◆嘆くなり我が夜のFANTASY◆
引きちぎれた腕をくわえて、女は剣を大地に突き立てた。
えぐられた左腕は綺麗に空間を作り、筋組織はまだ欠損を認識出来ずに活動を続けている。
細切れの血管と神経糸。
(あの賊どもめ……必ず殺してやる……)
静かに降り出した雨は着実に彼女の命を削っていく。
割かれた腹からは止まることのない血液。
銀糸を赤く染め上げ、瀕死は誰の目にも明らか。
「ピサロさま!!」
「大変だ!!早くロザリーの所に」
ホビット達に担がれて、女は塔へと運ばれる。
「ロザリー!!」
息も絶え絶えの恋人に、彼は声を失う。
それでも彼女を救えるのは彼だけなのだ。
「ピサロ!!酷い……こんな……」
突き立てられた刃は心臓を貫く勢い。
刃を従えた女神のような錯覚さえも覚えそう。
「ピサロ様を助けて!!ロザリー!!」
ホビット達の訴えに青年は静かに頷く。
ただ、一つ彼女を救う禁断の呪法。
すべてを閉鎖した地下空間に、女の身体を運び込む。
壊死と腐食の始まった左腕には膿が溜まり、腐敗臭を放ち始める。
(酷い……これは神官でもかなりの腕……しかも躊躇無く殺そうとした……)
赤い双眸がうっすらと開く。
「……ロザリー……」
血のこびりついた唇。
「あれを使うよ……ピサロ……」
彼を信じて彼女は静かに全てを任せた。
錬金術の使い手、それがこのロザリーという青年。
それゆえに人間に狙われたのだから。
無から有を作り出す秘術を継承するものとして。
「ロザリー!!アドン見つけたよ!!」
ピサロナイトを名乗る青年も同じように虫の息。
四肢を切断されてなお、抵抗したのだろう。
左腕以外は魔力で接合されていた。
(……しかし、彼の左腕は……)
腐食の進んだそれは、彼の力ではもうどうにもできない。
(移植……僕の力でどこまで……)
彼から剣を奪うことは死を意味する。
騎士が剣を捨てることは存在そのものを抹殺されるのに等しいのだ。
(ピサロの腕を彼に……)
予想が的中すれば、アドンは元通りに利き腕を取り戻す。
純血の魔族。それも王族の血は常識を覆す強さを持つからだ。
必要なのは細胞の再生。
(でも……誰がこんな事を……この二人の強さは桁違いなのに……)
「……ロザリー……」
「君の腕を……彼に移植するよ……」
「……そうして……アドンは……私を……」
「喋らないで。血がとまらなくなる」
痛みは静かなものだと知らされる陽射し。
「目が覚めたんだね?」
銀髪に触れる青年の指。
「ロザリー」
「熱も退いたみたいだね」
こつん。額が重なる
「違和感は無い?」
そこにあったのは完全に再生された左腕。
傷口すら見当たらない。
「……凄い……これが錬金術……」
感覚もなにもかもが損なわれる事なく存在する。
「まだ彼は眠ってるけども、拒否反応は無みたいだよ。君の腕を原型に再生させてみた」
カーテンの向こうには透き通る空。
「何があったのか聞かせてくれないかな?」
デスピサロを討ち取るだけの強さ。
「……ゴットサイド……神官は皆殺しにしてやる……」
「君にとっては最悪の場所だよ」
「迂闊だった。アドンと二人ならばと思ったら……このザマだ」
自嘲気味に歪む唇。
「僕が気になるのはだれが君をこんなふうにしたかなんだ」
天空に最も近い場所、ゴッドサイド。
「サントハイム付きの大神官だ。久々に痛みを思い出したよ」
「……………………」
青年の腕が、恋人を抱きしめる。
「もうそんな痛い思いしなくていいよ。僕がこれから側にいる」
カーテンの向こうの景色を守ろうとする細い腕。
「僕が貴女を守るよ。あなたを守れるのは僕だけだ」
ピサロを支えることが出来るのはロザリーだけ。
何も虚勢も張らずにいられる数少ない人物。
彼の言葉で彼女はかろうじて心の平穏を保っているのだ。
「……うん……」
傷口さえも彼にとっては嫉妬の対象であり、だからこそ全てを消し去った。
「君に傷を刻めるのも……僕だけだ……」
泣く事をしらない彼女は苦しげに彼の胸にしがみつく。
きつく噛むように、何度も何度も。
「少し眠った方が良い……まだ疲れてるんだから……」
錬金術は完全なものではない。
ロザリーの力を持ってしてもその完成度は八割強だ。
素材の質が勝敗を決したとも言えるだろう。
「君と彼は完成した。けれど…………」
硝子の壷に押し込まれた夥しい手。
いや手になろうとした何かの成れの果てが存在していた
「涌いてるよ……君に成りそこねた何かに汚いものが……」
蟲など綺麗なものではない、軟体の異物。
見慣れない者は嘔吐せずにはいれないだろう。
自然界に存在する弱い瘴気が肉を求め、仮初の魔力に形を得た。
「消えてしまえばいい。僕とピサロ以外のすべて……そのための錬金術だ」
彼女の知らないもうひとつの彼の顔。ロザリーがエルフの中でもただ一人、狙われた由縁。
己の体を媒体とした実験で、彼の流す涙は宝石に変わってしまう。
「極めて……僕は……二人だけで……」
指先からこぼれた砂が、腕の形状の何かを消していく。
(こんなもの見なくていい……)
眠る恋人の腕に取り付けた何本もの管。
意識の共有ができれば彼女の身に起きたことは容易に理解できる。
(うまくいってくれ。こうでもしないとピサロは僕には話してくれない)
その瞬間に走る鈍い痛み。
痛みとの戦いに青年は唇をかんだ。
次期魔王のピサロに課されたのは天空に最も近い場所、神官たちの聖地ゴットサイドの
制圧と粛清だった。
従えたのは彼女の忠実な騎士一人だけ。
「アドン、空が紫色だ……人間の世界にもこんな空があるのだな……」
外套を靡かせ、銀の髪を風に戦がせる。
「ピサロ様、しかし……いやな空気ですね……」
「ああ。息をするだけで肺が痛い……」
祈りに包まれたゴットサイドは魔族にとってはそれだけで命を削っていくもの。
この地に集まった神官は選りすぐりの精鋭たち。
はるか天空に住むというマスタードラゴンを守るための武装集団なのだ。
「行くか」
「はい」
わずかに震える指先をきつく握る。
「ピサロ様」
「………………………」
唇が塞がれて、入り込んでくる舌先。
細腰を抱いて一度だけ深く接吻した。
「俺の命に代えても……必ず守ります」
身体を離して剣先をかちゃ、と触れ合わせる。
「私もお前を守る。二人で戦えばいいだけの話だ」
赤い目は、魔族の中でも王族の特有。
当然の襲撃に聖都ゴットサイドは混乱を極めた。
神官たちなど一掃だとばかりにピサロの剣は華麗にすべてを切り裂いていく。
「アドン!!」
同じようにピサロナイトも数などその力で粉砕して。
重なり合っていく死体の山に祈りなど無駄だと。
「化け物が!!来るなぁぁぁあああっっ!!」
言い終わる前に男の剣がその首を刎ね落とす。
「我が主君に暴言を吐くことは許さぬ!!」
一条の光が降り立ち、その中から射られる一本の矢。
「!!」
アドンの左肩を貫き、矢は一瞬で溶けてしまう。
走る激痛に唇を噛んでそれを何とか散らそうとする姿。
「王族とその従者か……たった二人とはゴットサイドもなめられたものだ」
がくり、と膝を突く姿に女が駆け寄る。
「ピサロ様、お下がりを……」
「馬鹿を言え!!」
剣先を光に突きつけて、女はその赤い瞳をゆがませた。
「出て来い。強き者」
「ほう……末席の王族ではないな。その瞳……皇位継承者か?」
「だといったらどうする」
「人に害をなすものはすべて排除する。王族ならばなお都合がよい」
現れたのは背に翼を持つ流麗な青年。
その美しさにおそらく誰もが見とれてしまうだろう。
「何者だ」
「竜と人……ロトの名を持つもの」
生まれ出る長剣が銀髪を切り裂く。
宙に舞った銀糸はまるで流星のように煌き、運命的に散っていった。
瓦礫の街に沈む夕日の紅が目に染みる。
「誰であろうと……私は退かぬ!!」
「魔族はいつもそうだ。考えることを知らぬ」
「ならば……答えろ!!人間は何の権利が会って我らとエルフを迫害する!!」
いつの日もあこがれていたあの空に何度手を伸ばしただろうか?
ただ静かに生きることを許さない存在、それが人間。
異種族すべてを排除し、人間同士でも殺しあう種族。
「なぜか……手を取り合うことができたから私は生まれた。なぜだろうな?それができぬのは」
閃光一線、剣を手にしていた女の左腕が地に落ちる。
その速さに痛みが追いつかず、刹那に視界が赤く染まった。
「うあああああアアアあああっっ!!!!」
噴出す地飛沫が大地を濡らしていく。
銀髪に絡みつく血液は妖艶なまでに赤すぎた。
「あ、が……ああああっっ!!」
剣先が断面を抉り出し、見え始めた骨を砕く。
切り離されたことを認識できない左腕がもがいた。
「!!」
ぱらり。落ち行く男の前髪。
「ピサロ様には触れさせぬ!!」
「ほう。強い剣士だな。だが……私に勝つことは出来ぬ」
左肩から一線、剣が這い肉を切り裂いていく。
「その皇女に傷は負わせたくないならば、耐えるのだな」
倒れこんだ青年の腹部につき立てられる刃。
ぐちゃぐちゃと何度も抉るように動き、刃先には引きちぎられた腸が絡みつく。
「……ぐ……ぎぃ……ッ!!……」
辛うじてつながる左手が剣を取り、その首筋を狙おうとする。
「アドン!!」
残った右腕で女が斬りつける。
「…サロ……さま……っ……」
歪む赤茶の瞳が逃げろと叫ぶ。彼女を守ることが彼の使命と。
二人で死ぬよりも、生き延びて戦うことを選ぶように。
「うおおおあおあああああああっっ!!」
ごりごりと膝をすりつぶす様に打ち砕く鉄の踵。
断末魔の悲鳴だけがあたりを支配する。
「!!」
首筋に突き立てられる牙。
「……ピサロ……」
「その男の命を奪えるのは……私だけだ!!」
振り払われる体は大地に叩きつけられて、今度は女の腹を剣が貫く。
「……っは……ア……」
唇から噴出す血液と全身を走る痛み。
「まとめて葬ってやるぞ!!貴様ら!!」
その瞬間に男の足に突き立てられる短剣。
「……き……貴様ぁぁあああああっっ!!」
何度も青年の頭を踏み抜く。背を腹を、何度も何度も。
押しつぶされた内臓は破裂し、桃色の臓器の破片が飛び散る。
「…ア……アド……」
それでも彼は剣を離すことをしない。
彼女が生き延びるすべを手放すわけにはいかない、と。
次々に切り裂かれていく手足。
銀糸を飾っていた宝石を青年に向けて投げつける。
「何をした?」
「言ったはずだ……アドンは私のものだ……」
「ならばお前から殺してやろう。人間のために」
「……残念だったな……お前は動けない……アドンがお前の動きを封じた……」
突き立てられた短剣にはまだ男の左腕がしっかりと残っている。
引き剥がされた爪がその頬を傷つけた。
「いずれ……また会おう……」
「サントハイムで待とう。お前を」
「………………………」
手放しかけた意識を辿れば、彼女の寝息が自分を引き戻してくれる。
その強靭な精神ゆえに狂うことさえも許されない皇女。
「君は……そこまでして守ろうとしてくれるの?」
運命を受け入れた赤い瞳を持つ恋人。
「僕は……君をきっと離さないよ。君が嫌だって泣いても、君が離れることが出来ないように
してしまうよ……僕は…………きっと、彼よりも酷いよ」
折り重なるように抱きしめる。
「どうして僕なんかを助けたのさ……どうして僕なんかを選んだのさ……ピサロ……」
願いはただひとつ。二人だけで生きて行きたい。
稀代の錬金術師と魔族の皇女の触れてはならなかった恋。
出会ってしまった不幸せと、出会わなかった幸せ。
それはどちらをよしとする定義など存在はしない。
「愛してるよ、ピサロ……君にこんなことをできるくらいに……」
錬金術は完全なものではない。
彼女がこの体を維持するために必要不可欠なのが彼の存在になるのだ。
王族の血の強さは瀕死の青年を蘇生させ、その腕の再生さえも完璧にした。
それは純血の成せる技。
しかし、その反面彼女の腕を完全に蘇生させるだけのものは存在しなかったのだ。
彼女の血が完全なる物ゆえに。
「君の身体に埋め込んだのは古の魔法。君では取り出すことが出来ない」
完成を描けない賢者の石。
「君が狂わないように。静かに二人で狂えるように……僕は君を守るよ……」
手を取ってそっと唇を当てる。
麻痺したままの右手。その中指の爪を青年の歯が剥がし取った。
「僕は君を誰にも渡さないよ……ピサロ……」
熱に浮かされた身体はまるで真夏に犯されているよう。
夢か現かわからないままに彼女はただ眠り続ける。
「二人で一緒に……狂える日まで……」
流れ出る血を舐め取る舌先。
「絶対に離さない」
ただ純粋に思うだけ。
ただ二人で重なりたいだけだったのに。
0:12 2008/04/19