◆ボーダーオブライフ◆
「どうしたの?ピサロちゃん」
女の隣に座り込む青年の姿。
褐色の肌に靡く深紫の髪は彼もまた錬金術の素体になったことの証明だった。
「仮にも王族の私をピサロちゃんと呼ぶのはお前が二人目だ」
「ん?ほかにも居たんだ」
「レオが私を最初そう呼んだ」
その名は彼にとっては仇となったものの名前であり、彼女にとっては側近で親友だった。
不眠の番をすることは魔族の彼女にとっては何の苦もない。
陽の光の下でも微笑むことができるようにその強さは本物だ。
「ピサロちゃんはさぁ、この旅が終わったらどうすんの?」
銀髪は闇に星を振りまいて。
赤眼は世界をただ見つめる。
「そうだな……ロザリーとそれを考えるよ。ロザリーヒルに帰ってそれからだ」
「……………………」
「私にもわからない。人間にも様々な種族がいるのだな……」
「ん……はい、あったかいのあげる。飲んで」
火炎魔法の使い手は暖かなミルクティーを華麗に作り上げる。
優男の姿でも使うは絢爛豪華な業火の魔法。
時に竜と化してパーティーを守りつく強さ。
「お前はどうするんだ?」
「コーミズ戻ってからミネアと決めようかな。ま、ミネアは占術やるんだろうけども。
俺もまたダンサーやろうかなぁ……俺のステージ見たことないでしょ?見に来なよ。
ロザリーと一緒に」
「お前は変わった男だな。私にどうしてそう構う?」
「完全な他人じゃないからかな」
錬金術は闇に潜む者。
禍々しくも美しい変貌を遂げた彼女を見たときに感じた羨望。
異形と化しても麗しさは損なわれず壮大ですらあった。
一枚ずつはがれていく彼女を守る思いが消えたとき、そこに残ったのは瀕死の一人の女の姿。
「おどろっか、ピサロちゃん」
「?」
立ち上がってピサロの手を取る。
星降る夜を待って願いをかけた幼年期。
弦も音も無くても。
「こうやってさ」
彼女の手を取って指先を絡ませる。
小さな彼女をリードする青年は天性の感性の持ち主。
王宮生活の長い彼女の気持ちが少しでも和らぐようにと。
「久々だ……誰かと踊ったなんて……」
闇に浮かぶ銀は優雅で少し困ったように笑うのその横顔。
(魔族のお姫様でも……そんな風に笑うんだね……)
恋人を失った悲しみは彼女を凶悪なる魔物に変えた。
自分が亡き後に誰にも討たれることのないようにロザリーの施した最後の秘法。
髪に落ちる小さな花。
それをそっと落とす女の指先。
「!!」
花は一瞬で蝶に変わり二人の周りをひらら、と舞う。
「このくらいは私にもできる。ロザリーには負けるが」
踊り終えて並んで腰を下ろす。
恋人は世界樹の花で再び命を得たが、彼女の騎士は冷たい土の中。
「アドン……私の騎士は最後までお前たちと向かい合っただろう?」
塔を守るピサロナイトは決して退くことはなかった。
女王の名を冠するに恥ずかしくないように。
それは忠義ではなく本当は愛だった。
「落ち着いたら……アドンの蘇生をしてみるかな……」
「………………………」
「お前みたいな人間がたくさんいたら……」
俯き隠した憂いと、聞こえる夜雀の歌。
この旅が終わればおそらく、二度と会うことのない魔族の女王。
「みんながピサロちゃんみたいに理解し合えれば本当、いいんだろうな」
頭の後ろで手を組んで、背筋を伸ばす。
揺れる深紫の髪と口角を上げて笑う唇。
「双子なのに違うのだな、お前たちは」
「俺の方がいい男っしょ?」
「そうだな。マーニャ」
彼女はいつも一人だけ離れて歩く。
馬車の中でもそう多くは言葉を交わさない。
大切そうに抱えるのは彼女の騎士が残したその一本の長剣。
かつての仲間を殺すための道をゆっくりと歩く。
「げ!!レッドドラゴンの群れ!!」
その声に馬車から顔を出す。
人差し指を唇に当ててピサロは魔物たちに小さく呟く。
誰にも聞こえないように、そっと、そっと。
「あれ……退いてく……」
無駄な戦いは必要ない。彼女は世界中の魔物を統治する力を持つのだから。
彼女の結界の破れたデスパレス周辺部以外は魔物たちも静かなものだ。
「マーニャ、今のは?」
炎の爪を磨きなおして王子が視線を向ける。
「馬車の中のベッピンさんの仕業さ」
腰に手を当てて、親指で後方を指す。
「そっか!!ピサロならできるもんね!!ピサロ、ちょっと遊ぼうよーーーっっ!!」
うるさい、と一蹴されても王子は止まらない。
「アリーナは元気でいいよな。ほんと、子供はお気楽でいいねぇ」
「兄さん、禁煙したんじゃなかったのかい?」
「すんません……本数は減らしてるんですけども……」
双子の弟の声に煙草を揉み消す。
丁度ピサロから蹴り落とされたアリーナが剥れながらこちらへと向かってきた。
女王は静かに話すだけ。
アリーナの従者の二人とは幾分か話はしやすいらしい。
「お前が頭悪すぎるから、ピサロちゃんは相手したくねーんだよ」
「なんだよ、それ!!ミネアだってそんなにピサロと喋んないだろ!!」
その言葉にミネアが笑う。
兄よりも少し丸い瞳の青年が見せた珍しい大口の笑顔。
「よく喋るよ。同じ系譜だからね。ピサロも僕も」
「お前も魔法覚えろ、ま・ほ・う!!」
アリーナの耳を摘まみながらマーニャはひらひらとその攻撃をかわしてしまう。
良く吠える子犬と女王は彼を例えるほど。
強さの影に見え隠れする脆弱さは月光に似ている。
命の境界線を作り、魔族であることさえも捨てた彼女の小さな涙。
「うちの姫さんはどこ行ったんだ?」
同じように運命に翻弄された少女は魔族の女と少しだけ笑える関係になった。
もっと違う出会い方をすれば二人とももっと幸せになれたはずだと。
「サンドライト」
「その呼び方、慣れてないんだ。サンディでいいよ」
女王の隣に座る女勇者。
なんとも不思議な風景だとだれもが思うだろう。
しかし、この二人が世界を巡る戦いをしていたとは誰も思えないだろうその姿。
「あんたの名前を冠した部下はみんなまっすぐだったよ」
「……そうか……」
世界樹の花で恋人を蘇生することもできた。
しかし、完全な悪ではなくただ幸せを望んだ女王の涙を無視することもできなかった。
「なぜ、ロザリーを?」
「あんたが完全に悪いんじゃない気がした。許せないものもあるけども……うん、自分でも
わかんないよ。シンシアにもきっと怒られたような気がする」
恋人を守る騎士を討たなければ、彼は死ぬことはなかった。
互いに失ったものと痛みは結局は同じだったのだ。
「許すとかそういうのじゃないんだろうけど……私はあんたが嫌いじゃない」
「……良い仲間を持ったな、サンディ」
「あんたもね。一度、あんたの城に乗り込んだとき……みんなあんたを慕ってた。
それまで魔族なんて嫌なものしかいないと思ってたよ」
彼女たちは二人とも人間ではない。
天空の花の都より落ちる命と、冥府の底で生まれた命。
「それに、奇跡を超える大奇跡が起きればきっと花もまた咲く。だめっぽかったらロザリー
さんに花の種作らせてよ。錬金術師の最高峰でしょ」
「そうだな」
「全部終わったら、私……一回お母さんに会ってみる。二人でお父さんに会いに行く」
「ああ」
「そしたら帰りにロザリーヒルによる」
「待ってる」
不思議な糸が二人を結んだ。
そしてまた離れ離れに。
「ピサロちゃん」
月光は魔力を増幅させると、静かに瞑想する彼女の隣に立つ影。
「もう、瞑想終わった?」
「ああ」
生まれ持った才覚よりも彼女は努力を惜しまなかった。
それゆえに進化の秘法は本物として完成してしまったのだ。
月に翳した左腕。
「この腕だけが私のものではない。これは……アドンの腕だ」
「?」
「アドンの利き腕は左だったんだ。私を守ってその腕を失った。だから……私の
左腕をアドンに移植したんだ。この腕はアドンの骨からつくられたもの……いつか
この腕を使ってアドンを……」
風に揺れる銀糸と優しい赤。
あの塔で彼は最後まで彼女の誇りを守り抜いた。
螺旋階段を登りぬけ目指すのは最上階。
その扉の前には一人の騎士が待ち受けていた。
王家の印が刻まれた長剣を手にまっすぐに前を見据える姿。
「我が名はピサロナイト。あの方のためにもここを通すわけにはいかない」
一振りするだけで生まれる星屑の残像。
その剣は戦歴を誇る女剣士ライアンでも見ぬくことができない速さ。
「多勢に無勢は義に反するが……その首貰い受ける!!」
「ピサロ様の名にかけてお前たちを討つ」
魔法を使うことのできない純粋な剣士である彼。
必要のないものをすべて捨てて完成されたその剣技。
火炎魔法など斬首とばかり。
「いつぞやの子供か……」
アリーナの蹴りを盾でなぎ払う。
襟首を掴みそのまま石畳に叩きつけた。
「ぎゃんっ!!ってーーー!!」
腰をさすりながら体制を建て直し少年は尚も男に詰め寄る。
「!!」
女の剣が兜を弾き飛ばす。
頬に触れたその先が傷を刻んだ。
「化け物でも血は赤いのね」
「ああ……お前が守るものがあるように俺にも守るものがある」
親指が傷を拭う。
きっとこの命は消えてしまうだろう。
ほんのりと熱くなる左腕に唇を噛む。
「退く事も譲ることもできぬ!!女王の名に賭けて!!」
斬りつけられていく痛みを無視して、ただ思うままに。
暴れだす左腕を押さえての剣は本来の動きの一もない。
乱れる呼吸と早くなる脈動。
変化への解除はその体に与える精神の負荷が鍵だったのだ。
「ア……がっ……!!」
大きく痙攣するその肢体とざわめく空気。
穏やかだった栗色の瞳はいまや血よりも赤い紅。
生まれだす真っ赤な霧の中、赤眼に宿る金色の瞳。
「!?」
今までとは一撃の重みが違う。
体当たりひとつで王子は壁に吹き飛ばされ意識を失った。
「マーニャ!!」
火炎魔法も稲妻も左手がすべて握りつぶしてしまう。
これがアドンにもたらされた究極の進化だった。
その腕は正真正銘、彼女の血肉。
女王の名を持つ騎士にもっともふさわしい美しく禍々しい究極の進化。
ライアンの剣を打ち砕き尚も振るわれる彼のそれ。
残像と星屑は終焉を導き、遥かな地のあの人を思わせた。
「みんな下がって!!」
女の剣が交わり火花を散らす。
天空より落ちたその無垢なる魂を持つ少女。
「あんたは……私が倒す!!」
彼を越えなければその後ろに存在する女になど触れることもできないだろう。
「女で俺を捕らえるのは……あの人だけだ!!」
躊躇なく少女の体を斬りつけて行く長剣。
抉るように腹部を割き鮮血が石畳に染みていく。
その赤は命をそっと彼女に告げるのだ。
彼は悲しいほどまでに彼女を愛し、強さを得た。
ぎりぎりと噛みあう刀身。
「いやあああああっっ!!」
振り下ろされた剣が左腕を斬り付ける。
切り落とそうとしたそれを彼の右手が掴んだ。
引き離されてなるものか、と。
「避けろ!!サンディ!!」
背後から飛んでくる巨大な火炎玉が弾丸のように彼を打ち据える。
肉の焼ける匂いと赤錆びた体液が文様を描く。
「サンディ!!」
少女の剣が右肩から彼を斬り付ける。
骨を砕きその鋭利な刃物は彼の命を終わらせようとした。
「が……ッ!!……」
同じように心臓を一突きに狙った剣。
避けきれないと少女は瞳を閉じた。
「!?」
深々と青年の左肩を貫通した剣。
「……っへ……男は女守ってなんぼさ……」
「マーニャ!!」
ぼたぼたと赤黒い血液が褐色の肌をぬらしていく。
「……ピサロ……さ…ま……」
血のこびりついた唇がつぶやくのは最愛の人の名前。
左腕をそっと押さえればそこに彼女がいるようにさえ思えた。
「……あなたに恨みなんてないわ……でも……」
彼の胸の前に構えられる剣先。
「あなたの主は私の一番大事な人を奪った」
「……いずれ……お前たちは本物の絶望を知るだろうな……」
ゆっくりと赤い瞳が茶に戻っていく。
そこにいるのは瀕死の一人の青年だった。
「お前が……あの人を殺すのならば……」
「………………」
「お前も俺から大事な人を奪うんだな、大儀の欺瞞で」
勢い良く心臓を貫く剣。
この世界は悲しいくらいに入り組んでしまう。
彼もまた一人の男として女王を愛しただけだった。
「……サンディ……」
呼吸の荒い少女を抱きしめて青年はその髪をそっと撫でる。
「うあああああああっっ!!」
泣き叫ぶ少女にできることはただ抱きしめることだけ。
そしてその奥の扉は静かに開いたのだから。
「やっぱ、忠義に厚い男なんだろうな。ピサロちゃんの騎士は」
「アドンは私の夫だぞ」
「え!?」
形式上とはいえ、女王の正式な夫はあの青年だったのだ。
「ロザリーは塔から出るわけにも行かない。堅苦しい連中を黙らせるにもアドンは
私の伴侶には相応しかったんだ。幼馴染でもあったしな」
樹木を椅子にして膝を抱える。
その上に顔を乗せてピサロはマーニャに視線を向けた。
「全部終わったら三人で楽しく暮らそうと思う。ずっとそうしてきたし」
「そりゃ、必死になるよな。あの男も」
「私の自慢の騎士だ。強かっただろう?」
「文句なしにね。本当に強かった」
月光は彼女の肌をますます妖しく魅せて。
纏う外套から覗く線の細い身体は男心を擽る。
「馬車戻る?」
「私は外で大丈夫だ。人間よりは丈夫にできている」
「んじゃ俺もここで野宿しよーっと。女の子一人にするのはマーニャ様の美学に
反するからさ。男は女をいつだって守るのが世の常さ」
「ああ……アドンもそうだった。不始末は……私が片付ける」
命の境界線を変えることは誰にもできない。
息が止まるくらいの甘い接吻をくれる人は離れていて。
寂しいと思う気持ちを隠すように剣を抱く。
「辛い?」
「そうでもないさ」
止まらないこの世界。
動き出した運命は歌声にも似て巡り巡る。
四巡するのは季節ではなく人の罪。
酸素に触れた赤が黒に変わったあの瞬間に彼女は意を決した。
「お前たちの言う正義とは分からないが……」
「………………………」
「エンヴィは私が討つ。これが私のけじめだ」
恋人は男の策略により命を落とした。
しかし、彼らが攻め入らなければまた彼もそうなることはなかったのだ。
何が正しいかなんてわからないこの世界で生き続けるために。
「あの城に住むの?」
「元々、私の城だからな。そうしてもいいだろうし、ロザリーヒルでもいい。それも
二人で決めるさ……弔わなければならない仲間もたくさんいる」
逆に切られる十字。
渦巻く感情を飲み込んだその視線の奥。
「おガキ様が合流した時よく言ってたな。すげー綺麗な子と決勝で戦ったって」
遊び半分の武術大会。
少年は彼女に心を奪われた。
「そんなことを?」
「でも、彼氏いそうだったーー!!って喚いてて、うるせぇのなんの」
「あのときは……アドンが迎えに来てしまったからな。過保護にもほどがある」
伸びた耳に輝くスタールビー。
これほどに赤が似合う女もそういないだろう。
「俺よりもずっと年上なのにね、なんでかこんなに可愛いんだか」
「不老不死ではないが、ゆっくりとしか老いないからな。我らは」
「甘いもの好きな魔族なんているもんなんだね」
「ロザリーはお菓子を作るのも上手だぞ。いつも紅茶に合わせたものを作ってくれる。
そんなに人間を食べても美味しいと思わないし……だったら好きなものを食べてる方が
まだ良い気がする。殺し合いは同胞とした方が楽しめる」
姿形は人に似た、最高位の捕食者はいつも寂しげ。
住む世界の違いは戦い方にも出ていた。
「モンバーバラ……そのうちみんなで行くよ。そのころにはレオもバルザックも……」
彼女にとって大事なものはすべて消えてしまった。
どうして彼女だけを責められるだろうか。
「私にはロザリーが居る。今度はみんなで……」
「うん」
伸びた手が銀色の髪に触れる。
「もっと違った風に出会えたら良かったなぁ」
「出会うこともなかったかも知れないぞ」
「そうなんだよね。だから全部、これでいいんだろうな。俺が爺さんになる前に来てよ。
それに……俺だけ年取ってもピサロちゃんはそのままなんだろ?」
静かにうなずく小さな顔。
彼女からすれば人の一生は紅茶を飲むよりも短い。
だから魔族は同じように長命を伴侶に選ぶ。
おそらく彼女は死ぬその瞬間までそのままの姿だろう。
「美味しいお酒、飲ませてあげるからさ」
「そうだな。お前が老いる前に行くよ」
少しだけ離れて並んで。
髪に触れることもできるのに、その先に進めない。
これが二人の距離。
前線で彼が危機に及べばそっ彼女が剣で薙ぎ払う。
この先には進むことのできない関係。
「お前も不老になればいい。望めばできるだろう?」
今度は彼が首を横に振る。
「俺は人間さ。だからこのままでいい」
「そうか、残念だな」
「そう言ってもらえるってのは俺にも脈があるのかな?」
不毛な恋でも。
「私もお前のことは嫌いじゃないぞ」
「ああ、なんて結ばれない両想いなんだか!!」
赤い糸は複雑に絡まってしまうから厄介な代物。
エルフの青年は一本ずつ切り離して自分の小指に結びつけた。
斬っても切れないようにそれも錬金術で。
「血糖値が低いとイライラするのが人間だってロザリーが言ってたぞ」
きゅ、と青年の手に握らされる小さな塊。
開けば花模様の紙に包まれた飴玉だった。
「いっつも持ってんの?」
「安心しろ。それはエルフの里で買ったものだ。私がすぐに怒るのも糖分が足りないからだって」
たわいもない会話のために潜った死線は数知れず。
だからこそ世界は美しい。
銀色に触れるのはどの色であれ調和するように。
のちに刻まれた黙示録には小さなお話が残されることとなる。
18:12 2008/12/09