アスタリスク
「伝承の島は、さすがに難攻不落だけありますね」
浮き出る汗をぬぐって、青年は隣の親友に振り返った。
足元に積まれた亡骸の山はこの2人によって為されたもの。
世界を捨て去って生きることだけを選択した者たちの住まう島、それがルザミだった。
「カンダタ、無事ですか?」
「ああ。おめーが魔導師だからか楽っちゃ楽だな」
黒髪をなびかせた青年と対になるような赤毛。
「司祭様は……ああ、おいでなさったようです」
「あ?」
「ずいぶんと前にこの島も襲撃されたようですね。ええ……テドンと同じように……」
埃の付いたローブをひるがえして、レオナルドは前を見据えた。
腸をぶら下げながら死体の山がこちらへと向かってくる。
腐敗臭と体液の流れ出る鉄分の匂いが鼻を突く。
「司祭様ってのはなんだ?」
「あだ名ですよ。カンダタ」
大地をけって二つに別れる。
男の剣を守るように発動する魔法呪文。
炸裂する光はさながら真夜中の太陽の如く。
垂直に降下しながらカンダタの剣が司祭服を着た死体を頭から串刺しに貫いた。
「んで、どれが司祭様ってやつだ?」
「それです。君が突き刺してる」
首を引きちぎって投げ捨てる。
「さて……この結界を敷いている新しき司祭に会いに行きますか」
ネグロゴンドの洞窟は迷いの道。
重なり合った死骸を蹴散らしながらジェシカは首を捻った。
「エースのお兄ちゃん、元気かな」
「兄貴は簡単には死なねぇよ。なんってっても俺の兄貴だからな」
しっかりと彼女の手を取って、今度は彼が前を進んでいく。
「あんたの兄貴ってことは、そう簡単には死なないわね」
威風堂々とした神官はまるで少年のようにも見える。
短く切られた髪がそよぐように魔物たちの気配を読み取った。
「もう一仕事よ」
「ああ」
ライオンヘッドの群れをなぎ倒すのは筋骨隆々とした男。
刻まれた傷は誇りだと、彼は多くを語らない。
日のあたるあの場所を取り戻すために、どれだけの道を歩んできただろう。
「草薙の剣は引き合う。稲妻の剣と」
煙草に火を点けて、一口吸い込んで女はそれを少女に向けた。
「もう誰もあなたを子供だなんて思わないわ、ジェシカ」
「……………………」
「立派な大人よ。誇りを持ちなさい、自分自身に」
傷を抱えてあの酒場にそれぞれが集まった。
祖国を魔物に支配され、大切なものはすべて失った女。
己の存在意義を探し続けてきた東国の男。
常に二番手でしかなかった自分に絶望していた青年。
無垢なる魂はそれを引き寄せて導いた。
「オーヴってもんを揃えたらどうなるんだ?」
「空を飛べるのよ」
「それからあの海賊船でも十分だろう」
どっかりと腰をおろして、レンが傷口に包帯を巻きつけた。
「バラモスの結界の中、侵入できるのは不死鳥ラーミアだけ」
その傷口に触れて、一瞬で癒す女の指先。
さながらこの世界を導く小さな光でも集めるかのような仕草にも思えた。
朽ちかけた壁に刻まれた数多の無念の傷跡。
「オーブの光でのみ目覚める。もちろんオーヴを手にするにはそれ相応の力が必要だわ」
だからこそ、この旅路は必然だった。
何一つ偶然などなく、すべての出会いと別れが少女を成長させた。
「あなたの心に眠る思いは、ラーミアに問えばいいわ。ジェシカ」
「……………………」
未だに拭えない小さな疑問。
異質なこの髪に惹かれるかのように魔物たちが咆哮する。
魔王バラモスと対峙したときの不思議な共鳴感。
自分が何なのかを探し求めた旅路だった。
「ジェシ、手ぇ出せ」
「?」
柔らかな光が生まれて少女を静かに包み込む。
あの日の幸せをそのまま切り取ったかのようなこの穏やかさ。
瞳を閉じれば満たされるこの安心感。
「あったかーい…………」
「俺、死にかけたり死んだりしたけども、やっぱこのメンツでよかったって思うんだよな」
彼が見つけたかった宝物は一番傍に居た。
今度は彼が彼女を導く番になる。
「だな。なんだかんだあっても、やってこれた」
戦うことがすべてではなく、人の涙は暖かなものだと知った。
「そうね。ほかのパーティなんて絶対嫌よ」
希望が絶望に叶うことはないと知り、すべてを受け入れて立ち向かう強さ。
「お前がいたから俺らはばらばらにならなかったんだ。ジェシ」
導きあう心はおのずとすすべき道を照らす。
稲妻の剣が悪しき者に触れることができないように。
「さ、行くわよ」
その声にうなずいて少女は剣を掲げた。
その背中に生えるのは純白なる翼。
びりびりと生まれ始める空気の渦に、ぎゅっと瞳を閉じる。
周囲の壁が崩れ始め、一行の周りにだけ生まれた空気の幕。
時空を歪めるかのように現れたひと振りの美しい剣。
まるで空でも求めるかのように手を伸ばせば、そっと降りてくる。
「軽い…………これが稲妻の剣…………」
「始まるわよ」
「え?」
「その剣が最後のオーヴに導くのよ」
何を求めて人は生きる道を選ぶのか。
何をもって『人間』の定義を生むのか。
些細なことで行き違えるのはこの感情というものがどこかどす黒いからだろう。
永劫なる闇の中に、人ならざるものは確かに存在する。
「バラモスさま」
「リト」
醜い妖魔は可憐な少女へとその姿を復元した。
あでやかに琥珀の髪を舞わせ、長いドレープの先が床に接吻する。
元々は間接球体人形だった少女に、青年は命を吹き込んだ。
「おいで」
ドレスの裾を指先で摘まんで、青年の前に歩み出る。
「もうすぐここに人間がやってくる。楽しみだ」
「人間が来たらいかがなさるのでありましょうか?」
「お前の体に丁度いいものを見つけた。人形の?は何かと不便であろう?」
「いいえ、慣れれば快適ですわ。バラモス様とお話できるだけずっとずっと楽しい。それに
……私が人形でなくなってしまったら、従者たちが騒ぎ出します」
石像を操る少女そのものが人形師の躯。
魔王の城を守るのは騎士ではなく人形遣いの少女だった。
逆さまの月を射抜くようにして放たれた光の矢。
ルザミの結界を打ち砕いた賢者は肩で息をする有様だ。
積み上げられた髑髏はまるで積み木のよう。
その頂上に佇むのは無垢を纏った一人の少女。
「……誰ですか?」
闇に溶ける死の黒髪。手にした弓弦は東国の物。
東の国の不眠夜を取り込んだ人にして人ではなくなった現人神。
「君がここの新しい司祭?」
「まさか。私は母上の意を辿ってきただけ」
白地に縫い込まれた紅糸が彼女を一層引き立てる。
黒に交る赤は美しく禍々しい。
「欲しいものはこれでしょう?」
掌に載せられた宝玉。
「でもだめ。これは私のトモダチに渡さなければ」
放たれる無限の矢と彼女を守る竜蛇たち。
東の国を守る巫女はいまや女王となり一帯を統治するようになった。
「待って!!君の友達の代わりに来たんだ!!」
「嘘。トモダチじゃない貴方達を信用する理由がない」
月を抱いた十字の炎が矢を包み二人に向かって放たれる。
「カンダタ!!」
「あいよ」
その矢をすべて打ち落としていくナイフの数々。
大盗賊カンダタの名は伊達でも酔狂でもなく、潜りぬけてきた修羅場が付けたのだ。
夜を飛ぶように輝く銀色のナイフ。
それは魔力によって生み出される文字通りの無限の物。
「魔力合戦か……巫女と魔導師、どちらが上かってことか……」
額の汗を拳で拭って、レオナルドは少女を見据えた。
東の国ジパングを守る巫女と、大神殿ランシールの正当な司祭。
数の上ではこちらが上でも彼女の魔力はそんなものは粉砕してしまう。
「無駄だな。どっちも撃ち死ぬ」
「だろうね。相性が良すぎて……反吐が出る」
右手の指輪が輝き光を放つ。
「もう一度言うよ。僕らは君の友達にそれを渡さなければいけないんだ。君の友達は
僕の弟と一緒に旅をしている。銀色の髪の優しい子だ」
「!!」
黒眼の中の炎がゆっくりと消えていく。
彼女を守る竜達もそれに呼応するように闇に溶けて行った。
「なら、あなたはエースの兄上?」
「そう。こっちはつれのカンダタ」
「……そう……よかった……私が来た時にはもう……随分と遅くて……」
それでもこの夥しい死体の山は彼女一人で築いたもの。
女王ヒミコの意志を継いだ、純粋な強さは計り知れない。
巫女装束に身を包み、彼女は何を思っただろう。
「私はイヨ。女王ヒミコの娘です」
ヤマタノオロチとしてヒミコはバラモスの支配下に居た。
しかし、時折もどる本来のヒミコの意識は気高く女王として相応しものだった。
美しき東の国を守る竜蛇の巫女。
「弟たちが待ってるんだ。一緒に来てくれる?」
差し出される左手。
あの日は誰かを信じることが怖かった。
「行こうぜ、お嬢さん」
今度は迷うことはない。
「ええ。私で力になれるなら、雑魚くらい封じられるでしょう」
ネグロゴンドを抜けた先の朽ちかけた祠。
バラモス城は元々は美しい場所だったという。
王家の神官たちが最後の力で護り、封印を施したその小さな空間。
「さ、手を伸ばして」
少女の手が扉に触れた瞬間にはじける光の嵐。
眼を空けることもできない眩しさの先にあったのは銀色の宝玉だった。
「これで、五つ目ね」
ぎゅっと宝玉を抱きしめる。
旅の終わりと最後の戦いはそこまで来ているのだ。
この瘴気渦巻く先に待つのは魔王バラモス。
「……誰か来る!!」
一斉に武器を構えれば急降下してくるガルーダたち。
その背に乗っていたのは懐かしい親友の姿。
「ジェシカ!!」
「……イヨ!!エース!!イヨが!!」
駆け寄って手を取り合う。
埃と煤だらけの頬の巫女はあの日よりもずっと強く明るい笑顔だった。
「持ってきたよ!!これ!!」
差し出された宝玉。
「ラーミアがあれば、叔母様に逢うことができるの」
「叔母様?」
「ここからずっと先に居る、竜の女王。母上の兄上さま。ジェシカには逢ってほしいの」
ヒミコがバラモスの配下に付いたことには理由が存在した。
その真実を知るのは完全なる要塞に閉じこもる女王だけ。
「まずはいこうぜ、ラーミアの神殿に」
「うん」
繋いだ希望、星の鎖。
アスタリスク、輝きを忘れ得ぬもの。
12:25 2009/01/27