◆逆さまのお月様―月光酔夢譚―◆
銀色の髪をなびかせる勇者の手をしっかりと握るのは青年の姿。
「ジェシカ」
振り返らないように、涙を見せないように天を仰ぐ姿。
ここから旅立つ最後の勇気をほしいと。
「ねぇ、エース……あたし、本当に人間なのかしら」
安らぎを求める勇者は、小さな少女であって。
戦うことなど望んではいなかった。
「当たり前だろ」
震える指先が空を掴む。
「どうして、そういえるの?」
痛み始める傷と、戦うことに対しての罪が消えてくる瞬間が重なり合う。
何もかもが寝静まった真夜中過ぎに二人きり、夜空を見上げた。
「あたし、こんな髪の色……世界中を見てきたけれどもいなかったでしょ。
お父さんもお母さんも違う色……どうしてあたしは違うのかなぁ……」
勇者と呼ばれて、退く事のできない道。
それが運命といわれればうなずくしかなかった。
「ちょっと俺と散歩のいこうぜ、ジェシ」
「お散歩?」
「じゃーん♪」
取り出した箒に乗るように促す。
言われるままに後ろに乗り込んで、恋人の腰に抱きつく。
「よっしゃ!!行くぞ!!」
「なんで箒なの?」
「魔法使いは箒って決まってんだろ?しゅっぱぁぁぁああああっっっつ!!」
風を切って月を目指して急旋回。
何度でも君が望むならば手を伸ばして助けましょう。
「すごーい!!エースこんなこともできるんだぁ!!」
自慢げに帽子の鍔を指先で押し上げる。
「当たり前です。俺様を誰だと思ってんですか」
不安など吹き飛ばせるように海面擦れ擦れまで急下降。
水飛沫が月光に溶けてまるで宝石みたいだと笑う。
飛魚とすれ違えばこの世界が息衝いていることがしっかりと判る。
「なぁ、ジェシカ」
「?」
「俺、お前と組んで本当によかった。アリアハンまで行って、本当によかった」
彼は彼女を守るために賢者としての道を選んだ。
脆弱な己に絶望をし、希望を失わなかった女に恋焦がれた。
「エースがね、あたしに声をかけてくれた。俺と組まないかって」
「将来有望な魔道師さまだぜ?ってな」
まだ少しだけ細い背中にぎゅっと抱きついて。
彼の匂いを確かめて涙が出ないようにきつく瞳を閉じる。
大剣を手にして迷うことのない瞳。
それでも絶えず恐怖と不安と戦う。
「みんなと一緒にここまで来たね……」
「これからもずっと一緒だぜ」
守るべき未来を信じて、死すらも恐れぬように振舞う。
死神を殺してどこまでも疾走するように。
「もしも、死んだりすることがあっても俺も一緒だぜ」
「エースは死なないもん」
「じゃあお前も死なねぇよ。何度でも俺が助けましょう。だって俺様、賢者だぜ?」
どこまでも箒に乗って進んでいく。
見上げた月を今度は目指そう。
「んじゃ、急上昇ーーーーーっっ!!」
「きゃああああああああっっ!!」
「お前が俺に出す合図なんて絶対に見逃さないぜ。それがいい男の条件さ」
満月を目指してどこまでもどこまでも。
「んじゃ、ここいらで良いか」
月に映る影は二人だけ。
「なぁに?」
「言いそびれたからさ、言っときたいんだ」
少女の頬を包む少年の手のひら。
重なった視線と、月光から流れる光の音色。
「俺、ジェシのことが好きだ」
当たり前に受けていた好意を言葉にされることの心地良さ。
零れる涙に今度は青年がどぎまぎしてしまう。
「わわわわわ!!泣くな!!」
「だって、だって……」
見つめる証人はこの逆さまのお月様だけ。
手袋にしみ込む涙。ぼろぼろのバトルグローブは、重ねた戦いの日々の記録。
「エース」
首に回された少女の腕。その後ろで指先を組んで。
風に靡くマントと銀色の髪が夢のように景色を彩る。
「あたしも、エースのことが好き」
抱きしめあって確かめる気持ち。不安だらけでも構わないと言ってくれる存在。
彼の前では勇者であろうとなかろうと良いのだから。
ここにいることを決して忘れることがないように。
「こっからもっと行けばアリアハン。反対に行けばランシール」
二人の故郷のちょうど真ん中に射抜いた月。
「やっと出会えた。ジェシカ」
少しずつ近付く唇に瞳を閉じる。
重なり合う暖かさとまるではじめてのキスのように高鳴る鼓動。
「魂が言ったんだ。俺の運命の相手だって」
酒場で出会ったときに感じた奇妙な感情。
慣れない手つきで署名をして、ルイーダに手を引かれて二階へとやってきた少女。
カウンターで一人、時間をつぶしていた彼と。
不安げにうつむく彼女の姿。
「この旅が終わったら、俺……ランシールに帰るよ」
「…………………」
「アリアハンまですぐじゃないけども、俺ならすぐに行ける。だから……その……」
少女の手袋を左だけ外す。
「勇者廃業して、俺の嫁さんになってくれ!!」
唐突なプロポーズに言葉さえ出なくて。
「十七の誕生日に渡したかったんだけども、酔いつぶれちまって……で、渡しそびれて
……ってか、合うかわかんねぇんだけども、一応、俺のもあるわけで……」
飾りも何もない銀色の指輪が二つ。
月の光の下でこの上ないやさしい色合いに輝いた。
もう引き返せない道だとしても、彼と一緒ならばどこまでも行ける。
雄々しく舞い剣と華麗なその魔法を携えて。
「だから、その……」
「お嫁さんにしてくれるの?」
「おう。そんで勇者廃業。んで、変わりに大魔道師さまの嫁!!」
「うんっ!!」
鋼の勇者と呼ばれる少女が見せる会心の笑み。
傷だらけで腫れた指が愛しいとキスをして、指輪をそっと挿す。
「俺にも」
同じように節刳れてひび割れた彼の指に、誓いの指輪を。
「エース・バーツは病める時も健やかなる時も」
どんなときも二人を引き離すことなどできないと暗示をかけて。
「ジェシカ・ヴィンセントを愛することを」
二人で見上げた満月。
「この月に誓います」
隣り合って、肩を抱き寄せればそっと寄り添ってくる。
「あたしも、このお月様に誓います」
誓いのキスを交わして、二人だけの秘密のウエディング。
箒に乗った王子様は、大剣を振り回すお姫様を迎えに来た。
「俺のこと、好き?」
「うん」
「じゃ、人間だろ」
「あ…………」
不安などどこかに吹き飛んでしまって、彼は本当に魔法使いなのだと感じる。
助けてと手を伸ばせば、必ず引き寄せて守ってくれるのだ。
高く振り上げた腕を掴んで自信たっぷりに笑って。
「俺はジェシの髪好きだぜ。どこいても絶対に見つけられる」
「……ん……」
「俺も年取ったら同じ色になるぜ多分」
どこにいても、誰にも間違えることなく見つけ出すことができる。
霹の杖を背負って、彼はいつも自分に手を差し伸べてくれるから。
アリアハン上空、海は世界を包み込む。
この街を旅立って世界を救う術を求める勇者。
街の灯は彼女が守り通す。
「不安になる必要なんかあんのか?俺もそうだし、おっさんや姐さんも仲間だ。
そして……この国のみんなもジェシの仲間だ」
その剣ですべてを断ち切り、未来への道を築くために。
死が二人を別つまで、どんな苦難でも乗り越えて。
君の手を絶対に離すものかと誓った。
「……うんっ……」
「な、ルイーダ……ちょっとだけ寄ってくか?」
こくん、と頷く姿。
初めて出会ったあの場所に。
同じテーブルに座ろう。
相変わらずごった返す店内で二階の一番隅の席。
彼女はそこに一人で座っていた。
カウンターで愚痴をこぼす若い魔道師は、ルイーダに連れられてきた少女に目を向ける。
不安いっぱいのまだ幼さが残る冒険者。
「な、お前も冒険者か?」
「え、うん……十六歳になったから旅に出ることにしたの」
自分の身長ほどの剣を背負い、冒険者が集まる酒場へと。
「もうパーティ決まったのか?」
「ううん。あたしみたいな子供は誰も相手にしてくれないから、ルイーダさんにお願いして
誰か探してもらおうかと思って……」
しかし、彼女の持つ剣はアリアハン王家の紋章が刻まれている。
ただの少女が持つにはあまりにも荷が過ぎる。
「な、どこまで行くんだ?」
「んと、ロマリアまで行って船に乗ろうと思うの。お父さんに追いつけばいいんだけども」
「ロマリアか。俺も行ってもいいぜ」
唐突な言葉に目が瞬く。
「将来有望な大魔道師さまだぜ?どうだ?」
差し出された手を震える手がつかむ。
ぎゅっと握ってくるその小さな手。
「俺エース。お前は?」
「ジェシカ。よろしくね、エースさん」
「エースでいいよ。ジェシ」
飲みなれないアルコールが少しだけ苦くて浮かぶ涙。
咥えタバコの魔道師は笑顔が眩しい。
「俺の仲間がいるんだ。一緒に組むと思うぜ」
この場所からすべて始まった。
あの日、彼が彼女を見つけてしまったように。
手を繋いでまだ冒険など知らない生まれたての勇者と旅立った。
昨日のことのようにありありと思い出せる。
どんなときでもこの手を離さないと誓った。
ぎりぎりのところで触れ合った指を絡ませて引き寄せる。
姫を守る勇者には成れなくても、恋人を護る男には成れた。
魔道師の杖を振りかざし眩いばかりの魔法で前線で勇者を護る異色の賢者。
「おや、珍しいお客だ」
揚巻の髪の女店主は、はるかなる東国の出身。
「久しぶり、ルイーダ」
「こんばんは」
「いつものでいいんでしょ?」
窓の外、月が笑うような夜だから。
「どう?バラモス倒せそう?」
地酒片手にルイーダが笑う。
「ああ。なんてったってこの俺様がいるんだからさ」
「出世払いの付け、払ってもらおうかしら」
傷だらけの身体と、変わっていく瞳の力強さ。
「ゆっくりして行きな。逆さまの月が出てるからあたしの奢りだよ」
ほんの数時間だけ、勇者を休んで。
夜が開けたらまたここから旅立つから。
「よぉ、兄ちゃんたちも冒険者かい?」
「ああ。バラモス倒しに行くんだ。あんたもどうだい?」
「ははは。冗談にしちゃつまんねぇな。ま、気長に仲間は探すんだな」
あのときの剣はもう折れてしまったけれども、心の中の剣は折れることはない。
きっとそれを魂、というのだろう。
「冗談じゃねぇんだな、俺らは」
「ね、あははは」
さぁ、行きましょう。挫けながら立ち止まらずに。
何度でも助けましょう。この腕を伸ばして。
水面に写るさかさまの月の美しさを目印にして。
そのぎりぎりを二人乗りの箒で飛ぼう。
「もういっぱい引っ掛けるか?」
彼女の実家は目の前にあるけれども、一本奧の通りへ入り込む。
絡ませた指先とふらつく足元。
「そろそろ帰ろう。あたし、ルーラ使って……」
言い終わる前に塞がれる唇。
レンガの壁に背中を押し当てられて手首を押さえ込まれる。
「寄り道してこーぜ」
「……うん……」
いつまでもこうして二人で並んでいられるように。
まだ背丈が足りないと嘆く彼と、見上げることはできると笑う彼女。
月も逆さまに笑うように何度もキスを繰り返す。
季節がどれだけ色を変えて過ぎ去っても、彼女だけは永遠に鮮やかで。
「……エース、目の色が不思議な色……」
漆黒だった瞳に混じる深い紫の光。
「ああ、賢者の洗礼の時に変わったのかもな。気になるか?」
どんなときでも君が隣にいてくれるのならば、きっとあの月さえも狙い落とせる。
路地裏で抱きしめあって君の体温を確かめるように。
感じる鼓動を生涯忘れないようにこぼれそうな涙を飲み込む。
強がりでも虚勢でも、君の前で苦しいとは言わないように何度も何度もきつく唇を噛んだ。
「もう、無理しなくたっていいんだぜ。俺がバラモスなんかぶっとばしてやっから」
頼りなかった背中も腕もずいぶんと立派になった。
無精髭すらも薄っすらで威厳がないと落ち込むことも無くなった。
形だけにとらわれることなく、この両足で共に進んできた。
「もう一人じゃないんだ。俺がいる」
両手を伸ばしてぎゅっと抱きしめて。
「これからも、ずっとずっと一緒にいる」
「うんっ!!」
「だから泣くのも我慢しなくたっていいんだぜ」
初めて君の胸で泣ける喜びを知ったのはいつだろう?
「大丈夫。俺様がついてる」
恋の矢は二人を射抜き、どこまでも落下させていく。
螺旋階段を高速で降りていくように、どこまでもどこまでも。
落ちた先でも君が居るのならば何も苦しくなど無いから。
「な、お姫様」
シンデレラは大剣を持って大地を蹴る。ドレスの裾を翻して、ガラスの靴を気にしながら。
満月を背にしてときに雄々しく凛々しく立ち向かうなら。
「だったらエースが王子様だよね」
マントを翻し、いつだって軽やかに宙を舞う姿。
銜え煙草で片目を閉じて箒を駆って駆けつけてくれる。
「あったりまえだろ?」
高く手を振り上げて、高みを目指して昇るように。
「あー……酔っ払っていい気分♪」
いつも彼は彼女の手を引く。どこまでもどこまでも。
「もう一軒回って呑みてぇ」
「あたしもお酒のみたいなぁ」
「呑もうぜ。今夜くらいいーんじゃねぇの?」
宵闇酔い良い道行は幸せ。
月光水面に写るは逆さま。
なれども思うは恋人(きみ)のことを。
今宵満月酔夢譚。
0:04 2008/05/13