◆ネイティブフェイス◆
「調度良かった、アドン……ちょっとこれを飲んでみてください」
試験管片手にロザリーがうっとりするような笑みを浮かべる。
「断る」
剣を磨きながら魔剣士は鋭い視線を向けた。
「運がよければ筋力が桁違いに増量されます」
「断る」
「見た目が駄目ですか?ほら、こうすればまるでワインみたいですよ?飲みたくないですか?」
琥珀色の液体はグラスに注がれ、果実酒そのものにしか見えない。
甘い香りも相俟ってロザリーが作ったと知らなければ素直に飲んでしまうだろう。
「遠慮なさらずに。親友じゃないですか。あ、寧ろ兄弟ですね。嬉しくはないですが」
「絶対に嫌だ!!」
取っ組み合いを始める男二人の間に出現する影。
「あ、飲み物だ」
すい、と手が伸びてそれを掴む。
「喉渇いちゃった」
一息で飲み干して、ピサロは満足気に笑った
「ああああああっっ!!」
「な、何て事だ!!」
きょとん、としているピサロの手を二人の男がきつく握り絞める。
「それは危険人物(ロザリー)が作った危険な物です!!」
「それは脳筋馬鹿(アドン)に飲ませようと思った実験薬……」
「……っくしっ!!」
くしゃみ一つ終わった瞬間、ピサロの身体が小さくなった。
「な、何なんだっ!!」
己の身体の変化に皇女は慌てふためく。
「ロザリー!!」
ずり落ちる外套を押さえてピサロは恋人を見上げた。
睨み付ける赤眼さえも、幼い光が宿る。
「何とも愛らしい……流石は皇女ですね」
「本当に昔から麗しい御方です」
両手が伸びて男二人の頬を抓りあげた。
「馬鹿!!」
銀髪を振り乱して怒るピサロなのに、いつもの威厳が全くない。
「大丈夫。僕は守備範囲が広いですから」
「俺も外見だけでピサロ様を判断したりしませんっ!!」
「……馬鹿二匹……」
小さな紅葉を見るにはまだ季節が早過ぎるというのに、二枚だけ先に舞い降りる。
頬を摩りながら男二人と少女は座り込んだ。
「何時、戻るんだ?私は」
焼き上がったパウンドケーキの匂いにロザリーが席を立つ。
切り分けて大きなものにシロップをかけて、少女の前に差し出した。
「一時的なものだと思いますが、確証は出せません」
頬に付いたかけらを端正な指先が摘んで。
「何とかならないものか?」
憮然とした騎士が眼光鋭く青年を狙い定める。
「せいぜい三日ですね」
「自然治癒力か?」
「ええ。そうなりますね」
首をこきり、と鳴らす。
「城に帰ればまた問題になるな」
「確実に。馬鹿供が狙ってきますね」
キングレオとエビルプリースト、二人の男は絶えず狙いを定めてくる。
赤眼の皇女は力など指先一つで粉砕してしまう
「しかし、軍議がございます」
眉間に皺を寄せて、ピサロは二度ばかり頭を振った。
「護衛ならば俺がいます。ご安心ください」
その言葉にロザリーが眼光を鋭くする。
「僕も逝きますよ、デスパレスに」
一瞬で凍り付く空気。
「君の城なら、ある程度の安全は保証されるでしょう?あのいけ好かない男とダメ猫は一度討っておきたいですしね」
微笑みの中に見える鮮やかな殺気を感じ取れる程の関係。
血の雨が降ることは確実になる。
「僕では頼りないですか?ピサロ」
駄目押しの一撃の満開笑顔。
「…………いいよ、ロザリー…………」
「大丈夫。君の騎士もいることですし」
賢者の杖を鼻唄交じりに磨く後ろ姿と交錯する溜息と感情。
「ロザリー、その杖初めて見る」
背中にぺったりとくっついて覗き込む。
「賢者の杖なんですが、さしずめ錬金術師の杖ですね。ふふ」
見たところ十にも満たないだろうか。
「いらっしゃい、ピサロ」
手を引いて膝の間に座らせる。
まるで仮想の娘だと、彼は笑った。
「可愛いですね。君との子供なら愛せる」
大きな手が後ろから抱きしめる。
「父上が昔…………こうしてくれた」
王位継承者は重圧に耐えられる強さを常に求められる。
そしてしかるべき強さも。
「兄上もよくこうしてくれた。懐かしい」
ワンピースから覗く細い足音。
少しでも力を込めれば折れてしまいそうな踵。
細身の少女は上等な人形のよう。
「ほっぺたもほんのりピンクですね」
「お化粧しなくてもいいみたい?」
「しなくても可愛いですよ、ええ」
猫でも愛でるかのように顎先をなでる端整な指先。
「ピサロ様、どうぞ」
ホビットたちから差し入れられた袋をそっと手渡す。
「良い匂いがする。お菓子みたい」
包みを開いて満足げな笑みを浮かべる少女に、釣られて騎士も笑う。
彼女とともに成長してきたのが彼なのだから。
「じゃあ僕はお茶でも煎れますかね。さすがのピサロナイトもお茶は煎れられませんから」
「俺が煎れたらそれはそれで気持ち悪いだろう?」
「いけ好かないあの男よりは様になるのではないでしょうかね?ふふ」
幸せそうに焼きたてのマフィンを食べる姿も、幼いだけで普段とはまったく違って見える。
桜色の小さな爪に付いた蜜を舐め取る舌先。
「ほんっとうに可愛いですね。小さいころからあんなに可愛いのも珍しい」
「最初、俺が出会ったときも可愛いと思った。あの魔王の血が入ってるようにはまったく見えない」
「おや、ピサロの父君は似てないのですか?」
「ピサロ様は亡き女王様によく似てらっしゃるそうだ」
伸びた髪を三編みにした可憐な姿。
後に魔族の王となるとは誰が想像出来るだろうか。
「そろそろ戻られる準備を致しますか?」
「そうだな。しかし……眠い……」
「御意」
うとうととする皇女を抱き上げて青年は手早く荷物を纏めてしまう。
「お前のほうはもういいか?ロザリー」
「武器と薬くらいでいいでしょう。あとは……」
翠の瞳と重なる亜麻色の闇が宿った瞳。
「捩じ伏せます」
「同じ意見だ。行くぞ」
半分夢の中のピサロを抱いて、アドンは呼び寄せたスカイドラゴンに騎乗する。
片手で手綱を握り、左手で主君をしっかりと抱く姿。
「お前は自力でなんとかしろ」
「男に抱きつく趣味はありません。安全運転厳守のためにもピサロは僕が預かります」
「冗談じゃない。お前こそピサロ様の安全確保のために呪文で護衛するんだな」
アドンのマントをしっかりと握って安心しきって眠る姿を見れば、どうにかしてその眠りを
妨げないようにしたやりたいと心が呟く。
ここ数日、彼女は眠りに落ちても苦悶の表情を浮かべていたからだ。
痛む左腕にきつく噛んだ唇。
「しかたないですね……振り落としでもしたらあなたの首を飛ばしますよ」
「お前を突き落としてもピサロ様は守り通す」
ふわふわと風にそよぐ銀髪と聞こえる寝息。
うたかたの午眠は明日への鋭気となる。
「デスパレスはどんな城なんですか?」
「基本的にはピサロ様の側近が殆どだ。レオやエビルプリーストは来客扱いとなる」
「成る程。僕も歓迎されざる客にならないようにしなければいけませんね」
愛人と言われても彼は臆することがない。
バルザックのように錬金術師として訪ねるものもいるのだから。
エビルプリーストとの一件もあり、ロザリーの名はそれなりに通っている。
「敵ばかりではないでしょうし」
「そうだな」
古エルフが魔族と恋に堕ちるなど前代未聞。しかもそれが王族ならば尚更だ。
(負けませんよ。ピサロは僕の恋人ですからね)
亜麻色の髪を風が撫であげる。
宵闇手前の茜空に。
女王の帰還に場内は活気づき、侍従達が走り回る。
「ピサロ様、お帰りなさいませ!!」
守護する騎士ともう一人の青年の姿。
「そちらの御方は……」
「恋人だ。ロザリーと言う」
左腕に光る黄金の腕輪。
皇女の愛人は穏やかな殺気を込めた笑みを浮かべた。
「何かしよう等とは考えるな。私の大事な客人だ」
「はいっ!!」
城主として威厳がある姿のはずが、どうみても幼い少女。
「あの……その御姿は……」
「不慮の事故だ」
「……はい……」
周囲の杞憂など、ピサロは簡単に吹き飛ばしてしまう。
「だが、私は私だ」
「はいっ!!」
その声に側近達が一斉に歓声を上げた。
我らの主君は揺るぎないと。
自室に篭って明日の軍議に備え、資料に眼を通す。
硝子の器に盛られた果実を一つ摘んで飲み込む。
広がる甘さに唇が綻んだ。
「みんな、君を慕ってますね」
「うん……」
さわさわと柔らかな銀髪を撫でる。
「みな、いい奴ばかりだ」
「みたいですね。果物もお菓子もたっぷりとある」
恐怖感だけではなく、ピサロは不思議と愛される資質を持つ。
それは第三位だった立場から、王位継承者になったことも少なからず関係していた。
いずれ嫁ぐことを前提としてきた父王は、皇女に自由を謳歌させた。
のびのびと育った少女は分け隔てなく誰とでも均等に接してきたのだ。
「さっそく小さな服も来ましたしね。可愛いマントもある」
ドアを叩く音に魔族特有のとがった耳が揺れる。
「誰だ?」
「ここを開けろ」
その声にピサロは眉を寄せた。
「エビルプリースト……ですね」
ロザリーのつぶやきに感じる確実な殺意。
彼は躊躇なく命を剥奪する能力を持つ。
かつん、かつん、とブーツの踵が大理石の床を打った。
「開けろといわれて開ける様ならば、門番は必要ないですよ?本当にだめな男ですね」
「……エルフ風情に何ができる」
「あなたを殺すことならば、造作なく」
振り上げた左腕が風を巻き起こす。
彼の亜麻色の髪を艶やかに掻き揚げて空気を殺し始める。
「……ア、アドンッッ!!」
「はい」
主君の声に外套を翻して現れるのは忠君ピサロナイトの名を持つ青年。
「止めますか?」
「違う。夕飯に間に合わなくなる。エンヴィが死ぬのはどうでもいいが、今日の夕食は
レオの差し入れの暴れ牛鳥の丸焼きの香草和えなんだ。食べ逃すのは……」
真っ赤な瞳が描くのは晩餐の宴。
生き死になどは日常過ぎて興味ももてないと。
「ロザリーが死ぬかもしれませんが?」
それはそれで最高に面白い展開なのに、と青年は感情を飲み込む。
「多分死なない。八割の傷を負わせてエンヴィが死ぬ。古エルフはそう簡単には
死なないようになってる。我々、魔族のほうが余程ひ弱だろう」
「的確な判断です。僕は……そう簡単には死にません!!」
炸裂する爆風が扉を吹き飛ばす。
青年の掌から生まれた氷の刃が男の影を集中爆撃した。
「扉の修理だ」
「御意」
心配そうに集まってくるリリパットたちを非難させて、皇女は二人を見据えた。
白煙の中、明らかに押されているのはエビルプリーストだ。
錬金術を駆使して彼はどんどん追い詰める。
すでに青年の利き腕である右腕は鈍い銅色に変色していた。
「そのまま硬化させて負ってあげますよ!!」
振り下ろされる鉄槌を必死に左腕で防ぐ。
「次は多分、ロザリーに致命傷がでるな」
「そうですね」
「ロザリーに大怪我をさせるのも嫌だし、これ以上床を汚すのも好ましくない」
皇女の左手から放たれた水晶の剣が二人を割った。
「夕食の時間だ」
見た目が子供なのも相まって、その言葉には奇妙な重さが存在していた。
「……随分と可愛らしいな」
「お前のほうはぼろきれの様だな、エンヴィ」
「雑巾以下ですね。ふふ……」
少女の小さな手を取る。
「夕食なんでしょう?」
間に入った少女の頭に青年の手が触れた。
「エンヴィ、何度も言うが私はお前とは一緒にならない。私が望む相手は何かしら私よりも
強い相手だ。私は……より、赤き血を残さなければならない」
恋だけで相手を定めることは許されない。
彼女は自分の立場を誰よりも理解していた。
それでもどうにかしてその束の間の恋を楽しみたかっただけだと。
「アドン」
「はい」
跪く騎士はおそらく彼女と一生を添い遂げる。
「貴様の命……そう長くないと思え」
亜麻色の髪が、空気のざわめきを写し取った。
「あなたこそ油断しているとその頸、掻かれますよ。ああ、油断の意味もわかりませんね」
すぃ、と少女の手が青年のそれに触れた。
「ロザリー」
「…………………………」
狂気を孕み育てるその瞳。
「ピサロ様、御召し物が…………」
「せっかくのドレスを汚すわけにはいきませんね」
ひょい、と少女を抱き上げてロザリーは男の首筋に鋭利に光る杖先を突きつけた。
「決着はつけましょう。いずれ、必ず」
声を荒げることのない青年だからこそ感じる恐怖。
ロザリーという青年との確執が決定的なものになったのはこの瞬間からだったのかもしれない。
この後、最後まで彼らは受け入れ会うことはなかったのだから。
夕食を終え、満足げな恋人を抱えて青年はあれこれと呟いた。
「もう少しでいい素材を手に入れられるところだったんですがね。ふふ」
ロザリーの肩にしがみ付いて考えるそぶりを見せる。
ふと、伸びた耳が目につく。
「!!」
小さな唇が触れる。
「あはは!!ロザリー、真っ赤になってる」
夜を二人で飛ぶように、この少女がそのままでいられるのは彼の前だけ。
「まったく…………悪い子にはお仕置きですよ?」
「私の部屋の中に、面白いものがあるよ」
「面白いもの?」
「うん」
天国なんてどこにもない。
けれども、天国を夢見てしまうのはどうしてなのだろうか。
人間は不思議な生き物だと少女は瞳を閉じる。
「子供なんて邪魔なものだとずっと思ってたんですよ。簡単に死にますし」
「体の良い食材にもなる」
「ええ。でも……君をこうしてると悪くないなって思えますね」
ベッドに下ろして隣り合って座る。
見上げる彼はどこか兄のようにさえ思えた。
亜麻色の髪は優しくてきっと闇夜の中でも見つけられる。
「ロザリー」
少しだけ背伸びして、頬に触れる唇。
「子供に手を掛けるのは良くない大人でしょう?」
額に降るやさしいキス。
「良い大人なんて知らない。見たことがない」
彼女の周りは常に戦禍となる。
甘い香水よりも生臭い鉄の匂い。
可憐なドレスよりも鋭利な剣。
「では、ここに」
青年の膝の間にちょん、と座って見上げる。
その唇に彼のそれが重なった。
触れるだけのキスは、彼の睫毛が長いことを教えてくれて。
ほんの少しだけ緑がかった片眼が猫のようだと知らせてもくれた。
後ろから抱き締めてくる腕に包まれることの安堵感。
「そういえば、面白いものとは?」
「うん」
指先が円を描けば扉は意志をもったかのように開き、目的のそれを彼の目の前に。
手をのばして受け取ればそれは男物の外套だった。
「兄上のものだった」
「妹に手を出すのは犯罪ですよ」
「ロザリーは兄上じゃない。ロザリーはロザリーだ」
誰も与えなかった名前を彼女は彼に与えた。
その瞬間から彼は存在を許されるものになった。
「僕は……まだあまり君のことを知らない。でも、君のことを知りたいと思うんです」
「気が向いたら、もっとロザリーのことを教えて。時間はたくさんあるんだし」
魔族とはもっと冷酷なものだと考えていた。
しかし、その魔族を束ねる王女はよく笑う。
「あの男、つぎは確実に殺します」
「エンヴィだってそんなに弱くはないから、いいストレス発散の相手になるでしょ?」
「ええ。殺し合える相手というのは貴重です」
水晶の櫛で髪を梳かしながら少女はにこり、と笑った。
「エンヴィは私にとってもちょうどいい殺し合える相手だよ」
「彼はそう思ってないでしょうに」
「事故でうっかりエンヴィが死んでも仕方のないことだわ」
死は彼女にとって身近なもの過ぎた。
「うっかり、ね……」
だからこそ、同じ価値観を共有できる。
彼にとっても死は身近すぎるものでそれゆえに命を生成する側になりたかったのだから。
その頂点を目指し、そこの現れた最高の実験素体。
唯一つ違えたのは、彼女と恋に落ちてしまったことだけだった。
「早く元に戻りたいな」
「このままでも十分です」
「剣が重い」
束の間の幸福でも、甘受してしまえばいい。
銀色の髪に宿る小さな希望。
偽物の時間でも恋人同士でいられるならばそれがきっと幸せというものなのだろう。
「ところでピサロ。あの二人はまだ殺し合ってるのか?」
のんびりと焼きたてのパンをかじりながらレオは視線を少女に落とした。
「私が遠慮なく殺しあえとロザリーに言ってしまったんだ」
「まあ、俺としちゃエンヴィよりもロザリーの方が付き合いやすいけどな」
ひょい、と抱き上げて少女を肩車する。
ふわふわの彼の髪に触れる小さな指。
「レオ、そろそろ止めてやってくれ」
「あいよ。報酬はキス一つでいいぜ、御姫様」
獣の様に爪が伸び、掌の中で生まれる吹雪。
雪の結晶と凍てつく息吹が男二人を直撃した。
「あちゃ、凍っちまった」
「死にはしない。そのままでも良いし」
ぎゅっとレオの頭を抱いて、少しだけ顔をずらしてこめかみに降る小さなキス。
「報酬かい」
「ああ」
たん、と飛び降りて指先で氷を弾く。
「死んだらどうするよ」
「そんなに弱い男には惚れてはいないからな」
「お前の所の葬儀屋は儲かりそうだな」
「そうでもない。使えるものは再利用してるからな」
そう簡単には話は終わらないと笑う姿。
まだ騒動は始まったばかりだったのだから。
18:15 2008/09/20