◆夜の女王のアリア◆









「お嬢さん、こんにちは」
猫眼の男がにんまりと笑う。
名はカンダタ、シャンパーニを拠点とする盗賊団の親玉だ。
「カンダタさん、こんにちは」
数日前、バハラタの富豪に依頼された一件にはカンダタが大きく関わっていた。
掠われた孫娘を助け出して欲しい、と。
しかしながら義賊を気取るカンダタは人掠いなどをするだろうかと神官が呟く。
「この間はうちの馬鹿供が迷惑をおかけしまして」
実際のところはやはり、細分化した手下の一人の行動であり、その黒幕は闇商人の一団だった。
カンダタを加えて一行は撃破し、この一件は無事に終わったはずに。
「しかし、あの姐さんはいい。うちに是非に欲しいですね」
「だぁめ。ホーリィは私のパーティー」
「でしょうね。俺は焦りませんよ」
「他もダメだよ。みんな大事なパーティーだもん」
銀髪の勇者は風を纏ってどこまでも進み行く。
「ああ、そういや幽霊船の話は知ってるかい?お嬢さん」
ぱちん、と指を鳴らして青年は片目を閉じた。
語り継がれる海賊達の昔話を。







オリビア岬は険しく切り立ち、侵入する船は皆、海中に引きずり込まれる。
恋人を待ち焦がれ、オリビアは岬に身を投げた。
エリックの乗った船は嵐に巻き込まれ、幽霊船となって今もさまよい続ける。
すれ違ったままの切ない心を抱いて。
旅の詩人が歌い伝える伝説は、いまや世界中で演舞されるほどになった。
それでも、当の恋人たちはまだ救われないままなのだ。






「逢えないなんて、悲しくて泣いちゃいそう」
ホットチョコを飲みながらそんなことをつぶやく少女の手に、男のそれが重なる。
意味深な笑みを込めて猫目が捕らえた。
「恋人たちを引き合わせてやりたいですかぃ?お嬢さん」
「うん」
「じゃあ、こいつをあげますよ」
手のひらに乗せられた小さな骨のかけら。
釣り糸が掛けられて空を寂しげにゆらら、と揺れた。
「船乗りの骨です。これがあれば幽霊船に乗り込める」
「どうしてカンダタはいかないの?」
「俺はロマンスに興味は無いんでね。それに……海賊船が近づけばあの死霊どもは海に
 沈めようと躍起になる。俺はまだまだやりたいことがあるんでね」
今も彼は舟をこぎながら恋人を思う。
そして彼女もいまだに彼を思い続けてあの岬の船を海に沈めるのだ。
「オルテガさんには会えそうですか?」
「わかんない。けど……お父さんと一緒にアリアハンに帰るの。お母さんとおじいちゃんが
 まってる。そしたら、今度はエースとランシールに行くの」
それぞれの夢ははるかにあるように、彼は彼の成し遂げなければならないことがある。
「俺もオルテガさんに会いたい。あの人は差別なく接してくれた」
そのオルテガとまったく同じ色をした光を称える瞳の少女。
銀髪を揺らしてどこまでも進み行く。
「オルテガさん言ってましたっけ……一人娘がいるって。もっと構ってやればよかった、ってね。
 ほとんど家にいたことが無かったって」
「……………………」
たまに帰ってきては傷を癒す父親の姿。
その大きな手が懐かしくて、いつか父のように強くありたいと願うようになった。
「あんたのこと、本気で大事なんだろうな。俺には親がいないから羨ましい」
だからこそ、焦がれるのは街の灯。
春を待つように、あの光にただただ手を伸ばした。
「あんた、世界を救うんだろう?お嬢さん」
重なり合う視線。
「俺も存在するこの世界を救ってくれるのか?」
だから、君が伸ばした手をとらないわけには行かない。
この世界には大切な人がたくさん存在するのだから。
「どこまでできるかはわからないけども」
その肩に背負った億千万の祈りを。
「あたし、みんなで幸せになりたいからがんばるね」
「確かにオルテガさんの娘さんでさぁ……」
細まる瞳と目尻の涙。
「幽霊船は死霊の山さ。気をつけていってくんな」
救われるのを待つのはどれも同じことで、その光を求めて船はさまよい続ける。
それぞれの思いを抱いて。
「カンダタさん」
「ん?」
「お父さんを見つけたら、一緒にご飯食べに行こうね」
義賊といえども賊は賊。
大勇者の娘も彼と同じように、カンダタにその手を差し伸べた。
絶望の淵から這い上がれる一条の光を。
「へい。ジェシカさん」
届きそうで届かない場所に、彼女はきっと存在するのだ。
血ではなく世界が少女を勇者と定めたように。
銀色の髪はどこにいても見つけられるように作られた目印。
どこまでも運命は少女を掴んで離さない。
道を与える代償は大きく、戦いから逃げることができないのと同じ。
逃げることすら与えずに進むべき道と思わせて、彼女を縛り付ける。






幽霊船の話は海賊船に乗り合わせていた三人にはさして珍しいものでもなかった。
避けて通るわけにも行かないならば乗り込むのも悪くは無い、と。
「幽霊船ねぇ……アッサラーム戻るか?」
銜え煙草の男が地図を指した。
ここバハラタからはアッサラームは航海不可能な場所ではない。
しかし、途中は船乗りの墓場といわれるような荒波を乗り越えなければならないのだ。
「こっからでもいけるでしょ。船のりの骨あるんだから。あんた本当に馬鹿ねぇ」
葡萄をつまみながら女神官の持つペンが一箇所に印をつける。
「こっから西南が船が沈んだ場所。この近辺でいけばいいでしょ」
「あったまいいねぇ、姐さん」
身を乗り出す魔道師とその傍らの女勇者。
「決まったらエースとジェシカは買出し。あんたは船大工の手配」
「おまえは?」
「あたしは資金を稼ぎに行ってくるわよ。物入りだしね」
勇者だと歌われても、誰も手助けはしてくれない。
この世界を本当に救わない限りただの旅人と同じなのだから。
それでも彼女は後に振り返り悪くない人生だったと笑う。
そしてそれもやがて歌い継がれる小さな物語となるように。
「どうして船は沈んだのかな?」
露店で買った飴を舐めながらジェシカはエースに視線を向けた。
「俺も海賊船に乗ってから同じようになったのかもな。海が荒れれば船なんか簡単に
 沈んじまうし。それでなくともあの辺は波が荒い」
足を止めたのは煙管を並べた露店の前。
金細工銀細工、美しい逸品が居並んでいる。
フィギュアヘッドに手を突いて、彼は煙草を口にすることが多い。
そんな光景を見るのが彼女は何よりも好きでたまらなかった。
「これ、かっこいいよな」
銀細工の施された煙管を手にして、品定めでもするかのような視線。
まじまじと見つめる姿は普段の彼とは少しだけ違って見えた。
「素敵だね」
「だろ!?ジェシもそう思うだろ?」
嬉しげな笑顔は、年相応のもの。
いつも大人びた顔の彼が見せる子供のような表情。
「けど、無駄買いすると姐さんにぶっとばされんだよな……」
いつまでも留まれば動けなくなると、彼は彼女の手を引いて雑踏へと踏み出した。
「薬とか、食い物とか……あと新しいインクと海図だな」
「書いてきたよー。時計が壊れたみたいだから螺子巻きの買っていこうよ」
「あとは何だっけ?酒とか買ってけばいいよな?」
「うんっ」
石畳を走り抜けて両手いっぱいに抱え込んだ大荷物。
途中で合流した女神官がにやり、と笑って袋を投げつける。
ずっしりと重いその中身は輝く金貨の山。
「船は?」
「その余りよ。それで果物とかもっと買ってきて」
壊血病を防ぐために彼女は船に戻り薬を作ると呟いた。
逞しく生きる女はいつの世も美しい。
(……でも、俺はジェシみたいのが良いな……)
背負った剣には数え切れない思いが込められている。
その手に受け止めた悲劇は億千万の星屑にも似ていた。
「エース、鎖切れてる」
首から提げた懐中時計の鎖が切れたのか、外套の留め具に辛うじて絡まっている。
少女の手がそれを解いて、古びているが上品なそれを彼に手渡した。
「あー、寿命来たかぁ……最初の船でかっぱらった奴だからな」
「泥棒だめだよ」
「ま、俺も海賊船に乗ってたからさ」
広場の中央に存在する噴水。
二人の女神が手を前に突き出して、指先を組み合わせた像が飾られている。
「お疲れさん」
ちゃぷ、と時計は泡を産みながら水中へと沈んでいく。
「良いの?」
「寿命さ。いつまでも縛っちゃいけないだろ?」
帽子のつばを親指でくい、と挙げて恋人の額に小さなキスを。
「んじゃ、行こうぜ。ジェシ」
「うん」









亡者たちの船に乗り込むのに必要なもの。
それは銀の弓矢に込めた祈り。
真っ赤な月に向かってまるで撃ち落すように歪んだ時空を切り裂いて。
神官の弓が撓り、番えた矢が船を討つ。
「いくわよ」
剣を手にした少女が先頭に走り勢いよく甲板に飛び降りた。
襲い来る死霊たちを切り裂く男を盾にするようにして、神官と魔道師は結界を敷いた。
「目的の男を捜すわよ!!」
簡易仕掛けの結界は長くは持たない。
それでなくともこの船は魔物を呼び寄せてしまうのだから。
自船には銀色の鈴を灯して帰りの目印とした。
「ジェシ、こっちだ!!」
ランタンを片手に、左手で恋人の手を引く。
ところどころ腐った板が足を封じて、彼の足首はすでに傷だらけだ。
「エース!!怪我してるっ!!」
「俺はいいんだ!!お前が怪我しなかったら!!」
外套を翻して、彼はいつの間にか男に成長していた。
彼だけではなく彼女の周りに集う光はどれも暖かくてそれぞれに輝くように。
「エース!!」
霧がゆっくりと薄らいで、そこにあったのはかつての風景。
にぎやかな甲板と気のいい乗組員たちの活気にあふれる姿。
「……幻だ……」
その中の一人の男を、船員たちがはやし立てる。
この航海が終わったら恋人に結婚を申し込むという男を。
男が照れくさそうに掲げたのはスタールビーのペンダント。
これだけの上物には早々お目にかかれないだろうという大きさだ。
ハート型の宝石を取り囲むように真珠が輝いて、金色の鎖が太陽を映して眩しい。
これが彼の最後の笑顔だった。
「……真実を見せてくれ、聖なる炎よ」
ホーリィが番えた矢に込められた十字の炎は幻を焼き尽くす。
月の美しさに誘われた魔物たちの歌声が響き始めた。
指先をぎゅっと絡ませてランタンを前に突き出す。
「消えるぞ、あの火が全部映す」
「!!」
高波が船を襲い、魔物たちが次々に船員たちを食らい飲み込む。
沈み行く船の中、最後まで彼はその宝玉を離さなかった。
「行こう、ジェシ」
「……うん……」
半分朽ち掛けた体の青年は天を仰いで、祈るようにペンダントを掲げている。
彼にとっての女神に必死に祈りながら。
「何か言ってるけど……わかんないよ……」
「あたしにまかせないさい。専門分野よ」
奥のほうにいた魔物をあらかた片付けた二人の姿。
辛気臭いのは苦手だと、男が煙草に火を点けた。
「おっさん、俺にも」
「ほれ」
煙の中で聞こえる彼の小さな声。
『……オリビア……もうすぐ船が沈んでしまう……君には永遠にあえなくなるんだね……』
頭上の水面を見上げて、星のような水泡を見つめて彼は何を見出したのだろう。
『せめて……君だけは幸せに暮らしておくれ……』
恋人の顔を思い浮かべてせめて安らかな死があればいいのに。
彼はいまだにこの船にとらわれたまま。
『君に出会わなければ……きっとこんな風に船とともに沈むことも無かったんだろうね……』
まぶたの裏にはあの日の思い出がありありと浮かぶから。
『けれども、君と出会わなければこんなにも誰かを愛することも無かった、オリビア……』
その瞬間に幸せだったと彼は呟いた。
『オリビア……愛してるよ……』
何も気づかないまま、彼は永遠に悲劇を繰り返す。
この船が本当に沈まない限り安息の光は見えはしないのだ。
「受け取って、ジェシカ」
男の手からそっと宝玉を受け取る少女の指先。
神官の手が静かに皮袋を開いた。
「あんだよ、そりゃ」
銀色の粉のようなものが煌いて、月光を飲み込んでいく。
「目覚めの粉、覚えてる?」
「ああ」
「あれの逆のものよ。これは眠りの粉。永遠の眠りを与えるもの」
粉の山は静かに崩れて、船中を走り抜けていく。
赤い月が歌うアリアに誘われるように魂が次々に天へと昇って逝った。
すべてを救うことが少女に課せられた運命ならば、この骸たちも彼女を待ちわびていたのだ。
仄闇色の海の底から夜光虫のように光を仰いで。
「海蛍って……船乗りの魂だっけ?おっさん……」
「おぉ……成仏するときに見えるってやつだな」
「綺麗よね。どんな人でも最後は綺麗なのよね……」
今、こうして自分の手を握ってくれる恋人の存在がどれ程心強いだろう。
「必ず届けるからね、あたし……絶対に届けるから!!」
この空の続く場所であの人が幸せであったならばそれでいい。
今はただそれを願い続けて瞳を閉じるように。





呪文の詠唱とともに生まれだす炎。
神官と魔道師が静かに呼吸を合わせた。
「いくわよ、間合いをあわせてね」
「了解」
彼の炎を絡ませて、矢は真っ直ぐにメインマストを討ちぬいた。
業火に包まれた船はゆっくりと暗い海に飲み込まれていく。
「オリビアに早く逢わせてあげたいね……」
聞こえくる夜の女王のアリアは物憂げで切ない。
「あわせてあげなきゃね。まずは……」
神官の差し出した手の上に、三人のそれが重なる。
「進むわよ、前に」
「うん!!」







聞こえ来る夜の女王のアリア。
それは月光のように儚げで優しくどこまでも悲しい。
憎しみだけでは人は生きられないから、繰り返し誰かを愛してしまう。
出会えた奇跡を確かめるように抱きしめて。
潮風に何を問うのか、青年は何時ものように煙草に火を点けようとした。
「エース」
夜の闇に負けることの無い、美しい煌く銀髪。
まるで星空のようなその輝きは船を守る女神にも似ていた。
「ジェシ、まだ寝てなかったのか?」
「これ」
そっと彼の前に差し出す木箱。
飾りの彫られた蓋には職人の名前が刻まれている。
「俺に?」
「うん」
そっと箱を開けてみれば中には街で見ていた煙管が静かに横たわっていた。
そして、その隣には同じ模様の刻まれた懐中時計。
「エースのここに、懐中時計(これ)が無いとなんだか寂しいから」
とん、と指先で彼の喉下を押す。
「あと、たまにはあたしからプレゼントしたかったから」
頬にちゅ、と唇を押し当ててくるりと踵を返す。
「あんまり吸い過ぎないでね。おやすみっ」
ぱたぱたと消えていく足音。
ぼんやりとしながらまだ少しだけ熱い頬を指でなぞった。
「……俺、すげぇ幸せなんじゃね?」
銀の時計を胸に抱いて、堪え切れない笑い。
落ち着かせようと煙草に手を伸ばす。
(んじゃ、早速使わせてもらおっかな)
紫煙を肺腑の奥まで吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「煙草ってこんなに……甘い味だったっけ?へへへ……」
遠くで聞こえるアリアさえ、祝福の歌に聞こえてしまう。
夜の女王は船を沈める気まぐれさ。
「任せなさいっ!!どんな敵だって俺が倒して見せましょうっ!!」
君が何時ものように笑顔でいてくれるのならば、どんな場所でも向かいましょう。
逆さまの月を射抜いて、懐中時計の秒針に合わせながらステップを踏んで。







1:36 2008/06/28













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