見なくとも文面だけで察することができる。
「下手なことしたら、こっちが殺されますからね。大体あんたがもう少し大人しくさせてくれれば
 自由恋愛に口出しされる必要はっ!!」
「自由恋愛に達してねぇだろ。それでなくとも、そのチビを狙うのは多いからな。西部の甲斐谷、王城の進、
 事と場合によっちゃまだ増えるだろうな」
「ひいいぃぃいいいいっっ!!ここここれ以上面倒なのは嫌ですよぉ!!」
本気で身震いしながら青ざめる姿は光速のランニングバックとはかけ離れている。
一度対戦すれば分かるであろう恐怖と混同した奇妙な感覚。
それは自分もかつてヒルマに対して感じたことのあるものだった。
「明日はちゃんと休みをとれよ」
「はい」
一歩ずつ駆け足で進む階段を一人で登る姿は誰かに似ていた。
出来ることならば追従できる誰かが居ればそれはきっと楽しいものになる。
「ムサシさんはどうしてこんな時間に」
「虫の居所が悪くて追い出された」
その一言にセナが噴き出す。
「む、虫の居所って……」
「いやその前に、明らかに俺たち同棲してるんですよみたいなところに突っ込むべきじゃないのか?」
「週の半分は家帰ってるぞ、俺は」
噛みあうような合わないような会話でも、少しは気がまぎれる。
「一雨来るぞ。早く帰れ」
「え!?雨降るんですか!?筧君、ご飯今度でもいい?」
練習に付き合った役得はどうやら夕食だったらしい。
それくらいの時間の共有ならば許されるだろうと言う算段だ。
「俺、傘持ってるよ」
「あ、でも濡れる前に走れば問題ないか」
「どっちにしても予定変更する必要はないな」
「ムサシさんも一緒にどうですか?」
セナの申し出に隣の男の表情がきつくなる。
ただでさえ切れ長の眼がますます鋭くなり、思わず笑ってしまう。
分かりやすい恋愛感情はみている第三者のほうが笑えてヤキモキしてしまう。
「アレを放置して俺だけ飯食ったらそれこそ締め出されるな」
条件が厳しい物件は少しの時間をどれだけ手に入れるかが勝敗の鍵になるように。
本来ならば行わないだろう練習への礼も兼ねて彼はそう答えた。
「…………どうも」
「礼を言われるほどじゃねえ。まあ、迂闊なことしたら全身に風穴開くだろうけどな」
手を繋ごうとしても繋げない距離。
自分たちもそこを通ってきたはずなのにいつの間にかそんなことさえも忘れてしまった。
当たり前だと思うことも、伝わると思うことも、言葉にしなければ伝わらない。
並んで歩く姿を見送って、愚図つきだした空を見上げた。



手ぶらで帰るよりはとコンビニで適当なものを買ってみた。
灯りの付く気配もないが恐らくは外出もしてはいないだろう。
それでもまっすぐに向かう気になれずに。
いよいよ雨は降りそうな気配。先ほど別れた二人は今頃どこかで夕食にありついただろうか?
がたがたと看板を片付け始めるような空模様。
「…………花、か」
思えば花など送ったことがあっただろうか?
「何かお探しですか?」
探しているのこはこの気持ちの行き先と、恋人の機嫌の行方。
鮮やかな花々に占いでもしてもらえば気も紛れるのだろうか?
「プレゼントですか?」
これも何かの巡り合わせならば。
「どう選んだらいいかわからねぇっつーか……」
どれも無駄など無く全てが必然だと呟くあの唇に。
「なにか、適当に……」
「どんな方ですか?」
そう言われれば返答に困ってしまう。
まさか正直に、銃を乱射して他人の揚足を取りまくり趣味は脅迫、とは言えないものだ。
「あ、あれでいい。あの赤いヤツ一本」
花束にしたところであの部屋には花瓶など無いのは自分が一番分かっている。
あとは自分の問題だ。
折らないように丁寧に抱いて、エレベーターのボタンを押す。
数字が進んで目的の場所へ。
(チェーン掛かってたら長期戦だな……)
ドアノブにそっと手を掛けた。




雨の気配になり始める鐘の音は自分の頭の中でのみ鳴り響く。
視神経まで腐りそうなその鈍い痛みとはどれだけ付き合ってきただろう。
ここ数年はそんなにひどい痛みもなかったはずなのに。
「…………………………」
一人ぼっちには慣れていた。
他人にかかわってまた一人になるならば最初からずっと一人のほうがいい。
「……痛ぇ……」
ずきん。米神から走る鈍痛は喉の奥まで絞めてくるような感覚。
苛立ち紛れに飲み干したぬるいビールが時間を告げた。
のろのろと身体を起こして冷蔵庫のドアを乱暴に開ける。
よく冷やされたビールを箱ごと掴んでソファに身体を投げ出した。
喉を流れ落ちる琥珀の液体は程よく冷えて頭の先まで冷却してくれる。
(……帰ってこなくたって別に……)
不貞腐れているのは自覚しているのに。
他人にこんなに依存するとは思っても居なかった。
認めたくなくても己の中で結論が出てしまっていることも。
(これ以上深入りする前に引くか、それとも……覚悟決めるか……)
二本目を飲み込んで暗がりの中に手を伸ばす。
この手を取ってくれたのも彼だけだった。
アルコールの力はゆっくりと理性を剥がしていく。
(……俺こんなに弱くなかったじゃねぇか……バッカみてぇ……)
悪魔が絆されるとは笑い話にもならないと、喉の奥で笑うだけ。
大事なものはこの手に持てる分が決まっている。
ケタケタと乾いた笑い声はまるで他人事。
冷える身体が心地よくてもう一度ビールに手を伸ばした。






合い鍵を差し込む前に、ふとドアを開けてみる。
普段ならば鉄壁要塞と化しているはずが、すんなりと侵入を許してしまう。
(な……不用心にもほどがあるぞ!!)
そっと気配と足音を殺してリビングを覗きこむ。
ソファーに投げ出された身体と床に転がるビールの缶たち。
開けっぱなしの窓と遠くで聞こえる雷鳴。
降り出した雨に慌てて窓を閉める。
「……ん……」
もぞもぞと動くものの、置きだす気配は無い。
(……六本全部飲みやがった……)
恐らくは痛む頭をどうにかしたかったのが半分。
そして―――――もう半分の予想が正しいことだけを祈るしかない。
投げ出された頭を拾って自分の膝の上に乗せる。
柔らかい金髪はこんな薄暗がりの中でもきらきらと煌めく星に似ていた。
無防備な寝顔はどこか疲れていて、その原因の一端は恐らく自分が感じているそれのはず。
撫で上げれば今更ながらに小さな頭がやけに愛しいと額に唇を落とした。
「…………ア?…………」
「起きたか?」
「幻覚か?ムサシが俺の視界にはいってやがる」
「幻覚じゃねぇよ」
身体を起こそうとすれば今度は大きな手が片方だけで彼女の瞼を覆った。
「何も見えねぇ」
視界を奪って神経を休ませて。見えすぎる彼女は余計にいつも頭を巡らせてしまう。
「なぁ、ヒルマ」
「ん?」
「悪かった。勢いで俺も飛び出したけど……玄関と窓開けっ放しっつーのはな……」
「あ……?開けっ放し……ッ!?」
その一言が無自覚に自暴自棄になっていたことの証明。
つまりは彼女も周りを見る余裕などなく彼の事で思いを巡らせていたことの肯定。
「なんで戻ってきたんだよ」
「そりゃ、ここ俺んちでもあるわけだし」
「ここは、俺の所有物」
それでも形の良い唇がにぃ、と笑う。
「で、仲直りしようと思ってな」
覆っていた左手をそっと外す。
目の前に翳された真っ赤なガーベラ一輪。
その鮮やかさに思わず笑いだしてしまう。
「これ、お前が?」
「お、可笑しいか?」
「腹痛ぇーーーーっっ!!現場見たかったぜ!!ケーッケケケケケケ!!」
心底悔しいと笑う姿。
それでも起きようとせずにこのままの格好で。
「なんで赤?」
笑い過ぎて浮かんだ涙を払ってやればいつもよりも柔らかい笑み。
「似合うと思ったから」
「アラヤダ」
今度は不意に伸びた彼女の手が彼の頬に触れた。
何度か撫でさすって、そのまま黒髪に差し込む。
息が掛かる距離、呼吸を止めて。
「燃える愛」
「へ?」
「ガーベラ、赤の花ことばだ。ま、低血圧、めまい、頭痛にも効能あり……ってそこまで考えてねぇよなぁ……
 なにせ糞ジジイさまだからな……」
今度は両手で彼の頭を包み込む。
「花なんて貰ったの初めてだ」
この花が枯れてしまう前に。
これ以上深入りしてしまう前に。
今夜の始まりのキスはいつもよりも甘く切なく、それでいて軽いもの。
「オシマイ」
「え、今からじゃないのか?」
「喧嘩もこの関係も、これで終わりだ」
いつか離れてしまうなら、そのいつかが不確定であるならば。
いっそ今終わらせてしまった方がいい。
あの遠くを見ているようでどこも見ていないような視線がもう一度ここに存在してしまう。
「嫌だ」
自分が言う前にそう呟いたのは彼女の唇。
「こんなのもう嫌だ。わけわかんねぇ」
「…………………」
そっと、そっと。できることなど限られている。
「あなたは其のさきを私に話してはいけない。あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ。
 口から外へ出さなければいい」
耳に響くその声はおそらくは。
「出せば則ち雷火である。あなたは女だ。男のやうだと言はれても矢張女だ。あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ」
その声にただ耳を傾けた。
「…………なんでそこを抜き出す」
「お前が探してた本を立ち読みした。開いたページがこれだった」
降り出した雨。外へとの交流を隔絶してくれる絶好の機会。
「嫌だな。俺も嫌だ。どうにもお前は俺のことを浅く見てる気がする」
もう一度触れるだけキスをして。
「俺はお前を置いてなんていかねぇよ。だからお前も俺のことを置いていくなよ」
こんな雨の夜、泣きたくなるのはどうしてだろう?
「喧嘩も一杯するだろうけどな、俺が惚れたのはお前だけだ」
一番ほしいものを望んではいけない。望めば自分が弱くなってしまう。
「意地っ張りでも凶暴でも、お前が一番好きなんだよ。妖」
「名前で呼ぶなっつってんだろ……」
「これでおしまいなんてわけわかんねぇこというな」
「どうせなくなるなら、今失くしたほうがいい」
「なくなんねぇって」
根拠のない自信に満ちた笑顔に肩を竦める。
「四月が来たら俺が十八になって、それから少し時間を置いてお前が十八になって」
「その前にクリスマスボウル」
「なあ」
一呼吸置いて、彼の唇が呟いた。
「好きなんだよ、どうしようもなく。泣きたくなるくれぇに」
信じるというのは計算ではどうにもならないこと。
覆いかぶさるようにして交わしたキス。
雨はいよいよ強くなってきた。
「世界がわかわかしい緑になつて。青い雨がまた降つて来ます」
「なんだそりゃ」
「テメーが読んだ本にあるんだ」
どう言葉を紡げばいいのか頭が働かない。
それでも意味の無いことなど言わない唇がそう呟くだから。
この閉鎖された空間に二人ぼっち。
「もっと簡単に言ってくれや。俺はどうにお前より頭が悪ぃんだ」
人差し指と親指が彼の髪を摘まんだ。
小さな声で「屈め」と囁かれてそうすれば耳元に近付く唇。
「一回しかいわねぇ」
それは正真正銘の告白。
「テメーを信じる」
だから絶対に離れるな、裏切るな、そう続いた言葉。
これ以上の言葉を望むのはきっと贅沢だ。
「一つ約束してくれねぇか?妖」
「……………………」
「俺が隣に居るってことを忘れねぇでくれ」
ざらつく頬と焼けた肌。
「……うん……」
酷く儚げで消えそうな存在にならないように、させないように。
「なあ。ムサシ」
「ん?」
「オメー、俺に言うことねぇのか?」
少しむくれた顔をわざと作る。
「あ?あー……ごめんなさい?」
「よし」
「そりゃ、お前もだろうが……俺にだけ謝らせるっつーのも……」
少し機嫌が良くなったのはその視線から分かるくらいの関係なのに。
どうしてもぶつかってしまうのは男女の不条理でしかなくて。
彼女からすれば恐らく愛しさの裏のその裏の裏は、可愛さが余って憎さが百万倍になっての癇癪。
「あー……もっと器のでかい男にならねぇとな……」
「いよいよもっておっさん臭くなるぞ、糞ジジイ」
「酒臭いお前よりはましだ」
起こせ、と伸びる手を取れば猫のように腕を伸ばす姿。
逆立てられることのない金髪はふわふわでまさしく猫毛だ。
「腹減った」
ぺたん、と座り込んだ上等な猫は餌を強請って視線を向ける。
その仕草に思わず手を伸ばして喉を撫でれば「嫌だ」と口先だけ。
「俺は猫じゃねぇ」
「似たようなもんだ。気まぐれで柔らかくてな……にゃあと泣かねぇくれぇだろ」
背中を抱き寄せれば珍しく同じように細い腕が絡んでくる。
「腹減った」
「コンビニからお前が好きそうなもんは買ってきた」
足元に投げ出された袋に視線を落として、拾い上げて中を覗き込む。
「プリンとカップケーキ……テメー、どのツラ下げて買ってきやがったッ!!」
可笑しくて仕方ないと笑うのも、不機嫌な顔と泣き出しそうな姿よりはずっといい。
「このツラ」
「さぞかしコンビニの店員も笑っただろうな、あー、腹痛ぇ……残念だけど、これは主食じゃねぇ」
にやり、と笑う姿が愛しくて思わず金髪に手を差し込んで撫で上げて。
「だ・か・ら!!なんでいっつもオメーはこれすんだよっ
「嫌か?」
「嫌じゃねぇけど……ったく……」
手が軽く上下するたびにうっとりとした表情で閉じられる瞳。
「なー、飯」
「もうちっと」
「……………………」
形の良い頭、頬と撫でまわす武骨な手。
何かを思いついたかのように、ぱち、と眼を開けた。
同じように両手を伸ばして彼の側頭部の短く切られた部分を撫でさする。
「おおおおお!!」
「どうした?」
「あれだ、あれに似てて気持ちイイ!!」
硬い髪をざりざりと撫でまわして、時折モヒカンの部分になるべき個所を摘まんでは遊ぶ。
「ケル!!ケル撫でるとこんな感じなんだよ!!」
長期の休みにはマンションの中に同居する愛犬の名前。
悪魔の犬ならケルベロス、とヒルマが名付けたのだ。
「俺は犬か」
「んー、どっちかっつーと熊とか?上野動物園には武蔵ってゴリラもいるしな……」
目の前の猫はあれこれと考えるものの、今一つピンとはこないらしくうんうんと悩み声。
「あ、そうだ。オメー、バイクどこ置いてんだ?デカイバイクが邪魔っつー張り紙あってさ」
「お前の契約してる駐車場」
「んじゃ別口だな。俺様を患わせた手間賃回収しねぇと」
喜々として取り出す黒い手帳。
「で、飯」
そろそろ何かを与えないと再び雷雨に暴風雨を混ぜたような荒れ模様になってしまう。
かといってこの雨の中どこかへ連れだせばそれもまた不機嫌の素になるのは明白だ。
膝の上で喉を鳴らす猫は手懐けるのも一苦労。
「何が食いたい?」
「カレー」
「そればっかりじゃねぇか」
「武蔵家のカレーはウメーもん」
「材料あればな」
手を取ったまま立ち上がる。普段ならば彼一人のはずなのに、今日は離そうとしない。
「たまには一緒に作れ」
「時給激高だぜ?」
「働かざるもの食うべからずってしってるか?」
その大きな手が器用に人参の皮をむいていく様を見ながら並んで玉葱に手を付ける。
暗視ゴーグルを装着して構えるのは愛用の散弾銃。
「待て、それで何をする気だ」
「玉葱やっつけるだけだぜ。アメリカ行ってる時もこれでやったんだ」
「…………座って待っててくれねぇか?」
「…………………」
少しだけ、分かるか分からないくらい小さな影。きっと彼以外は見逃してしまうような微細な俯き。
「銃使わないでやれんだろ。普通にやれ、普通に」
「おう」
それでも暗視ゴーグルは外さないままで器用に玉葱を分解していく指先。
時折隣に立つ男の手元をいじったり覗きこんだりと彼女はそれなりには忙しいらしい。
「牛蒡?」
「いつも入れてんだろ。あと醤油」
「ほほう。これが武蔵家のカレーの秘密か」
見た目によらず、ムサシは料理のレパートリーが広い。
気が向いたときしか作らないのと、途中で飽きてしまって食材を放置させるよりは自分が作った方が早いというのも
あってか、ヒルマよりもキッチンに立つ回数は圧倒的に多かった。
「あとは煮えるまで少し待て」
「YA」
冷蔵庫から缶ビールを取り出せばそれを取り上げる手。
「飲み過ぎだ」
「その原因作ったやつが何言ってんだよ」
「酔いつぶれて寝られちゃ困るもんでな」
取り返そうとしても腕のリーチと体格差からそれは容易ではない。
「なんで困るんだよ」
「寝かせねぇからだよ」
冷蔵庫の上にビールを置き去りにしてそのまま尖った両耳を摘まむ。
「冷テッ!!」
「こんなに外部に弱点さらしてるのも珍しいよな」
抱きあげてリビングに移動しようとすればすかさず缶ビールを握る細い指。
「半分ならな」
こうして運ばれているときにも分かるのは筋力の圧倒的な差。
軽々と持ち上げられてしまう貧相な己の身体に舌打ちをしてしまう。
「あー、もうちっとウエイト上げねぇと駄目だな……」
「今何キロだ」
「六十」
「嘘吐け。いいとこ五十六、七だ」
女子にしては筋肉質な体系でも男子の中に突っ込むにはやはり足りないものが多過ぎる。
すとん、とクッションの上に降ろされてまじまじと自分の手を見つめた。
「爪切りじゃ割れるような爪。スプレー使っても固まらねえ髪、最悪の身体だ」
それでも腕の中に納まって柔らか質感と滑りの良い肌であることも事実。
「俺はこれでいいと思ってる。足りねぇもんは全部カバーできるだろうし」
「ん、そんなもんか?」
きゅ、と耳を摘まむ。
「んーッ!!耳、嫌だって言ってんだろっ」
後ろから抱き締めれば本当にすっぽりと腕の中に納まる身体。
投げ出された脚とビールを握りしめたままの指先。
「もう飲むな。飯食えなくなるぞ」
「!!」
耳の先に触れる唇に、肩がびく、と竦む。
その独自の形をなぞる様に舌先が動けばその度に強張る四肢。
「……っは…ァ……」
「弱点だって言っただろ?」
耳朶、うなじ、ゆっくりと楽しむように触れる唇。
「見えるトコ付けんなって……いっつも……」
「お前が人前で脱がなきゃ見えねぇとこだけだ」
じゃれあうように抱き締めれば拒否することもなく。
(泣いたり怒ったり笑ったり、忙しいもんだな)
顎先を撫でれば自分とはまったく異なる肌質に、心の奥がそわそわしてしまう。
「空んなった」
水代わりのビールになれている彼女を酔わすのはいつも一苦労と一波乱。
照明の緩やかなバーでなければ中々に酔ってくれることは無い。
「食ったら飲みに行くか?」
その一言まるで子供のようにきらきらと表情が輝く。
「カレーって、一晩置いた方が美味いって言わね?言わなくね?」
「お前……ビールっ腹になるぞ」
「鍛えてるからなんねーよ」
向かい合って抱きしめあえば、催促するように軽いキス。
(つっても、本当は俺らも未成年だから駄目なんだけどな……こんだけ機嫌よくなると……)
上の空、視線を外せばぐい、と顔を固定される。
「余計なこと考えてたろ。どっち行くんだ?」
「近い方。まだ雨降ってるからな」
「ん」
ああ、結局は全部許せてしまうのだ、この笑みで。
情も愛も全部織り交ぜて、始めに好きだと言った方が負けなのと同じように。






「ムサシ、傘一本だけかよ?」
ブーツの紐を結びながら見上げれば、本数を変更する気配は無い。
「ああ。二つもいらねぇよ、一緒に入りゃいい話だ」
「サヨウデゴザイマスカ」
一つの傘に二つの影、絡ませた指先。
膨らませたフーセンガムと揺れる金髪。
足元の水たまりを華麗に飛び越えて。
「そういや、お前みたいなのの為にあんだろうな、あの言葉」
「んー?」
「Lovers change fighters, coolっての」
その一言にぱちん!と割れるガム。
「な、なーーーーっっ!!」
「泣いたり笑ったり怒ったり、可愛いもんだな」
「か、かわ……」
「可愛いぞ。俺にとっちゃな」
指先を解いて肩を抱き寄せて。
「……テメーの奢りだぞ、浴びるように飲んでやる」
「覚悟しておくか」
そんな雨の日の小さな小さな喧騒。
それもまた恋人たちの大事な出来事。






18:52 2010/06/30

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル