◆カンタレラ夜を逝く◆






「そんなに難しい顔をしてどうしたんです?」
「面倒なことになったんだ」
銀髪を指に絡ませて女はため息をついた。
「僕で聞けることなら」
入れたての紅茶にこぼれる笑み。
丘の上に建つ党はどこにも入り口などなく、入ってこれるのは彼女一人。
「部下の一人に、バルザックってのがいる……粗忽者でうっかり者で詰めが甘いんだ」
金色の腕輪をからら…と鳴らしてピサロはため息ばかり。
「ちょっと行ってくる。アドン!!ロザリーの警護は頼んだぞ!!」
「御意」
忠実な騎士は跪いて主君を見送る。
「君が私の警護をしてくれるとは……世も末ですね」
「不幸な事故であなたが命を落とすというシナリオもありますが?ロザリー」
ばちばちと散る火花。
ピサロナイトであるアドンとエルフの青年ロザリーのあいだに友好的な感情は少ない。
かろうじてピサロという共有を得て保たれている均衡。
「まぁ、あの子に気づかれない様に僕もそれなりには……それは良いか。それよりもきになるのはバルザックとは?」
「お前の問いに俺が答えると?」
「ならば直接あの子に聞きますよ、ベッドの中で。あなたは寝ずの警護をしてくれますからね。
 ちょっと強情で口を割りにくいところはありますがじっくりと攻めれば陥落できます」
「ピサロ様から勅命が下りれば俺もデスパレスに帰還することになるが?」
本能が渦巻く最中に落ちていくのを望むように。
「職務に忠実な騎士の名前は返上ですね」
飛び散る火花は男同士だからこそ。
「バルザックはお前と同じ錬金術師だ。キングレオというヤツの配下のな」
滑稽な顔立ちに小さな背丈はまるで駒鼠のよう。
雀斑だらけの頬が愛嬌たっぷりでピサロのお気に入りの一人でもある。
「キングレオとは?」
「俺と同じ爵位を持つ。まあ、バルザックと同じように粗忽ものだな」
「彼も錬金術師で?」
「魔導師だ。錬金術は使えない」
翠の瞳を光らせてアドンはそう呟いた。
ピサロの直属の配下は数人存在している。
忠臣ピサロナイトの名を持つアドン。
戦術を主としたエビルプリースト。
魔法を統括するキングレオ。
そして、ピサロの家庭教師として鞭を奮っていた大魔道。
この四人の下に細分化されあ組織が存在しているのだ。
「大魔道のみが女性、だ」
「……………………」
階位を同じとするものならば女帝を我が物にしたいと考えないわけがない。
実質、アドンを含めて拮抗状態が続いているのだ。
「困りましたね。ピサロは僕の恋人なのに」
「不幸な事故は付き物だよな?ロザリー」
だが、ここでいがみ合っても結果はしれている。
ならば、一度手を組むのは悪くない戦術だ。
「一時休戦しましょう、アドン」
「どういうことだ?」
「他の連中の情報を下さい。ピサロに何かしようなんて考えられないようにしてやります」
錬金術ならば誰にも引けをとらない男がこのロザリー。
その証拠が自分と主君の生存なのだから。
「キングレオはそうでもない。あれはわりと皆に好かれる。問題は…………」
「エビルプリーストですか」
「ああ」
王家縁の男は幼い頃から皇女に熱烈に求婚をしてきた。
流麗な皇女は彼の狡猾さが鼻につくと見向きもしない。
目的のためなら手段を選ばないその姿勢は魔王にもあまり好まれたものではなかった。
故に魔王はアドンに娘婿にならないかと持ち掛けたのだ。
同じ家柄ならば品格の高いものをと選ぶように。
「成る程、確かにあなたならばピサロの婿に相応しい」
亜麻色の瞳に宿る歪んだひかり。
時折みせるこの暗く澱んだ表情に感じる底知れぬ恐怖感。
「けれど、ピサロは僕と出会ってしまった」
錬金術に手を染めるものに、正気の者はいない。
無から有を作り出すことは業以外の何物でも無いのだ。
「あの腕輪は何だ?」
左腕に輝く黄金の腕輪。
「暴れ回る左腕を使いこなすためにの封印ですよ」
彼女のものであって異物の左腕の封印具。
「ゴスペルリングをご存知ですか?」
祈りの集約された腕輪は魔を寄せ付けない。
「ああ」
「全く逆のものを作ることも可能なんですよ」
「………………」
歪む唇と瞳。
後ろ手を窓枠に着いて、くく……と笑う。
「更に魔力を増長させました。彼女が暴走したら世界なんて簡単に壊れるでしょうね」
だから、彼女は彼から離れられない。
「食えない男だ」
「ピサロと僕は相思相愛ですからね。世界はちゃんと守りますよ」







「バルザック!!」
女の声に反応した影が、びくんと揺れる。
「ピ、ピサロさまぁ〜」
小悪魔宜しくなくしゃくしゃ顔の錬金術師が飛び出す。
「レオはどうした」
「お城に戻りました……うぁー、失敗してしまって……」
キングレオが統括するのはモンバーバラ大陸。
古来より錬金術に対する研究が盛んな土地だ。
「失敗作が逃げてしまって」
「追い掛けて殺せ」
「強いんです!!」
「どこに逃げたんだ」
「サントハイムです」
その言葉にピサロは目を見開いた。
「私が行こう」
「ほ、ほんとですかっ!?」
今にも泣きそうなバルザックの鼻先に触れる形の良い指。
「その代わり、ロザリーヒルに甘いケーキを持ってこい」
「はいっ!?」
「囀りの蜜を使ったヤツだぞ」
「任せてくださいっ!!」
ピサロは歴代の王でも、部下に愛された者になる。
隔てることなく、自分を慕うものには均等に接するのだ。
そして最も悲劇に見舞われる皇女として名を残す。
まだ、ずっと遠い未来に。





塔の最上階、入口のないそこを難無く登り女は立て掛けていた剣を取った。
「アドン、行くぞ。サントハイムだ」
魔法国家サントハイム。
神官を複数抱え、開祖はロトの系譜を継ぐものと謳われる。
「御意」
外套を飾るスタールビー。
光を浴びて血よりも赤く煌めき踊る。
「ピサロ、僕も連れていってくれないかい?」
ロザリーの言葉にピサロはぽかんと口を開けた。
お世辞にも彼は剣を持てるほうではない。
「魔法は使えるよ。それに錬金術の失敗作なら尚更みたいね」
後方支援ならば、ロザリーがいれば確かに心強い。
「更に君を強く出来る」
「いかがなさいますか?」
二人の男がそれぞれに、女の手を取る。
「即席パーティーだが、面白そうだ。ロザリー、あまり無理はしないで」
目指すは因縁深きサントハイム。
二本の剣と魔法の杖が重なり合った。





スカイドラゴンを駆って目指すのは山間の村、テンペ。
森に囲まれた村は隠れるにも食料を確保するにも申し分ない。
錬金術で生まれた魔物は食人衝動が強くなる。
山奥に迷い込めば、怪しまれることなく消えてしまってもおかしくはないのだ。
「この辺りか?」
ロザリーの手に下がる水晶の振り子。
銀細工で飾られたそれは錬金術で生まれたものに反応する。
「夜まで待てば確実かな」
「下見に行こう。良い果物の匂いがする」
やけに鼻の効く皇女に思わず笑ってしまう。
「酒抜きですよ、ピサロさま」
「酔わせたいのはあるけども、目的があるからね」





テンペの名物の一つであるチーズを口にして零れる感嘆の声。
「これにバトルオックスの生き血が入れば完璧!!」
「全く意見が同じですね」
魔族の二人の会話にロザリーはひそやかに眉を寄せる。
(まずは食文化を改めさせよう。生は身体に悪い)
いずれ二人で生活するならば、それを餌に説得は可能だ。
けれども、焦っては意味が無い。
すぐ傍に、翠の瞳を光らせた騎士がこちらを狙っているのだから。
(毒殺……面白いかもね)
亜麻色の瞳に宿る暗い光は、魔族のそれよりも遥かに深い。
「ロザリーはあんまりこういうの食べない?」
「生物は得意じゃなくてね。君が美味しそうに食べるのを見るのは好きですよ」
にこりと笑えば魔物だって一撃で虜になってしまう。
「キスは甘いほうがいいしね」
「…………」
挑発は自然にさりげなく攻撃的に。
(負けませんから。ピサロは僕の恋人です)
宵闇迫る小さな村に、まさか魔族の皇女がいるとは誰が思うだろう。
異質な銀髪は目深に被った帽子が隠してくれる。
その奥に光る真っ赤な瞳。
王位継承者の証の色は、下級魔族ですら知っている。
「いつもよりも、魔物が静かだねぇ」
そんな声に思わず噴き出す。
老女の背中合わせにいるこの女こそが、その魔物の最たるものなのだ。
「あまり馬鹿騒ぎはするなと通達してくれ、アドン」
情けない、とため息を一つ。
「君が一言すれば良いのでは?」
「割腹しそうな連中ばかりだ。王位は良いようで不便」
フォークを突き立てて、熟れた果実を飲み込む。
王族を始め、高位の魔族ほど食人衝動は少ない。
「表の露店を覗いてくる」
ふらりと消える背中を見送る二人の男。
探り合いの空気を裂いたのは騎士の方だった。
「お前、何者なんだ?」
わかっている確かな事は、彼が錬金術師だということ。
他が不明確過ぎて何も掴め無い。
「ただのエルフなら、人間に命を狙われることはあるまい」
彼の流す涙はルビーに変わり、富となる。
人はそれゆえにロザリーを追い掛けた。
「涙、だけが宝石になるわけではなくてね」
彼が巻き込まれたのは遠い昔のこと。
古エルフは錬金術の盛んな種族だった。
幼い頃から天才と呼ばれた彼は、ある日禁断の秘法を手に入れた。
正しく、不老不死になる秘法を。
その実験の最中に秘術は暴走する。
被験者ではなく、術師の彼に。
「悍ましい傷ですよ」
胸元に浮かぶ醜い脈動尖。
まるで別の生命体のようにうごめく。
「本当は血液の方が純度が高い。ピサロのスタールビーの様に」
「………………」
彼はその体を刻めば刻むほどに、宝石を生み出す。
血液も涙もその砕ける骨さえも。
錬金によって呪われた体は人間たちに狙われるには十分すぎた。
「命を狙われるには十分だな」
「ええ。けれども、僕にはとても強い恋人と一時的でも仲間がいる」
差し出される右手。それを受け取る左手。
「邪魔なものをまずは排除しましょう。そのいけ好かないエビルプリーストとやらを。
 あなたとの決着はその後です」
「ピサロ様が命じる限りは貴様を守ってやる」
砂兎を抱えて、満足げに戻る女の姿。
「こんな大きなのがいた。夕食に……」
「ピサロ、それだけ大きいのなら食べないで飼いましょう。それに、多分雌です」
長いたれ耳が特徴の砂兎は青年の手によって瞬時にロザリーヒルに消えてしまう。
ホビットと魔物が争うことなく暮らす別天地の楽園に。
「そろそろ夕刻です。行きましょう」
風が冷たさを増し、時の流れを教えてくれる。
深い森の奥、目指すは朽ちかけた祭壇のある場所。





みしみしと風がまるで骨を砕くようにうねりを挙げる。
頬を撫でる感触は指先が触れるようで寒気を伴う。
背中の大剣を構えなおして女はその瞳を光らせた。
「来るぞ。アドン」
同じように剣を構える騎士の姿に頷く。
二人を援護するように陣形を取り、青年は賢者の杖を翳した。
「来た!!」
大地を軽やかに蹴り上げるブーツの爪先。
外套を鮮やかに翻して巨大な怪物の腕を斬りつけて行く。
吹き上がる血など無いかのように華麗に宙を舞う姿。
視覚だけではなく、嗅覚、空気の流れ、すべてを読み込む能力の強さ。
王族の血脈だけに頼ることなく鍛え上げてきた彼女自身の強さの証明。
棘だらけの肩を足場にして首を刎ね落とそうとする。
「!!」
「ピサロ様!!」
「ピサロ!!」
突如現れた小さな影を庇う様に女の体が大地に叩きつけられる。
渾身の一撃を放たれたその体は支えるべく骨が悲鳴をあげた。
「……無事か……?」
身を挺して守ったのは、迷い込んだであろうエルフの子供。
「早く……逃げて……」
唇からこぼれる血と精一杯の笑み。
「ごめんなさい……おねぇちゃん……」
「大丈夫……私はこれでも丈夫……早くお行き……」
すり抜けるように走り出し、何度も何度も振り返る姿。
怪物の腕を片手で受け止めながら、視線を移す。
「うぉああああああっっ!!」
錬金術で生み出された魔物は、通常のそれよりも遥かに硬度が増している。
アドンの剣でさえも弾き飛ばそうとするほどに。
「!?」
背後から降り注ぐ光の矢。
指先が弓を描き、矢が容赦なく怪物を貫く。
「錬金術には錬金術を」
ロザリーの矢が動きを封じて、二つの剣が左右から交差するように斬り付ける。
「灰に還れ!!」
唸り声をあげながら風化していくその姿。
錬金術は完全なものではないということをまざまざと彼女に見せ付けた。
無意識に指が左腕に触れる。
そしてそれを見逃すほど、恋人は愚鈍ではなかった。
本能が間実不安と一抹の恐怖。
彼女は常に不安定な中で暴れる左腕を抑えつけているのだから。
「ピサロ様っっ!!」
青年の手が額の血を拭い去る。
「お怪我のほうが……」
「エルフの子供がいた。身内の恥で殺すわけにも行かない」
きらり。灰の中に輝く何か。
ロザリーの指先がそれを拾い上げた。
「ピサロ、これは君のでは?」
「……私の髪留め……ああ、そうだ。バルザックの襟足があまりに跳ねていて、
 髪留めを貸したんだ……けど、ずっと昔……」
「嬉しかったんでしょうね。術者の思いが錬金術には大きく作用してきますから」
尊敬する主君にもらった大事な髪留め。
バルザックはありったけの思いを込めて主君に忠実なものを生み出そうとした。
その思いが強いからこそ、招く結末。
「僕が作り直しましょう。君を守るものを」
その言葉がどうしてなのか、わずかに恐怖を生み出す。
たとえそれが正しくとも間違いであっても、離れることなどできないのに。
「一度、バルザックという子に会いたいですね。同じ錬金術師として」
「近いうちにロザリーヒルに来るよ。ケーキを持って。囀りの蜜を使った甘いやつ」
騎士の手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
あれだけの痛みがあったはずなのに、不思議と今はそれを感じない。
(これが……錬金術の力……)
自分の体に宿るもうひとつの力。
「ピサロ?」
「なんでもない……少し、驚いた……」
まだ変化はわずかに現れたばかり。
拾い上げた髪留めを光に翳して自分に重ねる。
(私は……一体どうなっているのだ?)
青年の指先が重なる。
「何も、怖くないですよ。君は僕が守りますから」
何度も繰り返される呪文のような声。
「俺も、この命に代えてもあなたを守ります」
誰かに守られる必要など本来は無いはずだった。
この不安定な左腕を抱えるまでは。
「……寒くなってきた……」
両手が同時に握られる。
「離してもらいましょうか?ピサロは僕の恋人です」
「我が主君を守るのがこのピサロナイトの使命。その手を離せ」
飛び散る火花に二度ばかり頭を振る。
(私の思い過ごしか……馬鹿をやれるほどだ、心配など杞憂なのかもしれない)
銀髪に輝く髪留めがひとつ。
真実を知っていた。






2:16 2008/04/30

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