◆竜神◆
其処は天然の迷宮。
溶岩で構築された熱魔宮。
「エース、髪……」
漆黒を纏ったようだったそれは、どこか紫掛かった黒に。
光の当たり方によっては黒緑にも。
「あー……変か?」
少女の手にしっかりと指を絡めて、青年は前へと進む。
「変じゃないよ。カッコイイ」
白銀の髪とまるで対を成すかのように。
より鮮やかな闇色に変化を遂げた。
過酷な七日間は肉体的にも精神的にも彼を成長させた。
「まぁ、マシな見てくれだな」
「顔がガキのままだからねぇ」
後ろの二人組みはいつものことだと、欠伸を噛み殺す。
それぞれの武器を持って、同時に煙草に火を点けた。
「さぁ、行きましょう。お子様二人は後ろを守って。あたしたちが前に出るから」
黄金の爪を呑気に構えて、降るように襲い掛かる腐った死体を切り捨てていく。
青年が強くなったように、男もまた、強くなった。
己の体を武器として生きる。
それが『武闘家』なる者。
金髪を鮮やかに靡かせて、汗一つ零さずに女は溶岩から生まれ来る魔物を打ち砕く。
世間一般の僧侶は、ここまで攻撃の前線に出ることはない。
しかし、彼女は違う。
傷を負うことを躊躇わず、時には自分の体を盾にする。
僧侶と言う枠ではなく『神官』に近い存在を持ち、光の加護を受ける姿。
「エース危ないよー」
豪傑熊を素手で殴り飛ばし、少女は背中の剣を抜く。
自分の身丈ほどのそれを振り回し、華麗に宙を舞う姿。
どれだけ見ても、飽きることのない剣舞。
(俺だけが、強くなったわけじゃねぇってことか)
だからこそ、離れられない。
唯一無二の仲間(パーティー)だから。
ざわつく熱気を押さえ込んで、ホーリィは一行を止める。
「祭壇だわ」
ブーツの踵を鳴らして、大理石の祭壇へと近付く。
「おい……待て。俺が行く」
「平気よ」
「血の匂いがすんだよなぁ……それと、化け物の匂いもな。俺、鼻が利くからよ」
金色の爪が、闇を引き裂く。
ぱきん、と金属を割ったような音とこぼれる水銀。
「メタルスライム……強い魔物のそばに群れるのよ。こいつら」
「あん?そうなのか?」
「そうよ」
欠伸を噛み殺して、レンは目を凝らす。
「おー……群れてる群れてる。餌、ばら撒いたかぁ?」
台座に乗せられた青葉に落ちる何か。
それが蛇だと分かるまでに双時間は要しなかった。
「蛇も竜も変わりはねぇ……どっちも女神さ」
「そうかぇ?ぬしらも酔狂じゃ……」
その闇に溶けそうな長く伸びた髪と。
相反するような雪白の肌。
切れ長の瞳の目尻と唇には鮮やかな血色。
「あなたが、ヒミコ?」
「ほう……銀髪の女子か。これは珍しい」
扇で口元を覆い、女は前に歩み出る。
くびれた腰と、豊満な乳房。
男ならば生唾ものの肉体だ。
「柔らかそうな肉ぞ……さぞかし美味かろうて……」
すい、と伸びた手を青年のそれがはたく。
「美味かったぜー。柔らかくってな。先に味見させてもらったぜ」
「賢人の血も、さぞかし美味じゃろうのう」
その瞳は竜蛇のそれ。
獲物を品定めするように、二人を捕らえる。
(……ジェシ……?)
震える指先が、ぎゅっと絡まる。
まるで、何かを振り切るように。
「あたし、お母さんが大好き。あの子も、あなたのことが大好きよ」
「ほほほ。あれは、わしの次の身体じゃ。この身体ももう、朽ちそうじゃ。
女子を喰ろうても、喰ろうても、腐ってきおる」
指先から腐食は始まり、それを止めるために得てきた処女の生き血。
「年増は肉が硬くて喰えぬ」
「そう?残念ね」
「女は熟女の方が、俺ぁ好きだがねぇ……まぁ、あんま熟れ過ぎなのはくえねぇが」
理力の杖と黄金の爪が、女の喉元で交差する。
「伝言だ。受けた御恩は生涯忘れねぇって。良い娘だ」
「ほほほ……わしを戦うかえ?哀れな子供じゃのう……」
笑い声はゆっくりと薄れ、女の髪が風に揺れる。
肌に浮かぶ鱗。
光に包まれて現れたのは、八つの首を持つ魔物。
ジパングの主、竜神八又の大蛇だった。
あたり一面を焼け野が原に変え、大蛇は八つの首で攻撃を仕掛けてくる。
「単純計算で一人二個だね、エース」
火炎をかわしながら、ジェシカは賢者の隣に立つ。
「援護して」
「なんでお前、そんなに冷静なんだよっ」
氷の壁を張りながら、エースは恋人の顔を見つめた。
「あせってもしょうがないもん」
「……ちっ!!分かった。任せろ!!」
ヒャダインの変形の氷の矢が大蛇の首もと目掛けて一斉に降る。
それを溶かすために三つ、首が集まってきた。
「!!」
一つを裂いたのは黄金に輝く爪。
一つを打ち砕いたのは、光の刃。
「ありがと、エース」
長剣を振りかざして、ジェシカが三つ目の首を切り落とす。
「残り五つ!!援護頼むわよ!!坊や!!」
「がきんちょ、防護壁よろしくなー」
竜神の悲鳴などものともせずに、三人は鮮やかに飛び回る。
「ちっきしょ……俺だって!!」
氷の鎖で大蛇の本体を締め上げる。
使える魔法もその応用も、ずいぶんと利くようになった。
今までには思いつかなかったような考え、理論。
それが、『賢者』と字されるもの。
(そっか……こんなことも出来るってわけかよ……)
右手に神経を集中させて、魔法力を込める。
「行け!!」
吐き出された炎を相殺するように生まれたのは氷の竜。
「あ!!良いもの見つけたっ!!」
「お、おガキさまにしちゃあ粋なものを」
「あら、良い足場」
そこを足場に、三人は次々に首を切り落として行く。
立ち込める腐臭と血臭に目を顰めながらも、少女の剣が最後の一首を切り裂いた。
耳を劈くような女の声。
よろめく本体を、レンの持つ黄金の爪が引き裂く。
土煙をあげながら、大蛇は倒れた。
「痛ぁーい……」
「馬鹿、火傷してっだろ!!」
掌から生まれる暖かな光が、傷口を照らし出す。
「あったかーい……」
「そそっかしいんだよ、ジェシは……」
一仕事終えたと、女は煙草に火を点ける。
「運動の後の一本は美味しいわ」
「お?俺にもくれや」
「待ってね」
吸いさしを咥えさせて、ホーリィは背後の影を杖で一突きした。
『な……ぜ……』
見開かれた双眼が、女の視線と重なる。
「人の男に手を出すときはね、気付かれないようにするものよ。気配も殺せないようじゃ
渡せないわね」
『…っが……ァ!!!!!!』
ぼたぼたとこぼれる赤黒い体液が、砂へと沈んで行く。
男はその首を、躊躇せずに切り落とした。
「言ったろ?熟れ過ぎはくえねぇって」
首を失っても尚、前に進もうとする身体。
動きを止めたのは男の一撃だった。
「そう……母上は……」
項垂れる少女の手を、そっと握る小さな手。
「そう悲しんでもいられぬな……妾はこの国を守らねば……」
「ヒミコ」
小さく振られる首。
「イヨ。それが妾の名前だ。ジェシカ」
侍従が差し出す包みを、そっと手渡す。
「ジパングの宝だ。これを……」
宝珠を受け取って、イヨの身体を抱きしめる。
「全部終わったら、遊びに来るね。そしたら、一緒に海を渡ろう。あたしの生まれた国にも
連れて行きたいの」
「楽しそう……」
「北の方には雪で出来た国もあるよ。西の海の魚はすごく綺麗。イヨもきっと気に入る」
「うん……」
「あたしたち、ずっと友達だよ」
「……ありがとう……ジェシカ……」
悲しみを取り込んで、少女は女へと進化する。
その美しさは、何者も敵わない。
「イヨ」
「……レン……」
「お前の母親殺したのは、俺だ。俺が最後に決めた」
「………………………」
ぼろぼろとこぼれる涙。
けれども、今度はその涙を払う指は無い。
「ここは、ネグロゴンドに行くにも場所が良い。今に、他の旅人も来るわな」
「そう……」
「猫みたいな顔した盗賊が、そのうちここに来ると思うんだけどな。お前に年もちけぇし、
何よりもそこそこ優しい男だ。ちょっと頭たりねぇところもあるけどな」
この人は、行ってしまうのだ。
自分の知らない世界へと。
「カンダタって言う男よ。いずれ、此処にきたら良くしてやって」
「……はい……」
これが現実。
生きていくために、今度は自分の足で大地を踏みしめなければならない。
「イヨ。これあげる」
それは、小さな赤い宝石。
ジパングでは見ることのない、紅玉だった。
「見て、お揃い」
鎖を引き出すと、ペンダントトップに飾られた同じそれ。
「あたしと、イヨ。ずっと、友達だよ」
「妾も……あれをもって来てくれ」
差し出された一振りの剣。
うっすらと光を放つ剣を、少女は友の手に握らせた。
「草薙の剣と言う。妾が生まれた時に抱いていたと、母上が仰っていた」
「あたしに……?」
「嘆いてもどうにもならぬのだな……妾もやるべきことがある。それが終わったら……
ジェシカ、おぬしの後を追いかけるよ。それまで、預かっていて」
「うん。大事にする!!」
初恋は、実らぬもの。
故に美しい思い出になる。
「レン」
「ん?」
「母上の痛み!!」
ぺちん、と頬を打つ手。
例え竜神でも、彼女にはたった一人の母親だった。
割り切れるまでには、もう少しだけ時間が必要。
「あはははは。また……ここに来てくれるか?」
「そーだな。気が向けば」
「もう少し、妾が……大人になったなら……そのときは……」
くしゃ、と頭を撫でる手。
「そん時ゃ、美味しくいただかせてもらうわ」
流れる時間のこの穏やかさ。
それは、東の果てで語り継がれる小さな物語。
揺れる波間に、船を浮かべて。
小窓に映る星を眺める。
「ちょっといいかぁ?」
「構わないわよ」
ベッドに腰を下ろして、男は女の手を取った。
「さっきの科白、本気か?」
「何よ」
「人の男に手を出すならってやつよ」
意地の悪い笑みに、女はため息を付いた。
「どーだか」
「け、素直じゃねぇな。相変わらず」
解かれた黒髪に、女の手が触れる。
すい、と指を滑らせて、くすくすと笑った。
「行こうぜ」
「?」
「サマンオサって国にな。今度は俺がお前の力になる番だ」
祖国は、今や闇の国。
何一つ、情報は伝わってこなくなっていた。
「……そうね……」
「ばーっと行って、ばーっと片付けりゃ良いだけの話だ。そう悩むな、皺が増えるぞ」
「馬鹿!!」
「ああ。その顔だよ。お前は」
痛む胸を押さえて、重い足を引きずりながら前へ進む。
この呵責から逃れるためにも、向かうべき祖国。
因縁の鎖を断ち切るために。
自分自身との決着を、付けるために。
「さてと、そろそろ寝るか」
そのまま身体を横たえて、女の手を引き寄せる。
「お前も寝ろ。あとは考えんな」
「うん……」
時々、消えそうな光を灯すその瞳。
強さの裏側に隠された秘密。
両手を伸ばして、その身体を抱きしめる。
「安心しろ。俺は弱かねぇ……お前一人守るくれぇ出来るんだ」
「…………………」
「信じろ。俺だけはお前を裏切りはしねぇよ」
ルイーダの酒場にたどり着くまでに、どれだけの別れを経験しただろう。
高僧はそれだけで必要とされ、途中で切り捨てられる。
ましてや女ならばその価値は倍になり、商品として取引されることもしばしばだ。
「お前も俺を裏切らねぇだろ」
「そうね……」
そっと触れる唇。
ちゅ…と、音を立てて離れる。
「あたしの手を、離さないでいてくれる?」
「ああ」
「あの国は、人の心を狂わせる。あたしが正気じゃなくなっても、それでも、離さないで
いられる…………?」
耳から離れることの無い悲鳴と、手に染み付いた赤黒い血。
「離さねぇ」
「その言葉、信じるわよ」
航路は東へ。
目指すは祖国、偉大なるサマンオサ。
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0:28 2005/02/13