◆召しませ、甘口玉子◆
「ホーリィ、ひさしぶり!!」
「え……アーネット!?アーネットじゃない!!元気だった?」
伸びた髪を一つにまとめ、女はけらけらと笑う。
「こんなところに何しに来たのよ」
ホーリィの口ぶりからするに、再会はどうやら数年ぶりらしい。
アーネットと言われた女は十露盤を鳴らしながら片目を閉じた。
「買出しよ。あたし、自分の御店持ったの」
垂れがちだが、大きくて綺麗な瞳が輝く。
「あんなはなにしてんの?」
「あたし?あたしはねー、世界平和のために戦ってるわ」
冗談交じりの言葉に噴出したのは賢者のしるしをもつ青年。
左手に浮き出たルビスの印は、限られた物だけに与えられる称号なのだ。
「あれが、あたしのパーティ」
「こんちわーーー!!よかったらあたしの所に寄って行かない?」
その声に一番早く反応したのは銀髪の少女。
そして、目的地は決定された。
面白いと思えること、楽しいと思えること。
そこに君と二人で手を繋いで行けるのならば、地の底だって素敵な所。
スーの村を下った小さな集落。
まだ、街とは言い難いがにわかに活気付いた小さな村に彼女の城はあった。
「武器とかあるんだー、すごーい」
「あはは。本当に凄いのもあるのよ」
灰色の布に包まれたままの固体を、アーネットはジェシカに手渡す。
「開けてみて」
中から姿を見せたのは美しい策の施された魔法杖。
碧玉を不死鳥ラーミアが護るように包んだ伝説の武具の一つ。
「すげ……霹の杖だろ、これ」
「そうよ。この間ねー商用航路の契約取り付けたの。その時にもらったんだ」
静かに手にして、それを握り締める。
内側から何かが流れ込んでくる感触に、エースは身震いした。
「エース?」
「現物、触れるなんて思ってもみなかったぜ」
己の力に呼応し、最大限に引き出してくれる武具。
強さを得た物に必要不可欠な物。
「いくら?こいつに払わせるから」
親指でホーリィは背後の男を指す。
ばりばりと頭を掻きながら小さく、冗談じゃねぇとレンは呟いた。
「あげるわよ。再会の記念に」
「やっり!!姐さんのダチとは思えねぇくらいいい人だ!!」
「良いの?貴重な物でしょ?」
アーネットは笑って首を振る。
「だからこそ、ホーリィの仲間に使って欲しいのよ。あたしじゃもてあますだけ。
魔法の出来もわるかったしね」
昔馴染みとは、同じ海賊船の中で知り合った。
同じように魔法を駆使して、船を護ってきた。
道は別れても、過ごした時間の重みは消える事など無い。
それが、仲間なのだから。
「もう遅いし、泊まって行って。七日後には面白いもの積んだ船が来るから」
「そうね、ゆっくりと身体休められるみたいだし」
連日の戦いで、心も身体もくたくたに疲れ果てて。
この、小さな村で静かな時間を過ごすのも悪くは無いと思えた。
小さいが、しっかりとした造りの一軒家。
どうせなら寛げるほうがいいだろうと、女は一行にそれを宛がった。
「姐さん、あの人何モン?」
「海賊船の同期よ。もしかしたら、面白い船って御頭の船かしら」
棚の葡萄酒を開けて、レンはそれを一気に飲み干す。
「お前の友達って感じだな。悪くねぇ女だ」
「でしょ。昔からああなのよ。損得とかじゃなくて、感で動くの」
窓から見える港は、まだまだ発展途上のもの。
それでも、完成されればそこが美しい入り口になるのは想像するのに難しくはなかった。
「もしかして、ここ……賭博場もあんの?」
流れてくる音楽と歓声に、青年は耳を欹てる。
「そうね。アーネットのことだから準備してると思うわ」
「おっしゃ。行くぞ、ジェシ!!」
「待ってーーーっ!!」
少女の手を引いて、青年は夜の帳が降り始めた街に姿を消す。
船の中で息詰まっていたと言う建前を翳して。二人きりになれる口実が欲しかった。
指を絡ませて、どこまでも走るだけ。
小さくなる後姿を見送って、女はくすくすと笑った。
「あたしたちは夕食とってから行く?」
「あ?飯どうすんだ?」
「あたしが作るわよ。材料もあるし」
部屋の隅に置かれた籠には季節の野菜が所狭しと積まれている。
その一つを取って、男に投げつけた。
「黙って食いなさいね、男なら」
「けったいなもん作られちゃたまんねーから、俺も手伝うわ」
のろのろと後ろをついてくる男の鼻先を摘む指先。
「そんなに信用できない?」
「いや、女が飯作るとこ見んのが好きなんだわ」
船の中での炊事は、主にエースとジェシカが担当している。
気まぐれに何かを作る事があっても、それは稀なことだ。
椅子に腰掛けて、女の手元をぼんやりと見つめる。
指先が食材を巧みに操るのは、魔法のようだと男は笑った。
母を知らない彼にとって、誰かの後姿はおぼろげにそれを想像させる。
「出来たのから食べる?」
「おう」
野菜を煮込んだものに、甘辛く揚げた魚。
ふわふわの卵は厚焼きになって、目の前に差し出される。
「美味しくなかったらごめんね」
「いや、うめーよ。ちょっと驚いた」
嬉しそうに口にする仕草が、それが嘘ではないと語るから。
「そう?よかった」
たまにはこうして、静かに二人で過ごすのも悪くはない。
彼と彼女が街にくりだしたように、ここに残ることを選んだ。
「お前も食えや」
「そうね」
満身創痍の身体を癒すのは薬でも魔法でもなく。
誰かの優しい手料理なのだから。
「お前みたいな女と、所帯持つのも面白れぇだろうな」
僧服を脱いで、女は子首を傾げた。
小さく呟いた彼の本音が、心の奥にゆっくりと沈んでいく。
「……本気?」
「まぁな」
「……ふぅん……ありがと……」
ちゅ、と頬に触れて離れる唇。
もしも、幸せを築くことができるのならば彼とそうありたい。
まだまだ世界は自分たちを掴んで離そうとはしないけれども。
「可愛いことすんのね、お前でも」
「……馬鹿」
照れ笑いを誤魔化して、男の頭を抱きしめる。
人生はまだまだ長く続く予定なのだから、できるだけ楽しい事を並べていこう。
乗り越えられない壁ならば、力ずくで壊せば良いのだから。
与えられた七日を有意義に過ごすために、船の修理と積荷の総点検を始める。
ここから次に向かうのはランシール、そして閉ざされた王国エジンベアなのだから。
食料と衣料品、そして薬草の類は欠かせない。
多すぎると言う事は無いのだから。
「おい、これもいいだろ?」
酒樽を両肩に抱えるのは、レンとジェシカ。
小麦粉やらなんやらの袋はエースは両手にこぼれそうなほど抱えている。
「そうね、ランシールまではちょっと掛かりそうだから一杯積んでおいて。
こういうとき、なじみの商人がいると本当にいいわね」
アーネットの力添えもあってか、捨て値に近い状態での仕入れ。
遠慮の方が失礼だからと、女は笑った。
「おい」
「?」
「やるわ。ほれ」
包装紙もリボンも纏わない、素のままの小さなペンダント。
「たまには、飾ってみろや」
ぼんやりと男の背中を見送って、女はそれをそっと握り締めた。
「おっさんさ、それ選ぶのに一時間かかってんだ。姐さん」
帽子の鍔を上げて、青年が笑う。
思えば、彼から何かをもらうのは今まではなかった。
「あとで、御礼言わなくちゃね……」
首の後ろで優しく絡み合う金具。
小さな真珠を金細工が囲んだそれは、華やかさは少し足りないかもしれないが
彼女の髪と肌を映えさせるには十分なものだった。
この風を受けて、大きな帆を張って海原へと駆け出すこと。
誰一人として、欠けることなど考えも付かない。
向かい風は額を撫でる幸運のもの。
どこまでも突き進んで、この手にする光を誰かと分かち合えればそれがきっと幸せの欠片。
桟橋に腰掛けて、指先が微かに海面に触れる。
「ありがと、こーいうの好きよ」
「あー……どれ選んだらいいかわかんねぇんだよな、俺」
同じように座りこんで、男は煙草に火を点けた。
あと数日で、この小さな集落とも離れてしまう。
こんな風に二人だけで過ごせる時間も激減していくのだ。
「明日か?船が来るってのは」
「うん。御頭も大分年取ってるから、ちょっと心配なんだけどね」
「こうやってよー。釣り糸垂れるだろ?だとな、釣れねぇとしても時間の流れが
見えんだよな。風とかよ、そんなんもさ」
風の動きと星の流れ、生命の重みを知っている男は飄々と生きる。
「そうね。生かされて生きてる。あたしたちはみんな、そう……」
どこだって地の底だって、そこに光が無くても。
「あんたと一緒に組めてよかったと思ってる」
「俺もだな。この先もまだまだなげぇんだ、よろしくな」
この途切れながらも続く道を、君と進もう。
これからも、ずっと。
入港した船に女は深々と一礼して、じっと見つめる。
タラップを降りてきたのは初老の女。
後ろに編まれた白髪と、刻まれた皺が彼女の人生の厚みを立証した。
「御頭、御久しぶりです」
「ああ。元気だったかい?アーネットから手紙を貰ってね。急遽航路を変えたのさ」
手紙を魔法で遠方の相手に飛ばす。
高等魔法の一種だが、それをいとも簡単にやるのがこの女たち。
女海賊に中途半端なものは居ない。
半端ものは死を招く。海の女神の嫉妬をかわすには強くしたたかに生きることが
求められるのだから。
「お前ら二人がいなくなってから、この船を浮かべるのはあたしだけになったねぃ」
「船を浮かべるって?」
後ろから顔を覗かせて、銀色の瞳を大きく開く。
「おや、この間のお客に似てるね」
「お客?」
「ああ。確か……オルテガとか言ったね。ギアガの方まで連れてって欲しいって言ったんだ。
中々男振りがよかったねぇ……」
思い出すように、老女は顎を擦る。
「それ!!あたしのお父さん!!」
「御頭。その方はギアガに行かれたのですか?」
ネグロゴンドを目指すには、ギアガ地方の山脈をアッサラームから抜けていく。
それが最短距離だと誰もが思っていた。
「この船なら三日もあれば着くわ。だって大神官の動かす船よ」
船は水に浮かぶもの。しかし、この船は空を泳ぐと言う。
「お父さんはいつ、ギアガに!?」
「まだそんなにもなっていないよ。まだボケちゃいないからねぃ」
老女は、小さな宝箱を少女に手渡した。
「あんた、アリアハンの娘だね?オルテガとの約束でねぇ……いつか娘にあったらこれを
頼む、って」
そっと箱を開ければ、こぼれてくる光。
「イエローオーヴ……これをお父さんが?」
「いいや。あたしは海賊だからね……闇に売られる宝玉だって手にはいるのさ。
だから頼まれたんだ。いつか、あんたと逢えるのを信じてね」
この世界を救う小さな勇者。細い足が踏みしめて作り行く一筋の道。
「ありがと……お父さん、ちゃんとあたしのこと憶えててくれたんだ……」
「あんたと奥さんの話だろね。ギアガまで色々聞かせて貰ったよ」
ここまでくるのに、何一つ無駄な事はなかった。
こぼれる涙を払ってくれる指先。
「こっからずっと向こう……切り立った岩山に囲まれた城がある。あたしも上から見た
ことしかないんだけどねぃ。そこには竜の女王が住んでるらしい」
「竜の……女王様……」
「宝玉を集めて氷の神殿にささげよ。あたしの一族に伝わる話さ」
父の背中を追ってここまで来た。
そして、今度は自分の背中を追う誰かが生まれる。
「いずれあえるさ。あんたが本物の勇者ならね」
「本物の勇者?」
「この世界だけじゃない。自分自身も救ってこその勇者さ」
刻まれた皺には、仲間の思い。彼女は確固たる自分を持って生きて来た。
信念と深い信条。そして、信頼。
「ホーリィ。お前とこの子供だったら氷の海だって渡れるだろうに」
「私が退けば、軍令を出すものがいなくなります。御頭」
「だれがこの娘って言った?こっちの坊やだ」
賢者と神官の力を持ってすれば、船は空を泳ぐ。
それだけの力をここまで育んできた。
一撃必殺を武器とする男と、長剣を振るって天を舞う少女。
「期待してるよ。あんたたちがあたしたちを救ってくれる事を」
この世界に住まう幾多の命を、たった四人で背負うこと。
いや、四人で分け合えること。
「おばあさん、あたしにどこまで出来るかわからないけれども」
風が、静かに髪をかきあげていく。
「きっと、皆が笑えるようにするよ」
「……良い子だね、おまえは……」
すい、と手が伸びて銀色の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「たくさん友達が出来たの。みんなと、また……逢いたいから」
小さく、もちろんおばあちゃんともね。と付け足して。
「お前たち!!この間掻っ攫ったもん全部持ってきな!!未来の大勇者さまに
ふさわしいだけの物を、海賊王として出してやろうじゃないか!!」
湧きあがる歓声と、波の音。
小さな少女は、ゆっくりと勇者へとその存在を変えて行った。
「氷の神殿って、どこにあるのかしら」
葡萄酒をジョッキで飲み干して、少女は首を傾げる。
鳥の丸焼きに被りつきながら、青年はもごもごと言葉を紡いだ。
「俺んちから行ける」
「すごーい!!エース行った事あるの?」
喉に詰まった肉塊をワインで流し込んで、香草の包み焼きに手を伸ばす。
パン生地に包まれたそれを二つに割って、片方をジェシカに。
「んー……かなり前だけどな。とーちゃんとかーちゃんと、兄貴と。レイアムランドって
島で、双子の妖精が神殿を守ってるはず」
老女に貰った剣を静かに引き抜く。柄元に刻まれた古代文字。
「読めないよぉ……」
「汝、この剣を用いて天を切り裂け。雷神が汝を護るであろう……ってとこだな」
壁際で二人で凭れて、肩を寄せる。
「エース、おにーちゃんいるんだ……良いなぁ……」
「すっげー頭よくてさ、俺なんか全然敵わねぇくらい強くって、魔法の腕も最高レベル。
自慢の兄貴だった」
言葉は、過去形として止まってしまう。
煙草に火を点けて、小さく呟いた。
「死んだんだ……サマンオサの討伐隊に魔道士として……あの国で」
ランシールは神官、魔道士を数多く抱える。
彼の家は、代々神官を生み出す血筋だった。
「姐さんとさ、酒場で出会ったときにあの人サマンオサから来たって言っててさ……
閉鎖状態のサマンオサから抜け出すなんてそうそうできねぇって……」
心を落ち着かせるために、二本目を取り出す。
それを、そっと少女の指が制止した。
「ダメだよ、身体に悪いよ」
「ん…………兄貴の実力は本物だった。いつかは大神殿の神官になれるだろうってみんな
言ってたんだ。今の姐さんよりも、ずっと上だった。もし、一定の力を持ってすれば脱出
できるなら、兄貴も死ななかったはずだ」
疑問はやがて確信に変わる。
「あの女は、何か隠してんぜ。それが何かはわかんねぇ……だったら、サマンオサに乗り込む」
「ホーリィは、あたしたちの仲間だよ」
「今はだろ。このさきもずっとなんて保障は無い。あの女の目的は最初からサマンオサに
戻る事なんだからな。おっさんも薄々気付いてるみたいだし」
重なった視線に、嘘など一欠片も無い。
ただ、前を見つめる真摯な光が宿るだけ。
「俺も強くなった。おっさんも、ジェシも。だからこそ、あの女はパーティに残る事を
選んだ。使えなければいくらでも仲間はいるからな。この船だってそうだ」
夜に堕ちたまま、真実を探せずにいるのは誰なのか。
「エースは、ずっとそんなこと考えてたの?」
悲しげに歪む、碧眼と震える指先。
その手を取って、青年はそっと唇を押し当てた。
「別に、利用されるだけでも俺はよかったんだ。どっちにしろ、サマンオサにいくことが
できるからさ。けど……お前を巻き込まれるのが嫌だったんだ」
「あたしだって、そんなに弱く無い」
「ああ、力はある。けど、それと強さは別モンだ」
彼は、どんな思いで自分のためにその身を盾にしてくれたのだろう。
「サマンオサに行くためには、エジンベアに行く必要がある。そのエジンベアに行くためには
にはランシールに行く必要があるってわけさ」
「………………」
「俺も、あの女の本性が知りたい。だから、ランシール行きを提案したんだ。神官って
名乗る限り、絶対に寄らなきゃなんねーからな」
天然の要塞に護られて、外界からの敵を全て葬り去る事の出来る神官と魔道士の村。
「大神殿の試練の洞窟。もちろん、俺も行く」
「エース、あたしは?」
「あんまり気味の良いもんでもないから、大神殿で待ってたほうがいいと思うぜ」
ぶんぶんと首を振って、青年をじっと見つめる。
「やだ!!」
「って言うと思ったんだ。もちろん、一緒に連れてく。おっさんも」
ただ一つだけの真実を求める事。
沢山の本当の事を見つけて、一つの真実にする事。
どれが、正しく取れが正しく無いという事など無い。
「それであの姐さんが、まだおれたちと一緒に居るって言うんなら」
吸殻を、指先がぱちんと弾く。
「そんとき、俺たち本物の仲間になれると思うぜ」
「うん……」
「お前は信じるんだろ?あの女を。だったら……俺は、お前を信じる」
君と出会えた、この狂った世界。
それを愛しいと思えるように気味を愛した。
明日の声など耳を塞いで、二人で目を閉じよう。
この世界の終わりを見つけるために。
「御頭、あたし……この旅を終えたら神官を辞めようと思います」
耳元で小さく女は呟く。
酒宴の真ん中では残り三人が次々と運ばれてくる酒に顔を真っ赤にしていた。
「あの男の女房にでもなるのかぃ?」
小さく横に振られる首。
「あたし、あの国を捨てられません。エジンベアに回ったら、サマンオサに向かいます」
「国に縛られちゃいけないよ、ホーリィ」
そっと細い肩を抱く傷だらけの腕。
「あたしはお前にこの船をやるつもりだったんだ。お前の本当を聞くまでは」
「………………」
「行くがいいさ。それしかお前には出来ないんだ。あたしに出来るのはちょっとした
手助けだけだろう」
ランタンの光が、老女の顔を映し出す。
穏やかな笑みは、まるで母親の様でもあった。
「お前の宿敵は、ボストロールっていう魔物さ」
「………………」
「お前が本当に欲しいものは、サマンオサの男が握ってる」
かちゃり…外したペンダントを、ホーリィの首に掛ける。
「御守だよ、御転婆な娘をもっちまったねぃ」
「……御頭……」
「一つだけ約束しな。決して自分で命を絶つことはしない、と」
涙目で頷く。
「良い子だね、ホーリィ……」
抱き閉められて溢れだす涙。
これが最後になるかもしれない夜。
「嫌になったら逃げておいで。この船はお前の家なんだからねぇ」
「……はい……っ……」
「あたしもあと二十年は生きる。その頃にはお前も貫禄が付いてるだろ?」
この人のようにありたいと願った。
この人のようになりたいと祈った。
「たんとお泣き……あしたからはまた、ホーリィをやらなきゃいけないんだ。ミルフィ」
「お母様…………っ……」
「いい仲間じゃないか。みんな、あんたを信じてる」
「あたしの……自慢のパーティ……だもの…っ……」
「ああ、そうだろう。あたしにとっても大事な客人だよ。娘の仲間なんだから」
明けない夜は来ない。今はまだその途中。
太陽を引きずり出すために自分たちは行くのだから。
「なぁに、すぐ逢えるさ。ジェシカ」
離れたく無いと泣き出す少女を女が諌める。
「御頭、色々とありがとうございます」
「何かあったら呼びな。あたしたちは空をも制する海賊だからね」
自慢のペンダントの代わりに胸で笑うのは大振りの真珠。
売れば数十万ゴールドは下らないだろう。
「ジェシカ、ちゃんと前を見るんだよ」
「うん……おばあちゃんにも逢いに行っても良い?」
腰に輝く二つの剣。
一本は親友から、もう一本は彼女から。
「あたりまえさ、困ったらすぐに呼ぶんだよ」
「うん!!」
左右違う色の瞳が笑う。悪魔と契約をしたら色が変わったと加えて。
「御頭!!出向でさぁ!!」
「あーよ!!今行くさ!!」
外套を靡かせて、タラップを進む後姿。
その姿がだんだんと小さくなっていく。
「……お母様!!必ず、必ず戻ってきます!!」
振り返らずに、女は皺と傷が刻まれた腕を天に突き出す。
握り締めた拳が伝えた言葉。
『あたりまえだろう?ここはお前の家なんだから』と。
ゆっくりと海面から船体が浮かび、上昇して行く。
これが大神官の力だといわんばかりに。
「お母様!!」
一瞬だけ重なった視線が、小さく細まる。
まるで夢のように、船はその姿を消し去った。
氷の海をひたすら泳ぎ、目指すはランシール。
船縁で釣り糸をたらして、大王烏賊を何匹か釣り上げては欠伸を繰り返す男。
「おっさん、烏賊ばっかりは飽きたぜ」
「突撃魚でも釣ってやるか?」
「いや、あんたが釣ってのはもっとでっかい獲物だろ。金色のきれーな魚」
その言葉に、男の眉が少しだけ動いた。
「どっちにしても、ランシールいきゃあわかんだろ?」
「……大したおっさんだ」
「お前よりも長く生きてるもんでねぇ。ほれ、棘棘魚。さっさと捌いてマリネにでもしろ」
それぞれの思惑が、折り重なって光となる。
この世界の掌の中、ただ天を見上げたままで。
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16:38 2005/08/04