◆ハルトマンの妖怪少女◆






「うーあー、どうしよう……」
テラスでうずくまって頭を抱える姿。
「どうしたというんだ?」
「はわわわわわわわピサロ様っっ!!」
デスパレスは彼女の城、主がどこに出現してもおかしくはないのだ。
まして錬金術師である彼には彼女も一目置いている。
「その、あの……」
「おやつならフォンダンショコラだぞ」
「あ、はい……」
襟首を掴んでピサロはバルザックを引きずって行く。
一人よりも良いと同じように甘党のバルザックやキングレオは彼女にとっては良い相手だ。
しかし本来は謁見すらも許可が必要な存在。
「中で溶けるチョコレートを作ったものは天才だと思うんだ」
女王はその風格をケーキに隠してしまう。
つい先日も厨房を占拠してシフォンケーキを焼きが上げたほどだ。
「何か悩みでもあるのか?」
「え、はい……」
落ち込めば伸びた耳までどこかしゅんとしてしまう。
「その、今度舞踏会があるんです」
「ああ、レオはそういうの好きだからな」
「でも、俺……ダンスなんてしたこと無くて……」
愛嬌のある顔だとピサロはバルザックを評する。
しかし、滑稽な顔に瘻だというものも後を絶たない。
雀斑だらけの顔も小さな背丈も相まってか美系とは少し離れているのも事実だ。
「曲に合わせて適当にやればなんとかなる」
王家の人間は当然のように幼いころから徹底した教育が施される。
家柄の高いものは皆一様に嗜みとしてダンスの教養は高い方だ。
(……アドンも踊れんのかな、ロザリーは……)
目の前で優雅に紅茶を飲む女王は、隔離された世界に住んでいると言っても良い。
こうして席を共にすることなど、きっと彼女でなければ許されることはないだろう。
現にエビルプリーストはバルザックを近付けもしない。
「あの、アドンやロザリーもダンスは……」
「普通に踊れるよ。アドンはあまり好きではないらしいけども。私とだと皆、リードが
 取りにくいらしい。これ以上どうやっても私の背は伸びないからな」
小柄な女王は少しだけ頬を膨らませてそんなことを言う。
甘い香りを絡ませて血濡れた剣を振るう姿。
慈悲の笑みは無慈悲に剣を下ろされる瞬間に生まれ出るもの。
「もう一個貰ってこようかしら」
「あ、俺が行きます」
「そう?」
女王が厨房に向かうなど今まではあり得ないことだった。
それだけピサロは本来王位から離れていたということ。
(ピサロ様は甘い物が好きだから、お茶も甘いのをお持ちしよう)
嬉しくなれば帽子の房もふわふわと揺れて。
シェフから受け取ったフォンダンショコラとジンジャーティー。
その色はどこか彼女の瞳にも似ていて愛しいと思えてしまう。
銀のフォークを握って女王は嬉しそうに笑ってくれるだろう。
「なんだ、遣い魔か」
背後の声にびくり、となる肩。
振り返れば黒髪を揺らした長身の青年の姿。
「エビルプリースト様……」
「相変わらずピサロも酔狂だ。お前のようなやつを相手にしている」
「…………………」
身分の高さからしても彼との差は大きすぎる。
錬金術師としての腕を買われ、レオの計らいでバルザックはこうしてこの城に来ているのだ。
「おいおい、うちの錬金術師に何言ってんだよ。バルザック、早く持って行け。あったかいものは
 あったかいうちに食わせないとうちの女王様は大暴れするぞ」
主君の声に顔あげて。
「お前も嫌味言うために来てんのか?好きな子を虐めるのは年齢一桁までだぜ?」
獣王はその爪で男の頬を撫でる。
「自分の妻に逢いに来たまでだ」
「そりゃどうも。俺の嫁に何か用なのか?」
飛び散る火花とチョコレート。
キングレオもピサロに負けず劣らずの立派な甘党だ。
「当分の取り過ぎは豚になるぞ?キングレオ」
「チョコレートの芸術性もわからねぇとは不憫な男だな、エンヴィ」
炸裂する巨大呪文の爆風をくぐりぬけてバルザックはピサロの元へと高速で走る。
この城での殺し合いは日常茶飯事だ。
待ちかねていたと女王はにこり、と笑った。
「やっぱり美味しい。うちのシェフは凄腕だ」
「そうですね。二杯目にはジンジャーティーがいいと」
「ふふ。誰かとお茶を楽しめるのは幸せなことだ」
赤よりも紅いその瞳は運命など力ずくで変えてしまえるだろう。
甘い甘いキスのようなこの時間。
「これ、ロザリーにも食べさせてあげたいな」
彼女が絶大な信頼を寄せるそのエルフの青年は離れた場所に匿われる。
「アドン」
「はい」
「ロザリーヒルに戻るぞ」
「はっ。では、あの二匹はいかがなさいましょうか?」
「そうね……生ごみと一緒にまとめてもらいましょう。肉片になってたらの話だけれども」







フォンダンショコラに加えて焼きたてのマフィン。
山積の好物にピサロは満足そうに口を付けていく。
「美味しい」
「本当に美味しそうに食べてくれるので作り甲斐がありますよ」
「そういえばバルザックが変な事言ってたの。舞踏会で踊れないとか何とか」
「ああ、あの面白い顔の。珍しいですね、城に出入りするものが踊れないなんて」
胸に輝くスタールビー。
思うほどにため息をすってそれは輝きを増していく。
「キングレオ……んー、モンバーバラって人間の娯楽場がたくさんあるのに。
 バルザックはあちこち自由にいけるのにね。私もどんなものか見てみたいな」
きちんと残さずに食べつくして、ピサロは口元を指でなぞった。
「僕は、あまり君が人間に近づくのはどうかと思います」
不意に頬に触れる掌に、どきんとしてしまう。
亜麻色の瞳が静かに赤のそれを覗き込んだ。
「人間は君にとって害にしかならない。余計なことで傷つく必要はありません」
「私、強いよ」
「知ってます。君の強さは僕が保障しますよ」
「だから大丈夫」
「わかりました。君の大好きなタルトもパイも何でも作りましょう」
そのもの珍しい銀髪だけでも人目を引いてしまう。
彼女はどうあっても人ではない最高位に君臨するもの。
「そんなに心配?」
強さは無限大でも彼女はどうしても世間知らずな面が大きい。
知らなくてもいいことを知ってしまうことが彼にとっては厄介だった。
「ロザリーも一緒なら良い?」
「僕はここだけでも十分ですよ」
「…………………」
「天気もいいし、外に出てみましょうか。ちょうどマフィンも焼けました」
「……試し切りしてみたかったなぁ……」
「?」
どうやら彼女の目的の一つは新しく作った濡羽の長剣を試してみたいというのもあったらしい。
留め金には王家の印を。
飾り紐にはスタールビーの絢爛ではあるが実用的な逸品だった。
「サントハイムにいってみたいの。あのときよりもずっと私は強くなった」
それは彼女も左腕を奪った男がつぶやいた言葉。
ロトの加護が残る王国の名前。
それはさながら真紅の運命のように絡みつく。
そして彼女は運命さえも操り花として散らせる力を持つのだ。
「君の騎士をつけてなら。微力ながら僕も参加しますよ」
「サントハイムよりも今ならば海上王国スタンシアラが良いかと。あの海域は
 まれに天空人が落ちてきますからね」
「そう?じゃあ、そっちにしよう」
決まれば話は早いと女は剣を取った。
「ピサロさまーーーっっ!!」
不意に聞こえる声に窓辺に駆け寄る。
塔の下には大きな包みを持ったバルザックが息を切らせて立っていた。
階段を駆け上がって目指すは最上階。
「レオ様からのお届けものです」
「エンヴィの肉片かしら?」
開けてみれば漆黒の外套。裏地の真紅は彼女の眼を写し取った色。
「どういうつもりかしら」
「こちらはエビルプリースとさまからです」
「レオの肉片かしら」
「肉片だったら美味しく調理しますよ、ふふ」
同じように箱を開ければそこには小さな王冠。
ちょこん、と頭の上に乗せればまるで御伽噺の姫のようで。
「ロザリー、可愛い?」
「ええ。本物のお姫様ですからね」
その手の甲に誓いのキスを一つ。
まるで一枚の絵画のような光景にバルザックは思わず見とれてしまう。
同じ事を自分がやっても滑稽に思われるのが関の山だ。
「これつけていったら壊れちゃうかしら」
「繊細なものですからね。置いていきましょう」
「ピサロ様、あの国は真冬です。暖かい格好をなさって下さい」
「じゃあ早速これを使うわ。特殊加工がしてあるからすっごくあったかいの。レオの
 毛皮でも使ったのかしら」
男の手が留め金を正して。
目深に被せた帽子はまるで魔法使いうのようだとピサロが笑う。
「どこかにいかれるんですか?」
うふふ、と笑う薄い唇。
「スタンシアラまでお散歩に」
「使えそうな部品でも探してみることにしました」
「海に降る雪も美しい」
両脇に従えた男二人。
赤眼の女王はその威圧だけで心の弱い人間は命を失うだろう。
「レオたちによろしく伝えて」
呼び出したスカイドラゴンに乗り込む。
「あ、あの!!俺も連れて行ってくださいっ!!」
そうは言うものの、バルザックは攻撃型ではない。
ロザリーのように魔法を使うにも威力は期待できないのがわかっている。
「早く乗れ!!」
「はいっ!!」
自分を変えてくれた人が何をするのかはわからなくても。
この人の傍に居るとそれだけでうれしくなれるのはどうしてだろう。
そんなことを思いながら風は頬を撫でる。
その香りに青が混ざる頃、海上王国スタンシアラが見えてきた。







弓に矢を番えてロザリーはそれを天高く放つ。
それと同時に女はその矢に向かって魔力の弾丸を勢いよく撃ちつけていく。
それはまるではずすことのない恋の魔弾さながらに。
男の剣が陣を敷き空間を切り裂いた。
「な、何をなさるんですかっ!?」
銀のナイフに刻まれた逆十字。
それを咥えてピサロは勢いよく宙へと飛びだす。
「ピサロさまーーーーっっ!!」
羽根など持たない彼女はこの高さから落下すればさすがに死ぬだろう。
「見なさい、あれが小さな進化です」
黒羽が宙を舞い羽ばたくたびに生まれる赤い羽根たち。
赤と黒の混ざり合ったその翼は空中でも彼女の自由を保障してくれた。
「あんなものなくても飛べますよ。あれはあくまで見た目的に可愛い方が良いかと思って」
「そりゃたいそうな趣味だな、ロザリー」
「さしあげます。いつぞやの煙草の礼です」
革袋がぱしん、と投げつけられて中の丸薬を男は噛み砕く。
同じように生まれた漆黒の濡羽根を使い彼も宙を舞う。
「!!」
光の輪が幾重にも重なり少女を収束する。
ロザリーの矢に仕込まれていたのは天空人の羽。
その光を同胞と錯覚した少女が見事にとらえられてしまったのだ。
「バルザック!!」
どさり、と投げつけられた少女を締め上げる。
「ここなら本気でやりあっても無事な場所ということだろう?アドン」
まっすぐ横に振られた長剣。
「ええ。ここなら貴女の魔法も剣も存分に」
どれだけ自分が強くなったのかを試すために、二人が選んだのは隣り合わせる者たち。
肌の色が静かに金属のそれに変わって行く。
自分でどこまで制御できるかを試すための実験。
「砕ッッ!!」
男の剣を変化させた腕で受け止める。
銀色の髪は別の生命のように蠢いて籠のように彼を捕えようと狙う。
羽根は刃に変わり羽ばたくたびに生まれるナイフは弾丸となってアドンを襲撃した。
その弾全てを左手の剣一本で叩き落としていく。
茶色いの瞳がゆっくりと赤に変わる。
それは女王の肉が及ぼした大いなる変化。
「な、なんだあれっ!?」
「進化の秘法の初期段階です。ピサロが自分で自制できるようになってますから」
暴走する力との境界線を見極めればその値を上昇させることができる。
「滅ッ!!」
同じように青年の左腕から生まれる鉤爪。
それは彼女の肌さえも斬りつけられる硬度を誇った。
初期段階ならば傷つけられると取るか、アドンが強くなったと取るか。
「お互いに良い化け物になってきたな、アドン」
赤眼が一瞬銀色に光り、下から顎先を抉るように拳が動く。
それを片手で受け止めれば男の顔に歪んだ笑みが浮かんだ。
妖気染みた瞳が血走り、びきびきと音と立てながら左腕が変形していく。
「優男よりも、そのほうが……私の隣に並ぶにはふさわしいな」
掲げた手を勢いよく叩きつければその衝撃波が火炎となって海へと落下して。
炸裂する大爆発にピサロは唇をほころばせた。
「もういいですよ、ピサロ。十分に情報は取れました。アドンの方ももう少し引き上げられそうですし」
並みの攻撃など波状になった肌は分散させなかったことにしてしまう。
「服は無事だったみたい」
「そうですね。対応できるものがあったほうがいいでしょうけども、俺はその肌
 好きですよ。不思議な透明さがある……」
目の前で繰り広げられる知識を超えた戦い。
主君のキングレオの強さなどこの女は簡単に凌駕してしまう。
だからこそ彼は彼女に従う道を選んだのだ。
「収束の仕方も覚えてください」
「うん」
意識を集中させれば静かに肌の色が元に戻る。
「あなたのはピサロと違って時限式ですね。赤眼になってる間が制限解除時間です」
「おう……しかし、左腕だけでこれだけ変われるもんなのか……」
「疲れちゃった……まだ慣れないって大きいのかも」
女王を抱きとめる精悍な腕。
どれをとっても自分には足りないものばかり。
「なぁ、ロザリー……俺でも錬金術極められるかな……」
何を極めるにも失うことを恐れてはなしえない。
彼が失ったのは正しく「正常」ということなのだから。
「望めばできますよ。失うものもありますけれども……」
騎士が失ったのは内に眠らせた抑制というなの心。
女王が失ったのは幼さと幸福な物語の終わり。
獣王は純粋な恋と幼年期を噛み砕いて飲み込んだ。
錬金術はそう簡単に人を幸せにする力は持ち得ないのだ。
無から有を作り出すことはすべてに背くことを意味する。
「ああ、そうだ……ちょうどいい材料も手に入ったんで余ったものであなたのダンスの
 特訓用に人造人形作ってあげますよ」
指を折って元の感触を確かめる。
「使い方次第で俺も……ピサロ様?」
「天空人は美味しいのよね。何を作ってもらおうかな」
「任せておけばいいですよ。腕は確かなんですから」
「そうね。私は幸せ者だ」
潮風に揺れる銀髪、絡まるそれはもうすぐ雪を連れてくる。
哲学者にも心理学者にも操ることのできない天候の魔術。
夕焼けが飲み込まれる水平線が綺麗と笑う横顔。
それが誰かのことを思っていてもみとれずにはいられない。
「バルザック」
「は、はいっ」
「少し上手に踊れるようになったら私と一曲頼んでも良いか?お前なら私よりも少し小さいが
 つり合いは取れるだろう?」
「はいっ!!」





作り上げた人形は銀色の髪。埋め込んだのは海を模した硝子玉。
球体間接人形は意志を持ったかのように曲に合わせてその体を躍らせた。
「すげー!!」
「他のことはできませんけどね。練習するには丁度良いでしょう」
抱えて帰ろうとするのをろざりが呼び止める。
「それと、身長はピサロと同じにしておきました」
「あ、ありがとう……」
「同じ錬金術師ですしね。普段僕は彼女の傍に居られません。君の話をするときに
 あの子はいつも困ったような……それでいて嬉しそうな顔をするんです、ふふ。
 その人形はピサロの髪を少し入れてあるんでさしずめ妖怪少女ですね」
恐るべきは深淵をのぞいてしまった彼か彼女か。
送り出したのを確認してから女は扉から顔を覗かせた。
「それで私の髪を欲しいって言ったのね」
「ええ。きっと、地下室で練習するんでしょうね」
胸の前で指を組み合わせて、彼女はにこりと笑うばかり。
「ロザリー」
「はい」
「一曲踊って」
ドレスも無ければ音もない。
それでも彼女にとってはこれ以上にない楽しさ。
「君は少し小さいから合わせるのはみんな大変なんでしょうね」
「よく言われるわ」
「僕は楽しいですよ。身長の差なんて愛で乗り越えられる簡単なものですから」
絡まる指先と視線。
(君と出会った時にはこんな風になるなんて思ってもみなかったけども……これでいいような気がしますよ)
「きゃあ!!」
そのまま抱き寄せて。
「危ないとこでした」
「慣れは必要ね。私の背はこれ以上大きくならないだろうし」
「ならなくていいんですよ。僕はこれくらいが好きです」
銀世界を集めて何を作ろう。
ドレスの裾には雪の結晶をあしらって少しだけ長めに織上げれば。
人形よりも人形めいた女王の指先。
「バルザックに付き合うのが楽しみ」
真っ赤なドレスに赤いブーツ。
対になる銀色の髪は冬を呼び込む。
「足とか踏まれないように気を付けてくださいね」
女王のためのセプテッドは鳴りやまずに永遠の夜を繰り返す。
今頃は彼女の忠臣も同じように踊っているだろう。
運命の糸の色は赤。
それは流れ出る心臓に最も近いからこその鮮やかさ。
「お腹すいちゃった」
「そろそろ君の騎士が材料を持ってくる頃ですね。美味しいもの作りますからね」
「うんっ」





その後バルザックが真っ赤になったり真っ青になったりしながら、
ピサロをリードして踊ったのはまた別のお話。
その時にやっぱり足を踏んでしまったのも別のお話。




17:22 2008/11/23



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