◆The highest for commit suicide night and beer◆








酒場というものには親しみのない影は馬車の中、大剣を背もたれにして静かに眠る。
眠りすらも本来はそう必要のないこんな夜は、ただそのまねごとをするだけ。
「あれ?ピサロちゃんは飲まないの?」
軽やかな足取りの青年は褐色の手を女王に伸ばした。
「行かない?ここは俺の庭みたいなもんだし。人気のないバーもあるよ?」
彼の父親を殺したのは自分にとっても大切な存在であったキングレオと呼ばれた青年。
そしてその青年を討ったのも目の前の彼であった。
小さな島の小塔の中、守りたかったただ一つの平穏を失うきっかけもまた同じ人間dね。
自分の憎しみは本来どこに向ければいいのか分からないと彼女は一人になることが多かった。
「この見てくれだ。人間は嫌がるだろう?」
「気になるなら帽子かぶればいいよ。その辺にミネアのとかアリーナのが転がってる」
「馬鹿王子よりはまだお前の弟の方がずっとましだな」
夜を統べる女王の肌は陽の光など知らないかのように白い。
真紅の瞳は敵意が薄い時はほんのりと紫の光を抱き合わせる。
「んじゃ、エスコートさせていただきますか」
にこり、と笑えば静かに載せられる小さな手。
それでも彼女の体には進化の秘宝がしっかりと刻まれているのだ。
「お酒とか嫌い?」
「そう多くは飲めないが、嫌いではない」
歩くたびに揺れる銀色の髪は月光を帯びて煌めいては、魔物たちを呼び醒ます。
その瘴気は夜の闇に解けながらあたり一帯にここに女王が居ると告げるのだ。
最高位のピサロを討とうとする者はデスパレスに座する一人だけ。
「この変、魔物が多いはずだけどもわかってんだろうねぇ」
「?」
「自分たちの頂点に立ってるものが居るってのは。人間の方がよほど裏切りが酷いさ」
「おかしなことを。人間だろう?お前も」
伸びた耳も人型以外への変化も無い、マーニャは正真正銘の人間だ。
褐色の肌に細やかな筋肉。決して隆々とした男らしい体ではないが、おそらくは万人に好まれるだろう。
「簡単に裏切るよ。よほど魔物の方が義も忠もある」
手を引いて少しだけ足早に。
路地裏を抜けて突き当りの小さなバーは、明りも薄暗く少しくらいの異形が紛れていても分からないかもしれない。
それでも迫害されるものの気持ちと迫害するものの気まぐれさに無意識に剣に指先が触れた。
「!!」
ぽふ、と被せられる大きな黒い帽子。広いつばと飾られた七色の羽。
「俺のだけども。魔法使いは黒い帽子で尖ってるのを被るって思っててさ」
「一般的な考え方だな」
「でもさ、その考えで行ったらピサロちゃんは魔族の女王って感じじゃない」
静かにドアに掛る手。
「では、いざ」
「面白い男だな、お前は」








席数も少ないその酒場は地元の人間がのんびりと話をしたりするには丁度いい隠れ家だろう。
月も綺麗なこんな夜には魔物が紛れていてもおかしくはないと小さく彼女が笑った。
二人分のビールと少しのチーズ。
様子見も兼ねてと軽めのものを女王の前に。
細長いグラスに注がれた琥珀の液体と小さな気泡たち。
「んじゃ、乾杯」
「乾杯というのは何かに対しての行為だろう?」
赤い瞳がじっとマーニャを見つけた。適当な理由をあげるよりはいっそ口説いてみたいと思わせる女。
「じゃあ、二人っきりの夜に乾杯」
「気障な男だな」
かちんとグラスのキス。
「嫌い?」
「同じことをロザリーに言われたことがある」
ガラスの淵に薄い唇が触れて、液体をゆっくりと飲み始める。
高等魔族なればなるほど、食人意識は無くなっていく。それは彼女も例外ではなかった。
アルコールは一種の嗜好品であり、体内で吸収濃度を変えることができる。
強くない、というのはそのほうが恋人が喜ぶからと摂取量を変えたことにあった。
「どう?意外とおいしい?」
「発泡のはあまり飲んだことが……ワインとかは飲んでたけれども……」
「ま、庶民の味ってことで」
身につけるものに派手さは無くとも、一つ一つが上等なものであるのは目にすればわかる。
漆黒の外套を止める金色の鎖でさえ、売れば小さな村を起こせるくらいの金額にはなるだろう。
「魔法使いになりたかったのか?」
半分ほど飲み干してピサロは肘をつきながらそんなことをマーニャに問う。
細い指を組んでその上に載せられた小さな顔。
「んー……錬金術師ってのはなんか難しそうだったしねぇ……ほら、派手にばーん!って飛ばしたほうが
 恰好いいじゃない?だったら魔法使いだなって。俺に肉体労働は向いてねぇし。そういうのはライアンの姉御か
 アリーナあたりでいいんだよ。知的な男目指してっから」
少し酔いが回り始めたのかいつもよりもざっくばらんな口調。
「知的ねぇ……どこを基準とするか……」
「ピサロちゃんも派手な魔法使うじゃない」
「まあ、そうなるな……ただ、魔法だけで見るならばレオの方が私よりも上だし、剣術だけならばアドンには勝てない」
だからこそ女王は二人に絶大な信頼を寄せたのだ。
恋人を守るために自分の名を冠した騎士を。
偉大なる神祖を守るためにその体を魔獣に変えた魔道士を。
「キングレオってさ……どんな男だったの?」
二杯目に口をつけて、今度はマーニャが質問を反す。
自分たちの父を殺しその錬金術を全て奪っていった女王の使途。
その秘宝は他ならない目の前の彼女に施されたのだから。
「……レオは、元々は私の兄様の友人だ。兄様が亡くなってから私が王位継承者になるときに
 レオが侍従として……いや、侍従なんてものではないか……私を叱ることはあっても従うことは少なかったし」
人によく似た人ではない存在。
「バルザックも粗忽者で、いつも失敗ばかりしてて……舞踏会ではドレスの裾は踏むし……レオはレオで勝手なリードだし」
なつかしむように閉じられる瞳。
「ロザリーも、いっつもレオをからかうの。駄目猫って」
「駄目猫ぉ?あんな優男風味なのにんなきついこと言うんだ、ロザリー」
「意外と辛辣よ、ロザリーは」
同じように軽く回った酔いは、女王から少女へと魔法を解いてしまう。
実際のところ彼女は世間知らずの女王なのだ。
その強さが全てを無にして絶対なる存在としてしまうように。
「そういえば、私も魔法使いなら箒だって思ってたことがあったわ」
「へぇ、意外だ。ピサロちゃんでもそんな俗っぽいこと考えるんだ」
「アドンがね、魔法使いって箒に乗るんだろ?って。アドンは魔法が使えないから」
純粋な剣士は生涯を女王に捧げた。
たとえ形だけの夫婦であったとしても彼は彼女だけを見つめて愛し続けた。
その横顔が違う誰かを思っていたとしても。
「デスパレスに行った時、本当にみんなピサロちゃんのことを慕ってるって分かった」
デスキャッスルは王家の最深部であり、デスパレスはいわば私邸のようなもの。
そこに集う魔物はみな女王を愛し誇りに思うものばかりだった。
第三位の王位継承者だったころからピサロは下級魔族や魔物に混ざって走り回る。
事実、二人の兄が生存していたなら世界の運命はもっと変わっていただろう。
そのルーレットを回したのは他ならない人間。
目の前の少女の本来の姿は神々しささえも感じさせるほどの禍々しさ。
銀の肌から生まれた幾重もの刃に絡まる血液の赤はこの世界の終焉を予想させた。
あの瞬間、運命を分けたもう一人の少女の剣が女王の心臓を深く貫いたのだ。
女帝デスピサロは足掻きもせずにただ一言呟いた。
「私を殺せ、人間の子よ。それで世界など変わりはしない」
白い肌と銀髪を染めあげていく真紅の体液。
完全なる悪などではない魔族の女王は静かにすべての細胞を停止させた。
「あそこは私の城だからな。料理長の腕もよかったし、庭師はいつも綺麗な花を咲かせてくれた」
魔物に変化して侵入した女王の私邸は清潔感に溢れ、活気に満ちていた。
咲き乱れる花は美しく飾られ噴水には水晶の粉が舞い散り光を増す。
それぞれの持ち場で聞こえてくる女王への賛辞。
それはお世辞ではなく本物なのだと魔物たちの笑い声で知ることができた。
魔物も魔族も同じように笑い、苦しみ、絶望を知り、そして恋を知る。
キングレオは最後まで女王への忠義と恋心を捨てることなど無かった。
肩に刻まれた王家の紋章と天を裂くような咆哮。
その絶命の叫びはアッテムトに居たピサロにも確かに届いていたのだ。
「レオのことが憎い?」
「……憎く無いって言ったら、嘘吐きになるね。なんせ、全部奪われたんだ」
空になったグラスを揺らせば追加だと注がれるビール。
同じく少なくなった彼女のグラスにも注ごうとするバーメイドをピサロは指先で静かに制した。
「甘いものはある?」
「安物のカクテルなら」
「お任せするわ。あまりたくさん飲むと叱られてしまうの」
「そこのお兄さんにかい?」
赤くなった顔のマーニャを指して、バーメイドが笑う。
「残念がら違う男なんだよ姉さん。俺じゃ手も出せないような女さ、この人」
「おや、そんな上物の人に安物出していいもんなのかい?」
「そこはマスターの腕の見せ所さ」
エプロンドレスのポケットに銀貨を一枚突っ込めば手を振っていく姿。
ほどなくして運ばれてきたのは薄いピンクに花弁が一枚浮かんだカクテル。
「面白い飲み物」
「こういうのは飲まないの?」
「過保護にされてるから。お酒もそんなに」
「じゃあ、これも?」
細身の煙草を指に。
「私は吸わないわ。アドンは吸うけれども……ロザリーも気が向いたときだけ」
こうして向かい合えば、自分たちとそう変りの無い姿と仕草。
銀色の髪と赤い瞳、笑ったときに覗く小さな牙。
その気になれば視線一つで人間など殺せるような妖力。
「俺も当たってみたかったなあ」
「?」
「エンドールの武術大会。アリーナの馬鹿が散々自慢しててさ。決勝戦の相手はすごく綺麗だったって」
「買被りすぎだ」
こんな夜は二人で甘いアルコールで素体に戻ってしまえばいい。
目深に被った黒い帽子と闇色の外套。爪先は床に触れることなく。
絶対なる強さは一人では太刀打ちできなかっただろう。
アリーナはピサロと唯一単独での戦いを経験している。
「育てば伸びるだろうな、あの少年は。傍仕えの神官が……」
「クリフトがどうかしたの?」
からからとグラスを回せば氷が甘いキスを交わす。
「私を見た瞬間に蒼白になって面白かった」
クリフトにとって最も畏怖の対象となるのがピサロの存在。
武装集団であるゴットサイドの神官たちを殲滅させた魔族の姿。
「まあ、俺も驚いたけどねぇ。まさかこんなに可愛い子とやりあうことになるとは思わなかった」
「私も、人間に理解できるような男が居るとは思わなかった」
「まあ……一度くらいサシでやりあってみたいってのは本音だけどねぇ」
種族を越えた連鎖の頂点に立つ者への渇望。
それが犬死であっても男として生まれたからには昇りつめてみたい。
最高位に座する女王が目の前で微笑むのだ。
「受けようか?今夜の酒の礼に」
「……俺、死ぬよね?」
「ああ。相手に対して余力を残すのは礼を欠くからな」
「うわぁ……やりてぇな……でも、俺まだ死にたくねぇんだよな……死んじゃったらピサロちゃんにも
 もう会えなくなっちゃうだろ?それはまだ嫌だなあ……」
こんな自殺するにはもってこいの夜には月を肴にビールでも。
「面白い男(ひと)」
「ロザリーの次くらいにはいい男でしょ?」
その言葉に、女王は目をぱちん、と瞬かせた。
「アドンがまだ居る。三番目でも争ってくれ」
薄い唇がクラスに触れて、魔法のように生まれる小さな光。
後姿だけを見えれば物珍しい銀髪が目立つ程度だろう。
「三番目?」
「レオとお前で争ってくれ。それに、魔法で最高位を狙うならば私よりも適任だわ」








酔い覚ましにと歩けば、少しだけ離れてピサロもその後ろに。
人目を気にしてというわけではなく、不夜城モンバーバラの物珍しさを確かめるように。
華やかな表通りは踊り子や占い師たちが今夜も色を添える。
裏通りは売春婦と薬売りが宵闇を闊歩するのだ。
壁に凭れかかる少女にふと視線を向ける。
「何見てんのさ。見るなら御代が要るね」
「お前、エルフだろう?いや……半分だけか。けれども、エルフだ」
その言葉に少女がびくん、と震えた。
「何さ!!はぐれ者だって馬鹿にスンのか!!」
激昂した少女に、女王はそっと帽子を取って見せた。
伸びた耳と真紅の瞳。噂にだけ聞く魔族の女王のその姿。
「ここに居たらいけない。これを」
七色の羽根を一枚手渡す。
「使えば小さな島に出る。もし……もう人として存在したくないのならそこにお行き。
 もし、人として埋もれたいのならば売ればいい。そんなものでもそれなりの値段はつく」
本来、下級妖精と人間の間の子になど、触れることも無いだろう。
薄汚れた手を取ってピサロは小さく笑った。
「私の恋人もエルフだ。島には彼も居るし、ホビット達が少しうるさいけれども……誰も傷つけはしない」
ぼろぼろと零れる涙。その場に手を突いて深く頭を下げる。
「もう、人間に身体を売らなくてもいい?弟たちも連れて行っても良い?」
「そんなことしなくてもいい。あの島は誰も入れない」
「……ありがとうございますっ!!一生このご恩は忘れませんッ!!」
「綺麗な月でね……私も面白い人間に当てられたみたいだ。私の気が変わらないうちに早くお行き」
薄暗がりに消えていく足音。
どこの世界でも最下層の者はもがいて空だけを仰ぐ。
「いいの?はぐれ妖精は危ないよ?
「お前の酒に当てられた。人でも魔族でも人間でもない……私たちに必要なのはそんな存在だろう?」
きっとこの旅の最後のお別れは彼女と会えなくなることだろう。
人間とは違う時間軸で生きる魔族とエルフの青年。
自分の生など、彼女の瞬きにも値しない短さだ。
「あー……じゃあさ、酔っ払いついでに俺も一個ピサロちゃんにお願いしようかな」
「なんだ?」
「俺が死ぬ時、来てよ。それだけで良い」
「魔族にそんなことを望むなんて、面白い男」
「いいじゃない、叶わない恋なんだからさ」







馬車の中で相変わらず彼女は一人で静かに目を閉じるだけ。
時折気が向けばミネアやブライと僅かに談笑する程度。
時代に選ばれた勇者と称される女もまた、人でも天空人でも無い存在。
「ピサロ!!遊ぼうよ!!」
「……静かにしてしろ。お前と遊ぶような用事はない」
「じゃあさ、相手してよ!!エンドールの続き!!」
焔の爪を左手に装着してぴょんぴょんととび跳ねる姿。
亜麻色の髪を揺らした王子は今日も女王に一蹴される。
「……そうだな。たまには相手をしてやろう」
立てかけられた竹箒を取って、剣はそのままに構えをとって間合いを詰めていく。
一歩踏み出すだけで生まれる威圧感は純粋な決闘の成せる技だ。
「行くよッ!!」
下から掬いあげるようにして抉る爪刀をかわして、ピサロは箒を片手に飛びあがる。
柄の部分に腰を下ろしてにぃ、と笑った。
「お前たちの考えるところの魔法使いだろう?これが」
指先が円を描いて生まれる七色の星達。
ぱらぱらと降り注ぐそれを一つ拾って口に放り込めば広がるほんのりとした甘さ。
「……金平糖だ」
「子供は甘いものでも食べていろ。これで終わりだ」
ぶつぶつと言いながら拾い上げて袋に詰め込む。
当分の間王子のおやつには困らない量だろう。
馬車の幌の上にそのまま降りて座りこめば、今日の手綱を持つ当番はマーニャらしい。
「女の子はみんな甘いものが好きなんじゃない?ピサロちゃん」
「さぁな」
黒いブーツと外套は相変わらずのまま。
「ん?」
ぺち。と降ってきた何かを拾い上げれば、それはハートの形。
一口齧れば味は確かに金平糖だった。
「おお、女王の恩恵」
「三番目だったら精々その大きさだ。ひと眠りさせてもらうぞ」
指先を鳴らせば瞬時にその姿は消えてそこには外套だけがくしゃり、と残るだけ。
「はいはい。おやすみなさい〜」
甘い星を降らせるのもまた魔法の一つ。
自殺したい夜には星を齧ってビールを一口。
流れ星はいつだって人の世を儚んでその光に願いを乗せてしまう。





酔えない身体ほど面倒なものは無い。硝子の小瓶に入った液体。
「人間の時間って、短いものなのね」
黒い衣に身を包んだ、銀髪の女。胸に抱いた白百合は手向けの花。
「とてもとても短くて……何を言えばいいのかさえも分からないわ」
彼の人生はそれはそれは波乱万丈だった。ステージを飛び出し世界を走り、そして世界を救う旅に出た。
其の中で生まれた数え切れない出会いと別れ、そして種族を越えた淡い感情。
「ピサロ様」
「ねぇ、魔族は人の葬列には混ざれないでしょう?約束破っちゃったわ」
死の間際、傍に居てとあの日彼は呟いた。
しかし実際に彼女がその場に来ることなど彼は望んではいなかったのだ。
時折覗いた人の世は相変わらずめまぐるしく賑やか。
若々しい彼もゆっくりと老いて小さなバーを構えるようになった。
店の名は『スティンガー』女王蜂の一撃を受けた自分への物だった。
銀色の神が風に解けてリボンが舞う間に彼は壮年の姿に変わりゆく。
人の一生など彼女からすれば刹那の幻にさえならない。
「おや、ずいぶんと珍しいお客さんだねぇ」
顎髭を蓄えた店主はカウンターに座った青年を見据えた。
「久しいな」
「ああ。どれくらいだろうな……まったく、年は取りたくないもんだ」
最後に対峙したのは小さな島の小さな塔の最上階。彼は女王の名を冠して立ちはだかった。
剣術ならば女帝デスピサロの上に立つ存在。
「大したもんだ。どうやって蘇生したんだか……錬金術ってのは人間が持っちゃいけねぇモンだな」
からからと氷がグラスで踊り、注がれた琥珀の液体。
「あの御方の肉から俺が作られた」
「子宮?」
「眼球だ。右目から」
女王の利き目から光を奪い引き換えに新たな命を生み出す技術。
「つまらない世界に飽きたら眠りにつく。俺もあの方も」
まだ監視の目を緩めることなく、天空と結界の解かれない小島は存在するのだ。
硝子の棺に敷き詰められるだろう百合の花束。荘厳にして壮麗なる葬列。
「相変わらずあのままなんだろうね」
静かに頷く。睫毛の一本も変わらずに存在する悠久の姿。
「本来だったら、俺たちはただの敵同士で終わるはずだった」
薄明りはまるであの日の月のような優しさ。時には昔話と時計の針を巻き戻すことも悪くは無い。
「もう一杯頼めるか?」
「じゃあ、私のも同じものを」
「僕も戴けますか?」
目深に被った黒い帽子、全身を包み込む黒い外套。胸に結ばれたリボンだけが鮮やかな紅。
右目に張り付く眼帯と彼女の手を引く青年の姿。
「あまりにも従者がのんびりしているので、こちらから参りました」
「……相変わらずだな、ロザリーもピサロちゃんも」
目尻に浮かぶ小さな涙。
「まったく。随分と老けこんだものだな、お前は」
「そら、人間だからしかたねぇのよ。できれば俺もカッコいいマーニャ様のままで痛かったんだけどね」
おどけて肩をすくめて見せれば同じように女王が笑う。
もうすぐ彼の人生は静かに幕を下ろすだろう。
冗談の一つも言えなくなった姿など見せたくは無いと憂う横顔。
守られることのない約束、成就させてはいけない願い。
其の時には胸に抱えきれない花を抱いてもう一度この地に降り立とう。






意思に刻まれたその名は大魔導師の文字。
其の文字を指先で辿ってピサロは小さく笑った。
「派手な魔法を使いたいから、魔法使いになったって言ってた。本当に面白い男だったわ」
彼の運命は彼女にとって紅茶の葉のように軽いものだったのかもしれない。
とてもとても短い時間。大事な友達が確かにそこに居た。
「いい男でした、奴は」
「うん…………」
彼女のこんな姿を支えられるのも幼いころから傍にいた彼だけ。
「さようなら、魔法使いさん」
夜風に揺れる白百合。
女王の指先が墓石から離れる。
「人間って、どうして不老不死なんか望むのかしらってずっと思ってたの。でも……なんとなく分かったわ」
老いた姿は見せたくは無い。愛した人ならば殊更に。
「帰りましょう、アドン」
「はい」
夜を飛ぶ従者と女王の影。
「ねぇ、アドン。帰ったらビールが飲みたいわ」
「畏まりました」
「一杯だけでいいの」





とてもとても短い時間。
とてもとても大事なことを知った。




15:30 2010/08/03

















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