◆水玉模様の恋のうた。食べかけのクッキー◆
幾つもの川を交わらせたその源流にテドンという小さな村はある。
「いつになったら着くのかしら…日焼けは女の敵なのよ」
「ホーリィ、地図とって」
一番年少の勇者がこのパーティのリーダー。
理力の杖を先端に立て、魔法力を使って船は進むのである。
もちろん、航路を決めるためにある程度の知識は必要だ。
「テドンの村ってどんなとこなのかしら」
「小さいけれども、民族としての伝統を大事にするところらしいわよ。 アリアハンみたいなところとはまた別な文化ね」
その知識にジェシカは時折驚く。
美貌の僧侶は数多の知識を持って、パーティを導くこともしばしばだ。
けれども、してそれをひけらかすことをしない。
ホーリィには彼女の美学があった。
その姿勢にまだ年若いジェシカは憧れてしまうのだ。
「もうじきね。でも、テドンに着くまでは一つだけ難関がるのよ」
「何?」
「すぐに分かるわ。みんな、準備して」
ジェシカは愛用の剣を構える。自分の身丈ほどもある巨大な剣だ。
父の形見のその一刀は彼女に華を添える。
レンは気だるそうに鉄の爪を。
エースはホーリィと同じように理力の杖を手にした。
戦うならば鮮やかに、華麗に、徹底的に。
それがこの四人のモットーだ。
「来る」
ジェシカが小さく呟く。
見渡す限りのバーサーカーの群れ。
伐っても伐っても次から次へと沸いてくる。
「エース!!あたしの後ろに回って!!レンとジェシカはそのまま続けて!!」
ホーリィが指示を出す。
呪文の詠唱と共に発生する風の刃。
僧侶系呪文としては攻撃力のあるバギマ。
同じように詠唱の終わったエースがその風にメラミの炎をぶつける。
風は炎を帯び、熱風となって魔物の群れを一掃した。
同時に群れの中心に居た魔物をジェシカの剣が刎ねる。
鮮やかに宙を舞いながらレンの鉄の爪が残党を切り散らす。
頭を失った群れは散り散りに逃げるほか無かった。
そしてようやくテドンの辿り着いたのだ。
村の有り様は目を覆うようなものだった。
魔物たちに蹂躙されたのかそこかしこに転がる骨。
食い散らかられたのかその骨ですらばらばらになっていた。
崩れかけたレンガ造りの建物。朽ちかけた子供の玩具。
かつて村だったそこは、荒れ果てて見る影も無い。
「ホーリィ……」
ジェシカが不安げに見つめてくる。
「夜まで待ちましょ。どっちにしても疲れて動けないわ」
そう言ってホーリィは煙草に火をつけた。
方目だけ閉じて小さく笑う唇。
ホーリィがそうするときには、必ず何か裏があるのだ。
レンも草原にごろりと横になる。
「ってわけか。ジェシカ、俺らも少し休もうぜ」
生欠伸を殺して、木陰にも垂れるエース。
その隣に座り込んで、ジェシカも肩を寄せた。
日が沈み、空に星が瞬くころ、状況は一変した。
朽ちたはずの村に明かりが灯ったのだ。
「ど、どういうこと!!??」
「よくあることよ。自分たちが死んだことに気がつかないってのは」
何も無かったかのように村人たちは生活を営んでいる。
ご丁寧に家屋も教会も、何も無かったかのように存在しながら。
辻角では老婆が林檎を売り、その小脇を子供が走り抜けていく。
この村は、夜だけ命が灯るのだ。
「さ、お目当ての人のところにいくわよ」
ホーリィはパーティを率いて村の奥を目指した。
このパーティはそのときに応じてリーダーが変わる。
小さな森を抜けると、行き止まりにあったのは小さな神殿。
招き入れるようにその扉が開いた。
『やっと来てくれた……待ってたの』
そこにいたのは一人の美少女。
腰まで伸びた長い銀髪に血のような赤い眼。
そして白絹のような肌は同性でも魅力を感じられるほどだった。
「あんたがこの村の神官ね」
少女はこくんとうなずく。
神官であるが故の思念の強さが村人たちに死を受け入れさせることを不可としていたのだ。
「何が望みよ」
ホーリィは誰が相手でも物怖じはしない。
それが幽鬼相手であってもだ。
少女はホーリィにこそこそと耳打ちする。
ホーリィはあははと笑って、そんなことならと快諾した。
「ちょっと、レン」
「あんだよ」
「…………………」
「あぁっ!!!俺が!!!!!」
「あんたなら多少多めに吸われても大丈夫だから。エースなんか即死よ、即死。あんた体力あるから大丈夫だって。
さ、後はレンに任せてあたしたちは酒場にでも行きましょ」
ホーリィはジェシカとエースの肩を抱いてそそくさと小屋を後にする。
ドアを閉める間際に投げられるウィンクにレンは閉口した。
給仕の女から地酒を受け取ってホーリィとエースはジョッキを空ける。
名産の果実酒は口当たりもいいが、きつさも相当な一品だ。
「これ、もって帰ろうか。気に入ったわ」
一人ジュースに口を付けてジェシカは小首をかしげる。
「レンは何やってんのかしら」
「お勤めよ。アイツじゃなきゃできないこと」
二杯目に口をつけながらホーリィはあははと笑う。
「まーた嫌な笑い方するね、この女」
「あんたでも良かったんだけどあんただったら即死しそうだったからね。体力と気力のあまってる
ほうがいいかと思ってね」
豪快に二杯目を飲み干す。
とても僧侶とは思えないその姿だが胸には確かに銀の十字架。
じゃらじゃらと揺らして女は強かに笑った。
「あんたは精々ジェシカを大事にしなさい。泣かしたら承知しないわよ」
「へいへい。姉さん怒らすとザキ食らうからなぁ」
「ライデインとどっちがいい?」
小さなコップに口をつけ、銀の髪を揺らしてジェシカはエースをちらりとみる。
「……どっちも嫌に決まってんだろ」
残りを飲み干して、唇を拭う。眩暈に似た感覚に膝が笑うのを感じた。
(やべぇ……回ってきた……)
悟られたくないと思うのは一端の男のプライド。好きな女の前なら殊更格好つけていたい。
帽子のツバを深めにして、表情を隠す。
「酔ってんなら帰りなさいよ。ガキ」
「酔ってなんかいねーよ。姉さんも飲みすぎると身体に響くんじゃないの?」
だん!とジョッキを叩きつけてホーリィが睨みつける。
「じゃあ勝負する?あたしと。ガキには負けないわよ」
「……正直酔ってます……すいません……」
「よろしい。ジェシカ、そいつ連れて先に戻ってて。あたしはもう少しここに居るから」
見送りながらひらひらと手を振る。
注がれた酒に満足気に笑って彼女はそれに唇を当てた。
白い身体は光を浴びて妖しく男を誘う。
神官は穢れなき身体のままで無ければ成らないと定められたもの。
それでも、誰も知らぬまま死に行くのは嫌だと彼女の魂が言うのだ。
それがたとえこの小さな空間を歪ませても。
「本当に死んでんのかよ……お前……」
こくんと、少女は頷く。
「もっと……生きたかったよな……」
つっ……と頬を涙が伝った。
『私、好きで神官になったわけじゃなかったの。ただ、他に誰もいなかったから』
まるで鈴を転がしたような声。
「安心しろ、もう、お前みたいなやつが出ないように俺たちが何とかするから」
『もっと色んなことしたかった。色んなところに行きたかった……』
小さな額にキスをして、レンは少女を宥めた。
まだ十四、五であろう。
祀り上げられた少女は成す術も無くその運命に翻弄された。
唇を落として、ちゅっ…と触れる。
最初は軽く。重ねるごとに深く。
『男の人とキスするの……初めて』
笑う顔。
「ああ、その先のことも教えてやるからよ……」
小さな身体を膝抱きにして、ベッドに優しく下ろす。
覆い被さって、ローブを剥ぎ取って鎖骨を噛んだ。
『どきどきするね……』
「そうだな。最初はみんなそうさ。回数重ねていい女になるらしいぜ」
甘い乳房に噛み付けば、嬌声が上がる。
男の背を抱きながら、少女は嬉しそうに笑った。
『キスって……甘いんだね……』
その声は耳ではなく、直接に脳に響く。
舌先を絡ませて、唇を重ねたままローブを落として。
触れた肌の冷たさは彼女が人間ではないことを語っていた。
「あんた呑み過ぎじゃないの?」
若い男がホーリィの隣に座り込む。
「生きてるからって、 飲みすぎるとこっちくるの早くなるよ」
「分かってるわよ。そんなことくらい」
テーブルにつっぷして、はぁとため息をこぼす。
「酒くらい、おいしく飲みたいのよ。それに……ここはなんか落ち着くのよね。あたしの村にも似てるから」
赤い唇が笑う。
「あんたも僧侶でしょ。神官がいるのみどうしてこの村に?」
銀の十字架は自分が僧侶であると忘れないための戒め。
「たまたま立ち寄ったのさ。そしたら魔物の群れに襲われてこのざまだ」
若き僧侶は同じように少しつりあがった目の端正な顔立ちの青年。
「頼んだぜ。俺たちみたいな奴……救ってくれよ」
「任せなさいよ。いい男の依頼は受けてあげるわ」
『ホーリィ』と名づけられた時から定められた運命。
誰かのためにその優しい力は使いなさいと教えられてきた。
孤児だった自分を育ててくれたのも、小さな村の僧侶だった。
胸のロザリオは形見の品。
「やられっぱなしは嫌よ。腕の一つくらい奪ってやるから」
「頼もしいな。あんたみたいな人がもっと早く来てくれれば……」
これは泡沫。淡い夢。
生きることも死ぬことも奪われたものたちの歪んだ世界。
「楽にしてあげる。もう少しだけ待ちなさい」
青年は笑って彼女のグラスに酒を注いだ。
「飲みなさいよ」
「あんたもな」
青年はポケットから小さな地図を取り出し、彼女に握らせる。
「俺が行きたかったネクロゴンドの地図。役立つだろ?」
「ありがと」
「お礼は?」
悪戯っぽく、頬を指す指。
ちゅ…と唇を当てて女は笑った。
朝焼けは紫の空。
青い顔をしてふらつきながらレンはパーティと合流した。
「痩せたわね」
「ああ、この借りは倍にして返してもらぞ」
指先が額に触れて、ホーリィは小さく呪文を詠唱する。
「これで帳消しね。それより早く案内しなさいよ」
町の明かりは日が昇るにつれて消えて行き、レンは来た道をパーティと共に進んだ。
小さな神殿の奥深く。
牢獄の中で少女は穏やかに笑った。
『ありがとう』
その言葉と共に姿は消え、朽ちた骸が一つ。
腕の中、宝玉を一つ抱えていた。
魔物から必死に守り抜き、彼女はこの牢獄で生き絶えたのだ。
そっと取り出し、それをジェシカに手渡す。
「今度は……幸せになるために生まれてくるのよ……」
祈りの言葉。
ゆっくりと夜が明けていった。
朝日を受けながら船は進む。
「レン、何食べてるの?」
「あ?これか?貰ったんだ。手作りクッキー」
ちりばめられたチョコレートの欠片。噛めばさくりと乾いた感触。
「美味しい〜〜〜〜」
少女は嬉しそうに頬張る。輪になって口にする甘い甘いクッキー。
「好きな人に作りたかったんだってよ。あの子……魔物に蹂躙されて、意思だけが残ってよ……」
ほんの少しだけ焦げたクッキー。
たった一つの願い事。
(天国で幸せになれよ。いい男、わんさか居るだろうし。今すぐじゃなくていいなら俺も……いずれ行くから)
空は快晴。
天使が飛ぶにはもってこいの蒼さだった。
今はまだ無名の僧侶。
彼女が世界に名を響かせる大僧正となるのはまだ先のこと。
無精髭を撫でる男。
伝説の武道の達人と呼ばれるのはもう少しだけ先のことだった。
朝焼けに帆を張って船は進む。
その手に光を掴むために。
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1:50 2004/04/10