◆コーラルリーフ◆
この日はいつもと同じ日だった。
けれども、私にとってそれは特別な一日だった。
この夜は私の十五歳の最後の夜。
明日は、ここを出て旅に出るのだから。
銀の髪は、この地には本来存在しない。
父は、よく冗談で母に浮気をしただろうと言い寄ってはあしらわれていた。
事実、私のこの髪の色は一族の誰にも存在しては居ないから。
母が浮気をしたという記憶は、私には無い。
むしろ、飛び出した父を心配して、毎日礼拝堂に通いつめる姿が目に焼きついている。
勇者と言われても、母にとっては最愛の男だ。
私にとっても自慢の父親だった。
祖父にとっても自慢の息子だろう。
剣を持って飛び交う姿はこうありたい、と願わずには居られないほど鮮やかで。
それでいて、たまに見せる笑顔はどこか滑稽。
母も、おそらくその二面性に恋したのだろう。
私も、父のような男を恋人に選ぶような気がしてならない。
訃報、というのは本当に唐突にやってくる。
父と共に、旅立った兵士が帰還したのだ。
父は、火口付近で戦闘の際に、溶岩の中に飲み込まれたらしい。
嘘だ、と母が呟いた。
そんなはずはない、と。
私も耳を疑った。
父は、最強の男だったからだ。
国はにわかに色めき立った。
父の敵討ちだと、剣士も魔道師もこぞって飛び出していった。
そして、何人がかえってこれただろう。
今まで父がここに戻ってこれたのは、父だからであったこそ。
誰彼もがそうできるはずも無かったのだ。
私は、剣をとることを選んだ。
幸いにして城の兵士たちが稽古をつけてくれた。
祖父も優秀な魔道師として、青年期は世界中を飛び回っていたらしい。
母も、一線で戦ってきた祈祷師だった。
私は確かに、父と母の子だった。
剣も魔術も、どちらもこの手に宿すことができたからだ。
左手には父の剣を。
右手には母の祈りを。
私もこの土地を出ていくのだ。
父の後を追うために。
「大きくなったわね、お父さんに似てきたみたい」
少女の髪を梳きながら、女はそう呟いた。
櫛を通る鮮やかな銀髪。
「そお?みんな、あたしは誰にも似てないって言うの」
「そんなこと無いわよ。お父さんに似てる。特に、目が」
「本当?なんか嬉しい」
「明日の準備はちゃんとした?ジェシカ」
革の鞄を指差して、少女は小さく頷く。
十六歳の誕生日、彼女は旅立つのだ。
「お母さん、あたし……お父さんをきっと連れて帰るからね」
母も子も、男が死んだなどとは信じてもいなかった。
その程度の男を愛し、子を生んだ覚えはないと女は言い切ったのだ。
「あの人、どこまでも心配かけるのが好きなんだから。ジェシ。捕まえたら
何か買ってもらいなさいね。お母さんは……そうね、理力の杖がいいわ。
そうしたら……お父さんと、ジェシと三人で旅に出れるわね」
「うん……必ず一緒に帰ってくるよ」
その運命を守るように、ティアラを女は少女にと被せる。
中央には少女の誕生石の藍玉。
男が、遥かなる地より持ち帰ったものだった。
「お母さん」
「何?」
その腕の中に飛び込んで、少女は瞳を閉じる。
これが今生の別れではないと知っていても。
再び、会えるとわかっていても。
守られるだけだった聖域を離れて、一人で歩くのだから。
「大好き……今までありがとう……」
「……馬鹿ね……永遠のお別れじゃないのよ……」
それでも、涙が止まらない。
「ここは、あなたの家なのよ。世界中が敵になっても……お父さんとお母さんは
ジェシカの味方よ……あなたは一生、私たちの子供なんだから……」
「うん……お母さん……」
今日が最後の夜。
幼年期を終えて、少女は一人旅立つのだ。
両手に父母の想いを抱いて。
あれからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。
私は今、仲間と世界中を飛び回っている。
「お姉ちゃん、ポパカマズさんに似てるね」
少年がくれた水鉄砲。
それは、確かに父の作ったものだった。
少し癖のある結び目と、竹の合わせ。
私も、よくねだった物だ。
「そう?よく言われるのよ。ありがと」
「僕もおっきくなったら、冒険するんだ!!」
そうね。きっと、素敵な日々になるよ。
でも、一人旅よりも誰かと一緒の旅のほうがきっと楽しい。
「ジェシ、水鉄砲?」
「うん。小さいころ、お父さんがよく作ってくれたの。見て」
今。
私の隣に立つ恋人はお世辞にも父に似ているとは言えない。
体力的にみれば、私のほうが余程腕力はあるだろう。
「へえ。これちょっと改良すればなんかの役に立つかもな」
けれど、私を守り盾となることもあれば。
魔法で援護してくれることもある、優しい男だ。
どこか、間の抜けたところもあるけれども私には丁度良い様な気がしている。
父が、私の仲間(パーティー)を見たらどう思うだろう。
かつて、母を引き連れたころの事を思い出してくれるだろうか。
「親父さん、まだそう遠くにゃいってねぇな」
「そうね。貰うもの貰ったし、さっさと引き上げようか」
気のいい仲間と過ごす日々は、毎日が宝物。
きっと、父も私の自慢のパーティーには目を細めるだろう。
「エース」
「んあ?」
「お父さんにあったらね、ちゃんとエースのことを紹介してもいい?」
「いっ!?非力な魔道師がオルテガの娘に手ぇだしたなんて知れたら、
鉄の斧で頭、割られんじゃねーか?」
「そんなことないよ。あたしの一番好きな人だよって、お父さんに教えたいの」
「……ん……」
この手を離さないように。
何時までも、何時までも一緒に居られるように。
「それは、俺がオルテガさんに言わなきゃなんねーんだ。おたくの一人娘に世界一
惚れた男です。認めてくださいって」
この先、どれだけ一緒の時間を重ねられるかはわからない。
それでも、可能ならば父と母のように二人で老いを重ねて行きたい。
「お父さん、どんな感じだろうな」
「あたしに似てるよ。お母さんも、あたしはお父さんに似てるって言ってた」
「そりゃ、そうとうなお父さんだな」
「ひどいなぁ、とっても優しいお父さんだよ」
ネクロゴンドの火口の付近。
ガイアの剣を投げ入れて、天に祈る。
(お父さん……すぐに行くから……)
私の手をぎゅっと握ってくれる彼は。
魔法の帽子を目深に被る。
「大丈夫よ、ジェシカ。すぐにお父さんに会えるわ」
理力の杖をかざして、方目を瞑る女僧侶。
「お前の親父さんだろ?そう簡単にゃ、死なねぇさ」
トロルの群れを一掃した山の上で、煙草を吸う武闘家。
みんな、私の宝物だ。
「うん…………」
風よ、空よ、海よ、大地よ、そして……母なる精霊よ。
私たちの行く道に、光を。
「ジェシカ、もう寝た?」
「ううん。何だか、眠れなくて……」
寝ずの番を担当していたホーリィが、隣に座る。
「馬鹿二匹は、爆睡中」
「あははは。どこでも寝れるもんね、エースもレンも」
硝子瓶の蓋を開けて、しずかにジェシカに握らせて。
首を傾げる彼女の頭をそっと撫でる。
「飲みなさい。心配なんでしょう?お父さんのことが」
不安なのは、誰も同じ。
まして彼女はまだ、幼いのだから。
「この先、無事で進める保障なんて何一つ無いけど、一個だけ確かなことがあるのよ」
煙草に火を点けて、ホーリィはくすくすと笑う。
素顔の彼女は穏やかで、頭上の月のようにも思えた。
「何だと思う?」
その問いに、小さく横に振れる首。
「あたしたちが仲間だってコトよ。この先もずっと、ジェシカは一人にはならない」
「……うん……っ……」
ぼろぼろとこぼれる涙。
声を殺して泣く少女を、女はあやすように抱きしめる。
「よしよし、いっぱい泣いて、イイオンナになりなさい。エースがヤキモキするくらいに」
「うん」
道を失いそうになっても。
不安に駆られることが在っても。
運命に押しつぶされそうになっても。
決して、一人じゃないということ。
誇れる仲間が居て、共に進むことが出来る。
「ありがと……ホーリィ、大好き……」
「あたしたち、何があっても仲間よ。レンも、エースも」
「……うん……ずっと、ずっと、一緒に居ようね……」
時には自らが先頭に立って、魔物を切りつけて行く女僧侶。
神に背いても、己の信念を通す女。
「ねーちゃん、何やってんの?」
「お子様、寝癖で頭爆発してるわよ」
「んぁ?あー……ジェシ?」
寝惚けたままの恋人の手を取って。
「エース、寝てて良いよ」
「あー……お前起きてんだろ?俺も起きるわ。少し寝たほうが良いぞ」
眠れない夜は今宵限り。
「んじゃ、俺も起きるかぁ。お前代わりに寝ろ」
ホーリィの頭に手を置いて、レンが欠伸を噛み殺す。
「あんたはちゃんと寝なさい。いい?あんたが戦闘の主力なの」
「おう……んじゃ、ここで寝るわぁ」
女の膝に頭を乗せて、男は再び目を閉じる。
「寝つき良いのよ、この男。異常なくらい」
「おっさん、立ったままでも寝れんもんなー。船縁で居眠りして海に落ちたし」
重なる二本の杖。そして、美しい長剣。
「大王烏賊にいつかしめられるような気がしてなんねーよ」
「あははは。でも、レンなら烏賊、食べちゃいそう」
「腹、壊すって」
溢れだす光の粒が朝を迎えに行くけれども、まだその声は遥か遠く。
「ジェシ、少し寝ろ。俺が起きてるから」
「うん…………」
青年の肩にもたれて、少女は瞳を閉じる。
程なくして聞こえてくる寝息に、女は目を細めた。
「ねーさん」
「何?」
「俺、賢者として何が出来るんだろう」
彼が見つけた一筋の光。
「俺、ジェシを守れるくらい、強くなりてぇんだ」
それは、傍らで眠る少女。
「なれるわよ。あんたならね。あたしも、こいつも、このままじゃ終わんない」
歌い継がれる物語。
まだその終わりは果てなく遠い。
「賢者っていうのはね、俗称よ。あんたは今でも魔道士」
「んー……そんな気はする」
「でもね、その魔法が広がるの。魔法ってのは本来、何かを壊したりするものじゃない。
仲間を守るためのものなの。無数の知識を待つことの出来るもの。それが賢者よ」
咥え煙草でも、女の表情は柔らかで優しい。
「好きって気持は、それだけで強くなれるのよ。覚えておきなさい」
傷を負うことを恐れない僧侶。
そして、戦うことを楽しむかのように舞う武闘家。
向かうところ、敵無しの二人。
「姐さんも、おっさんのコト好き?」
「嫌いじゃないわね。馬鹿な男とは相性がいいのよ、あたし」
女は時々、遠くを見つめる。
その傍らに、男は自然に居るのだ。
それが、当たり前のように。
「あんたも寝なさい。子供は寝る時間よ」
「へいへい」
流れ星が一筋。
煌きながら、空で溶けた。
過ぎ行く季節の真ん中で。
ただ、その背中を見つめながら走り続けてきた。
この若葉のように、しなやかに女への階段を上る少女の姿。
いずれ来る運命の日を迎えるために。
それは小さな約束。
譲り葉一枚。
この手のひらに、そっと握った。
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0:25 2005/02/11