◆赤眼皇女と毒入りショートケーキ◆



「ピサロ様、随分とご機嫌が……」
銀髪を揺らして進み行く皇女の姿。
背負った長剣と煌びやかな外套がその身分を覗わせる。
「当たり前だ。私にも休日があってもいいだろう!!」
「休日といってもまたあのエルフに会いに行くんでしょう?」
「それの何が悪い」
「もっと自覚を持ってください。あなたは我等が魔族の長なのですよ!!」
幼いころからの教育係の大魔道に食らう小言にももうなれた。
ぷい、とそっぽを向いてみてもどうにもならないのは仕方がないこと。
どうでもいいと呟いて、ルーラの詠唱と供に姿を消してしまった。





幼さを残す横顔に降る星の光。
「ずいぶんとご機嫌ななめですね、ピサロ」
「私には休みがない」
むくれる少女の頭を撫でて青年はあやすように頷く。
「ピクニックにでも行きませんか?」
「どこに?」
「どこが良いでしょうね。君が病むことのないところに」
ロザリーヒルは陸の孤島だ。
外界からの侵入は容易なことではない。
回りに配置した魔物も屈強な種族ばかりだ。
「君の忠臣も今日は居ないし」
「アドンなら昨日、派手にやりあったから」
くすくすと笑うピサロにロザリー首を傾げる。
「御前試合があったの。私とお父様の見る。それで二人とも張り切っちゃって」
「彼と、エビルプリーストとやらですね?」
何かとぶつかり合う二人は良いところを見せようと躍起になった。
「引き分けだけどね」
「らしいですね、あはは」
お揃いのペンダントが光を受けて煌めいて。
恋人たちの穏やかな空間を生み出してくれる。
「バルザックとやらは?」
「元気。失敗は多いけど……あ、今日辺り来るかも。此処に」
銀髪に触れた指と真逆な亜麻色の瞳。
彼が考えることの真意はまだ明かされない。
(進化の秘法の完成には協力者が必要だからね)
それが完成すれば彼女は彼から離れる言葉不可能になる。
それこそが彼の目的なのだ。
「うっかりもののバルザックですね?」
「あいつは何時も面倒な事しか起こさないんだ」
「でも、君にとっては可愛いんでしょうね」
「……弟分、だから……」
戸惑いがちな赤眼に、こつんと触れ合う額同士。
「妬けますね。君にそんな顔をさせる」
キスは悪戯に甘く。
「君が僕だけを見てくれる日はまだまだ遠いですね。ライバルが多過ぎます」
抱きしめてくる腕と触れる頬。
古エルフは今や小数となってしまった。
妖精族の中でも闇に近いとされる種族が、古エルフに当たる。
「こんなに可愛いから、ライバルは多くて当たり前ですね。ふふ」
ロザリーの言葉に感じる不安。
そして、それを隠してしまう愛情。
「!!」
重なる唇が深くなり、舌先が入り込んでくる。
繰り返して次第に壁際に追い詰められて。
左手首を押さえ付けて、息が掛かる距離で唇が止まった。
「……ロザリー……?」
潤んだ瞳が見上げてくる。
「邪魔が来ました。君の弟ですね、きっと」
名残惜しいと一際甘く激しいキスを交わして抱きしめて。
ずるずると崩れる小さな身体。
(……ロザリーはたまに……反則技を……)
ほんのりと火照るのを感じながら僅かに乱れた上掛けを直す指。
上手く行かないともどかしげに動くそれに青年の手が触れた。
「ちょっと、意地悪しちゃいましたね」
「あーいうのは……」
「反則ですね。反省します」
金具を留め直し、外套を整える。
「続きは後でね、ロザリー」
今度は彼女が彼の頬にちゅ、と唇を当てた。
「……本当に反則なのは君ですね……」
かつんかつんと螺旋階段を登ってくる靴音。
開く扉に身体を離した。





手土産のケーキと煎れたてのハーブティー。
囀りの蜜を垂らしながら、カップに女の唇が触れた。
バルザックと紹介された男は雀斑だらけのどこか憎めない顔付きだった。
小柄な身体に大きな猫眼。
しかし、肩宛にはしっかりと紋章が刻まれている。
つまりはそれなりに身分はあるということだった。
「はじめまして。ピサロから話は少し聞いてます」
主君を堂々と名前で呼ぶ青年との関係は容易に想像ができた。
噂には聞いていても直に見るのではまた違うのだから。
「ロザリーといいます。御見知りおきを」
「バルザック・ウィノ……宮廷錬金術師……」
ふわふわくるくると動く波打つ栗毛。
「同じ錬金術師として、仲良くできればと」
「お前、古エルフか?」
「ええ。よく解りましたね」
「右と左の眼の色が違う。古エルフはみんなそうだ」
主君の恋人であっても、彼にとっては普通のエルフだ。
ぞんざいな口ぶりも仕方がない。
もっとも、バルザックも程なくしてこの青年の恐怖を知ることとなる。
「な、な。生命進化の法とか出来ンのか?」
身を乗り出すバルザックをピサロが諌めた。
「話は座ってしろ」
「は、はいっ」
二切れ目に手を付けて、今度はお気に入りの紅茶を。
「それより良いかもしれないものを見つけました」
「なんだよ!?教えろよっ!!」
「ピサロがその証明です。まだ未完成の秘法ですけどね」
ひそやかに囁かれる噂は、皇女の腕に輝く黄金の腕輪に纏わるもの。
古代錬金術の最高峰、進化の秘法に必要不可欠なものを身につけた皇女。
エスターク王以来と言われる魔力と能力を持つ女に魔族は沸き立っていた。
初の女王誕生も間近に迫り、宮中は慌ただしい。
「レプリカントですが、未完成には十分に作用します」
「完成しねーの?」
「させたいのですが、知っての通り僕はここからでられません。協力してくれる人もいませんし」
青年の安全が保証されているのは、このロザリーヒルだけ。
人間の入り込めない小さな塔に限られているのだ。
「地下に研究室は作りました。一人ではそこそこしか進みません」
「俺が手伝うよっ!!そしたら完成するだろ! 」
二人の会話にピサロが眉を寄せる。
錬金術の脅威を身をもって彼女は知っているのだ。
「完成したらどうなるのだ?」
「君が望むだけ強くなれます」
「私は十分に強い」
「しかし、君を伐った男も存在してます。ピサロ」
左腕に感じる小さな痛み。
「私は……どうなるのだ?」
ほんの一部だけでも、確実な進化を遂げる。
事実、あれから剣の速度も威力も格段に増した。
それが全身に至ればもはや彼女に敵うものは存在しないだろう。
「僕が居る限り、狂いません。何があっても君を守りますから」
「な、俺なにしたら良いかな?」
「近いうちにピサロから命が出ますよ、ね?」
「う、うん……」
錬金術師にとって、生命進化法はまさに究極の願望だ。
その一端に加わるのはまさに至福と言えよう。
「こうしちゃいられないや!!早く準備しなきゃっ!!」
「……………………」
呪われた約束と損失への確信。
「ちょくちょく来るよ!!」
「ええ。同じ錬金術師として待ってますよ」
亜麻色に隠された闇を見抜けるのは、親しい者だけ。
「食が進みませんか?」
「……いや……美味しいよ」
震える指先を諌めるのにさえ、どうして恐怖感を得てしまうのか。
「貴女が畏怖されるようになれば、何も人間を滅ぼす必要はないでしょう?」
手段を選ばないのは彼女よりも彼の方が遥かに強い。
たった一つの光を、地の底で見つけてしまったから。
「私が強くなったら……ロザリーも離れていくでしょう?」
「………………」
二つの異なった懸念。
「離れませんよ。僕は」
離れないのは離れられないとは意味を違える。
「君を守れるのは僕だけだから」
退路は断たれて、後は進むだけ。
「……一緒に……居て……」
呼吸ができなくなるのと同じように、苦しいと叫ぶことすらできない。
「ずっと一緒に居ますよ」
「本当に?」
「君と一緒に灰に還ります。散るならば一緒に散りましょう」







確信犯の笑みは慈愛に満ちて闇をも隠してしまう。
「少し、怖がらせすぎましたかね」
傍らで眠る恋人の髪を撫でる指先。
彼の願いはただ一つだけ。
「こんなに眉寄せて寝なくてもいいのに」
上掛けから覗く肌は乳白色の美しさ。
あの日、焼け焦がされた傷など嘘のように。
その肌に散る、自分の刻んだ征服の痕跡に目を細める。
「……ロザリー……?」
「目が覚めましたか?」
膝を抱くように身体を起こし、視線だけを少し上に。
絡まり合う銀糸と対になる赤眼が美しい。
「何だかあちこち痛い」
「そんなにきつくした覚えはありませんが……」
「いや……骨が軋む感じに似てる……」
完全な錬金術は未だ存在しない。
完璧にみえる彼女ですら、暴走する腕を抑える為に腕輪が必要なのだ。
「ロザリー、どうかしたの?難しい顔をしてる」
不安は彼にも存在する。
どこまで彼女の中にある異物を制御できるのか?
「痛むのか?」
錬成不能の痕跡は醜い傷痕。
この体に脈動する心臓は、錬金術の生み出した一種の秘法だ。
何度も抉られそうになり、そして彼女に救われた。
「痛くないですよ、もう」
白い指がそっと触れる。
「君が何度も触って、何度もキスしてくれたから」
長い耳に触れる唇。
くすぐったそうに身体をよじればあらわになる乳房。
「……傷が残ってますね」
左腕を切り落とされたあの日の名残。
絶望の中で彼女は赤眼を光らせて生きるための道をひたすらに走ってきた。
「消しましょう」
その言葉にピサロは首を横に振った。
「忘れない為に」
「……では、僕が何度もキスしましょう。君がそうしてくれたように」
形の良い手の甲に、誓うように唇が降る。
赤い月が二人を照らし、その影を映し出す。
「!」
首筋を噛まれて思わず身体が離れる。
青年の舌先が動脈を静かになぞった。
「疲労困憊の彼が見たら妬いちゃいますね。今日は聞かせることもできませんでしたし」
「………………」
「君の父上が存命のうちは、僕は認められない存在でしょう」
今の彼は皇女の愛人の字にしかならない。
進化の秘法はロザリーが魔界の諸侯たちに認められるには絶好のものなのだ。
古エルフは魔族にも異質とされてきた。
一族の力を見せ付けるにも失敗は許されない。
「君が王位をとれば……」
「ロザリー、一緒に外を歩ける。もう少しだけ……」
幽閉されたままで待つほど、彼は大人しくはないのだ。
最大の武器は外ならぬ恋人にしてしまうほどに。
「愛してます、誰よりも」
「……うん……」
「しかし、愛人の立場も面白いですね。研究しほうだいで」
皇女の愛人はそれとなく世界を操る。
「まず、既成事実をつくっちゃいましょう、ピサロ」
「?」
「面白い子供が出来ますよ。古エルフと魔族。それも王族の血を引くんですから」
ぎゅっと抱きしめてそのまま押し倒す。
柔らかな乳房に顔を埋めて、愛しげに細い背中を掻き抱いた。
重なり合う裸体が二つ。
まるで死体の様に美しい。
「まだまだ先の話ですね」
頬を包み込む青年の手。
唇が重なって舌先が入り込んでくる。
歯列を割って舐め嬲りながら絡まりあってその度にもどかしげに銀糸が揺れて。
「この間のように、狂わせてあげましょうか?」
「や、やだっ!!あれだけはもう嫌っ!!」
媚薬など簡単に作れる彼にとって、彼女を狂わせるのは造作ないこと。
「あの後腰が起たなくなった……」
「純度低めに作ったんですけどね」
青年の喉仏に触れる薄い唇。
赤みの少ない、人形のようなそれ。
(とっても可愛いんですけどね……よがり狂うピサロも)
「今度は僕がケーキを焼きますよ」
甘い甘い特製の毒入りケーキを。
(君が本気で狂えるくらいにあまーいのをね)
銀色の睫毛が飾る赤眼と夜半の月が重なり合う。
「ロザリー?」
「いえ、幸せなことを考えてただけです」
くるくる廻る世界の中で出会ってしまった。
夢のように幸福な日々をただ受け取るように。





テーブルの上には巨大なケーキ。
シロップとクリームの甘い香が室内を埋め尽くす。
フォーク片手に幸せそうに頬張る皇女と首を傾げる青年。
「美味しい♪」
次々に消えていくケーキ。
(……おかしい……何を間違えた?)
予定としてはそろそろ潤みがちな赤眼が自分を見上げてくる筈だった。
(……分量、間違えたかな?)
それでも、嬉しそうに飲み込む恋人を見るのは悪くない。
そう位置付けて微笑む。
「美味しいですか?」
「うん」
「それはよかった」
階段を駆け上がる足音と、もうひとつの足音。
「ピサロさまーーーっっ!!パイ焼いてきました!!囀りの蜜たーっぷり使って!!」
「だからといってそれを俺に持たせるな」
バルザックの後ろに立つ穏やかな顔立ちの青年。
「レオ様も一緒に来たよ、ピサロ様」
「ご機嫌はいかが?姫君」
跪き、手の甲にキスをしようとしたときだった。
「!!」
首筋に突き付けられるフォークの先と真剣。
「これはこれはキングレオ。我が主君に入用で?」
「ここは僕の家です。まずは一言、断るのが通りでしょう?」
紫紺の豊かな髪がふわん、と揺れる。
獣染みた光を帯びた切れ長の瞳。
「レオ・イスタール。キングレオなどと呼ばれている。知りたいことは姫君に聞けばいい」
ロザリーの視線にピサロが見上げてくる。
「うちの三馬鹿の一人だ。レオとバルザックとエビルプリースト。三馬鹿」
「なるほど。的確すぎて笑えますね」
ばちばちと飛び散る火花は上等と微笑みながらの殺気は爆発。
「残りの情報は褥の中で聞くので十分です」
「ほほう……エルフ風情の分際で」
「なんだったら少しまともに練成してあげましょうか?駄目猫さん」
口げんかの応酬など無視して、ピサロはケーキを平らげてしまう。
バルザックお手製のパイを切り分けて今度はそっちに齧り付いて。
「アドン、美味しいぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。ほら。あーん」
言われるままに口を開けてパイを試食する。
「確かに。そんなにくどい甘さではないですね」
「囀りの蜜は本当にすばらしい。毎日でも私は飽きないぞ」
何よりも彼女のその笑みを守れるならば。
何を捨てても構わないと思えるように。
(……どっちも討ち死にしちまえ。ピサロ様は俺がしっかりきっかり守るから)



三者三様、思惑はめぐるばかり。
その中央にのんびりと皇女は今日も静かにたたずむ。



22:08 2008/05/05

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