◆竜神◆
ダーマの神殿は奥地の封鎖された空間。
キャットバットを切り倒し、四人はその重い扉を開いた。
「結構……厳しいわよ。それでもいいの?」
エースは古びた本を取り出して笑う。
「大丈夫。俺っていい男だから」
帽子のつばを一撫でしてその姿は奥の祭壇へと消えていった。
これから七日間、彼は己と向き合いながらの修行をするのだ。
手にした書は俗に言われる「悟りの書」というもの。
古の魔導師や神官たちがその知識を詰めこんだ幻の書物だ。
「エース、大丈夫かなぁ……」
頭頂部で二つに結われた銀髪は、まるで東国の少女のようで。
「信じてやんなさい。恋人なんでしょ?」
「ん…………」
それでも、心配だと思う気持ちは蝶になってひらら、と舞い落ちる。
自分のためにもっと強くなりたいと言ってくれた恋人待つ長い時間。
(エース……あたしもがんばるよ……)
まだ、この扉は開かない。
久方ぶりにアリアハンに戻ったジェシかを見送ってレンとホーリィは宿で身体を休めていた。
「やだ。傷増えてんじゃない」
レンの腕に指先を当てて、ホーリィは小さく呪文を唱える。
「お前、口紅の色変えたか?」
「あら、よく分かったわね。ちょっとだけなんだけどね……」
気付かれれば嬉しいもので、形のいい唇が笑う。
「あたしも帰ろうかな……実家」
「お前の実家ってどこなんだよ」
「サマンオサ」
その言葉にレンは声を失った。サマンオサは現在鎖国状態に近いからだ。
近年までは賢君が治める国として、また軍事国家として周辺列強にその名を響かせていた。
「あたしね……サマンオサに親を残して逃げてきたの」
彼女を育てた神官は、現在サマンオサに幽閉されている状態だ。
かろうじて彼女を逃がしはしたものの、生きている保障は少ない。
国王は次々と優秀な戦士や神官を断頭台へと送り込む。
そうなる前にと、ホーリィを外界へと追いやったのだ。
「親?」
「うん。クレア大神官。引退したから階位は返上してるんだけどあたしの自慢の父親よ」
煙草に火を点けて、レンは天を仰ぐ。
この女の過去は殆ど知らない。
自分が聞かなかったのもあるのだが、自分から話すこともしなかったからだ。
「俺も一回くらい故郷(くに)にかえらねぇと……まずいだろうな」
「ジパングも何か物騒な魔物が出てるんでしょ?」
東の果てにある彼の故郷は、ヤマタノオロチと言う魔物に魅入られてしまった。
毎晩生娘が生贄としてささげられ、村人たちはおびえた瞳で生きている。
「お互い……困難なことばっかりね」
ホーリィは地図を取り出して、指先でそっとなぞる。
「ね、ここがダーマのある所。ここから……すぐね。ジパング」
真珠色の爪がきららと光る。
「あたし船動かせるし。行ってみましょ」
「おい、大丈夫か?」
「それとも、あんたあたしを守る自信ない?」
「馬鹿言え」
レンの手を取って立たせて、ホーリィは笑った。
「決まりね。行きましょう」
魔法力で進む船は、ホーリィが動かしレンは時折絡んでくる魔物を蹴散らす。
ジパングは独自の文化を持つ小さな島々が織り成す国だ。
皆一様に黒髪に鷲目で、黄色の肌を持つ。
「ねぇ、あの門は何?」
真っ赤に塗られた鳥居を指してホーリィは首をかしげた。
「鳥居って言うんだ。魔除けの門だな」
村人たちにとって金髪の僧侶は余程珍しいのかぼんやりと視線を投げかけてくる。
結い上げた黒髪は美しく、同じようにホーリィも彼等を見つめ返した。
「でも……嫌な空気ね。ここ……」
「明日をも知れぬ身だからな。女は特に」
レンに手を引かれてつれてこられたのは他の家屋とは少し異なった作りの建物。
「師匠、一時帰宅させてもらったぜ」
「なんだ馬鹿弟子か」
顎鬚をさすりながら奥から姿を現したのは黒髪の美丈夫。
年のころはレンとそう変わらないようにも見えた。
「お兄さんか何か?あんたの」
「いや、このじーさんこれで百越してんだよ。秘薬使ってっからこんな成りしてっけど」
慣れているのかレンはさらりと述べる。
「…………東洋の神秘ってやつなのかしら」
「まぁ座れや。二人とも」
白装束に身を包んだ少女が二人、男のそばに立つ。
「ここの事情は知ってるか?」
「かじる程度には」
「そうか……なら話そう」
ジパングは女王卑弥呼が統治する国。
かつては同じ女帝同士ということもあって頻繁にイシスとの交流もとられていた。
レンがジパングを旅立って数年後、女王は急に竜神に傾倒するようになったのだ。
そして、国の豊穣のために生娘を生贄に捧げねばならないと。
今では女子が生まれても男児として育てるものもいるほど、そのおぞましい行為は日常となってしまった。
あれほど親密だったイシスとの国交も断って。
かつての女王は、民に愛された優しき君主。
たった数年でまるで別人のように変わってしまった。
「そんな馬鹿なことあっていいわけないじゃない」
生きとし生けるものすべてに、平等なる光をと唱える僧侶は吐き捨てる。
不穏な空気として彼女に絡んでいたのは行き場を失った魂だったのだ。
無念を抱えたまま、生きたまま竜神に食われる。
内臓も肉も余すことなく。
「竜神ヤマタノオロチ……はたして本当にこの国を守るものなのか……」
「師匠、少し時間くれねぇか?ダチ連れて来るわ」
時間も遅いからと、そのままジパングで一泊することに。
僧衣を脱いでホーリィは窓を開ける。
朱色で塗られたその枠は、東洋の独自の文化。
焚かれた白蓮香にうっとりと目を閉じた。
「良いところね。物騒じゃなきゃもっといいのに」
水と緑の豊穣なる小さな国。
風に揺れる金の髪は、この国には存在しないもの。
「そうだな。飯は旨いぞ。女も腰が細い」
「そうね。いい男多そうだわ」
普通の女ならば嫉妬するのだろうが、僧侶でありながら百戦錬磨のこの女は違う。
「きゃ……!」
ぐい、と手を引かれてレンに覆いかぶさる形で寝台の上に倒れこむ。
そのまま手を滑らせて、女の括れた腰を抱いた。
「俺の好みは乳のでかい女なんだよ」
「そういう言い方は好きじゃないわ」
咎める様な声音と、額に触れる唇。
長い睫がそっと伏せられる。
「ね…………なんとかしよう。この国」
「ああ。まずはガキ二人が出てくるのを待つしかねぇ」
まるで年若い恋人同士のように、抱きしめあって眠る夜は甘くて。
その時間を手放すことができなくなってしまう。
布越しに感じる互いの体温と鼓動。
ただそれだけでひどく優しくなれる気がした。
「眠れないの?」
「ん〜〜……色々と柄にもなく考えててな」
エースはジェシカのために強くなりたいとダーマの神殿で荒行を積んでいる。
見送りながら同じ問いを自分にもずっとしてきた。
「お前さ、この旅が終わったらどうするよ」
「……決めてないわ……」
「俺も何も考えてねぇ。けど……ガキ二人は考えてんだよな」
伸びた黒髪を指に絡めて女は囁く。
「見えない明日を考えてもどうにもならないことだってあるわ。だったら今を懸命に生きたほうがいい」
化粧を取った素顔は、思う以上穏やかでまるで別人のよう。
人形のようだと男は女を例えた。
「綺麗な国ね。あたしの故郷もそうだったわ」
サマンオサもジパング同様、君主の圧制で民は喘いでいる。
まるで示し合わせたかのように。
「そっちもどうにかしようぜ……まずはボウズがでてくるのを待つしかねぇな」
重なる呼吸。
触れるだけの接吻。
「………………何よ……」
「いや、寝れるように」
「……柄にもないこと、しないで……」
あらぬ方向を向く背中を抱きしめる腕。そして、それに掛かる指先。
どれだけ時間と身体を重ねても、甘い魔法は時折必要で。
異国にいればいるほど、それは強くなってしまう。
明らかに異物とみなされるこの国。
強がっても、自分が異人だということは不安の材料としては十分すぎた。
「寝れそうか?」
「そうね……」
「こっち向けよ」
ほんの少しだけ残ったそばかす。白すぎる肌はともすれば上等な陶器の様だ。
観賞用の少女人形のような作り。
ロザリオは彼女を縛る偶像の証。
「竜神……神殺しは、罪に当たるのか?」
闇を写し取った瞳が見つめてくる。
「もし、何かの命を奪うことが罪なら……この世に聖者なんて存在しないわ」
生きるためにには、何かの命を犠牲にしながら日々を営むしかない。
全てに平等であることを認めない僧侶は続ける。
「それが神だろうと何だろうと、同じことよ」
男の唇に触れる指先。
その手はそのまま頬を包む。
「子供はまだこの先の時間が長いはずだったのに。それを奪う権利は神にも無いわ。
人間には一つだけ選択権があるの……生きるか、死ぬかを選ぶ権利が。それを奪って
いいものなんて存在しないのよ」
男の心を読むかのように、その声は意思を紡ぐ。
木蓮のような女は、そっと目を閉じた。
数日後にダーマで三人は合流する。
今日が七日目。エースの修行の終了する日だ。
「そんなことがあったの……ジパングに行かなきゃね」
帰る家のあるものは幸せだ。疲れを癒すことが出来る。
それでも、家族がないことを恨んだことは一度も無い。
確かに愛されて過ごした日々がこの胸にはあるのだから。
「あたし、エースを迎えに行ってくる」
小さな背中を見送って、顔を見合わせる。
「なぁ……言ってなかったかも知れねぇけど」
「?」
「俺も親いねぇんだ。師匠が育ててくれて……どっかの大穴に落ちて死んじまってさ。
腕のいい刀鍛治だったんだけどな」
傷の舐めあいでも、癒しあいでも。
今ここで同じ時間を共有していることは確立に直せば奇跡に等しい。
そして、恋に落ちることは海に沈めた真珠を探すようなもの。
だからこそ、愛しさが生まれるのだ。
「行きましょ。弟がでてくるわ」
同情は要らない。
その感情は誰かを見下してしまうから。
共有するならば『痛み』を。そのほうがずっと強くなれる。
靴を鳴らして進む回廊。
重い扉がゆっくりと開く。
「……久しぶり、姐さん、おっさん」
満身創痍の青年は、できるだけの笑顔を浮かべる。
疲れきってぼろぼろの身体を引きながらゆっくりと前に進む。
「ただいま、ジェシ」
「……おかえり」
何かの命を奪うことが罪ならば、この進み行く道の先にあるのは断頭台。
その階段を鼻歌交じりで登ろう。
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2:15 2004/05/30