◆眠り姫と銀のナイフ◆






ロザリーヒルはホビットたちの住まう村。
天然の要塞の地形は人間の侵入を絶えず防いできた。
「ロザリー、御機嫌よう」
「ええ麗しいですね、ピサロ」
窓枠からたん、と飛び降りればふわりと銀髪が宙に舞う。
手入れの行き届いたその長い髪は彼のお気に入りのパーツのひとつだ。
「ね、村に何かできてるんだけども」
「僕にもよくわかりませんが、なんでも人間がここで商売をしたいらしい、くらいです。
 基本的にここから僕は出ませんし、今のところ人間に世話になる予定もありません」
「んー……ロザリーがいいならいいけども……でも、人間だし……」
うんうんと唸りながらうろうろと歩く姿は、どこかまだ幼さが残っている。
「老人ですよ、ピサロ様。老い先は短いのでないでしょうか?」
「アドンちょっと見てきて」
ここまで見事な銀髪はそうそうお目にはかかれない。
まして、紅眼は人間には存在しないものだ。
それなりの知識があるものが見れば彼女が何者なのか容易に知ることとなる。
「はい」
そして彼女はやがてその老人の正体を知ることとなり、また老人も彼女の素性を知ることとなるのだ。
陸の孤島ロザリーヒル、そこは魔族の侵攻も存在しない。
そこに隠された秘密を知るために老人はやってきたのだから。






道具屋を営む老人に次第にホビットたちも打ち解けていく。
人間に対する警戒心が強いのは異種族としては当然のことだった。
「じーさん、どうした?」
「いえ、えらく綺麗な娘さんが……」
ふわりと揺れる銀髪。細身の体を包み込む外套と肩当に施された煌びやかな装飾。
ちらりと見えた横顔だけでもその美しさは十分に感じ取れた。
「ああ、ピサロ様だよ。ここの領主みたいなもんさ」
従者の男を連れるあたり、その身分は高位だということも予想に容易い。
「あの人は…………」
「ん、魔族だよ。ここは昔からピサロ様の大事な場所なんだってさ」
ホビットの子供たちがわらわらと少女に駆け寄る。
どうやらこの魔族はホビットたちにずいぶんと愛されているらしい。
「あんたも一回きちんと挨拶しておいたほうがいいかもな。穏やかな方だけども熊くらい
 一撃で沈めるから」
「そうですね」
老人の目的は、まさにその少女だった。
人間の侵入を拒むだけならば気に掛けることもないが、魔族すらも退けるだけの資源が
ロザリーヒルにはありはしない。
何者かが人為的にそうしているという結論から、その目的を探るために遣わされた密偵。
ゴットサイドの大神官が老人の正体だった。
(おいおい探らせてもらいましょう。ピサロ様とやらを……)






そして老人は一つの結論にたどり着く。
このロザリーヒルにそびえる小塔にピサロの恋人は匿われているらしい。
目深にかぶった帽子から除く真っ赤な双眸。
それはピサロがまぎれもない王位継承者であることを老人に告げたのだ。
王位を持つものの恋人がいるならば、魔族もここを攻撃はしない。
ましてその魔族の長たるものがピサロなのだから。
(さて、もう少し探らねば……)
ホビットたちの要求にこたえて、老人は武器防具も取り扱うこととなった。
ゴットサイドから直接に仕入れてくるそれは、周辺の凶暴な魔物に非力なホビットたちでも
十分に立ち向かえるほどの強さ。
人間のことなどよくも知らないホビットたちは老人を便利屋として重宝していた。
しかし、その反面ピサロは老人を疑いの眼で見据える。
彼女の隣には常に抜刀できる騎士が付いているのだ。
「アドン、あの老人おかしくないか?ずいぶんと強力なものを扱ってる」
竜の鱗をも切り裂けるものを、普通の武器屋が取り扱えないことを彼女は知っていた。
しかし、ホビットたちがそれで喜ぶならとあえて見ぬ不利をしていただけだったのだ。
「ええ、確かに……俺が話をしてきます」
「私も一緒に行く」
「では、俺の後ろに」
「ああ」
ホビットたちが退いたのを見て、彼はゆっくりと老人の店に向かう。
その後ろを静かにあるく少女が魔族の皇女とは誰が思うだろうか?
「いらっしゃい……これは、見かけぬ御方だ」
精悍な青年の姿は同性でも見惚れてしまうだろう。
凛とした瞳に宿る清しい光。
「ホビットたちが随分と世話になってるようだが」
伸びた耳は彼が人間ではないことを証明する。
王族の従者ならばそれなりの地位にいるものだろうと老人は結論を出した。
「おかげさまで。楽しい余生ですよ」
「なぜこんな地で商売をしたいんだ?」
「静かな場所で過ごしたかったんです。世捨て人も悪くはない……とね」
老人が彼ほどの若さのときは、世界中を駆け回る神官だった。
老いて尚、衰えることを知らない魔法力を抜擢され密偵となるほどの力。
「しかしここはある御方の私有地だ」
「ええ、ホビットたちから聞いてます。一度お伺いしたいと思ってました」
その声に少女が僅かに顔を挙げた。
小さな唇と透き通るような肌が艶かしく、伸びた銀髪が光に眩しい。
「ならば人間を捨てるのか?」
「はい。人の世に疲れ果てました故に」
ゆっくりと重なる視線。
その真っ赤な瞳に老人は一瞬にして息を飲んだ。
真紅の双眸は第一王位継承者にしか現れない。
ゴットサイドからの情報は皇女の存在を老人に伝えていたのだから。
「そうか。ならば良いだろう……ただし、妙な考えは起こすな」
「はい」
震える膝を気付かれないように叱咤する。
彼女の視線は弱いものならばそれだけで発狂させることができるだろう。
「アドン」
青年に耳打ちする声。
「店主、ここまで見事な品を揃える力があるのならばそれなりの交友はあるのだろう?
 我が主の為に一つ頼まれ事をしてくれぬか?」
手渡されたメモに記されたのは予想もしない品物たち。
世間一般の少女が欲しがるような菓子類や甘いもの達がそこには名を連ねていた。
「かしこまりました。次の仕入れには」
小さく笑う瞳に老人は恐怖以外のものを感じ、首を傾げた。
どうにもどこか人間臭い魔族の皇女はどうやら甘いものを好むらしい。
それと同時にピサロはホビットたちを保護し、ロザリーがこの地に連れてこられた経緯を知ることとなる。
(随分と珍しい皇女だ……しかし……)
予想していたよりもずっと幼く細身の皇女は、足繁くこの地に姿を現す。
そして彼女の忠臣たちも時折ロザリーヒルにやってくるのだ。
皇女のみならず強者たちが集うとなればますますもってこの地は危険だということになる。
(一網打尽にすべきか……しかし、それにはゴットサイドまで戻らねば……)
ピサロの名を冠するアドンことピサロナイト。
モンバーバラ地方を統括するキングレオ。
サントハイム一帯を見据えるエビルプリースト。
そして、その頂点に君臨する女帝デスピサロ。
(ううむ……ゴットサイド全ての兵力を投じても勝てるかどうか……)
迂闊な行動は死に直結する。
そして、もう一つの不安はロザリーという青年そのものだった。
古エルフの一人であり錬金術師である彼は基本的に小塔から出てくることはない。
ホビットたちもその素性を詳しく知るものはなく、聞こえてくる断片で察するしかないのだ。
錬金術師は闇に染まるものが多い。
そして彼も決して例外ではなかった。






「なんだか寒気がするの」
小さな額に手を当てれば、熱があるのが分かる。
「疲れてるのかな……」
こつん、と触れる額に少女が瞳を閉じた。
「そうですね。今日はもう休んだほうが良いですよ」
「うん、そうするね」
眠る恋人の傍らで書物に目を通す。
転寝を破ったのは苦しげな呼吸と小さな呻きだった。
「ピサロ!?」
荒い呼吸と高熱はゆっくりと彼女の体力を奪っていく。
どれだけ屈強な魔族であっても限界というものは存在するのだ。
(薬の調合を……)
急いで材料を探してみるものの肝心のものが足りない。
「アドン!!」
「どうした?……ピサロ様!?」
「僕は薬の材料を取ってきます!!あなたはピサロに付いてて下さい」
真夜中にそれを探すのは困難だと分かっていても、そうせずにはいられない。
「ロザリー!!道具屋のじーさんが!!」
「そうか!!彼から貰えば……!!」
階段を駆け下りるよりも早いと、箒に乗って急降下する。
真夜中に扉を叩く異常事態に、老人はベッドから飛び起きた。
「どうなされた!?」
扉を開ければそこには見たことのない青年が息を切らせてたっている。
「こ……恋人が高熱で……っ……薬が……」
「恋人、ですか?」
「僕の恋人が寝込んでしまって……薬を調合しようにも材料が足りなくて……」
「何が必要なんです?」
「パデキアの根です」
普通の薬師はパデキアの根の使い方など知ることは少ない。
彼がそれ相応の知識を持っていなければ、そもそもパデキアという言葉など出てこないのだから。
「確かに、もっております」
「譲っていただけませんか?お礼はします」
「いいですが、恋人とは?」
予想ではなく確信が欲しかった。
「魔族です」
「早くもっていきなされ」
「ありがとうございますっ」
錬金術師を恋人に持つ皇女など、魔族の歴史にはなかっただろう。
「ピサロ様によろしくお伝えください」
古エルフの祖となるものは伝説の精霊ルビスだという。
その強すぎる力は人間たちに疎まれ迫害される要因となった。
人は人以外を拒む。自分たちが絶対唯一の捕食者になるために。






「そう、あの老人が……」
蜂蜜入りの牛乳を飲みながらピサロはロザリーを見上げた。
まだ熱は完全に下がっていはいないが、ニ、三日も休養すればだいぶよくなるだろう。
少し青白い顔にも徐々に赤みは差してきた。
「何かお礼をしなきゃね」
彼女は借りを作ることを好まない。絶対君主たるものは常に一人でいることを義務付けられるように。
「何が良いのかしら?人間なんて仲良くしたことがないから喜ぶことがわからないわ」
「僕もですよ」
「直接会いに行こうかな」
その赤い瞳は穏やかな海の中に孕む恐怖と狂気。
「やめた方がいいですよ。お礼ならば僕が行きます」
くしゃくしゃと撫でてくる手に嬉しげに閉じる瞳。
「何がいいかな。人間の喜ぶものなんて知らないし……」
「君のその髪を一房で十分です。その価値の分からない生き物ではなさそうですから」
「?」
「君の渡したメモですよ。あれは普通の人間には手に入れられないものばかり……君もそれを
 知っていたのでしょう?」
老人がどれほどの力を持っているのか、彼女はそれとなく探りを入れたのだ。
「君はゆっくり休んでください。これは僕が夜にでも持っていきますから」






夜半月が陰る頃、エルフの青年は扉を叩く。
亜麻色の髪が残光に輝いて、宵闇の恐怖を呼び覚ますような色合い。
「これはこれは、この間の」
「彼女からのお礼の品です。受取っていただけますか?」
水晶の箱の中に鎮座した一房の銀髪。強い魔力を帯びたそれは魔物など簡単に退けてしまう。
青年からそれを受取って老人は彼を室内へと招いた。
「具合はもういいのですか?」
「おかげさまでだいぶ良くなりました。明日には城に戻るでしょう」
この穏やかな青年が最も危険だと称されるのを老人はまだ知らない。
錬金術師の始祖はあの大精霊ルビスなのだ。
かつて対峙したゾーマの血を汲むエスタークの子孫であるピサロの存在。
本来は触れることすら禁忌の二人が出会ってしまった。
「あなたはなぜこの地に?ここは人間にとっても面白い場所ではありませんよ。僕のように
 追われてきたわけでもないでしょう」
左右に違う瞳はどこか心を見透かしそうで眠るざわめきを誘う。
「あなたは何者ですか?神官だということはわかりますが目的がわかりません」
「…………お前さんの恋人の目的を教えてもらえんかの?」
「ピサロの?」
形の良い唇が一瞬だけ歪んだ笑みを浮かべた。
それは瞬きするほどの間のほんのわずか。
「人間を殲滅することでしょうね」
「それはなんのためにじゃ?」
「異種族を排他しようとするからでしょう。普段は穏やかで可愛い人ですよ」
「ならばお前さんの恋人を何が何でもわしは殺さねばならんのう」
「殺せませんよ。ピサロは僕以外の誰も」
それは絶対にしてたった一つの真実だった。
「なんと!?」
「あの子は進化の秘法を手にしてます。僕が完成させました」
錬金術のすべてを注ぎ込んだ究極の秘法をこの青年は静かに完成させたという。
この隔離された地は彼の実験場として最も適した場所だったのだ。
人間が多少消えても強力な魔物が住まう地ではおかしくもない。
「僕たちはただ二人で生きていければいいんです。だから、僕が死なない限りあの子も
 暴走はしませんよ。人間を殲滅することもやめるように言ってありますから。食料にも
 ならないものを殲滅させても何も起りはしません」
王族ともなれば食人衝動など滅多なことでは起きない。
ピサロは純度の高いものを好む性質ゆえに人間を食うなど愚行は起こさなかった。
「恋人が血に染まるのは好ましくありません」
そして老人は知ることとなる。
狂っているのは魔族の皇女ではなく、この青年だということを。
そして、最も始末すべきはこの青年だと。
「僕もそう簡単には死にません。この地はあの子の結界が張り巡らされてます」
この青年を殺せば彼女は間違いなく人間を殲滅するだろう。
それだけの力を持ちながらも、暢気にしている振りをするのだから。
「危害さえなければ僕たちも何かをすることはありません。僕の願いは半分叶ってますし」
「願い?」
「永遠の命なんてものは要らないんです。限られた中で生きるから楽しいんでしょう。
 逃げられないように僕は一番ほしいものに鎖をつけることに成功しました」
その笑みは穏やかで優しく、そして今まで見た中で最も禍々しいものだった。
「最後のその瞬間で一緒にいたいだけなんです」
願いは純粋だからこそ、狂気と変わる。
「誰にも邪魔されたくないだけなんです」
「……お前さんに愛された皇女は……不幸じゃな……」
「でしょうね。あの子は優しいですよ。行き倒れの僕を拾ってしまうほどに」
「だからといってお前さんたちの恋を成就させるわけにもいくまい」
「残念ですね……僕たちの恋は成就してしまった」
月光が室内を照らしだす。
「!?」
閃光が走ったと同時に崩れ落ちる青年の身体。
顔を上げれば月を背にした皇女の姿。
「ゴットサイドからの使者か?」
言葉を紡ぐだけで凍りだす空気。
漆黒の外套に身を包み、宙に浮かぶその美しさ。
「薬の礼を言いにきた。やはり私が自ら出向いた方が良かったようだな」
「お前さんの命を貰いに来た」
「私が死ねばロザリーが今度は暴走するぞ。私は……ただの実験台だ」
まるで人形のようなその肌を照らす狂った赤い月。
流れる銀髪が生む波紋と空圧の低下。
「なぜ人は人以外を忌む?」
彼女の兄は人間の手によって斬首された。
そしてその日から字のサロを捨てて、デスピサロという名を冠した。
「人がわれらを忌むなら、我らも人間を討つのみ」
「魔族は人間を殺すでしょう。我々もただ死を待つのみにはなりたくはない」
「人がわれらを忌むからな。エルフを迫害し、ホビットを奴隷とする。なあ……人は人同士
 騙し合い殺し合うな。それほどに同胞を信じられぬのか?」
頂点に君臨する女は己の力を最大限に発揮し、分裂していた魔界をその名の元に統一した。
誰よりも強く王としてその資質を認めさせるための努力を重ねた。
「お前さんも人を殺すだろう」
「ロザリーを迫害するならばな。われらはエルフとホビットを守る」
平行線の会話は必要ないとピサロが剣を抜いた。
「次の魔王を……ここで殺さねばわしらも生きられぬ……」
交差する光を放つ杖を手に、老人は標的に視線を定めた。
魔に魅入られたものは魂ごとの見込まれてしまうという伝承はおそらく彼女のためにあるのだろう。
闇に泳ぐ銀糸の美しさ。その赤い瞳の鮮やかさ。
溢れ出る威圧感は高貴なら血ではなく、彼女自らが死線を掻い潜ってきたことからのものだった。
「…………くだらんな。殺し合いなど面白みがない。殺し合いにもならない」
「?」
「殺し合うというのはそれなりの強さがあればこそできる技。一方的に死なれたら殺し合いにはならないだろう?」
ぱしん、と投げつけてくる何か。
それが小さな布袋だと気付くまでにそう時間は掛からなかった。
「薬の礼だ。ロザリーはどうも……深くものを考えすぎる
床に崩れている青年をそっと肩に担ぐ。
「私が化け物だと知りながら薬をくれたのだろう?」
「………………」
「これが私からの礼だ」
振り返る横顔が少しだけ覗く。
魔族というものには有るまじき曖昧さをもつのがこのピサロという女だった。
そしてそれゆえに彼女はこの先に数奇なる運命をたどることとなる。
「我らも永遠などもたない。いつかは死ぬ……私はその時にただロザリーといられればいいと願っている」
願うはささやかことで、しかしそれは絶対にかなえられない願い。
涙は誰にも見せることのない女の後姿。
「殺さんのか?」
「服を汚すと叱られるからな」
この恋は苦しむだけのものかもしれない。
それでもその苦しささえも知らずに安穏と殺りくを繰り返すだけの日々よりずっと麗しいと。
胸を裂くようなこの痛みは心臓を抉るだけでは得られないもの。
思うことの暖かさは血の温もりよりも切ないもの。
無限ではなく有限を愛する魔族など存在したのだろか?
(……随分と魔族らしからぬ……)
花の色に思いを馳せて巡る季節に足を止める。
『人はそれほどまでに優しいか?同胞すら信ずることのできぬ関係がそれほどに有難いか?』
ヒトならざるものが呟く真実はヒトには理解できるはずなのに理解できない。
片側だけを綺麗に腐らせるようなものだ。
(あの魔族にかけてみるか……まだ時間はある……)
移ろうものこそ美しい。
美学と美徳を持つ女王はおそらく魔族としては失格なのだろう。
それでも彼女が慕われるのはどこかに残されたトが忘れてしまった何かがあるからか。
それとも、他のものだろうか?
それを見極めるだけの力を持つものはどれだけ存在するだろうと。









「おじーさん、薬草一個くださいっ」
「はいよ。おや?綺麗な冠だねえ」
ホビットの子供の頭上には白詰め草の花冠。
ほんのりと香るは密の匂い。
「ピサロさまがくれたの!!お天気がいいからロザリーとお外に居るよ」
小さな背中を見送って、女の姿を探す。
丘の上で笑いながら二人で花冠を作る姿。
自慢の長剣など、菩提樹に立てかけて殺気などかけらもない。
彼と彼女が過ごした時間には、こんなにも花と光があふれていた。
その丘はやがて彼が弔われ彼女が復讐を誓う場所となる。
「ロザリー、はい」
「きれいに作れたみたいですね」
「錬金術はできないけどもね」
「いーじゃないですか。女の子は花冠が作れれば十分ですよ」
無防備に笑う彼女の姿。
復讐の悪鬼になり、涙すらも枯れてしまうような悲しみが存在することすら知らないままい。
「あったかいね。こんな日じゃないとロザリーと一緒に外にはでれないもん」
離れないように花で作った鎖で手をつないだ。
「ずっと一緒に居ましょうね」
「そうね。ずっと一緒に」
この地は最後の可能性の眠る場所。
それを捨て去ることなどできない。
(人は本当に……自分の保身ばかりを考えてしまう……)
束ねていた紙に唱えるのは火炎呪文。
一握の灰がそこに生まれ、そして小さな可能性が生き残った。
(おまえさんに賭けてみようか。どのみちおまえさんは人を滅ぼすつもりだろう?)
まだ幼いその赤い瞳。
(人が魔族を信じれば魔族も人を信じてくれるのだろうな……)





「これ、なぁに?」
木箱に入った瓶の中には野苺のジャム。
しげしげと見つめて紅茶に一匙加える。
「美味しい」
「道具屋の御老人から、君にですよ。下のシスターが預かりました。僕が出るわけにもいきませんし」
「…………………」
照りつける日差しが幾分か強く、彼女の瞳には良いものではない。
レースで作られた日傘を受取って少女がゆっくりと階段を降りていく。
人が人ならざるものを信じるのならば。
人ならざるものはやがて神となりその信仰と成り得る。
それは儚き夢のように。
だからこそ、幸せと祈れるように。






「こんにちは」
「いらっしゃい、何をお探しだね?」






12:09 2008/10/01



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