◆JUST BE FRIEND◆






「雲水クン、次の授業調理実習だって」
ニコニコと可憐な笑顔なのは釜田玄奘。男子校の神龍寺においてもっとも女性らしい生徒だろう。
「よかったら一緒に行かない?アタシたち班も一緒だし」
「そうだな。サンゾーと一緒だと心強いよ。おかげで大分料理のレパートリーも増えた」
隣に並ぶ本物の女生徒はある意味男子生徒よりも男らしい。
「そういえば、アタシもそうだけど雲水クンと阿含クンも寮じゃないのよねぇ」
人差し指を唇にあてて、サンゾーはそんなことを呟く。
神龍寺学院名物の石段は男子でさえも音をあげてしまう過酷さ。
「あと、一休と山伏先輩も寮には入ってないはず」
「あの石段、遅刻しそうになると厳しいわよねぇ」
「そうだな。何回か寝過ごして泣きそうになった」
部活以外でもナーガのメンバーは程よく仲が良い。その中でもサンゾーと雲水は何かと一緒に居ることが多かった。
大概はそこに一休が飛び込んできたりゴクウが乱入してきたりと賑やかすぎる面々に。
「駅前に新しいカフェができたの。帰りに寄ってみない?あ、もちろん阿含クンが来なかったらなんだけど……」
しゅんとしたサンゾーはやはり雲水よりも女性的だ。
こうして並べば本物の女子の雲水のほうが男子的ともいえよう。
実弟の阿含にはない柔らかな殺気を持つものの、滅多なことではそれを解放することもない。
「そうだな。一休とか山伏先輩も誘ってみるか」
「できれば雲水クンと二人で行きたいな」
「分かった。じゃあ、二人で」
「だってたまには女の子二人でお茶したいんだもの」
その一言を雲水は茶化したりもせず、静かに頷くだけ。選手としても実力は確かだ。
試合に出ることさえも時には放棄する阿含よりも数だけならば多く雲水から受けているのもサンゾーだった。
「阿含クン帰ってきてるの?」
素行不良でもその強さはまさしく天才としか言えない存在。神に愛された悪魔というべき男。
「稀に」
同じ遺伝子を持ちながらこうもすべてが違うものかというほど二人は別物だった。
しかし、過ごす時間が長くなればなるほどに理解できること。
それは二人は根本がまったく同じだということだった。
「そういえば、実習で菓子作りだったな。ゴクウたちが騒いでた」
「やだ。朝練の時でしょ?」
男子校という前提を持てばこの二人の会話も存在も違和感は拭えない。
一方は男子として入学し、一方は男子として生活することで入学を許されたのだから。
三千世界を探したとしても金剛阿含を確実に止められるのは金剛雲水だけだろう。
自由奔放で攻撃的なプレースタイルを最大限に生かすことのできる存在。
「遅れちゃうわ、急がなきゃ」
「そうだな」
サンゾーの手を握って走り出す。指先の温かさと横顔に覚える想い。
長い長い廊下を走りぬけていく二つの影はいつもと少しだけ違う色だった。









授業も実習も無事に終えてそのまま昼休みの時間ともなれば、ナーガメンバーの争奪戦も始まる時間。
雲水とサンゾーが家庭科で何かを作った時は部室で昼食を取るというルールがある。
ばたばたと駆け込んでくる姿の先頭は細川一休。少しだけ遅れて斉天正行の姿。
「雲水さぁぁんっっ!!」
「雲水ーーーっっ!!」
勢いよくドアを開けて一斉に雪崩れ込む。無敗の神といわれるチームも試合以外では普通の高校生だ。
「今日何っすか!?俺、朝から鬼楽しみでーーっ!!」
「サンゾー、お前のも出せ!!味だけは美味いし!!」
この場に阿含が居れば確実に死者が出るような言動の乱舞。
「ん、しっかし、そうしてると雲水もサンゾーも女の子みたいだな」
「ヤダ、山伏先輩ったらッ!!」
箱の中に並ぶカップケーキに色めき立つ。我先にと手を伸ばす姿は所詮は男子高校生。
神龍寺学院は文武両道の精神で男子にも調理実習は普通に組み込まれている。
うっかり授業に参加していた阿含が三角巾とエプロン姿を披露したのも記憶には新しい。
そのせいか、家庭科という授業のある日は登校さえもしない有様だ。
「阿含のエプロン姿は軽く死者がでるよな」
粗方喰いつくした一休とゴクウの狙うは雲水持参の昼食だ。
几帳面な性格の出た弁当は量はそう多くはないものの、味にと栄養面に関しては文句の付けようがない。
「うちでもエプロンなんかしないぞ、あれは」
一休の口に出汁巻き卵を放り込む。もぐもぐと動く唇と喉元。
「鬼ウマっす!!」
「阿含に料理とか結びつかねぇよな……雲水、俺にもっ」
同じように放り込めばゴクウが飛び付く。神龍寺のチビコンビは何だかんだと仲は良い。
「作らせると上手なんだが……キッチンが殺人現場に変わるんだ。製作過程はみたいとは思わない」
カニクリームコロッケをもしゃもしゃと口にしながら雲水は一人で頷く。
「原材料不明系かよ……こえーな……」
「阿含クンにお料理って……できたら素敵さポイントはあがるけど怖くて頼めない」
「いまどき、飯も作れないような男は問題外だぞと言ったら作る様になった」
両手を揃えて箸を置く。わざと選んだ弁当箱は蓋をすれば苺の形になるものだった。
授業を受けるとなれば当然実弟の阿含の分の弁当が加算される。
それも蓋をすればパイナップルの形になるものを雲水はあえて選んでいた。
もちろん、周りの視線というオプションを巻き込むための小さな嫌がらせも兼ねているのだが。
「そりゃ……雲水が『料理のできる男が好きッ』っていったのと勘違いしてるだけじゃ……」
ゴクウの呟きに全員が一斉に激しく頷いた。
「あいつの要求は細かくてな。だったら自分で作ればいい物を……」
下拵えから衣の付け方まで事細かく隣で言われるのは精神衛生上よくは無い。
そのはけ口として見つけたのが菓子作りでもあった。
男子生徒として過ごせば一日の大半がそれで終わってしまう。朝少しだけ早く起きて甘い匂いを絡ませてオーブンへと向かって。
前日の夜からの仕込みは手際の良さ。シュークリームやエクレアはアメフト部には何とも似合わないものだった。
「ああ、苛々すると雲水さんお菓子作ってきますもんね。鬼ウマだから俺は嬉しいっすけど」
振る舞えばその間だけ、ほんの少しだけ。自分が女扱いされているような気になる。
弟の為に人生を全て棒に振り切れるほどまだ悟りきれてはいないのだ。
「エクレアはサンゾーに倣ったんだけどな。本家の味のほうがずっと美味しいぞ」
「ヤダっ!!雲水クンったら!!」
フィールドの上では息の合った二人も、それ以外では普通の高校生に。
考えようによっては理想のカップルでもある。
行動力と判断力に長けた雲水とそれを慕うサンゾーの組み合わせ。
神龍寺ナーガは今日も平和である。不参加の一名を含めて。







降りだした雨は豪雨ではないものの、部活をするには不適格なものだ。
「サンゾー、この雨じゃ部活は無理だな。みんなにもそうメールを……」
「送っておいたワ。雲水クン」
言い終わる前に意思はもう通じていたらしい。
「じゃあ、行こうか」
それでも人前では目立つとウィッグを被る姿。自分はよくとも自分を見た人間が驚くのが困りものなのだ。
道着に合わないと普段のボブでは無く黒髪ショートカット。
「雲水クン、一杯もってるのね」
「じゃあ、とっておきでも使おうか?サンゾー」
「え!!何々!!気になる」
布袋から取り出したのはドレッドのウイッグとオークリーのジュリエット。
手早に付けかえればそこに居るのはチームメイトによく似た姿だった。
「あはは、阿含クンみたいっ」
「酷いな。あいつほどガラは悪くないはずだぞ」
性別の差も相まって金剛阿含が少し幼いならばこの姿だったかもしれないと予想させるなにか。
元は同じ遺伝子を持っているのだから似ていて当然なのだ。
慣れた手つきでドレッドを結びあげれば本当に隣に並ぶのが阿含だと錯覚しそう。
「いつも何個入れてるの?」
「三つくらい。家にはもう少し」
水たまりを避けながら目指したのは小さなカフェ。雨の匂いに混じったキャラメルソース。
案内された席は窓際の二人用。メニューを見ながら一緒に指したメニューが同じで笑い合った。
遠目に見ればまさしく金剛阿含の姿。
「そのウイッグだと阿含クン嫌がらない?」
運ばれてきたタルトとキャラメルミルフィーユ。これで相手が本物の阿含だったら味などわかるものではない。
「嫌がるな。一番嫌がる。双子なんだから良いだろっていうと暴れだすし」
夏の手前にはアイスカフェラテ。グリーンとレッドのストロー。
「サングラス、お揃いでしょ?」
ベリータルトを侵食する銀色のフォーク。
「何かと同じにしたがるんだ。遺伝子も同じなんだから他をそろえる必要もないかと思ってるんだがな……」
天才が光るための空間を作り出すのは統率力と的確な判断力。
金剛阿含を活かすのは金剛雲水以外には不可能だった。
「昔から、アレの考えることはよくわからない」
しかし傍目に見れば阿含ほど分かりやすい男も居ないという見解が一般的だ。
欲しいものは欲しいと言う。雲水に近付く相手はすべて抹殺対象。
それでいて人を惹きつける力もあるのだから面白い男なのだろう。
「雲水クン?」
サンゾーの間横を一直線に飛んでいく銀色のフォーク。ぶれることも無くスピードも落とさずに。
全てに均等に分配された力のフォークはカウンターの前で執拗なナンパをする男の脇腹を直撃した。
「何すんだゴラア!!」
道着の袷を握られても眉一つ動かさない顔。
すい、と伸びた指がサンゾーのフォークを拾い上げて躊躇うことなく男の右目の寸前で止まった。
「!!」
「嫌がっていた。無粋なことをするような場所でもないと思うが?」
ゆっくりと唇がいびつな笑みを浮かべる。
「それとも、プチっとすりつぶしてやろうか?カスが」
音域こそ違うものの孕んだ狂気はこの場に居ないはずの阿含と寸分違わない。
ドスの無い分余計に雲水の方が狂気じみていると言っても過言ではないだろう。
座りなおして道着の袷を直す指先。
「ああ、すまない。代わりのフォークを今貰ってくるよ」
まったく似ていないはずの双子はその実が似過ぎている。
「サンゾー?」
コースターの上に置かれたフォーク。
「……雲水クンと阿含クンって、似てる」
「双子だから」
「ううん、もっと違う感じで……」
以前、山伏がぽつりと零した一言。
『雲水は阿含よりも性質が悪い。何が悪いってあいつがそれをわかってないってことだ』
その言葉がいまさらながらに頭の中で螺旋を描いていく。
天才という冠はついても金剛阿含一人だけには『最強』の名は付かない。隣に立つ雲水がいてこその天才でもあるのだ。
「さすがにアレの振りをして喧嘩をかわしたから、何か土産でもないと暴れられそうだ」
名前だけが一人歩きしてしまう阿含をつかった雲水なりの最大譲歩。
「でも、阿含クンがカフェでタルトなんか食べるかしら?」
「ナンパした女が言えば入るんじゃないか?」
「でも、アタシと阿含クンだったらはいらないでしょ?」
その一言に視線が重なって笑いあう。
「だから、やっぱり雲水クンは雲水クンなんだわ」
「そうだな。ありがとう、サンゾー」








切り取った四角の中に作られた小さな明かり。
乱暴に閉まるドアの音と投げ捨てられる靴と上着。
「たっだいまぁ〜ん、雲子ちゃぁ〜ん」
「ああ」
出された課題も丁度終わって帰宅したばかりの弟に視線を移す。
「クッソ最悪。このシャツ気に入ってんのにカスの血が付いた」
阿含にしては珍しいモノトーンのシャツに飛び散った赤黒い体液。考えなくともそれの正体はすぐにわかった。
ばさばさと脱いで、どっかりと隣に座りこむ。
「晩飯だ」
シャープペンシルが指す小さな箱。
「中身何よ?」
「ベリータルトとミルフィーユ。雨で部活も休みだったから寄ってきた」
「雲子ちゃんは食わねぇの?」
摘まみあげたブルーベリーを彼女の唇に押しあてて、阿含はにぃと笑う。
「なんかさァ、カフェがどうたらとか言ってくっだらねーのが喧嘩吹っ掛けてきてさぁ」
「……………………」
「雲子ちゃん俺に何隠してんの?」
お互いに笑顔で見つめあえば姉弟喧嘩のカウントダウン。
「大方お前がナンパした女関係じゃないのか?」
こぼれる花のような笑みと小首を傾げる仕草。雲水は時折確信犯としてこれを作動させるのだ。
ぐらつきそうな心を抑え込んで指先でくい、と顎を持ち上げる。
少しだ熱のこもった視線と声は口説き落とすための武器。
「なんか隠し事してるっしょ?」
「身に覚えが星の数ほどあるな」
「奇遇だねぇ。俺も恨まれるのなんて慣れ切ってっから」
騙し合い応酬はどちらも退くことはない。
「ぷちっとすりつぶしてやろうか?カスが」
「ア?」
一瞬だけ確かに宿った狂気。明確な殺意と敵意とほんの少しだけ絡ませた悪意。
自分とまったく同じ色の瞳に歪んだ笑みがこぼれてしまう。
「少しだけお前のまねをしただけだ」
両手が頬に触れて。
「……っは、サイコー……んなこと言ったんだ……」
同じ遺伝子を持つ最悪の双子。歪みと澱みを抱いた最強の双子。
額に舐めるようなキスを一つ落として力任せに抱き寄せた。
「いーーんじゃねぇ?それでこそ金剛雲水だ!!」
「お前が喧嘩を売られることも予想した。そこで負けることも無いのも。だから買ってきたんだ」
「で、そんな凶悪な言葉を可愛い俺の雲子ちゃんが言ったっていうのがさぁ、もう」
「いや……多分本気でお前と勘違いしてたと思うぞ」
とん、と肘で胸を押し返してするりとぬけだして。
慣れた手つきでドレッドのウイッグとサングラスを身につける。
「噂だけが一人歩きしてる所もあるからな」
「あー、そりゃ勘違いもするわ。でもって雲子ちゃん、俺そのカツラ嫌いなんだけど。んで、俺の晩飯は
 マジでこれだけなんですか?これはデザートってやつで主食じゃねぇんじゃ」
「どこかで食べてきたんじゃないのか?」
「そのつもりで女引っ掛けたら喧嘩売られてさぁ。サイアク。あーもう腹減ったしさぁ」
無意味なトレーニングなど必要の無い肉体。些細な動きですら全てを記憶して分配していく細胞。
指先一つを動かすだけでも彼にとってはトレーニングと同じ動きをするのだ。
誰かの顎先を砕く拳も、踏みつける脚も。何もかもが自分への加圧となる。
「雲子ちゃん?」
「良い身体だな、お前は」
からかう口調でも羨望でも無く、それはあるがままへの感想に近い言葉だった。
暴力的な強さを持つ天才とただの人間の自分。才能の壁は二人を分かつもの。
「……なんで急に?」
同じような姿になってみても何一つ同じにはなれない。
降りだした雨はまだ止みそうにもなくただ灰色の空間に二人だけ。
「いつも思う。どうしてお前なんだ。どうして隣に居るんだ。どうして全てを持ってるんだ」
感情を隠すことの無い彼と感情を押さえ込んでしまう彼女の二人。
「……いらねぇよ、何も。欲しいモンなん絶対ぇに手に入らねぇんだ……」
「……どうしてそんな表情(かお)するんだ。いつもみたいに凡人の戯言って見下せばいい」
時折彼女はひどく壊れそうになる。雨粒一滴でもその肌を割ってしまうかのように。
きっとこんな雨の下に居たならば砕けて溶けて消えてしまうだろう。
「……ッチ」
こんな時には乱暴に抱きしめて噛みつくようなキスを繰り返すだけ。
「阿含、痛い」
「ウッセ……黙ってろ」
切れた唇の端を舌先がなぞる。慣れた血の味と鉄の匂い。
「夕飯を食べるんじゃなかったのか?」
微かな震えが消えて声のトーンも戻りつつある。そうなればあとは気持ちを軽く解放してやればいいだけ。
「食うよ。雲子ちゃんも一緒に行くんだけどな。ア?当然酒も飲める場所だぜ?」







見慣れた黒髪のボブウイッグとオークリー。珍しく二人同じものを身につけて。
逃がさないと言わんばかりにしっかりと絡ませた指先。
指輪の冷たさがちりちりと季節を告げる。
「飲むなとは言わない。私は飲まないぞ」
「へいへい。そう言うことにしといてやっからよぉ」
へらへらと笑う明らかに喧嘩を売るには間違いな男が手を引くのは同じように手を出したら無事ではいられない何かを感じさせる女。
「あ、そうだ。雲子ちゃん手ぇ出して」
左手首に触れる数珠球の輪。ひんやりとした硝子の冷たさが心地いい。
「丁度いいな。プレゼント。指輪とかはもっとちゃんとしたモンあげたいし」
すぐに外せるもの。指を縛りつけないもの。彼女の自尊心を壊さないもの。
性別も捨てて投手になった雲水の指先を簡単に折ることも縛ることも許されない。
神龍寺ナーガの正クオーターバックの座は、己の力で奪い取った。
裏を返せば弟よりもはるかに渦巻く闘争心を持っていることになる。
「ほら、こーいうのキラキラしてて好きっしょ?」
「嫌いじゃないな」
右手を縛ってはいけない。その右手には切ってはいけない糸が結ばれている。
「んで、ここ」
右手でドアを押しやって中に入る様に促す。柔らかな余りと適度な仄暗さ。
これならばゆっくりとアルコールを楽しみたい人種が来るには持って来いな隠れ家的な店。
「…………………」
傍若無人を絵にかいたような彼が来るには少しだけ不似合いだと思ってしまう。
いつの間にか弟は血の匂いが似合うようになってしまった。
「おっさん、一番好きな人連れてきちゃった」
阿含がそう声をかけたのは恐らく店主だろう。人懐こそうなどっしりとした笑顔はどことなくチームメイトを思わせた。
「おー、久しぶりだな阿含。オトモダチ来てっぞ」
「ア?ダチぃ?」
視線を店内に廻らせれば奥の席に見覚えのある金髪とモヒカンの姿。
「おっさん、どれが誰のトモダチだってぇ?あ?」
「俺がお前のってことだろ、糞ドレッド」
振り向きもせずにグラスを空けていく。
「つーかなんで居んだよ、カス」
「糞ジジイの現場がこっから近かった。一汗かいた。酒が美味い」
無類のアルコールジャンキーが唇の端を上げて笑う。
「ケケケケ。めっけもんだ。こんなところで神龍寺の正投手に会えた。立ち話もなんだし座りやがれ」
向かい合った二組は関東で喧嘩を売りたくない売られなくない人物の上位だろう。
ヒルマの隣で黙って同じようにグラスを空けているのも因縁のある男だ。
「おっさん、もう一杯くれ。俺は今のと同じ、糞ジジイはどうすんだ?」
「もう少しキツメのがいい。ただでさえ回らねぇのに……とんでもないツマミがあるんじゃ益々だ」
デビルバッツの創始者であり核となる二人と天才を擁する無敗の竜神として存在する双子。
「大好きなお姉ちゃんの前じゃ、俺に喧嘩売ることもできねぇよな。金剛阿含」
苛々を噛み殺して座り込む。視線だけを僅かに雲水に向ければ別段変ったところは無いように思えた。
「弟がいつも世話に……」
「なってねぇよ!!こんなカスなんかにはよォ!!」
「ん?ウチのがカスってのは聞き捨てならねぇな」
「無駄に喧嘩買うな糞ジジイ」
運ばれてきたドライビール。チーズの盛り合わせとエビフリッター。
悪魔が二人顔を合わせれば被害は三倍以上になるのは確定だ。
「飲まないのか?」
「弟と違ってアルコールは得意ではないもので」
それでも選んだのがブラッドオレンジジュースなのは無意識が呼ぶ本能の疵が重なるの同じ。
彼女の右手にしっかりと絡む彼の左手。左右対称、男女双子、そして無意識の支配と有意識の支配。
「それくらいが可愛いもんだ。何せこいつは底なしに飲みやがる」
「アラヤダ。底ナシダナンテ。嗜ム程度デゴザイマスワ」
ケタケタと笑ってそのままグラスを空けていく。十七歳が四人いるとは思えない空間だ。
「どのみち、クリスマスボウル行くにはこいつらブチ殺さなきゃなんねぇ。しかもそこの糞ドレッド、キックも決めやがる」
挑発交じりにムサシの顎先を撫でる細い指。この一点において彼は他人に劣ることを許さない。
ヒルマが悪魔の策士と呼ばれる由縁は頭脳の回転率では無く個々の力の正確な把握とそのメンタル面のコントロールにあった。
「そこの天才サマは、俺が二十二人でドリームチームとかほざいてるしてなぁ」
「一人でも面倒見切れないというのに、二十二人?悪いが国外逃亡させてもらうぞ」
新しく運ばれてきたグラスは二つ。スティンガーは悪魔とそれを守る男には何とも適任な名前だ。
かち。グラスの端がキスをして冷たく優しい音を一つ。度数が高くとも顔色一つ変えない二人の姿。
(少しは飲めるようになりたいものだな……)
隣を見れば同じように阿含もカクテルに口を付けている。相変わらず左手は自分の右手を掴んだまま。
「糞ドレッドは顔に似あわねぇ甘いのばっか飲みやがる」
「うるせーよカス!!」
因縁浅からぬ二人を止めたのはやはり同じように連れられてきた恋人たち。
「!!」
襟首を掴もうと伸ばした阿含の右手を封じたのはムサシ。
さらに煽ろうとしたヒルマの左目の寸前で止まった銀色のフォークを持つのは雲水。
「酒は楽しく飲むっつったのはお前だろうが」
「んー……んじゃもう一杯」
首に手を廻して耳元で内緒話。視線だけをにぃ、と阿含にヒルマは向けた。
「お前もだ、大人げないぞ阿含」
「だぁって。雲子ちゃんってばさぁ」
「……少し飲んでみたい。ただ、強いのは嫌だ」
弟を押さえ込むには自分を餌につかうのが一番だと彼女は幼いころから熟知している。
それがどんな状況であれ事態が好転さえすれば結果論で済ませられることも。
「んじゃ俺が選んでもいい?」
望んでも完全な支配下に置くことのできないただ一つの存在。
「必死な恋愛ってのは甘く切なく苦いもんだな」
「お前がそれを言うか」
「いや必死よ?これでも」
無意識に右耳に触れる手。彼女も一人で闘ってきた。彼が戻るまで。
「万が一にもない可能性ってか、くだらねぇ話だけどさ……お前が兄とかそういう遺伝子の関係が無くってよかったってかさ……」
当たり前であったとしても、一番高い壁。此方から壊せても其方から壊す意思が無ければ絶対に砕けない壁。
「…………だな」
どれだけ大事にしても大切に思っても、彼女は彼を弟して捉えるのだ。
「………………………」
実りやすい邪恋は熟れたように見せて口にすれば悲しいほどに苦いから。
「安心しろ。俺はお前から離れたりはしねぇよ」
「タリメーだ。誰がテメーを逃がすかってんだ」
「珍しく可愛い事を言うな」
「そこの二人に当てられた」
ロンググラスに口を付ける雲水にずい、と顔を近付ける。
「お姉ちゃん、さっきからあんたの弟が飲ませてるカクテルの名前知ってっかぁ?」
飲みやすい甘口とどこか可愛らしい物ばかりを選んでくれていたのは理解していた。
「今飲んでんのがシンデレラ・ハネムーン。その前がキス・ミー」
そんな事を言うヒルマが選んだのは『キッカー』だったりもする。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ、カス」
「お前がシンデレラねぇ……」
「俺じゃねぇよ!!雲子ちゃんのがシンデレラだっつの!!」
実際のところ、シンデレラという単語は阿含には大凡にして似合わないと思われがちだ。
いつまでも振りかえってくれるのを待つ姿はそれなりには重なるというのに。
魔法が十二時で解けてしまわないように時計の針を折ってしまう。
囚われた恋の地獄、吐息でこの身体まで腐らせて骨まで飲み込んでほしいから。
「私が選んでも良いのか?」
「おお、お姉ちゃんが選ぶってよー。んじゃ俺とムサシのもついでに選んでくれよ」
「気安く俺の雲子ちゃんに話しかけてんじゃねぇよ、カス!!」
「お前も気安くウチのにカスとかいうな。その頭にバリカン入れてやるぞ」
「ぜひ入れてやってくれ。正直掃除するために長く絡まった髪が多過ぎる」
「おー、糞ドレッド卒業かケケケケケケケ」
「雲子ちゃんもなんでそーいう事言っちゃうわけ!?俺のドレッド(コレ)好きでしょ?好きって言って!!」
たまにほろ酔い十七歳。花は綻び銃乱射。夏の匂いを蹴り飛ばし何を思おう?
「あ、これがいい」
初めてメニュープレートを見て雲水が左手で撫でた文字。
「アレキサンダー」
それは目指す頂点に君臨するものの名前。昨年、二人掛かりで勝てなかった帝王の存在。
「えー、俺もっとロマンチックなのがいい」
わざと頬を膨らませる弟の姿にヒルマが笑いだす。
「飲み込んでしまえばこっちの勝ちだろう?」
そうなのだ。彼女は誰よりもあの敗戦に拘っていたのだ。
次こそ竜神は帝王の喉笛を噛み切ってやる、と。
「お姉ちゃんの意見が御尤もだな、飲み込んじまえばこっちの勝ちだ」
関東大会を勝ち抜いて帝王に挑むには必ずどちらかが消える運命にあるのだ。
その司令塔が二人此処に揃っている。何とも可笑しくも面白い空間として。
運ばれてきた四つのグラスにはアレキサンダー。
突き合わせて一息に飲み込む。ちりちりと喉を焼く熱さと血液を逆立てる甘さの心地よさ。
「帝王をブチ殺すのは泥門(ウチ)だ」
空になったグラスと射抜くような視線。悪魔の蝙蝠はどこまでもその攻撃を緩めることは無いだろう。
「帝王を討つのは我ら神龍寺だ」
同じように視線を逸らさずに放たれる声。
「その……のろぶえかっきて……やる……」
へなへなと背もたれに崩れてだらんと手を投げ出す姿。
「あり?お姉ちゃんもっかしなくても酔っぱらっちゃった?」
残りの三人が酔う事の無い度数でも雲水にとっては致命傷になる。ビール一本でも取れそうになるのだから。
先に何杯か入れていた分安心はしていたものの、根本が弱いのはどうにもならないのだ。
「ちょ……雲水、しっかりしろって……」
「らいじょうぶら……」
くったりと目を閉じてアルコール交じりの吐息は誘惑加減。
「あのくらい弱い方が可愛いか?糞ジジイ」
口調の割には甘くて優しい視線。
「いや。酔わせて潰すにゃもう少し飲める方がいい。口説くにもな」
「ふぅん……口説かれた覚えねぇなあ」
「口説いてんだろ。毎日。お前が麻痺してんだよ」
いっそ麻痺してしまえれば目の前の二人も幸せになれるのかもしれない。
常識を。遺伝子を。血の流れを。何もかもを理解してしまってるから麻痺などできないのだ。
「酔ってるだろ。妖」
「……名前で呼ぶなっつってんだろ」
どの道どちらも無事では帰れないならば、あえて火に飛び込むのを選んだって悪くはない。
「明日が土曜でよかったな」
今日はどこに寄り道して行こうか。時計の針はまだ数字の八を指している。
「もう一軒。そのまま泊れるところ」
肩に凭れる小さな頭。頬に触れる手に瞳を閉じる。
「悪いが先に帰らせてもらう。どうにもこいつが飲み過ぎてる」
猫のように腕に絡まる悪魔を抱き寄せれば夜はここから素敵に始まる。
「とっとと帰りやがれ。ったく、雲子ちゃんといい雰囲気邪魔しやがって」
彼の膝に頭を乗せて眠りこんでしまってる雲水をおいては立つこともままならない。
むしろ立つ必要も無ければこの二人を見送る必要も無いというのが本音でもある。
ドアの閉じる音。重なる寝息。
「いいオトモダチじゃねぇか、阿含」
「あー……ダタノオトモダチ以下だよっ」
「まあそう言うな。お姫さんのお目覚めに持って来てやったぞ」
二つのグラスに注がれたシンデレラ。ノンアルコールカクテルでも、その気になれば酔わせることのできる男なのに。
一番酔わせたい相手の心までは酔わせることができない。
「おっさん、叶わない恋ってどーすりゃいいんだ?」
「一発殴ってやろうか?お前と最初に逢った時みたいに」
出逢いは親父狩りをしていた阿含の獲物としてだった。闇雲に打ち付けてくるように見せた正確か殺傷能力。
自分の拳を止めた相手に興味を持ち、見習いバーテンだった彼の店に通い始めた。
暴れることも無くそれなりに楽しく飲める空間は阿含にとっては貴重だった。
「勘弁してくれよ。おっさん」
この人の為に最強といわれる帝王を殺しに行くのも悪くは無い。
「ほら、雲水。起きろって」
「……ん、うん……」
「おっさんがサービスで一杯くれた。ほら」
「これ以上酒は……」
「ノンアルコールだから、飲めるだろ?本物のシンデレラ」
口の中に広がる甘酸っぱさは夏の味。魔法が解けてしまう前に階段を駆け降りるように。
「王子様でも待つのか?阿含」
唐突な言葉に咽返ってげほげほと咳き込む。目尻に浮かんだ涙はどんな色合いだろうか?
「待つわけねぇだろ……むしろ俺が王子様だっつの」
「ほう」
まだ酔いは抜けてはおらず、雲水がにこりと笑う。この笑顔の時には大概の弟の我儘は罷り通るのだ。
「なら十二時の鐘が鳴る前に消えなければ魔法が解けてしまうってことだな」
「まだ九時過ぎだっつの……ああ、そうね。魔法が解ける前にお暇しましょ、雲子ちゃん」
雨はもう上がってしまったらしい。ほろ酔いのシンデレラと王子に傘は必要ない。
水溜りを飛び越えて空まで飛んで夜をどこまでも逃避行といければ良いのに。
「帰るんじゃないのか?」
行きよりもぐっと近くに抱き寄せても、拳が飛んでくるとはない。
「んー?なんで帰るの?このままホテル行ってぇ雲水とヤラシイこといーっぱいしてぇ、んで埋め合わせしてもらうの」
「埋め合わせ?」
とろん、とした瞳が見上げてくる。
「そ。今日、雲水が俺のふりして喧嘩したから、俺が喧嘩売られたことの」
理由などこじつけで十分すぎるから。こんなにとろとろになった彼女はそうお目にかかれない。
目の前に出された極上の恋人を戴くにはそれなりにいい場所と決め込みたいのだ。
「……さっきの……ヒルマみたいのがお前と一緒になればいいのに……」
絡まった腕と小さな声。
「ヤァッダね。あんなカス好みじゃねぇよっ」
いつか彼も誰か一人の物になる日がくるのだろう。そう思えば今のうちから覚悟は抱いた方がいい。
「俺は雲水じゃなきゃ嫌なんだよ!!お前だけで良いんだよ!!」
「でもお前は弟だ」
「だから何だってんだよ。姉弟だから好きになっちゃ悪いのかよ」
永遠に巡る同じ答え。
「あーもう、んなこというと他の女みつけっぞ」
いつもと同じ答えが返ってくるはずだった。聞きなれた言葉で。
「……………イヤ………………」
消え入りそうな小さな声。
まだ大きな声には出来ない言葉。
どんな表情をしているのか?その唇を確かめたい。
「!!」
少しだけ屈んで覗いた彼女の顔。
「……なんで泣いてるんだ?阿含」
「んー……今ちょっと幸せ感じてただけ」
頬に触れる髪を掴んで。
「キスしてぇ」
「ダメだっていったら諦めるのか?」
「無理」
ちゅ、と重なる唇。
タダノトモダチからコイビトになれるのならば、姉と弟から恋人になることだってできるはず。
「もっとしてもいい?」
「ダメだって言ったら……」
「言わせねぇよ。雲水だって俺の事好きだろ」
魔法をかけるように紡がれる愛の言葉。
「………………うん」
例え明日の朝には彼女がこのことを忘れてしまったとしても。
何度も何度も記憶と細胞に刻む込んで消えないように。
「んじゃホテル行こっ」
「ヤダ」
「ダメ」
ちゅ、ちゅっ。何度も何度も繰り返すキスの行方。
「うわ……ッ!!」
抱きあげてそのまま歩きだす。
「シンデレラと王子様ったらコレっしょ、雲子ちゃん」
「さすがの私でもお前を抱いて走るのは無理だな」
「だから俺が王子様だっつの」
白馬に乗った品行方正な王子様を殴り飛ばしてたのはドレッドにサングラスのシーフ。
シンデレラは硝子の靴を叩きつけてドレスを捲り上げて大疾走。
必要なものは自力で奪い取らなければならない。
「ずいぶんな王子様だ」
「いーんだよ。俺のお姫様にとっちゃ一番似合う男だっつの」
夏の手間のシンデレラはそれなりに準備も大変。
手を伸ばして奪うために今日も空を駆る。







17:48 2010/07/18

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