◆月光蟲◆





「いよいよ明日が決勝戦か……すっごく楽しみだな」
亜麻色の髪に蒼の瞳。
サントハイム王国の王子アリーナはのどかに世界旅行の途中だった。
ひょんなことから受けた依頼、それはこの武闘会で優勝して結婚を阻止すること。
同盟国のサントハイムの王子は皇女を娶ることはできない。
サントハイムは他国の王族の血は混じることのない国だからだ。
「ね、クリフト。このピサロってのどんな人なんだろうね?誰に聞いても強い、ってしか
 いわないし……うわぁ、楽しみだなぁ……」
謎の影、デスピサロ。
わかっているのはその圧倒的な強さとその名だけ。
窺い知る事の出来ない強き存在に胸を弾ませる少年の純粋な好奇心。
それが運命だということさえもまだわからずに。
「僕が優勝して、あの子も幸せになるし。みんないいこと尽くめっ!!」
少年の心に杞憂などない。
諌めるように魔道師が囁いた。
「アリーナさま。相手はもしや人間ではない存在かもしれません」
「どーいうこと?ブライ」
黒の外套から揺れた髪は美しい銀糸。
覗く瞳は血のような深く甘い赤。
人間に存在しうることのないその色。
「いくらアリーナ様が強くとも……十分にお気をつけてくださいませ」
「わかってるよ!!さ、早くご飯食べに行こうよ!!お腹空いちゃったなっっ!!」






路地裏に倒れた死体にそっと触れる指先。
「人間とは掻くも差のあるものだな。アドン」
「そのような汚らしいものに触れるためにあなたの指はあるのではありません」
「美しいではないか。もう、何も苦しくはない」
その傍らで小さくなく猫を抱き上げる女の腕。
闇に溶けるようなその柔らかな身体にそっと頬を当てる。
「ははは……くすぐったいよ」
指先を舐め上げる舌に笑いながら、女は何度もその頭を撫でる。
「いいこだね。私のところに来るかい?」
「ピサロ様」
「ロザリーヒルに連れて行けばいい。こんなに綺麗な猫そうそう目には掛かれないぞ」
喉を鳴らして女に甘える姿。
魔族の皇女は夜の遣いのその猫を甚く気に入ったらしい。
鍵尻尾が可愛らしいとはしゃいで従者を困らせる。
「アドン、この子を連れて行ったらホビットたちも喜ぶ。猫がほしいって言っていたからな」
「しかたないですね。明朝にでも連れて行く手筈を整えましょう。まずは明日に備えてお体を……」
「そういえばこの国には確か……酒場があったな。喉が渇いたからちょっと行ってくる。
 ついでにロザリーに土産を…………」
「お供します。お一人にするわけにはいきません」
忠実な騎士は膝をつきその手にキスをする。
彼は彼女を守ることに生涯を捧げた。
彼女の命ならばたとえそれが不本意なものでも受け入れるほどに。
それが彼女の恋人を守ることであっても。
それが彼の彼女への愛に変わらないことなのだから。
「イルルヤンカシュ、また後で」
「なんですか、その奇妙な名前は」
主君の言葉にアドンは首を傾げた。
「私の家庭教師は口煩く古代の神々の話をする。炎の神、イルルヤンカシュ。あの猫に
 いい名前だろう?」
明々と輝く月を背に笑うその姿。
殺戮の真ん中でたたずむ事になろうとは誰が思っただろうか?
(……美しき我が主……あなたが私の唯一人の神……)
腕に耀く黄金の輪。魔族としての誇りを持ち、すべてを受け入れようとする姿。
「アドン、どうした?葡萄酒は嫌いか?」
「いいえ。ピサロ様こそ、いつものように甘めの林檎酒の方がよろしいのでは?」
「子ども扱いするな。これでもお前と年はそう変わらない」
彼女が気を許せるのは極僅か。
渡る世界は敵ばかりと剣を手にする。
ああ、まだ誰が思うだろうか?
この少女が世界を狂わせるなどと。
ブーツの踵を鳴らして石畳を歩くその姿。
「ロザリーの病気がよくなったら、あちこち一緒に行くんだ」
その言葉に頷きつつも青年の心は裏腹。
彼にとって彼女の恋人は立派な恋敵。
(その前にとっととくたばっちまえ。エルフ風情が)
本音など決して零さずに。この仮初の幸せに身をゆだねて。




その柔らかい生き物はただ、闇色だっただけなのに。
悪魔の使者だと、誰が名付けたのだろうか?
冷たくなった小さな身体を抱き上げて少女は一粒、涙を零した。
石飛礫を浴びたであろう、痛々しい傷跡を指先でなぞって。
もう一度だけ、強く抱きしめた。
「すまない……私がすぐにでもお前を連れて行けば……」
出会ってしまったから、縁(えにし)が出来てしまった。
「まだ……少しだけ暖かい……」
「蘇生を施しますか?」
「……そうしたところで元には戻るまい……命は一度きりだ……」
人間は、異種族を排除する。
ただ黒猫というだけで悪魔呼ばわりするように。
「なのに、ロザリーはそんな人間を守ろうと思う。私にはそれがわからない」
やさしい人は、いつもしなくてもいい後悔ばかり。
「人を超える存在のものが、人を滅して何が悪いのだ?」
王位を継ぐものに必要なのは慈悲と無慈悲。
「あなたの考えに間違いなどありません」
今、彼女に必要なのは無慈悲。
「あなたはわれ等の唯一人の女王です」
この命など簡単に差し出してしまえるほどに。
「どうか、それをお忘れなく」
「…………ああ…………」
燃えるような紫の朝焼け。
溶けていく月に届けと、女は黒猫を灰にして光に乗せた。
「ピサロ様」
青年の腕が女の身体を抱きしめる。
「この命は……あなただけのものです……」
「……馬鹿を言うな……お前の命はお前のものだろう?」
青年の背を抱いて。
「いつもお前は同じことばかりだな。私はそんなに不甲斐ないか?」
彼女を初めて抱いた男もまた彼。
皇女とその側近となる前からの関係。
「行こう。そろそろ準備をせねば…………」
「……私が代わりに行きます」
「いや、自分で行くよ。そこまで弱くはない」
見上げてくる瞳に宿る光。
頬を包む青年の手と触れ合う額。
「昔から……あなたは何も変わらない……」
路地裏ではなく、今度は光のあるところへ。
届きそうで届かない。そこで終わらせないために彼女は剣を取った。
「剣の腕はお前のほうが上だ。あの時……魔術を使わなければ勝てなかった」
「…………………」
「人の強き者はどれほどだろうな?楽しみだ」
作り笑いが上手になればなるほど、あの日の彼女は遠ざかるような気がして。
「お前と戦ったあのときを思い出す。それほどの相手であればいいのだがな」
この胸を射抜いたのは銀色の矢。
赤い月の焔を絡ませて一瞬で焼き尽くす業火。
「……非礼を……お許しください……」
「非礼で済むほどの回数で済んではいないとは思うがな。お前との同衾は」
「そ、それは……」
「禁止にしても面白そうだが」
「そそそそそ、それも……っ」
おろおろとする青年の姿に笑う唇。
「冗談だ。一人寝よりはずっと良い。いくぞ、アドン」
愛情などなくてもいいように。
ただ快楽を受け入れることの出来る器を作るために。
「ロザリーの病気が治るまではキスしかできんしな」
「………………………」
どっちつかずの彼女の思い。
(悪化して死んじまえ、エルフの分際で)
「ん?どうかしたのか?」
「いえ。早く…………と、祈っただけです」
その後ろに静かに「死んでしまえ」と小さく加えて。
かなわぬ思いがかなうようにと。





大歓声の中、最初に飛び出してきたのは王子アリーナ。
サントハイム王国の名に賭けて絶対に負けられない戦いだ。
「アリーナ様!!がんばってーーーっっ!!」
声援にこたえる様に少年は大きく手を何度も振る。
高く突き上げた腕に見える自信と成長。
「対するは、デスピサロ!!」
静かに歩み出たのは前身を黒の外套に包んだ姿。
細い指先がそれを静かに、そして華麗に脱ぎ去った。
「!!」
沸き起こるどよめきと緊張していく空気。
「お……女の子だ……」
圧倒的強さを誇ってきた戦士が細身の少女だと誰が思っただろうか。
(すごく……綺麗な人……けど、この人…………強い!!)
煌びやかな宝玉を纏うその姿。
日など浴びたことのないような肌の色に男たちが囃し立てる。
「勝負!!」
鉄の爪を自在に操り、アリーナはピサロとの間合いを詰めていく。
ゆらり。揺らめく空気。
あれほどの強さを誇ってきたアリーナはピサロの銀髪一本斬り付けられない。
「アリーナさまっっ!!」
意識をピサロの動きに集中して、先を読む。
アリーナの最も優れた部分がこの先見だった。
(見えない……この人……本物だ……)
女の剣が空を斬る。
「!!」
並ぶ爪の中央だけが一本、ぱきり。と音を立てて崩れ落ちた。
折れたのではなく粉砕されて。
「!?」
「今度はお前の首を落としてやろうか?人の子」
耳元で囁いた声に感じる悪寒。
初めてしる深淵たる恐怖に一瞬で身体が凍りつく。
それでもそれを蹴り破るのがアリーナの生まれ持った闘争本能。
「僕は負けないよ!!」
「気に入ったぞ、人の子」
「僕、アリーナっていうんだ。名前くらいちゃんと覚えてほしいな、ピサロ」
爪先と剣がキスでもするかのように触れ合う。
「そうか。アリーナ」
揺れる銀髪が鮮やかに光を帯びて。
(うわぁ……本当に綺麗だ……)
冷徹な笑みさえも慈愛に満ちているようで。
「!!」
一本ずつ打ち砕かれていく鉄の爪。
確実な剣の動きは人間では読み取ることは不可能。
「御終いだ。アリーナ」
高く振り上げられた銀の剣。
『ピサロ様』
女の脳裏に直接響く声に振り返る。
闘技場の中央に降り立つ騎士の姿に観客がざわめいた。
「アドン、何用だ」
「今すぐ御帰還を。父王様からの命です」
「…………わかった。アリーナ、お前と勝負……一先ずはお預けだ」
交わされる赤と蒼の視線。
少女の肩を抱いて、青年は鮮やかに外套を翻す。
「!!」
瞬時に消えるその姿にしばし唖然としているところに入ったその声。
「デ……デスピサロ選手の途中棄権により、勝者アリーナ!!」




なんともしっくりこない勝利だとアリーナは頬を膨らませる。
「勝ちは勝ち。それで良いでないですか」
「でもさぁ……それに、ピサロと一緒にいたあの男、彼氏かなぁ……美人だし、彼氏
 ぐらいいるよねぇ……強くて美人って理想だなぁ……」
アリーナがぼんやりとそんなことを呟けば叱責する側近の声。
同じように魔界では皇女が父王から叱責を受けていた。
「また小言を食らってしまった……父上もいい加減に隠居すれば良いんだ」
ぐったりとする皇女の隣に仕える騎士の姿。
「戴冠式が無事に決まったので良いとしませんか?」
「……………………」
「それと……」
「!!」
彼の外套の中から出てきた一匹の猫。
その見覚えのある黒く柔らかな毛並みに手を伸ばす。
「兄弟がいたようです。試合前に見つけて保護しました」
「そうか……」
肩に乗せて、頬を寄せる。
「そうだ、アドン」
「はい」
「少し屈め」
乾いた唇に重なる柔らかなそれ。
「今日は猫がいるからな。これで終わりだ」
それが甘いことだとわかっていても、彼女が悲しむことは出来るだけ排除したい。
観客席に混じって見つめながら少年に抱いた殺意。
彼にとっての正義と信念は彼女以外に他ならなくて。
「そうだな……アリーナとでも名付けるか」
「随分といやな名前ですね。二番目ぐらいに嫌ですね」
「二番目?」
「いえ、人間の名前などつけたら食材と間違われてしまいますよ」
「そうか。じゃあ、ガネーシャ」
「風が冷たくなってきました。そろそろお部屋に戻られたほうが」
「疲れた。運んでくれ」
「はい」




運命はただ忍び寄る。
彼にも彼女にも。







1:23 2008/03/13

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