◆竜神―弐―◆






エースとジェシカを加えて、四人はジパングへと降り立つ。
不穏な空気に首をかしげて、ジェシカはエースの外套の裾を掴む。
「ね、ここ……怖いね」
見慣れぬ鳥居を潜って、四人はその奥の神殿を目指す。
このジパングを統治するのは女王ヒミコ。
世襲制であるために、現在の「ヒミコ」の名を持つのはまた違った女らしい。
『異邦人がたずねてきている』と伝えてもらい、一向は神殿へと招かれたのだ。
薄明かりの灯る回廊を抜けて通されたのは謁見の間。
侍女たちを従えて、薄絹越しにヒミコは四人を見つめた。
「顔を」
その声に思わず顔を上げてしまう。
想像していたよりも、ずっと幼い声だったからだ。
侍女たちに促されてジェシカが前に進む。
「我が名はヒミコ。よくぞこの地に」
「こんにちは。あたしはジェシカ。ねぇ、どうして顔を見せないの?あたしの国じゃ
 みんな話すときは目を合わせて話すの。その方が楽しいから」
包み隠さない少女は、ヒミコの顔を覆う絹に手をかける。
「無礼者っ!!」
「良いではないか。おぬしらは下がれ。それとも、妾の顔を見たいのか?」
ヒミコの唇がゆっくりと動く。
侍女たちはまるで何かに弾かれるかのように、その場から立ち去っていった。
自分に対して危害を加えるかもしれない異邦人を相手にヒミコは丸腰の状態だ。
通常ならばありえないことである。
だが、それが出来るのはヒミコが自分の力に自信があるからでこそ。
「他人に顔を見せるなど……母上が知ったら激怒しそうだ」
艶やかな黒髪は濡れた様に光を放つ。
二つの瞳は翠と金。
その顔は、まだ十代半ばの少女だった。
「意外だったか?妾の顔は」
「ううん。あたしたち友達になれそうだね」
ジェシカはす…と左手を差し出す。
「これは……?」
「ヒミコは右手出して」
言われるままに差し出される手を彼女はしっかりと握った。
「握手。これであたしたち友達だね。ヒミコ」
「そうか……妾には侍従はおっても、友はおらぬ。ジェシカ、妾の友になってくれるのか?」
その力ゆえに、ヒミコは幼いころから隔離され「ヒミコ」としての教育を受けてきた。
大人たちは絶えず彼女の顔色を窺う日々。
彼女の「母」は正確には「義母」であり生みの母は別に居る。
「ねぇ、どうして女の子を竜神に差し出さなきゃいけないの?」
「……この地を守るためには、必要だと母上が……」
口を閉ざして、彼女は悲しげに目を伏せた。
「母上?」
「……先代のヒミコだ。妾はまだ飾りに過ぎぬ……」
首から下げた山彦の笛を鳴らしながら、エースはジェシカの隣に付く。
「ヒミコちゃん。俺、エースっての。よろしく」
同じように出された手を、今度は躊躇することなく彼女はとった。
「な、ここにもオーヴがあるだろ?」
「オーヴ?」
「そ、こんな感じの」
同じようにホーリィとレンもヒミコの前に。
「……ある。ジパングの宝だと聞いてきた」
「それ、貰いたんだけど駄目か?」
レンがぽふぽふとヒミコの頭を撫でる。
「構わぬよ。友が望むのならば」
「ありがと、ヒミコ」
「のう……おぬしらは妾の目のことを言わぬのだな」
オッドアイは、彼女がジパングのみのものではないことを指し示す。
異形の子と恐れられ、ヒミコを継ぐことになってからは「神」と呼ばれる。
実際はごくありきたりの少女なのに。
「綺麗よ。世界に一つだけって感じがする」
その言葉に、少女は小さく笑った。
「笑ったほうが可愛いな、お前」
「そうね。その方がずっと可愛い」
薄紅色の衣を纏った、この国の幼い女王の笑顔。
それを引き出したのは異国の旅人たちだった。
「今宵は我が宮に泊まってくれ。もっと、おぬしたちと話がしたい」
「うん。あたしもヒミコと話がしたい」
同じような年代の少女二人はあっといまに打ち解けてしまう。
それが例え竜神に魅入られた少女であっても、ジェシカたちは何も変わらない。
そして、それはこの国を変える小さな力となる。
まだ、誰もそれには気付かないだけで。




会食をしながらあれこれと竜神のことを聞き出す。
この神殿の裏手にある丘から地下に潜り、溶岩の洞窟の奥にそれは居るらしい。
「ねぇ、どうして女の子だけなの?」
「竜神の力を維持させるためには、処女の生き血が必要なのだ」
「それじゃあたしらは無理だわ」
なれない箸を使いながらホーリィがあははと笑う。
「姐さん、竜神にも選ぶ権利はあると思うぜ?」
箸先で茹でられた海老を摘みながら、エースはヒミコに目線を向ける。
「まったくだ。こんな煮ても焼いても茹でても食えねぇ女」
「うるさいわね。あんただって似たようなもんでしょ」
茹でられた香菜を口にしながらホーリィは長箸でレンの手をぱしり、と打った。
その光景に少女は声を上げて笑う。
今まで誰かと食事を共にして、会話をするなど無いに等しかった。
口の悪い男女と、自分と大差の無い少年と少女。
当たり前の光景が広がることが、酷く嬉しかった。
「頼みが……ある」
「?」
「母上を……竜神を止めてくれ……」





彼女を選んだのは他ならぬ竜神であるヒミコその人。
二つの目を持つ少女は、物心が付く前にこの神殿へと運ばれてきた。
鏡越しに移る竜女は、赤い唇で少女を品定めしてこう言った。
「お前の十七の生まれの日までは待とう。それまでは処女を我に贄として出すがよい」
ジパングを守ってきた先代のヒミコは、この竜女に哀れにも飲み込まれてしまったのだ。
その力を吸収し、ヤマタノオロチはヒミコの身体を使いジパングを統治する。
夜毎にオロチに食い散らされる少女を、彼女は鏡越しに見つめてきた。
血と肉の海に、飛び散る臓物。
ただ震えながらその光景を見るしかなかった。
オロチは舌なめずりをしながら笑う。
「お前は我の力を完成させるために見つけた。まだ時は来ぬ」
そのたびに、彼女の笑顔は消えていき、いつしか仮面のような顔になっていったのだ。
「酷ぇ話……冗談じゃねぇ」
「そうね。理が通らないわ」
エースとホーリィは顔を見合わせて呟く。
「妾も月の終わりには竜神に召される。それは構わぬ。妾をここまで育てあげたのは
 他ならぬ母上なのだから。しかし……」
ヒミコは言葉を紡ぎ直す。
「母上は、この地だけではなくこの世界を手にしたいらしい。魔王とやらの求婚を跳ね除け、 
 妾を育てた。母上は……心根はお優しい。だが、何かを違えてしまわれた……」
その異様な食事以外では人型をとり、彼女に魔術を教え礼節を植えつけた。
時にはその胸に抱かれて眠ったこともあった。
あの暖かさが、例え自分を餌とするためのものだとしても。
どうしても、憎みきることが出来なかった。
「母上を……止めてくれぬか?妾ではもう……」
伏せられる睫と、こぼれる涙。
「……お母さんは、きっとヒミコのことが好きだよ……けど……」
ちゃら…と鳴くのは母が持たせてくれたペンダント。
中には両親と自分の小さな肖像画が納められている。
「けど、誰かを殺してまで……世界を欲しがっちゃいけない」
「ジェシカ……」
「あたしは……友達が悲しい顔をするのが見たくないよ」
小さな勇者は友の手をそっと取る。
この暖かさは、偽りではない本当のもの。
「明日……竜神の洞窟に行くよ」
こくん、と小さく頷く姿。
母を裏切ることは、この国を守る唯一の手段。
女王として、この国を守るためにヒミコはジェシカたちに討伐の依頼をしたのだ。
「あたしたち……この国がすき。ヒミコのことも」
「ジェシカ、妾も……そなたらが好きだ」
「あたしたち、友達だもん」





板張りの回廊は、素足には心地よい。
酔い覚ましにとレンは欄干に腰掛けて深い藍黒の空を見上げていた。
星も月も無い夜。
ただ、風の音だけがあたりを包み込んでいる。
「レン」
「ああ、ヒミコか。どうかしたか?」
「頼みがある」
二つの瞳が、深く閉じられる。
「妾を抱いてくれぬか?」
「…………………………」
「処女でなければ妾に価値は無くなる。この国に妾は要らぬのだ」
小さな顔を両手で包んで、レンは首を振った。
「馬鹿言うな。お前の価値はそんなもんじゃねぇだろ。処女なんてそんなに大事なもんでも
 なんでもない。まぁ、遊びすぎは問題あるだろうけど……お前の価値は民がみんな認めてる」
額に触れる唇に、閉じたまぶたが震えた。
「お前くらいの美人の誘い、普段は断らねぇんだけど……さすがに一国の女王に手だしたら
 あいつに殴られそうだ」
「一度で良いから、恋をいうものをしてみたかった。この国の外を見たかった」
ぼろぼろとこぼれた涙は、薄絹をぬらして染めていく。
他人に感情を露呈することも、禁忌とされてきた少女。
「いくらでも見れる。恋だってできる。明日……全部終わらせてくるから心配すんな」
顎を取って上を向かせて、そのまま静かに唇を重ねる。
触れるだけのキスは、甘い甘い恋にも似て。
憧れて焦がれた気持ちと重なった。
「明日、無事に帰ったら続きさせてくれねぇか?」
何度か小さなキスを繰り返して、次第に深く重ねていく。
舌先を絡ませて吸い上げれば、おずおずと同じように返してくる。
細い背中を抱きしめて、その髪に手を通す。
「……っは……」
離れ際にちゅ…とこぼれる音色。
とろんとした瞳と、力の抜けきった身体。
「殿方と……こんな事をするのは初めてだから……」
「んじゃ俺は果報もんだ。女王のキスを貰ったんだからな」
鼻先に、頬に振る接吻に少女は目を閉じる。
「もっと気持ち良いことは……明日帰ってきてから」
こくん、と頷く顔にレンは満足気に笑った。
「笑ってろ。もうすぐ全部終わらせるから」
「母上に……伝えて……」
「………………………」
「受けた御恩、生涯忘れませぬと」
どんな姿でも、それが人外であっても。
彼女にとっては母であることに変わりは無いのだ。
「わかった。確かに伝えるよ」
もう一度だけ、強く抱きしめる。震える身体を。
何かを守るためには何かを失ってしまう。
犠牲なくして、平和を築くことなど出来ないのだから。
この戦乱を収めることは奇跡にも等しいこと。
スプーン一杯の砂糖で海をも甘くするようなことを、ジェシカたちはやろうとしているのだ。
「もう、泣かなくていい。泣くのは嬉しいときにしとけ」
「嬉しいとき……」
「息吸って、思いきり笑え。そんで好きな物食って歌っとけ」
「……うん……」



それは小さな小さな奇跡。
神に挑むのは――――友の思いを受け取った少女だった。



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1:14 2004/06/17

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