◆得意料理は海老フライです◆






「雲水クンっ、雲水クンっ」
 いつものようにプロテクターを装着する。
「サンゾー?」
「首にキスマーク見えてるわよ。はい、これ」
 苺柄の絆創膏に苦笑はするものの有難いと呟いて受け取る。どうやら自分の気付かないうちに
付けられたらしいその痣は言われるまでなぜ分からなかったのかというほど妙に赤い。
「鬱血でもしたかな」
「噛み癖ありそうよね、阿含クン」
 帰って来たのは朝方でベッドに潜り込んではきたものの珍しくただ抱きしめるだけだった。
自分が登校する時間になっても一向に目を覚ます気配なく、これもいつものことだと起こさずに来た。
 カフェテーブルの上に置いてきた朝食と弁当。気が向けば手を付けることもある。
「あるから困るんだ」
「なんかそんな雰囲気はあるけども」
 ヘルメットを装着していつものように腕をまわした。関節の痛みも特にない。
「ケダモノチックね」
「獰猛かと思えば甘えてくるから厄介な獣だ」
 がつん。ヘルメットが触れ合う音。放課後はまだ始まったばかりだ。





「あ"ー……雲子ちゃんは俺置いてガッコ行ったわけね……」
 手近な枕を抱いては見るものの、欲しい暖かさも柔らかさも足りない。精々睡眠欲を掻き立てる程度だ。
 珍しく飲み過ぎたと痛む喉と掠れた声。そんな声でも「もっと」とねだる女には事欠かない。
(早く帰ってこいっつーの……あ"ーもう練習なんざしてもしなくても変わんねぇっつうの……)
 のろのろと身体を起こせば腕に纏わりつく自分の髪。
 姉を組み敷けばきまってくすぐったいと困り顔になるのが愛しかった。
 欠伸を噛み殺して歩き出せばテーブルの上にはロールパンのサンド。
(おー……良い嫁になれるタイプじゃん……ま、俺の嫁ですけど)
 左手で掴んで飲み込んで、冷蔵庫からアイスコーヒーを取りだした。
 2LDKの間取りは二人暮らしには十分だ。意味を成さない別室に意味を見つけようとする彼女と、
結局寝る場所は同じだと唱える彼の生活。
(しっかし……冷蔵庫ん中まで綺麗にしてるもんだな……雲子ちゃんってばまめだから)
 肉食とジャンクフード、そしてアルコール。阿含の食生活はお世辞にもスポーツマンとしてはほめられたものではない。
その体調管理や栄養面も踏まえて雲水はあの手この手で料理をするのだ。
 相手は偏食大王の金剛阿含。
 幾ら天賦の才と強靭な肉体を持っていても管理が甘ければ腐ってしまうのもまた事実。
(雲子ちゃんは俺の食えねぇもん、まぜて食わせっからな……)
 二杯目のアイスコーヒーは牛乳と混ぜ合わせてカフェオレに変わった。
(ねみぃ……)
 ソファに身体を投げ出してクッションを抱きしめる。間違っても可愛い光景ではなく、阿含を知るものならば
ここまで隙だからけでも逃げだす以外の選択肢は無いだろう。
(早く帰ってこいって……ねみ……)
 テーブルの上には昼食もある。このまま何処にも出歩かずに彼女を待つのも悪くは無い。
 やたらめったら晴れた空。一瞥して雨になれば良いと欠伸を飲み込んだ。






 練習を終えて帰り道、まだ陽は明るく夏の手前。
「練習試合には引き摺ってでも連れてくる。春大会みたいなあんなのは……」
 春大会準決勝、阿含はいつもの如くナンパした女の家に転がり込んで酒も抜けきらないまま会場に遅刻してきた。
阿含抜きの試合も慣れたもので、相手が王城ホワイトナイツであっても神龍寺は揺るがなかった。
 大差をつけての勝利、そして春大会の優勝。しかし、目標は秋大会の先のクリスマスボウルだ。
「阿含クン、どう見ても雲水クンが大本命なんだからもうちょっと雲水の言うこときけばいいのに」
「そんなマトモな弟なら苦労は少なかったかな」
 袋入りのキャンディーを分け合って帰る道。疲れた体に優しいのは甘い物。
「じゃあ、うちのチームだったら誰が弟だったらよかった?」
 そう言われてみるとそんなことは考えたこともなかった。常に比べられて押さえつけられるのが姉という
存在であって、十三の夏からは自分たちが姉弟だという境界さえも曖昧になりつつある。
 それでも何気ない動きや仕草が重なるたびに言い聞かせるのだ。
『自分たちは同じ細胞を持つ双子」なのだと。
 抜けるような青空と白い月。
「……あれで十分だ。あれが弟だったから多分……こうしてここにいる」
 ほんの少しだけ、未来が見えすぎた彼女は随分と悟ったようでその実は十七歳。痛む胸を抑え込んで
先の見えない道を進む。灯りなど無く、彼女の手を引くのは双子の弟。
 行きは宵酔い、帰りは怖い。後ろの正面に立つ鬼を殺して二人だけで進む道。
 はたして鬼はどちらなのか?
「そうよねぇ……阿含クンがああじゃなかったらアタシ、雲水クンと出会えてないのよね」
 神に愛された男が愛したのは同じ細胞を持つ女。
 離れてはいけなかった魂が分かれて二つになってしまった。
「結果論になってしまうし、人生はでもとだっての繰り返しだ」
「そうねぇ……じゃあ、弟みたいに思えるのは?阿含クンがどうこうじゃなくって」
「それだと……一休かゴクウかな……」
「あー、アタシも!!二人とも小さくて可愛いもの」
 それでも、きっと誰も彼の代わりには成らない。結局躊躇せずに自分の手を取るのは彼なのだ。
(たまにはあいつの好きなものでも作るか……どうせ寝てるだろし)
 





「あ」
「あ"」
 ドアを開けようとしたのと開くのは同時だった。何んとも無しに彼女の気配がしたので開けてみればまさしく
同じようにしようとしたその姿。
「ただいま」
 おかえりの言葉よりも早く伸びてくる腕。包み込まれるように抱かれて。
「……おかえり。早かったじゃん」
「どうせ寝てると思ったからな。それに痛めつけるような練習は不必要だってお前にも言われてる」
「んー……」
 力なくこんな風に抱いてくるときは何らかの不安と不満が重なり合ってる時。
 ドアを閉めていつものようにチェーンでロックする。
 これでこの空間には入れる者は誰もいなくなったという合図と証明。
「たまにお前の好きなものでも作ろうかと思って買い物してきたんだ」
 いつものように荷物を下ろす。相変わらずくっついたまま離れないのは突き放してはいけない状態だからだ。
「なぁ、雲水」
 耳元に掛かる声と息。
「飯とかまだいーから、俺の相手してよ」
 そのまま抱きかかえられて定位置のクッションの上に降ろされる。相変わらず後ろから抱いてくる腕と背中越しに
感じる体温と鼓動。
「……何かあったのか?」
 右手が彼の左手に触れた。
「ねぇよ。足りねぇから補充してるだけ」
「着替えたいんだが」
「んー…………別に汗臭いとかねぇし……」
 肩口に顎を乗せて擦り寄せられる頬。少しざらついた感触の髭と浅黒い肌。
 インナーの中に入り込んだ手がさらしを引き抜いて思わず、ふう、とため息が零れた。
「ぎっちぎちに縛ってっからじゃん。柔らかいおっぱいしてんのに」
「試合の時はそれなりに邪魔になるからな」
 両手がぎゅっと乳房を掴む。竦む肩と漏れる声。
「あれだ、世の中物の価値わかってねェ連中が多過ぎンだよ」
「……海老フライでも作ってやろうか?」
「……ナニソレ」
「それか作ってくれ」
「海老フライ?」
「そう」
 雲水は時折そんなことを言い出す。確かに、料理は出来ないことも無くやらせれば
阿含ならば何でも出来るだろう。
「……海老あんのかよ」
「ない」
「食いたいワケ?」
「ああ」
 一度言いだしたらきかないのは姉弟どちらも同じ。温厚な顔をしたチームのお姉ちゃんと
言われる彼女が不動明王もはだしで逃げ出すような意地。
「わぁったよ。作ってやろーじゃんか、スペシャルな海老フライ」







 いつもならば自分よりも早い時間に起きることの無い弟は、夜明けと共に姿を消していた。
 珍しいこともあると身支度をしていつものようにロードワークに向かう。
 練習前に朝食は二人分。一人分は冷蔵庫の中へ。
(どこいったんだかな……まあ、早起きなのはいいことだ)
 身支度を整えて玄関のドアを一人で開けて。
 きらきらの朝日を背負ってグラウンドめがけて走りだした。
 十七歳の初夏はこれからの波乱など見せないような快晴。
 くたくたの身体を引き摺って帰宅して、ドアを開けようとした。
(…………帰ってきてるのか?)
 鍵を引き抜いてそっとノブを回せばがちゃ、と開くドア。
 そのままそっと室内に入り込めばキッチンに見える長身の影。
「阿含?」
「うぉあ!!気配消してんじゃねぇよ!!雲子が!!」
 まな板の上には下ごしらえをしたエビ。左腕には銀色のステンレスボール。
「……もしかして、海老フライ作ってくれてるのか?」
「べ……別にんなんじゃねぇよ!!たまには飯作ろうって気になっただけだっつの!!」
 向こうに行けとリビングを指されて言われるままに移動する。
 荷物を下ろして軽くシャワーで汗を流して、汗どめのパウダーを肌に当てる。
(……匂いは無い方がいいな。その方がおいしい物の匂いが分かる)
 かぶれやすい首筋とうなじにはたかれた粉。
 鼻先で感じる彼の機嫌のよさに少しだけ顔が綻んだ。
「阿含、何か手伝うか?」
「んー……あと揚げるだけだし、炊けるの待つだけだし」
「?」
「海老十キロ買ってきた。んでも、マリネとか俺つくんねーから半分雲子ちゃんの担当な」
 調理が終えるころには洗い物も終わらせる、という雲水の教育はきちんと形になっているらしい。
 手持無沙汰だとトマトを齧りながら右手のキッチンタイマーを睨みつける。
 ドレッドは結ばれて御丁寧にヘアバンドで押さえ込んだ。
「阿含」
「あ"?」
 後ろから腰に抱きつく。
「雲水?」
「行ってみるもんだな。久々に美味しい海老フライが食べれそうだ」
 こんな風に頼られるのも悪くないと彼が思うように、たまにはこんな風に甘えてみるのも
悪くないと彼女が思うように。世界は案外幸せになるようにできている。
「他にも何かあるのか?」
「ひ・み・つ」








 テーブルの上に並べられたのは海老尽くし。海老フライは言うに及ばず、春雨と海老のサラダや
海老団子のスープ。煮立たせた出汁を入れた卓上用の小さめの鍋には海老しゃぶとでも言うべき様な
ラインナップの並んだ皿。
「昔からなんでも雲子ちゃんは俺にくれたけど、海老フライだけはくれなかったな」
 思い起こせばそうなのだ。姉は言われるままに何でも弟に分け与えていたが、海老フライだけは
絶対に譲らずに自分で食べていた。
「ああ、好きなんだ。他はやれてもこれはやれん」
「うっわ、食いモンの恨み怖いタイプ。海老ジャンキーじゃんか」
「まあ、もう一つ譲れんものもあるけどな」
 スープカップを持つ右手と左手。
 食事はいつも向い合せ。
「何よ?」
「クリスマスボウル。どこにも譲る気は無い」
 ボールを持つ着ダリ手と右手。
 フィールドでは隣り合う二人。
「あ"ーー……そりゃ俺もだわ」
「で、優勝したらだな」
「?」
「監督にいって海老フライの大きいの食わせてもらう」
 予想外の答えに阿含が噴き出す。
「ちょ……優勝決めてまで海老フライかよ!!」
「有頭海老の大きいやつを、満足するまで食べるんだ」
 そんな願い今すぐにも叶えてやれるのに。
 いつも彼女の願いは些細なことばかりだ。
「んじゃ明日作ってやるよ」
「いや、お前のはこっちの方が良い」
「あ"?」
「優勝して、喧嘩しないで一緒に食えたら最高じゃないか」
 それでも美味しそうに食べる姿は、労働の対価には十分過ぎて。
(……本当に譲れないものがお前だなんて言えるわけないだろ)
 だから男子校に男子としての生活をの条件で入学した。
 フィールドで隣り合わせで並ぶ技を習得した。
(……譲れない物は俺だって言えよこの雲子が……どこまでアメフト馬鹿なんだよ)
「そういえば、優勝に相応しい物って何なんだ?」
 グラスの中のオレンジジュース。
「ドンペリとかじゃねぇの?」
「海老もめでたい時に食べるぞ。この上なくめでたいじゃないか」
「そうね。優勝したらそりゃもうドンペリをマグカップに入れて海老フライってくらいめでてーわな」
 大口開けて笑いあって、ふたりまだまだ夢の途中。
 振り返ることも大事で向かい合うことも大事だとわかっていても、小さな意地がそうできない。
「マグカップっていつも使ってるアレか?」
 グリーンとオレンジの何処にでも売っているおそろいのカップは、二人で暮らし始めて
買ったものだった。最初のころは何かと物入りだったものの、ようやく少し落ちついた季節。
「そ、あれでドンペリ。ちょー素敵」
 ワイングラスに注ぐものがオレンジジュースでも、酔えそうなこんな夜は。
 一緒に生まれてきたことに感謝して笑いあってもいいじゃない。
 窓枠の外、月も困ったように笑うならば。
「優勝した時の海老フライって、他の連中どう思うだろうな」
「どうだろう?でも、海老フライならみんな食べるんじゃないか?」
 そう、自分も彼女もまだ十七歳。
 迷うことも惑うこともこの先に沢山あるだろう。
 何かも衣をかぶせてカリカリに揚げてしまって飲み込んでしまえればいいのに。







 あれから幾つも日を重ねて。明日は春大会の決勝だ。
「……で、海老フライじゃねぇの?」
「あれは勝ったらって決めてるんだ」
 面倒だったと言う割にカフェテーブルにはカツ丼とアサリの味噌汁と御新香が並んでいる。
 栄養管理兼ねてつくられるメニューは高タンパク低カロリーの物が多い。
 神の宿る肉体を維持させるのは案外手間のかかる作業だ。
「で、明日は海老フライ?」
 両手を合わせてから箸を付ける。
「明後日。海老フライはお前が作れ」
 明日は三年生が在籍する試合としては最後になる泥門との決勝戦だ。
 絶対に負けるわけにはいかない。
 悪魔と鬼神の決着を付けるフィールドに自分も同じように立てること。
「雲子ちゃん何にやついてンの?えっちなんだからぁ」
「ああ、明日の事を考えるとな」
「ん?」
「完膚なきまでに叩きのめす。もう去年の神龍寺じゃない」
 神龍寺には鬼が住まう。それは金剛阿含の事だというものと金剛雲水の事だというものに
分かれるような話でもあった。
 何のことは無い、鬼は二人住まうのだ。
「神が勝つか、悪魔が勝つか。なんて言われてる」
 デザートの林檎を剥きながら姉は明日の作戦を反芻しているのだろう。
「勝つのは神でも悪魔でもねぇよ」
 うさぎ、うさぎ。何を視て跳ねる。
 硝子の器に座った兎を阿含の左手が摘まみ上げた。
「勝つのは俺らだ」








 崩れた月の輪から抜けだした光は、おそらく希望となって地上に降るのだろう。
 冬はその光を雪に閉じ込めるから手がかじかんでも暖かい。
 世の中をサンタクローズが跋扈する季節、二人はまだフィールドに居た。
「クリスマスプレゼントとか何欲しいよ、雲水」
「特に無いな」
 二人とも進路はもう決まっている。この先の未来もぼんやりと見えてきた。
 控えた試合が二人で並べる最後の物になることも。
 三年間の全てを注ぎ込むものになることも。
 ようやく向き合えたことも。
「うわー、そういうの退くわー。男心分かってねェ」
 深めに被ったニット帽。随分と陽も短くなってしまった。
「そうだな、欲しいものはあるんだが……それは貰えるから良いんだ」
「あ?なんだそりゃ」
「だから、お前が喜んでくれるかは分からないけども、それ相応のプレゼントは返すつもりだ」
 彼女の中では自分が何かを送ることが決定事項になっているらしい。
 大概の願いはかなえられるが不可能な物も僅かばかりにはあるのだ。
「雲子ちゃん何かくれんの?」
「お前はクリスマスボウルの切符を私にくれるんだろ?」
 振り向いた顔がこの上なく穏やかで愛しいと思える。
 この三年間、彼女が最も欲しがったもの。
 それがこの一戦だった。
 関東大会の決勝戦は激しいものになるだろう。負傷者の覚悟も出来ている。
 その中には当然、投手である雲水も数として入れられるのだ。
 揺るがない司令塔であり、投手でもある雲水を失えばチームは目に見えて失速するだろう。
 天才を活かすためのフィールドを作れるものは双子の姉以外に存在しない。
「だから私は何が何でも勝って、そのトロフィーにお前がくれるドンペリ注いでやるよ」
 差し出された右手。
「だから。絶対に勝とう」
 受け取る左手。
「……ッハ!ったりめーだろ!!俺が居て勝てねぇわけがねぇんだよ!!カスどもは捻り潰してやるよ」
「お前こそ精々足を引っ張らないようにしろ。すぐ我を忘れる」
「お、言ってくれんじゃねぇの。俺様のテクに惚れ直させてやるよ」
「そうだな。ぜひそれを切に願うよ」
 雪が綺麗だと思えるのは隣に君が居てくれたからだと気が付いた。
 雑踏の灯りが増える季節が寒くとも暖かいと思えるように。
 欲しかったものなんて最初から一番に近くに合った。
 随分と二人、遠回りをした。
「ま、それは確定事項だからクリスマスプレゼントは別枠でやる。何が良い?」
「んー……海老フライ……」
「それはジジイに金出させる」
「じゃあ、高級ホテルの海老フライ」
「もう少しロマンチックな物言ってみろよ!!お前一応女だろ!!」
「……オーロラソースの海老フライ?」
 どんなに風になったとしても、どんな未来が待っていようとも。
 無駄な事など何一つ無くて、共にあることが『幸福』と呼べるように。
 重ねた月日は朧月にもよく似ていた。
 あと、もう少しだけ。こうして並べるのは。
 色違いのマフラー。
「なー、雲水」
「?」
「お前、神龍寺来てどうだったよ?」
 三年前、離れることを前提にしていた進路と運命を無理やりに折り曲げた。
 男子校に入学した女子は、男子以上に過酷な練習をこなし実力ある投手と変わる。
 天才の姉ではなく、金剛雲水という一人の選手。
「楽しいぞ。まだ、楽しいの途中だ」
 過去形などにはしないために、明日の決勝戦を勝ち抜くために。
「お前はどうなんだ、阿含」
 吐く息も白くなった。明日もきっと肌を裂くような冷たさだろう。
「まあ、程よく楽しんでるぜ」
「私は……この三年間、お前と一緒に居れて良かったと思ってる」
 一緒に生まれてきたことを、姉弟であったことを、触れてしまったことを後悔もしたけれども。
「……………………」
 胸や背中は大人になり、その強さは確かな物になった。
 それでも一番大事なことにはお互いに目をそむけてきた。
 その答えが確かな物になるために必要だった十八年間という時間。
 一秒も無駄なことなどなかった。
 ともに歩んで手を繋ぎ、同じ遺伝子を持ち大地を蹴る。
「阿含」
 振り返る顔はあのころとはもう違うはずなのに。
「好きだぞ」
 幼いころから知る彼女の影が重なって消えた。
 じゃれつくように抱きしめてこの時間が永遠になれば良いのにと。
 この降りしきる雪の中で願った。
 最初から離れたことも離れることも無かった。
 ずっと二人だった。
 きっとこの先も、どんな困難も難関も。
 自分の左手と彼女の右手で粉砕すればいい。
「ばっかやろ、んなこと十八年前から知ってるっつの」
「お前と違って天才じゃないものでな」
 ぴかぴかに磨かれた爪に触れた雪が解ける。
 試合の前にそんなことなど必要無いという彼女に、決勝戦だから磨くんだよ、と彼は
答えたのだ。
 この試合に勝てばクリスマスボウルへの出場となる。
 負ければこのチームでの最後の戦い。
「明日、寝坊も遅刻も認めないぞ」
 三年生になってから練習試合はともかくとして公式戦にはフル出場することは無い物の、
阿含は遅れることなく参加してきた。
 そこに存在するだけでプレッシャーを双方のチームに与える存在。
 時には雲水と一休を欠いた試合展開もあった。
 それでもレンズ越しに彼はずっと試合を見続ける。
 その視線だけでも相手を竦ませるには十分なのだ。
「遅れねぇよ。雲子ちゃんが起こしてくれんだろ?おはようのキスで」
「……一発キラーパスしたらお前の頭も治るのかもしれないな」
「おいゴラ。なんだよその心底可哀想な生き物を視るような眼はよぉ!!」
「いや……」
 繰り返してきた景色の中でそっと手をかざした日々。
 その背中の羽はどこまでも高く飛ぶために存在する。
 そっと祈るような気持ちをたくさん重ねた。
「幸せだ、と思ったんだ」
 いつの日か振り返った時に思い出になるように。
 けれどもそんなことを考えてすごしたわけでもない。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
 左手の親指がサングラスを押し上げた。
 この青いレンズ越しに見る彼女を明日の試合で終わらせてはいけない。
「この先も、ずっと幸せにしてやるっつの!!」
 世界で一番結ばれてはいけない二人なのに。
「ああ、そうだな。私もお前を幸せにしてやるよ」
 ブーツを鳴らして大地を蹴って二人でどこまでも走ろう。
 どこだって地の底だって、二人ならばきっと素敵なところ。
 だからサングラスを外して抱きしめてキスをした。
「雲水の幸せの基準は厳しいんだろ?」
 額に頬に耳に。
「ああ。甘やかすとロクなことにならないってのはお前から学習したからな」
 ちゅ。唇が触れあった。
「任せとけ。俺様が世界で一番幸せにしてやるってんだ」
 ああ、神様。どうか二人を見逃してください。
 この互いしか必要としない運命の双子を。
 そっと見なかったことにして目を閉じてください。
 





 たった一度、ただ一人、生涯最初で最後の恋。
 今、二人で大地を蹴った。







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