◆アスタリスク◆
「星が綺麗ねぇ」
ワイン片手に女は小さく呟いた。
「星、ですか?」
「そーよ。アタシたちはずーっと銀色の星に導かれてきたの。ま、最近は隣になんか
違う色の星も並んでるけれども」
それが自分の弟と女勇者だと気付いて青年は苦笑した。
「お前、そのほうが良いな。俺ぁ短いほうが好きだ」
銜え煙草の男がにやり、と笑う。
隆起した筋肉に刻まれた数々の戦歴。それは彼の男ぶりを上げるのに一役買ってしまう。
己の肉体一つで戦う男は、神官から見ればある一種の憧れでさえあった。
「私はどうにも世間慣れしていないようで……弟にもよく言われました」
カードを切り終えてレオナルドは目を伏せた。
祈りで世界は救えない。
それを知っていても人は祈ることを止めない。
「オリビア岬を抜けたなら、私はグリンラッドへひとりで向かいます。皆さんはエジンベアへ。
ネグロゴンドの麓で再び会いましょう」
地図を広げて行路をたどる。
「何も危険な旅をする必要ないわよ、一緒に行きましょ」
「だな。岬から一気にこの船を浮かべれば良いだけだ。お前できんだろ?」
女の手からボトルを奪って口をつける。
「まぁ、この程度の距離ならね。ただ、オルテガさんがどこまで進んでるのか気になるわね。
早くジェシカと会わせてあげたいし」
「オメェはもうひとつ目的あんだろ」
視線で会話できる二人には本心を隠すことは得策ではない。
「グリンガムの鞭っていうのがエジンベアに在るらしいんだけどね。今のアタシには
似合いのものかと思うわけなのよ」
魔物を切り裂き打ち砕く脅威なる武器。
三本の鞭を繋ぎ合わせその先端には魔物を裂く鋭利な刃。
「んなものは誰かに作らせりゃいいだろ」
「馬鹿ね、閉鎖された王国エジンベアには古代魔法がこめられた宝石がいっぱいあんのよ。
そこの国宝って言われるくらいなんだから」
二人の会話にレオナルドは首を傾げた。
確かにエジンベアは古代秘宝の眠る王国ではある。
しかし、その国宝といわれるグリンガムの鞭は数年前に盗難にあって存在しないはずだ。
「あの、グリンガムの鞭は何年か前に盗賊に盗まれたんですよ」
「何ですって!!」
「ええ、赤毛の盗賊……確か、カンダタ……」
その言葉に女は目を見開く。
相手がカンダタならばこちらにも分はあるからだ。
しかし、カンダタがどこに居を構えているのかは複数の説がある。
「あのギャンブル好きの男のことだから……アッサラームあたりで待ってればくるわね」
「そこからギアガを越えて行けばネグロゴンドです」
ぐるりと回ってオリビア岬から不夜城アッサラームへ。
「闇商人の街だろ。何だかんだ必要なものも出てきてるから悪くねぇな」
船の揺れは激しさを増し、オリビア岬が近いことを告げる。
女の悲鳴のような波音がただ響き渡った。
切り立った崖に囲まれたその場所は吹き抜ける風がざわつき肌を刺す。
「ジェシカ!!」
ペンダントを手にして少女は船の突端へと進み出た。
フィギュアヘッドは船長のみが許される場所。
「きゃ!!」
突風に煽られる体を青年が支える。
両手でペンダントを掲げて少女は祈るように瞳を閉じた。
「オリビア!!あなたの恋人の心もって来ました!!」
賢者の声に一瞬風が和らいだ。
「あなたの恋人は今もなお、罪を悔いながら亡者なとなって船に残っています!!」
その声に男が踏み出す。
「そろそろ許してやれ。あんたのためにやつは船に乗ったんだ。約束を守るために
今も船に縛られてる」
漣の杖を掲げた女の声。
「二人で天に還りなさい。神はあなた達を祝福するわよ」
神官の祈りの声にペンダントからあふれ出す光の渦。
それは一人の女の姿を浮かび上がらせた。
女が指先を伸ばせば応えるようにあらわれる男の姿。
『オリビア!!やっと、やっと君に逢えた……!!』
『アレック……ずっと待ってたの!!』
二つの光は一つに交わり岬から程なくして見える小さな島を照らし始める。
『ありがとう。あそこにあなたがほしがるものが眠ってるわ』
「あたしの欲しがる物?」
『あなたとよく似た匂いのする人だった』
船は光の中を進み、小島へとたどり着く。
砕けた煉瓦と鉄の焼けたにおいが鼻を突き、少女は眉を寄せた。
「狭いな……いいとこ行けるのは二人ってとこだ」
壁に刻まれた古文字をレオナルドが読み上げて行く。
「魔物の文字ですね……」
「なら、あんたとジェシカで行ってきな。俺たちはここで一掃除やらせて貰うぜ」
上空で騒ぎだす魔物たちに三人が陣を組む。
「ほらほら、早く行きなさい」
「兄貴、ジェシを頼んだぜ」
螺旋階段を駆け下りていく二人の姿。
司祭服が風になびいてまるで少女を加護する天使のようにすら思えて。
黴臭い匂いと石段にしみこんだ夥しい赤黒い体液。
それが人の物なのか人成らざる物のなのかは判断すらつかない。
抜け落ちた羽と天国の記憶。
そんな言葉が刻まれた壁に持たれた一体の躯の姿。
「これは……サマンオサの紋章!!ああ、サイモン様……っ……」
「え……じゃあ、この人がお父さんと一緒に旅立った……」
父の姿はここにはない。少女の頭を絶望が支配して行く。
骨と化した指が大切そうに握る一振りの剣。
『あなたがオルテガさんのお嬢様かい?』
耳の奥に直接響く声。そのやさしさは不思議と懐かしく思えた。
朽ちたはずの体は在りし日の青年をかたどり始める。
緩やかな金の巻き毛、ほっそりとしたどこか儚げさ。
少女にも見紛えるようなその美しさに二人は息を飲んだ。
『私はサイモン。サマンオサの剣士です。オルテガさんとは途中まで共に……』
ふわり、ふわり。髪が揺れて光の粒が舞う。
『あの方とネグロゴンドの麓で待ち合わせております。あそこはこれがなければ通れません』
サイモンが少女に差し出したのはその剣。
錆びた釘のような刀身とサマンオサの紋章が入った柄。
『これをガイアの河口にお入れなさい。さすれば道は開かれます』
「サイモン様、なぜ、なぜ、あなたのようなお方がこんなところで」
『ガイアの呪いは一人殺さなければ解けないのです』
部下たちを逃がして彼は単身でこの島へと渡った。
この最下層でガイアの剣を抱いて、彼はその命を失ったのだ。
『かならずあなたがくると信じていました、お嬢さん』
「お父さんは……」
『あの方はご無事です。私の従者で腕の立つものを同行させました。早く……お行きなさい』
青年の体からガラスでも砕くかのように光が飛び散る。
それは光の柱となって島全体を包み込んだ。
「グギャアアアァァァアアア!!」
「ガアアァァアッッ!!!!」
魔物たちの悲鳴が響き渡りその姿が光の渦に飲み込まれて行く光景。
サマンオサの英雄サイモンは剣を持って戦う神官だった。
「何!!何なの!?」
『妹よ』
「に……兄……さま……」
あの日、死んだと思っていた兄は同じようにその命を救われていた。
サマンオサの紋章を胸に抱き、剣士としての力を育て上げた。
『お前に私の力を預けるよ、スティラ』
少女のペンダントが輝き、その色を変えて行く。
ルタールビーは青碧に染まり周辺を銀細工が取り囲む。
まるで宝玉を守るように施された細工はサマンオサの紋章をかたどる。
自分たちの祖国の血を忘れないようにと。
『これで船も動かせる。けれども、ギアガは越えられない。ギアガの呪いはその剣で
解くんだ。そして……つらい思いをさせてしまったね……』
彼女の呪縛を解くただひとつの言葉。
『行きたい所を願うんだ、スティラ』
「兄さま…………」
『私は苦しくも悲しくもなかったよ。お前が生きてくれてこうして出会えた』
砂を崩すようにサイモンの姿が消え始める。
「兄さま!!待って!!まだ……っ……」
『幸せになるんだよ、スティラ』
「兄さま!!」
受け継がれて行く確かな意志。
「ありがとうございます、兄さま……」
涙はこぼさない。
アスタリスク、星を継ぐ者のように。
眠らない街アッサラーム。歓楽街は一種の治外法権下。
手分けしてカンダタの情報を探し回る。
ついでに決めた今夜の宿は双六場の隣。
「おっさん、一勝負しようぜ!!」
「おう。一丁稼ぐか」
連れ立つ二人にレオナルドの両脇が支配される。
「兄貴も行こうぜ」
「ジェシカ、お前も来いや。たまにはこいつが勝つとこ見てやれ」
薄明かりがちらつく隠微な街角の美しさ。
軒先に並ぶのは闇商人たちが持ち込んだもの珍しい武具たち。
「お兄さん、これどうだい?」
「あら随分といい男だねぇ」
肉厚な唇が誘うように開いて招きよせる。旅慣れた彼らはあしらうのも値踏みするのも上手だ。
「いい武器あるよ、お兄さん」
レンの腕を掴む褐色の手。
悪戯毛に片目を閉じてにやり、と笑った。
「その黄金の爪、もうぼろぼろさ。どうだい、良いの在るよ?」
女が手招きして男は身を乗り出す。
金色の宝箱の中に存在していたのは魔人が持つという鉄球だった。
鉄球部に仕込まれた鋭い棘は龍の肉をオリハルコンで加工したもの。
扱うには相当の筋力が必要とされる。
「遠距離だって何とかなるさ」
「レストアはやってねえのか?お前」
猫目石の瞳が光る。
「もちろん。どうだい?これも良いと思わないかい?」
「もらってくぜ。こいつも直してやってくれ。俺の大事な相棒だ」
「任せな!!これでもサブリナ直伝の技師なんだ!!」
ネグロゴンドの麓まで女は竜を飛ばす。
そこで得たもので作り上げたのが「破壊の鉄球」だった。
偶然に翼竜が咥えてきた魔人の右腕が握っていたこの異界の武具。
「一晩おくれ、新品にしてやるさ」
「金はこれでいいか?」
金貨が詰まった袋をひとつ投げつければ、女は目を輝かせてそれを受け取る。
普通に見れば釣りがくるほどだろう。
「代金に見合った仕事が信条さ、まかせて!!」
「あたしの剣も頼める?」
「ああ、全部出しな!!」
ネグロゴンドを越えればバラモスの根城はすぐ目の前。
用心に越したことは無いのだから。
酒場で女は目を凝らす。
猫のような赤毛の男の気配を感じながら。
胸に光るアスタリスク。もう迷う必要はない。
「お久しぶりだね、姐さん。野性味あふれる感じも似合うよ」
目に走る刀傷。ひょっこりと姿を現したのは大盗賊カンダタ。
「グリンガムの鞭持ってんでしょ?頂戴」
「はぁ、ま、ありますがね。そんな物騒なものどうするんですかい?」
慣れた手つきで酒を頼み、ジョッキを女の前に差し出す。
受け取って一気に飲み下す姿に男は目を細めた。
「戦うのよ。バラモスの城に乗り込むにはあって越したことはないじゃない」
その言葉にカンダタは目を丸くした。
バラモス城に乗り込んで生還したものなど一人もいない。
それがどんなに腕のいい神官でも。
「死にまさぁ、姐さん」
「覚悟の上よ。サマンオサを助けてもらったからお礼しないと」
胸に光る宝石。
「それは、オリビア?」
「兄の遺品よ。アスタリスク」
「ちょっと見せてもらえますか?」
宝玉を光にすかしてカンダタは目を凝らした。一度だけ目にした事のある幻。
盗賊も海賊もこぞって探すアスタリスクの伝説。
「精霊の導きが封じてある。兄貴は名のあるお方では?」
「サイモン……サイモン・クラヴィフィーユ」
「!!」
サマンオサの名を引いた王族以外のただ一人の男。
オルテガと並ぶもう一人の勇者サイモン。
義勇軍を率いて戦った青年は盗賊の間でも知らないものはいなかった。
義賊を名乗るカンダタは一度だけサイモンと顔をあせたことがある。
そのときの笑顔は今も瞼に焼き付いているほど。
「サイモンさまは…………」
「死んだわ。オリビアの島で遺言を残して」
「……何てこった……サイモンさまは俺たち盗賊にさえも手を差し伸べてくださったのに……」
うなだれるカンダタの姿に女はそっと手を差し伸べた。
「双子だったの。だから生きてないことくらいわかってたつもりだった」
「姐さん、少しだけ時間をください。グリンガムの鞭は必ずお持ちしやす。それから
パーティの皆さんにもお伝えください。このカンダタ、サイモンさまとオルテガさまに
受けたご恩は忘れないと。必ずやお力になりますと」
「あんた……何があったの?」
「俺たちは世間の逸れものです。盗賊に手を差し伸べてくださったサイモン様。差別すること
なく接してくれたオルテガ様。男として尊敬すべき方々です、姐さん」
深々と頭を下げるその姿。
「ここからギアガに向かおうと思うの。ネグロゴンドのほうまで行けばオルテガさんに
追いつけるかと思うし」
「確かに。ここからならばすぐでさぁ。道中、お気をつけて」
膝を突いて女の手にそっとキスをする。
義を欠くことのない男、それがカンダタ。
「あんた…………」
金色の目からこぼれる涙。
「義眼の俺でも勇みと言ってくださいました。サイモン様の仇、このカンダタが討ちまさぁ」
金色の涙。
希望は未だ潰えずに。
12:33 2007/05/21