◆Espoir―episode2―◆





一本道を少女は進む。一人きりでこうして歩くのは久しぶりのこと。
漆喰が所々剥がれた壁と、湿った空気。
ハンターフライを斬りつけながら少女はため息をついた。
(お父さん……今どこにいるのかなぁ……)
そして気がかりなのは仲間のこと。
自分と同じようにこの回廊をずっと進んでいるのだ。
「変な壁……まるで人の顔みたい」
ランタンの暖かさは恋人に似ている。
どんなときでも必ず隣にいてくれる彼に。
(エースはどっちにいったのかな……早くここを出て逢いたいな……)
お揃いのペンダントにキスをして少女は足を進めた。
勇者と歌われる少女と駆け出しの賢者。二人はどこか似ていないようでその本質は同じだった。
『引き返したほうが良いぞ』
耳の奥に響く声に少女は足を止めた。
きょろきょろと辺りを見回しても陰すら存在しない。
『引き返したほうが良いぞ』
「あなただぁれ?」
銀の髪を静かに揺らして、ジェシカは振り返る。
『お前は何のために戦う?お前の力などで世界は変わらないだろう?』
この世界は小さな林檎。船で進めば振り出しに戻ってしまう。
それは人間の営みにも似ていて時折物悲しくもなってしまうけれども。
「そうねー。変わらないかもしれないわね」
この手の力は小さいけれども、誰かを温める何かを紡げるかもしれない。
糸は一本だけではなく、二つが絡まりあって織り成す布地。
「でも、あたしにはエースもいるの。レンもホーリィもいる。たくさんお友達もいるのよ」
小さな手が無数に集まれば、それは世界をも動かすことができる。
深い闇に飲み込まれそうなこの世界で自分たちは出会ったのだから。
「何のためなんて知らないわ。あたしはみんなが笑えるようにがんばるだけだもん」
一人分の幸せを分け合うこと。
それは半分になることではなく、暖かさを共有しあう喜びだと知った。
あの日、あの場所で君に出会ったことはきっと運命でも偶然でもない。
「おじさんが誰なのかあたしにはわからないけれども」
振り返ることなく、少女は前を見つめる。
「おじさんも笑ってくれるように、あたし戦うね」
ブーツのかかとを鳴らしながら、少女は気高き白い羽でどこまでも飛ぶ。
運命の足音など無視をして、自分の足で歩くために。





「俺に何が聞きてぇんだ?化け物どもが」
魔物の山に足を掛けて、男は煙草に火をつけた。
隆起した筋肉と精悍な身体つき。武器を使わずに己の腕だけで戦う男。
『お前は何のために戦うのだ?』
島を飛び出したのはほんの気まぐれだった。
この世界のすべてを覗きながら、己の腕がどこまでのものなのかを知りたいと願った。
そして知った真実は、命の暖かさだった。
甘ったれた子供だと思っていた二人は恋を知って、個人となった。
「俺の戦う理由だぁ?んなのはねぇなぁ」
退屈な毎日を打破するために船に乗り込んだ。
たどり着いた酒場で出会った女の瞳の色に心がざわめいた。
憂いと殺意を併せ持つ僧侶など本来は存在しない。
すべてのものに慈悲を持つのが僧侶なのだから。
「俺は世界を知りてぇだけだ。仲間の供養しながらな」
命は生まれていずれは大地へと還っていく。
『世界のすべてだと?』
この世界の真実はただひとつだけ。青い瞳に隠された小さな悲しみ。
女一人守れない男など意味は無いと彼は呟いた。
「ああ。たった一人…………寂しい女のことだ」
ただ一人、過去に縛られたまま。彼女は静かに唇をかみ締める。
「俺はそいつを自由にしてぇだけさ。あとは適当に生きていきゃあなんとかなるだろ」
強さは力だけではないと知ったあの日。
彼女の儚げな横顔を忘れることなどできない。
誰かを守りたいと思うこの気持ちが彼を変えてしまった。
この手は戦うためではなく、誰かを愛するための手なのだから。




指先を髪に通して女はため息をついた。
「アタシが戦う理由?ずいぶんな物好きね」
銜え煙草の神官の憂鬱はそのまま蝶となる。
石像たちの問いに答えながら、からら…とブーツを鳴らして進むだけ。
『お前は汚れた神官だからな』
「…………………………」
自分が穢れていることは知っている。それでも『汚れている』と思ったことなどない。
清浄なる者から最もかけ離れたところにいるのがきっと自分だろう。
「ここは神官たちの墓場だったわね……師匠から聞いてるわ。ランシールは最もアタシたちに
 とって残酷で清浄なる場所だって」
地球の臍はの心の闇を映し出す。
それは神に遣える者とて例外ではない。
『お前が求める答えを、あの娘は持っている』
大勇者と言われる男の娘は、世界に愛される存在となった。
その傍らに立つ青年も近い未来にその名を知らない者はないほどの賢者となるだろう。
「知ってるわ。だからアタシはここまで来た……あの国を救うために」
祖国は今や魔物の支配する国。数え切れない仲間たちがその地に倒れていった。
生き延びてしまったことと悔やんでも仕方がないこと。
そう思いながら今日の日まで生きてきた。
『国を救う?お前の力でそれができるのか?見殺しを選んだ女が』
「違う!!我らサマンオサの民は見殺しなど選ばぬ!!多少の犠牲は仕方がないことだ!!」
それは普段の彼女からは想像すらできない声だった。
どんなときでも人生を達観したかのような眼差し。
心の扉には幾重にも鎖を重ねた。誰も触れることができないように。
『あのジパングの男は傷を受け入れてここに来た。お前のように逃げずに』
「命があればこそ、ここにいる!!それの何が悪い!!」
仲間たちの犠牲があったからこそ、ここに存在することのできる命。
はじめから答えなど決まっていたのだ。
力ある仲間とともに祖国奪還のために戻る、と。
「アタシは一人で国に帰るわ……これ以上あの子達を騙せない……」
ただ、こぼれる涙をそのままにすることしかできずに。
彼女の決意はそのまま太古の石版だけが受け止めた。
『祖国に戻ればお前は殺される。魔物の王に』
「わかってるわ。そんなことくらいね……」
もともと存在しないはずだったこの命。
ここまで生きながらえて来た。
「アタシは死人よ……死人の国に帰らなきゃ……」
耳の奥で聞こえる革命の歌と悲鳴。
あの日から見る夢の色はすべて腐った赤だった。




見つけてしまった秘密はあまりにも大きくて、青年はそっと耳をふさいだ。
「親父……お袋……兄貴はサマンオサで何があったんだ……?」
数多の星の加護を受けた神官たちの命を飲み込んだ呪われた王国。
彼の首は高々と革命の旗の先に掲げられた。
「あの国はいまや魔物の国……外からは決して入れない……」
「けど!!姐さんは……っっ!!」
息子の肩に手を置き、父は静かに首を振った。
「亡者のみが入れる国。それがサマンオサ……」
彼女を一人見送ることだけが、今の自分たちにできること。
そう悟るまでには時間など必要なかった。
何のための仲間なのか。何のためにここまできたのか。
彼女の心を知れば知るほどに、止める言葉が遠のいて行った。
「俺…………っっ!!」
「お前はあの子と後を追いなさい。冥府の門が開いたならば、その隙を私たちが広げてあげる。
 そうすればお前たちもあの国にいけるはずよ」
息子の骨の一欠けら。それだけでかまわなかった。
「エース、お前は必ず生きて帰ってくるのよ。ジェシカちゃんと蓮と一緒に」
頭上に掛かる月は、もの悲しいほどの赤。
全て飲み込んで身ごもるための女の色。




それぞれが思いを抱いて戻ってくるころ、彼も何食わぬ顔でその輪に加わった。
知らない振りをすることもまた優しさなのだと。
疲れた顔をする恋人の肩を抱いてそっと額に小さなキスを。
くすぐったそうに閉じられる瞳と、上着をぎゅっとつかむ指先を愛しいと思った。
「ジェシ、疲れたろ?早めに寝ようぜ」
あとは彼に任せれば良い。おそらく彼のほうが自分よりも彼女を理解している。
決められた道を歩くのも外れるのも彼女の意思に他ならない。
あとはただ……信じるだけ。
彼女の心を。
彼女の真実を。





「どこに行くんだ?」
紫煙を燻らせながら男は星空を仰いだ。
「故郷(くに)に帰るのよ。ここからだったらすぐだからね」
その瞳には曇りなど無く、まっすぐに前だけを見る光。
戸惑い無く進むものの瞳の色だった。
潮風を受けて靡く髪の神々しさ。その美しさにただ見とれた。
穏やか過ぎるその笑みに、彼女に意思を死を感じるように。
「どうしても行くんだろ?」
「うん……そのためにここまで来たから……」
重なり合う視線の先に見えた未来を消さないために。
「俺も行ってやるよ。俺の故郷(くに)でお前は俺の傍にいてくれたからな」
指先を絡ませた。
「あんたはここに居て。あの子達を……もっともっと違う世界に連れて行って」
「あいつらはお前が居なきゃいかねぇって聞かねぇだろうな」
砂の上、静かに零れ落ちる涙。
「……ごめんなさい……でも、もう行かなきゃ」
仰ぎ見た空に浮かぶガレオン船。
彼女を包む光をどうやって消せただろうか。
「あたしもあの国を愛してる。みんなを愛してるように」
「……クソッタレが……すぐにガキ連れて追いかけてやる!!」





名も無き花は美しい。
その色が悲しいほどに。





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